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諏訪地方のキツネ

1)諏訪地方のキツネの分布状態 2)諏訪地方のキツネの生態 3)キツネの狩りの方法
4)キツネのテリトリー 5)キツネと疫病の関係 6)キツネの繁殖とノネズミの関係
7)キツネの巣 8)狐の子別れ

1)諏訪地方のキツネの分布状態
 キツネは主に山地帯森林が生息域です。その領域に別荘地やホテル・ペンション・レストランがあれば、冬場は特に、その残滓に頼ります。 キツネの出産は3月頃で、子狐の成長は極めて速く、6月には子狐同士活発に遊びに出ます。7月には親と殆ど同じ大きさになります。8月中旬頃には、狐はバラバラになり単独で行動します。
 日本に生息するキツネは、分類学的には食肉目イヌ科キツネ属アカギツネの亜種にあたります。日本では本州・四国・九州にホンドギツネが、北海道にはキタキツネが生息していますが、いずれもアカギツネの亜種です。ただ四国・九州では、その生息密度は低いです。

 北半球に分布するアカギツネは、北アフリカ・ヨーロッパ・アジア・北アメリカと非常に生息圏が広いです。 諏訪地方では低山帯森林で多くみかけられます。共通するのがネズミ類やノウサギが生息する地域で、しかも市街地や村落周辺から亜高山帯森林まで垂直的に幅広く分布していることです。
 戦後もキツネやテンの毛皮が高く売れたので、長野県ではハンターが生業的に懸命に補殺しいました。そのため天敵が少なくなりノウサギが増え過ぎ、キツネを他所の県から買って放獣し、昭和50(1,975)年より10年間捕獲禁止にした経緯があります。その後化学繊維の発達により野生動物の毛皮の需要がなくなり、動物をターゲットにするハンターも減少し、しかも高齢化し、折角キジや山鳥を放鳥してもキツネやテンの餌食になるだけとなり、今ではキツネを捕殺した人に報奨金を出しています。
 東山・三峰山塊では広葉樹林帯のみならずアカマツやカラマツの林でも足跡がよくみつかります。霧ヶ峰や車山高原では、日没後の薄明下、ビーナス・ラインを横切る姿が頻繁に見かけられます。霧ヶ峰の園地や強清水あたりでは、観音沢の広葉樹林帯から出没するようです。白樺湖の駐車場・旅館・ホテル・別荘など周辺では、日が暮れる前から食物の残滓をあさっています。西岳山麓や茅野市宮川の坂室などの広葉樹林内の道路でも度々発見されています。釜無谷でもキツネやイタチなどが道路を上下して餌をあさっているようですが、意外に哺乳類の個体数は少ないようです。
 亜高山帯では八ヶ岳の麦草峠(1,900m)や唐沢(1,700m)などで、コメツガ・シラビソ林内の道路上に足跡や糞尿が見掛けられます。ノウサギを主食としているようで、雪深いコメツガの枝の下に食い残された下肢が一本見付かった事例もあります。 車山のキツネも当然ホンドギツネです。体長45.5〜75cm・体重4〜7kg、ただ霧ヶ峰一帯のキツネは、里山と比べて小柄です。自然環境が厳しく、食料源に乏しいからでしょう。 基本的に夜行性ですが、車山のレアメモリーの庭には、特に餌が不足がちなる春と秋、朝から痩せさらばえた姿を現します。

