車山高原の7月


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白樺湖の大門峠から車で5分!車山の駐車場は、無料で広く、何ヵ所もあります。お勧めです!
 霧ヶ峰車山肩ビーナスの丘とビーナスライン富士見台 ニッコウキスゲの群生地!車山への山道にノビタキ
車山高原にコヨシキリ囀る

 梅雨空が 忽然として 晴れ渡り
 車山に 雲一つない 蒼穹が広がる
 澄明な光が アヤメ・オダマキ・グンナイフウロウ・ウツギなどが咲く
 初夏の車山高原を 隈なく照らしている
 その梅雨晴れの陽射しを 穏やかに はね返す
 涼やかな 風が流れた

 僅かに咲き出す ニッコウキスゲの花びらに 
 潤い優しく 露を残す 
 その姿に 誘われるかのように
 コヨシキリが なぜか せわしなく 囀る 
車山高原の7月の風景
 車山高原の 過ぎし日に 
 心を 馳せる度に 浮かぶ風景

 白樺湖の大門峠から 車山の頂まで
 万遍なく 遡上する ニッコウキスゲの大群落は
 
 青く澄んだ夏空が放つ 
 ぎらつく 穂先のような光を 
 優しく 高原の大地に 導き 吸収してみせた

 旺盛な 繁殖力を誇っていた ニッコウキスゲ
 今 ようやく 防鹿柵の成果があがり 
 車山高原で 復活の兆しが 見えてきた

 今と昔が 渾然となり その境目が 掻き消える日が
  再び 訪れるのだろうか 
車山の夏を告げるニッコウキスゲ 
 大陸の方から 寒波が南下する 
 梅雨時の 薄青い空の 日々ですが

 確実に 緑野の色を 変えてきています
 キボウシの葉先の色は 硬く 濃い緑に染まり 
 猛々しい 夏の陽射しにも たえられる準備をはじめています

 夏は 知らぬ間に おとずれ
 かつて 車山高原を 占有していた ニッコウキスゲが 
 新たな 季節を 呼び寄せています
 車山の梅雨時の花
 日光キスゲ アヤメ コバイケイソウ 今咲き誇る

 流れる 白い卯の花の 木陰に

 露に濡れた 黄色い 日光キスゲが 咲き初めると

 薄曇の 緑野のそこだけが 明るくなります

 アマドコロのの涼やかな姿が遊歩道沿いに

 互いを尊重するように
まばらに、その純白の花が咲き並ぶのです
 車山のニッコウキスゲの花言葉

ニッコウキスゲの花言葉は 心安らぐ人

 梅雨にうたれて しぼんでしまった レンゲツツジの高原で

 アヤメや コバイケイソウの花々を 

 観賞しながら 散策する あなたが

  そよりと 向かい風を さけた横顔に 

 浮かんだ 花言葉だったのですね
車山高原にヤナギランが咲き始めました
 白樺湖から大門峠を通って、車山へ向かうビーナスラインを走ると、左に蓼科山を眺める車窓から、ヤナギラン(柳蘭)が数本咲いているのがみられました。
 頂に艶やかな紅紫色の長い穂状の花序をつける、その姿が美しい!
 ヤナギランは、八島ヶ原湿原が最大の群生地で、シモツケソウと同様、お盆ごろまでが見頃となります。その後はマツムシソウ・ツリガネニンジン・ワレモコウ、シラヤマギクなどの秋の花が楽しめ、8月下旬頃には、緑の浮島に花のように点在するヤマウルシの紅葉が始まります。
 八島ヶ原湿原を展望する入口から、木道を反時計回りで数百m歩くと群生地があります。 
 その先には、鷲ヶ峰の3つの峰が見えます。ヤナギランの群生する中に、もう間もなく、鮮やかなコオニユリの花も見られるようになるでしょう。

車山のイブキジャコウソウが満開
 日当たりの好い岩場に咲くイブキジャコウソウ(伊吹麝香草)は、常緑の小低木ですが、樹高が15cm位なので草のようにしか見えません。
 イブキジャコウソウを手の平で優しくなでて、その手の残り香を楽しんで下さい。
 イブキジャコウソウは、タイムの仲間で、唯一日本に自生する植物です。花色は明るい青紫色ですが、白花をつけるシロバナイブキジャコウソウもあります。
 イブキジャコウソウは、背丈が低めで、丈夫な体の構造を持った、荒れた土地でも生育できる種です。
 むしろ、コマクサのように典型的な陽性植物ですから、他の植物が繁茂すれば、イブキジャコウソウには、適地ではなくなり、やがて消滅するか、ほふくして日当たり良好な石垣の間で植生します。
 車山のレア・メモリーのイブキジャコウソウの多くは、石畳の間や石組みした庭の狭間で生育しています。耐寒性もあり、車山山頂付近の遊歩道沿いにもみられます。
 今日の写真は、陽射しを浴びて満開に咲くイブキジャコウソウの蜜を吸いにきたヒョウモンチョウ(豹紋蝶)です。
 

 一般に「タイム」という名で呼ばれる植物は、ヨーロッパ原産の「タチジャコウソウ」" Thymus vulgaris L."のことです。
 しかし、同属の他のいくつかの種も、「タイム」と呼ばれ、ハーブとして利用されています。
 「イブキジャコウソウ」もその1種です。
  この植物の属名"Thymus"は、"thyein" (香りを放つ)に由来するギリシャ古名"thyme"に基づくと言われています。この属の植物の多くが、芳香を放つことも肯けます。

八島ヶ原湿原のアカバナシモツケが見頃
 八島ヶ原湿原の木道沿い近くには、アカバナシモツケが群生する場所が何か所かあります。
 鎌ヶ池を過ぎたあたりの湿原内には、シモツケソウの群落があり、湿原のかなり中ほどの群落ですが、遠くから紅が陽炎ように立ち上って見えます。
 ヤマアジサイやキンバイソウ・ハナショウブ・クサフジ・ハクサンフウロ・マルバタケブキなども風景を彩っています。
 そろそろ、ホタルブクロやコオニユリも花を咲かせるでしょう。
 今年のヤナギランの群生は、いつごろになるでしょうか。もう咲き始めていますけれど・・・

 現在、車山のレアメモリーの庭では、カッコウが夜明けとともに囀り始めます。
 ウグイスは、例の囀りを中心に、地鳴きがしっきりなし、しばしば谷渡りが響き渡ります。
 時々、キビタキの短い囀りが、木立を伝わって聞こえてきます。