2)諏訪地方のキツネの生態
 キタキツネの体色は赤褐色で、ホンドギツネの方は黄土色で、尾も太いです。ホンドギツネの子は一年足らずで60%死亡します。幼児期に、ワシ・タカ・フクロウなどの猛禽類や野犬・飼い犬に襲われる事が多いのです。
 白樺湖のホテル・旅館・別荘地から出現するキツネは、草原からカラマツ植林地・雑木林へと2q余りを歩き、アカマツ幼樹の下に帰り寝屋とします。毎日通う道沿いには立ち寄り場所が決まっていて、カラマツ林内の斜面に階段状の「キツネ道」が通っていました。その先の雑木林内の尾根にいくつもの岩穴があり、そこを棲みかとするネズミやノウサギを捕らえていたのです。その冬の行動圏内の足跡を辿ると約4kmになりました。
 諏訪地方では低山帯上部の森林地帯で数多くのリゾート開発がなされ、旅館・ホテル・ペンション・別荘・温泉・ゴルフ場・売店などと、それに付随する駐車場・展望台が設けられ、本来は森林内を生息域とするキツネが、人間の食物残滓に依存するようになってきました。
 もともとキツネは、古来から田畑を開くための開墾が進み、キツネが好む里山、つまり林や森・田畑・農家がモザイク状に点在する地域が増えると、キツネはその環境変化を積極的に利用してきました。昼間は安全な林の中で休息を取り、夜は民家の周囲を巡り残滓をあさる、これが現在の里山に住むホンドギツネの古代からのライフスタイルとなっています。それ以上に都市化が進み車の往来が激しくなると、身の危険と子ギツネの安全が脅かされるため、里山を去らざるを得なくなります。
 諏訪地方のキツネは、繁殖期以外は巣穴を利用しません。冬の生活場所は明るい南向きの森林が主となります。積雪15p位あった時季の塩尻峠のキツネの寝屋は、道から足跡がそれ、尾根を一つ越えて、深い雪をこいで南向きの斜面に達し、そこのアカマツの根元の凹地に落ち葉を敷いていました。
 車山の南斜面の沢近くの岩場で、キツネの巣らしき穴がありましたが、キツネは本来、日当たりの良い草原や林の中を選び寝屋とします。巣穴は子供の出産や保護ために使用し、その期間を過ぎれば、日常生活の寝屋としては、ほぼ第一条件である日当たりの良い木の根元や岩場を選びます。
 九州阿蘇山麓のキツネは巣穴を使います。藪や林の中の岩の裂け目を利用したり、多くは見晴らしの良い原野にキツネが自分で巣穴を掘るといいます。
 北海道斜里郡小清水町のキタキツネは、原生林の斜面に穴を掘ったり、砂丘・原野・廃屋・岩穴・廃壕など、さまざまな場所を巣穴にしています。
 その一方、殆どのキツネは、先代の巣穴か定かではありませんが、既存の巣穴を利用し、必要に応じて手を加えているようです。

 キツネは時速48kmで走り、跳躍力は2mを越します。獲物を追い捕えるため、その強靭な足による疾走は、時には時速72kmに及ぶといわれています。猟犬が追いつける速さではありません。ただその主食はノウサギ・ネズミですから、オオカミたちのように獲物を追いかけて捕殺するよりも、物陰からこっそり忍び寄り捕食することが多いのです。
 成獣の体重は2.7〜6.8kgになりますが、地域により異なり、ヨーロッパの個体は北アメリカの個体より大きくなります。
 冬の昼間でした。スノーシューで蝶々深山辺りを散策していましたら、広い雪原を疾走してきて、10m先で突然止まり、こちらをチッラットと見て、去っていきました。まさに飛ぶようなイメージでした。