優しげな桔梗が行う種の保存
 中国名の桔梗の字を、音読みで「ききょう(ききやう)」と読んだのが名前の由来です。
 開花当初のつぼみの状態では、花びら同士のふちがくっついたまま膨らみますので、青を基調とした、特に意匠に拘った小さな提燈のように見えます。
 つぼみが徐々に緑から青紫色に変りながら裂けて、車山高原では、7月下旬頃から、5から7枚の花弁が開き、星型の色鮮やかな青紫色の花を咲かせます。車山の昼と夜の寒暖差が、花の色を一段と際立てさせるのでしょう。
 開花当初は、黄茶色の7本の雄しべが、柱頭(ちゅうとう)が水色の雌しべにひっつくように寄り添って花粉を放出します。雌しべは、粘液を分泌して花粉を細かい毛にたっぷりつけます。ただ、この花粉の付着により、雌しべは、自家受粉するのではありません。
 開花が進むと、花粉を出し終わった雄しべは、寄り添っていた雌しべから見離されるように倒れ込み、やがて萎えていきます。
 この時期、雌しべの花柱(かちゅう)は、より青くなり、たくさん付着していた花粉が徐々に払われていくようになります。雌しべが一番美しく見える時です。
 この間、車山高原レア・メモリーの庭に咲く桔梗に、絶えず2匹のハナアブが蜜を求めて、雌しべの根元にあたる膨らみを探るようになります。ハナアブが好む先は、雄しべの付け根が膨らみ、縁に毛を生やし保護している、蜜のある場所です。
 雌しべの花柱は丈夫にできています。ハナアブが、雌しべの柱頭に着地し、花柱を伝わって蜜のある根元に近づこうとします。
 そのため、ハナアブの体は花粉まみれになります、というよりも、絶えざるハナアブの高速翅動により、花粉の殆どが飛び散ります。また、その間に、雄しべの花粉が失活します。
 すると写真のように柱頭が開き、車山高原レア・メモリーの庭に咲く桔梗では、涼やかな7つに割れて広がる、水色の雌しべに急変します。他の株の花粉を待ち受ける雌花期を迎えたようです。
 雄しべの花粉を、ハナアブやハナバチなどの翅動で散らした後、桔梗の花は雄から雌に性転換し、雌しべの先が開いて、訪れる昆虫から他の桔梗の株の花粉を受け取ります。
 雌しべの先は、花粉をたくさん受粉できるように、細かい毛が密生しています。ここでも、自家受粉を避け、遺伝子の多様性に、種の保存を賭ける英知が働いていたのです。
 強い子孫を残すため、巧妙な自然の営みが、恐ろしい程の規模で、地球上に精緻に仕組まれ、現代の諸生物を成長させ、以後も、引き続き環境変化に適応できるよう促すのです。
車山高原の美しいキキョウ(桔梗)の花
 キキョウは、車山高原・白樺高原・霧ヶ峰高原・八島ヶ原高原などでは、自生するものは、皆無になっているようです。美し過ぎて乱獲されたと思われます。
 レア・メモリーのキキョウも、写真にある一株だけです。他はなぜか消滅しました。
 ただ、この一株のキキョウは、健康的な力強い美しさがあり、大切に育てています。
 車山高原では、そろそろキキョウ科のヤマホタルブクロが咲き、その後をツリガネニンジンが、孤高ともいえる淡紫色の姿形を、青天に伸ばしていきます。その優しげな風情が、散策する人々の心を癒してくれるのです。
 日当たりのよい湿原に生えるサワキキョウ(沢桔梗)に出合えれば、その鮮やかな濃紫色の総状花序は、単色でありながら他を圧する輝きがあり、遠くからでも容易に確認され、思わず駆け寄ってしまうほど、我を忘れます。
 それが、いつまでも忘れられない車山高原のひと時の思い出となります。
 桔梗や 神は雅の 色賜う  (西崎 佐知)
 桔梗を 母の花とし 育てけり   (黒川 悦子)

 桔梗を身近に感じられた世界が、いつ失われたのでしょうか?
車山高原にコバギボウシのシーズンが到来
 コバギボウシ(小葉擬宝珠)の花の色や葉の形や大きさは、生育地の環境によって、変異が多いようです。
 コバギボウシは、日当たりの良い高原に生育する多年生の草本です。高さ50cmほどで、オオバギボウシに比べると小さ目です。
 花軸につく蕾が、下部から上部へと開花していきます。蕾の初期段階では、上向きですが、膨らむにつれ、徐々に下向きになります。
 花は、漏斗状の清楚な紫色からやや赤味を帯びた紫色で、やや下向きに咲き、優しく涼やかな雰囲気があります。
 内側の脈は濃紫色で艶やか、雄しべは6本ですが、雌しべの柱頭は1本、それがより長く超出しているのが特徴です。同じ株同士の受粉を避けているのでしょうか。多様な遺伝子を獲得するための戦略でしょうか。
 もう一つの特徴が、雄しべ・雌しべ共に、同一方向に、先を上向きに曲げていることです。蜜を吸いにくる蝶を、受粉の手段とするため、まとい付きやすいようにしたのでしょう。

 車山高原では、オオバギボウシより花期は遅く、今頃から咲き始めます。
 コバギボウシは、車山高原の夏を彩る代表的な美しい植物の1つです。その周辺部の森林地帯の境界付近でも、生育域を広げています。その花はより瑞々しく輝いていました。
車山高原のニッコウキスゲとナデシコ
 現在の車山高原は、車山の東南麓にあたる中腹から山頂にかけて、ニッコウキスゲが見頃を迎えています。
 車山展望リフトで山頂へ上がり、帰りはゆっくりと60分、夏の高原の花々や八ヶ岳・富士山・南アルプスなどの山岳風景を楽しみながら下って来て下さい。その途上、午後4時!正面の諏方平の小泉山上空に虹が架かっていました。
 車山高原の今の時季、アカバナシモツケソウ・ヨツバヒヨドリ・コバギボウシ・ ノアザミ・シシウド・ノコギリソウ・チダケサシ・キンバイソウなどの花が主です。そろそろです、コオニユリの花芽も大分膨らんできています。

 エゾカワラナデシコ(蝦夷河原撫子)の淡紅色の可憐な花が、諏訪の平から吹き上げてくる風にそよいでいます。花弁は5枚で、先が細かく糸状に裂け、余りにも繊細で、風に傷まないか心配です。
 「撫子」の名の由来は「我が子を撫(な)でる時のように、かわいい花」というイメージです。
 エゾカワラナデシコは、開けた高原の、陽射しが豊富な環境を好む種です。
 近年、鹿の食害により、高原が一面、イネ科の植物に優占され、丈が短いナデシコやアマドコロ・ウツボグサ・ケブカツルカコソウなどが、その植生域を減少させています。
梅雨晴れの車山にクガイソウ咲く
 涼やかな水色の花芽が、穂状に130粒以上付き、下から段々に咲いていきます。

 花穂が枝分かれしているような様子が、ナナカマドからの木漏れ日を透かし、より一層、清々と高原の花らしい風情を漂わせます。

 クガイソウは九蓋草・九階草と書きます。車山高原レア・メモリーのクガイソウは、その輪生する葉は4枚で、茎は9段の層をなしています。花をよく観察しますと、花冠は4裂し、2本の雄しべが突出しています。 

 夏の典型的な花のクガイソウも、他の陽性植物同様に、日当りの良い高原を好む多年草です。

 八島ヶ原湿原の木道沿いのクガイソウの花は、もっと青紫が濃く、遠く男女倉山を見晴らすように咲いています。

 オカトラノオが一株、クガイソウの傍で、花を咲かせました。

車山高原に可憐なハクサンフウロ(白山風露)
 25mm程度の薄い紅紫の可憐な花が、高原の風に怯えるように、身を縮めて、揺れる風情がはかなげです!
 色も淡い紅色から濃いめの朱紫と様々です。日当たりが大きく影響するのでしょうか。
 咲いたばかりの時には、花の中心にある雌しべの柱頭が開かないため、藍色の雄しべが花の中心のように見えます。
 やがて雄しべの葯が脱落しますと、雌しべの柱頭が開いて、薄紅色の人形に開きます。
 今、車山レア・メモリーに咲いている野草は、ジャコウソウ・シモツケソウ・ノコギリソウ・キバナノヤマオダマキ・オオバギボウシ・ウツボグサ・ニガナ・ヒヨドリバナ・シシウドなど、数えればきりがありません。
 そういえば、クガイソウが2本咲いていました。
 今日は、ヒヨドリソウにヒョウモンチョウ(豹紋蝶)が飛び交い、盛んに蜜をねだっていました。

車山高原に、早、赤トンボが
 車山高原レア・メモリーの庭のラベンダーの花にとまる赤トンボ・アキアカネ(秋茜)を、2匹発見!
 これから8月上旬、アキアカネがよく目につくようになります。アキアカネは、今時分では、まだ赤くはなっていないので、赤トンボだと思っていない人がいるかもしれません。
 アキアカネは稲刈り後の水田に産卵し、卵で越冬したあと、春に水を張った田んぼで幼虫時代を過ごす、稲作と大きく関わっているトンボです。
 アキアカネは日本のトンボの中でおそらく五本の指に入るほど普通に見られるトンボです。これは、日本の水田に適応したことによります。
 あの夏の風物詩である、お盆頃から、車山山頂で、アキアカネが乱舞する光景が楽しめるようになります。
 アキアカネは、低地に降りずに高地でそのまま産卵を終える個体があると報告されています。車山高原のアキアカネは、その仲間かもしれません。