 今から約6500万年前〜4,800万年前(暁新世から始新世中期)、北アメリカ大陸に『ミアキス(Miacids or Miacis) 』という動物が、イヌ・ネコ・アシカをはじめとする、多くの肉食哺乳類の共通の先祖として登場します。ミアキスは体長20〜30cm位の小動物で、顔も犬よりは猫に近く、胴長短足の体型で長い尾を持ちイタチと近縁性がありますが、樹上生活をしていました。ミアキスは引っ込めることのできる鋭い鉤爪があり木に登ったり、獲物を捕まえるのに役立てていました。地上ではヒアエノドンなど肉歯類がミアキスの捕食者の地位を占めていたため、その備えとして五本の趾(あしゆび)があった。この手首の骨は、現生の食肉類とは異なり、諸骨が独立し樹上生活に適っていました。やがてイタチ科、クマ科、ジャコウネコ科など、ほとんどの肉食哺乳類の祖先となります。  
 その後、一部のミアキスが森林地帯から草原へと生息圏を広げ、草原生活に適した体に進化していき、第三紀の終わり頃、約2600万年前に『トマークタス(en:Tomarctus)』 という動物が出現します。オオカミやキツネ、タヌキなどの犬属の直接の先祖であると考えられています。    
 北アメリカで生まれたイヌ科の動物は、様々な種類に分かれながら世界に拡がっていきます。現在アフリカに生息しているジャッカルも、元をたどれば北アメリカ『トマークタス』にたどりつきます。トマークタスの子孫からはやがて、現在のイヌの直接の祖先であるオオカミが生まれます。オオカミは勢力を伸ばしながら、当時陸続きであったベーリング海峡を歩いて渡り、ユーラシア大陸全域に展開します。しかし、キツネの先祖が、オオカミやイヌとも考えられません。トマークタスの種から独自に分流したとおもわれます。
 森林に残ったミアキスは、その後さらに森林に適応して分化・進化し、ネコ属の動物達の先祖となります。

3)キツネの狩りの方法
 キツネは分類学的にはイヌ科に属する動物でありながら、群れることなく単独で狩りをし、吠えることなく沈黙し続ける習性をみると、犬よりむしろ猫に近い感じがします。特に目です。角膜が金から黄で、しかもネコ科の動物のように縦に裂けた瞳を持ちます。獲物を密やかに待ち伏せし素早く捕殺するアカギツネの習性は「猫のようなイヌ科」と形容されています。長いフサフサとした尾は、30〜56pあり、身軽な跳躍の際にバランスをとるのに役立ちます。時には寒冷地のヤマネのようにフサフサとした尾に包まり、まさに犬のように伏して眠ります。
 沈黙の動物とみられますが、鳴き声によるコミュニケーションは豊富で、「雄が雌を誘う時」「テリトリー宣言」「子供や仲間に危険を知らせる」「餌や授乳を知らせる」「危険を感じ子供を呼び戻す」など多数あります。
 キツネは藪を掻き分けるよりも獣道や道路に沿って歩くことが多いのが特徴で、10p位の積雪があれば、必ず爪を引いた足跡を残します。左右の足幅が狭いため、その足跡は犬と比べて真っ直ぐで、成獣の歩幅は40pほどです。直径5p位の円い足跡が一直線に続くのは、キツネの胸幅が狭い上に歩く時には足跡が一直線になるように踏み出すためです。通常、後足は前足跡の上に置かれているので、同じ形の連続みたいに見えるのです。速歩のときにはテンのように2つずつ足跡がつくこともあります。
 主に夕刻から夜に活動します。黄昏時と夜間が最も活発で、人工照明のある区域では夜行性になりがちです。 狩りは単独が普通です。42本の強力な歯でそれらを捕らえ、1日0.5〜1kgの食物を摂取します。食べきれない獲物を獲た場合は、それを埋め、後で食べます。霧ヶ峰の冬期は、主食のハタネズミが地下生活を始めますから、さすがに餌が不足がちとなり、まだ明るいうちから探し回ります。
 狩の際に駆使する技は豊富で、例えば、草などを食んでいるウサギを発見すると、逃げ出さない程度の距離まで接近し、苦しそうに転げまわります。ウサギはその擬態に惑わされて危機感を喪失します。アカギツネは転げながら距離を詰めてゆき、突然跳躍してウサギを捕らえます。さらに、死んだふりをして、獲物の接近を待ちます。アカギツネ共通の行動らしく、その北半球生息域で広く目撃されています。  
 狩りのときには、大きな耳を使って草むらや雪の下の野ネズミの位置を確認すると、その場から真上に跳躍して、両前足と口で野ネズミを押さえつけます。予備動作がなく、極めて瞬息です。ネズミは繁殖力がありますので、主食といえるでしょう。キツネが狩りをするときの方法としては、一番多いのが地表面を探索するのです。キツネはモグラを好んで捕食します。 土中を掘り進むモグラを跳躍して捕殺します。
 
 スカンジナビアにおけるノロジカの新生児の死亡原因としてもっとも大きいのが、アカギツネによる捕食です。キツネとシカが遭遇すると、シカがキツネを攻撃します。この攻撃は90%成功して、キツネを追い払うことができるそうです。これによりキツネに標的された新生の子鹿が守られるのです。  
 次善の方法として、森の開けた場所から、すきを窺い接近するのです。この行動は子鹿を特に狙ったものです。しかし親ジカの反撃にあい、達成率は低いようです。それで、待ち伏せしながら、一瞬のすきを窺うという狩りの方法が採られます。草原でのノロジカの新生児の多くは、この方法でキツネに捕食されます。もっとも成功率が高いようです。 車山の猟師に尋ねますと、イノシシもそうなのですが、シカの繁殖期に、巣の周辺を嗅ぎまわり、雌シカを観察し続けて、その出産時期に狙いを定めるそうです。さらに母シカが餌を求めて出かける際、まだ子ジカを連れて行けないとき、その留守に襲うようです。日本でも鹿の繁殖による弊害が、到る所で生じています。その対策として最も有効なのが、キツネの繁殖なのではないのでしょうか?   
 ヤマドリの雌は尾羽が短くて色彩は雄よりも地味です。枯草や落葉の上では保護色になります。キジの雌と似ていますが、キジより尾羽は短く、飛び去るときには尾羽の赤茶色が目立ちます。  
 ヤマドリやキジなどは、遠く長く持続的に飛べないので、キツネの持久力と俊足に敵わず、やがて捕食されます。キジとヤマドリは同じキジ科で、生態はほぼ同じだそうです。ただキジは平野部に、ヤマドリは山にと住み分けられています。 ヤマドリは日本固有の鳥で、体型はキジと似ているが、雄は全体的に鮮やかな赤茶色で、尾羽はより長い、しかも天敵が多く、キツネの他タヌキ・イタチなどが繁殖すると、ヤマドリが著しく減少してしまいます。  
 ヤマドリは低山でも年中見ることができますが警戒心が強く、普通は人の姿を見ると一目散に逃げてしまいます。登山道を歩いていると「ドドドドド・・」という微かな地響きを聞くことが時々あるそうですが、遭遇するのは人が普段歩かないような山道や、人のいない時間帯のことが多く、実際に姿を見る機会は少ないようです。 

4)キツネのテリトリー
 キツネの主要な生活場である山地帯森林内でも、アカマツ幼樹の林内で日光がよくあたり乾燥している根元が寝屋になります。岡谷市塩尻峠の鳥獣保護区内のキツネの寝屋も、カラマツ林に挟まれたアカマツ幼樹林の南向きの斜面に在り、木の下で雪を避けていました。  
 「テリトリー」は、車山では、10q2以下よりも、更に大きく下回る混み合う状態にあります。縄張りの境界は糞と尿で付けられます。尾の真下にある臭腺の特有のにおいでマーキングし、最少でも1km2の土地を必要とするといわれています。犬と同じように歩きながら諸所に尿を少量ずつかけていきます。諏訪地方のキツネのマーキングは、岩石・切株・杭・ススキ・イネ・ヨモギ・クマイチゴ・タケニグサなどの他、雪の塊にも、歩行中、高く目立つものなら何でもします。
 昼間林の中で休息、日暮れとともに活動を開始し、完全に暗くなると近くの集落を訪れ、家々の間をうろついて餌を探します。一通りうろつくと、次の集落を目指して直線的に移動します。一晩のうちに自分のテリトリー内にある集落総てを巡回します。そのためキツネの糞には年間を通して紙・アルミ箔・ポリ袋の切れ端・ソーセージの留め金・輪ゴムなどが混じるのです。

 大草原や低木地から森林まで生息圏は広く多様で、低緯度地域にも適応し、極北にまで進出し、ツンドラ地域ではホッキョクギツネと競合しています。アカギツネの体毛の五割が下毛なので、それで耐えられるのでしょう。秋から冬には、「冬毛」で身体を包み、寒冷な環境に適応し、春が始まると換毛期を迎え、この下毛は抜け落ち、夏場は短い「夏毛」で過ごします。そのため極度に痩せたように見えます。体色は黄土色で腹側は白く、黒い耳の先端と足、フサフサした尾の先端の白が目立ちます。
 ロシアの研究者が、かつてキツネの人為選択による訓馳化実験を行いました。100頭あまりの狐を掛け合わせ、もっとも人間になつく個体を選択し混血を繰り返しました。わずか20世代で犬のようにしっぽを振り、人間になつく個体を生み出すことに成功しました。同時に、耳が丸くなるなど飼い犬の様相になったそうです。またイヌのようにキャンキャンと鳴いたといいます。ただ、キツネは、もともと嬉しい時には尾を振ります。

5)キツネと疫病の関係  
 十勝平野にある帯広市では、有害鳥獣駆除捕獲報償という制度があります。住民による駆除依頼があると、ハシブトガラスなどの鳥類・キツネ・エゾシカ・ヒグマの有償駆除を行っています。北海道では家畜の放牧地が人の居住地から離れてるため、しばしば特に養鶏場などがキツネによる被害を受け、近年では住宅地周辺でも多数出没しエキノコックス症の感染の恐れが現実的となっています。
 エキノコックスは成虫の体長が5mm前後の微小なサナダムシ(条虫)です。キタキツネやイヌの糞に混じったエキノコックスの卵が水・野菜などを介してヒトの口から感染すると、肝門脈から肝臓に達した幼虫が無性生殖で増殖し、致死的な肝機能障害をもたらします。  
 かつてヨーロッパでは他の野生動物のように、キツネは疫病の伝播者とみられていました。家禽経由のペストと関連付けられていたのです。日本では古来、キツネはネズミ・ノウサギなどの害獣の捕食により、農業を助ける利点が高く評価され、狐に好意的な多くの伝承を生み出しました。
 中国からの伝承による悪影響が及ばなかった日本の古代では、キツネは一線を画しながら、常に身近に感じ、狐を稲荷神の使いとする民間信仰が、中世より始まっていました。やがて江戸時代前後から狐が稲荷神そのものであると誤解されるようになります。 車山の住民としての経験を語れば、動物好きの私の娘が可愛がっていたアヒルが、昼間突然姿を消します、すると裏庭の小高い丘に子狐が顔を出しました。自分たちの油断を後悔しました。それでも我々家族がキツネに抱く親愛感に変わりはありませんでした。  
 キツネの主食は野鼠、野兎、鳥類、昆虫、そしてカエル・ミミズ・ヘビなどでしょうが、ミカン・リンゴなど果物、御飯やパン類も食べ、スイカなどの食害例もあるほど意外に雑食性が強いようです。キツネの寿命は、カエル・ネズミなどの食物種が有する寄生虫の転移により、3〜4年以上の生存例は稀で、飼育下では12年生きた記録がありますが、通常、その寄生虫に汚染され病没します。自然界の厳しさが思いやられます。
  カエル類には寄生虫が非常に多く、その種類も数も多く、寄主でないカエルを探すほうが難しいとさえいわれています。吸虫類20種・線虫18種の他、サナダムシなどの条虫類など多数発見されています。ドブネズミやカワネズミは、特にカエル類の天敵です。ちなみに霧ヶ峰草原の優占種であるハタネズミの食性は、植物の根・地下茎・緑色部などを摂食する完全な植物性です。

6)キツネの繁殖とノネズミの関係  
 アカギツネは、北半球のほぼ全域に亘る広大な生息圏を有し、それぞれの環境のはなはだしい違いにも適応しています。そのため一概に言い切れませんが、おおむね発情期は南方では12月〜1月、中緯度では1月〜2月、北方では2月〜4月です。メスは寒期にある3週間ほどの短い発情期に交尾をします。
 車山高原では1月〜2月に交尾し、妊娠期間は52日を平均とし4月頃出産します。 普段は互いの「テリトリー」を固守します。しかし、寒気の程度で時期は異なりますが、交尾期では互いの「テリトリー」を侵します。50日強の妊娠期間を経て、3〜5月に数匹を産みます。 4月頃からキツネは子育てに忙しくなり、せっせとノネズミを捕らえ、胃袋に入れて巣に運ぶようになります。この時期のキツネの食べ物は、100%といえるほどノネズミです。 車山では6月になると子狐の活動が活発になり、好奇心一杯といった可愛い感じで姿を現します。  
 出産時は目が見えず、体重は約150gで、生後2週間で目が開き、5週間で巣穴の外へ出てきて、10週間で完全に離乳します。同年の秋には子狐は独り立ちをし、やがて自らの縄張りを必要とします。性成熟までの期間は10ヶ月です。
 出産および初期の子育ては巣穴で行われます。巣穴は、斜面などに自分で穴を掘ることもありますが、以前からあるタヌキ・アナグマ・穴兎(あなうさぎ)などの巣穴を借用し、再整備して用いることも少なくないようです。

7)キツネの巣  
  ホンドギツネの巣穴は出産や子育てのためにしか利用されず、日常の寝屋は草原や林の中の日当たりの良い木の根元や岩陰などにあり、夜は民家や営業施設の近辺までやって来て残滓をあさります。これがホンドギツネのみならずタヌキの通常のライフスタイルになっています。
 「テリトリー」には複数の巣穴があり、より大きなメインの巣穴が居住・出産・子育てに使われ、縄張り中にある小さな巣穴は、緊急用と食糧貯蔵の目的です。一連のトンネルはメインの巣穴に繋がっています。巣穴は地下1〜3m、長さ2.5〜10mで多くの出入り口を持っています。  
 メスも放浪しますが、メス同士複数で住むこともあります。その場合、巣穴内では順位制が布かれています。通常、選ばれたオスは最優位のメスのみと交尾をします。キツネは以前、一夫一婦の動物と考えられていました。実態は複雑でした。
 ホンドギツネの巣穴の構成員は、母と子そしてヘルパーからなり母系家族でした。ヘルパーは前年に生まれた雌で、多い時には3〜4頭の事例もあります。父親のオスは生後1ヵ月まで育児のため巣穴に残って育児に協力する場合もありますが、それ以後は殆どこの集団と生活をともにしません。この育児期間、同居の雌がヘルパーとして協力をします。
 生後7〜8ヵ月経過すると若い雄キツネはテリトリーから遠く離れて分散し去っていきます。一方若い雌キツネの多くは、巣を離れてもテリトリー内に留まり、翌年の繁殖期にはヘルパーとして巣穴に戻ります。一部の若い雌キツネは、巣から分散したまま戻りません。ただし生息域はテリトリー周辺に限られます。 
 若い雌キツネのヘルパーは、1歳で性的に成熟します。1歳で交尾しても、妊娠から出産に至るのはごく稀ですが、2腹ぶんの子キツネ達が同じ巣穴で同居する事例もあります。これは1歳のヘルパーが妊娠出産に成功したものとみられます。
 母親の場合、殆ど2〜3歳位で交尾・妊娠・出産し、死なない限り毎年出産します。死ぬか老齢で繁殖能力を失った時、最優位のヘルパーがテリトリーを引き継ぎます。それ以外のヘルパーは、テリトリーの外へと分散していきます。
 キタキツネは既存の巣穴を受け継ぎ一部手を加え住んでいます。餌が豊富な土地であればその場所に巣を構えます。牧場の横にある山の斜面・使用されなくなった小屋・捨てられた粗大ごみの中などです。キタキツネは人影に脅えなくなって久しい!
 人口8百万を超える大都市ロンドンでは、アーバン・フォックスが跋扈し、世界でも稀なアカキツネの一大生息地になっています。
 
 オスは放浪が基本で、冬の発情期だけはその「テリトリー」に執着します。狙ったメスを獲得すべく、雌の巣穴を含む、その周囲のテリトリーを確保しようとします。この時期以降、事あるごとに喚き立てるハクビシンと違い、沈黙下で行動するキツネが、突然やかましくなります。
 テリトリーを宣言し、突然甲高く「カーン、カカーン」と周囲を移動しながら鳴き続けます。狐のコミュニケーションは身体言語とさまざまな鳴き声によってなされているようです。「キャンキャンキャン」と3回甲高く鳴く呼ぶ声から、悲鳴を想起させるものまで、その鳴き声は非常に多様で変化に富みます。 人間やイノシシ・ツキノワグマなどが、テリトリー内に闖入し危険を感じた時、「ギャオン・ギャオン」 と異常な威嚇声を発し、それが夜更けの山野に響き渡ります。車山高原内のレア・メモリーでも、毎年冬場、度々聞かされる叫声です。この時、目立つところに糞や尿によるマーキングを頻繁に行っています。  
 その事情が分からなかった当時、自分の子狐を懸命に探している親狐といった切迫感があり、「激しいな!」と随分と衝撃を受けました。

8)狐の子別れ  
 生後3ヶ月ほどすると、子狐は独力で、巣の周辺付近で昆虫からネズミまで餌を捕る技術を学んでいきます。生物類は、幾代にも亘る試行錯誤を繰り返し、失敗を重ね、それにより種々学び、厳しい環境変化にも適応してきたようです。本能行動のようでも、多くは試行錯誤が繰り返され学習され、それが幾代に重なれば遺伝子に変化をもたらし、子孫へ伝達されていくようになったと思われます。その僅かな生存への可能性を蓄積していかなければ、その種は絶滅します。一口に人類といっても、多種が出現し、やがて消滅しています。ホモサピエンスに最も近いと言われるネアンデルタール人であっても、約30万年位前に誕生し、3万年前に絶滅しています。

 子狐が親と変わらない大きさに成長する8月ごろから「子別れ」が始まります。以後子狐は分散し放浪しますが、余りにも厳しい残酷な自然界の摂理が待っています。    
 約50数日の妊娠期間を経て、寒冷地の車山では4月〜5月に出産します。生まれた子狐は、両親の愛情を十二分に受けて成長します。しかし子狐が親と変わらない大きさに成長する8月頃から子別れが始まります。

 キツネの夫婦は、春の4月頃に4〜10匹の子供を産みます。また、夏になると親狐は、エサの取り方など生きていく術を教えます。例外的に前年に誕生した雌の子狐が巣穴に留まる場合があります。その雌狐による育児補助役としての同居生活の始まりです。数匹の子育てに忙殺される母親のヘルパーとして協力する観察例が、幾度か公表されています。   
 秋になると「子別れ」が始まります。愛情深かったはずの母親が、急に子供に襲い掛かります。最初は雄の子狐が標的にされます。それは残酷な別れでもありました。何度も繰り返すうちに、子供たちは耐えきれず親たちのテリトリーから逃げ去ります。 その「子別れ」という毎年繰り返される儀式は、テリトリー内の食物の減少を防ぐためでしょうが、「子別れ」した子狐の7割方は、交通事故やエサの捕獲がままならず死んでしまうのです。