車山の南西麓,富士見台のニッコウキスゲが見頃
 風は西南にあたる諏訪湖の方から吹き上げてきます。標高1,702mの高原の風は、爽やかで、涼しくも感じられます。
 富士見台は、諏訪大社上社のご神体・守屋山と諏訪の平を挟んで正対します。
 ビーナスライン沿いの富士見台は、車山展望リフトの乗り場と霧ヶ峰(強清水)のほぼ中間地点にあたります。
 そのビーナスライン沿は、蓼科高原から続く、山岳風景を眺望する絶好のビューポイントであり、蓼科山・縞枯山・天狗岳・権現岳などの八ヶ岳連峰をはじめ、富士山と鳳凰山・甲斐駒ヶ岳・北岳などの南アルプス、そして御嶽山や中央アルプスまでも見渡せるます。
 富士見台のビーナスラインを渡れば、ニッコウキスゲの群生地です。その遊歩道の上部ほど、花の数は増えていきます。
 ヒヨドリバナ・ノコギリソウ・シシウド・ハクサンフウロなども咲いていました。特にイブキトラノオが目立ちます。
 ニッコウキスゲの花は、明るい陽射しを透かすと、白く透き通って見えます。
 穏やかな青空は安らかです。蓼科山に、雄大積雲がかかっていました。
 当夜、落雷あり!

車山のアサギマダラ
 アサギマダラ(浅葱斑)が、車山のレア・メモリーの石垣に生えるヒヨドリバナの花の蜜を吸っていました。余り美しいので、近寄って見ますが、何の反応も示さず、逃げようともしません。
 翅の模様が鮮やかで、大型のチョウでありながら、ふわふわと飛翔し、人をあまり恐れないため、近寄ってよく観察ができるので、人気が高いようです。
 翅の内側が淡い半透明の水色で、黒い翅脈が走りるのが印象的です。
 和名にある「浅葱」とは青緑色の古称で、翅の内側の淡い半透明の水色を表現します。翅の外側は前翅は黒、後翅は褐色で、ここにも半透明のアクアブルーの水玉(浅葱斑)が並びます。
 アサギマダラは、蜘蛛の巣にかかったり、カマキリに食べられることがありますが、鳥のターゲットになることは通常ないようです。
 アサギマダラのオスが好む、ヒヨドリバナやフジバカマなどの花の蜜には、ピロリジジンアルカロイドが含まれ、肝毒性があります。またオスは性フェロモン分泌のために、ピロリジジンアルカロイドの摂取が必要とみられています。 
 食草に有毒物質が含まれているため、鳥が忌避していると思われています。

2014年7月15日,車山山麓のニッコウキスゲ開花情報
 昨年から車山の西南麓にあたる、ビーナスライン沿いある富士見台のニッコウキスゲが、脚光を浴びています。今現在、その最盛地では5分咲きです。今週末が楽しみです。
 ビーナスラインの富士見台から、車山山頂へ向かう、鹿の食害対策の電気柵により保護された高台が、かつて車山山頂から車山高原・霧ヶ峰高原などで、それを当然としてきたニッコウキスゲの大群落を、漸く甦らせたようです。
 それもニッコウキスゲを鑑賞し愛でる人々や、かつてはニッコウキスゲをモチーフとして、車山・霧ヶ峰・八ヶ岳・南アルプス・中央アルプスなどを、壮大な背景として撮らえてきたカメラマンを魅了させてきた世界を、再現してみせたのです。
 他の車山を中心とする地域では、ニッコウキスゲに近付けません。危険として遊歩道から離れた場所に、電気柵で囲うのが常です。
 その美しいニッコウキスゲの花を身近に感じられない世界が、当然のように装置され、当然のようにその鑑賞を阻むのです。
 富士見台のニッコウキスゲの大群落は、心憎いまでの配慮がなされています。夜間は電気柵が、鹿の食害から車山山麓の花園を守り、昼間は他を圧するニッコウキスゲの大群落により、大勢の人々が訪れ、流石に人を外敵と見ず、無視する鹿も臆するのです。
 今日、その富士見台に行きニッコウキスゲの開花状況を観察すると、富士見台から登った位置では、3分咲き、更に登ると4分咲きとなり、その最上部では5分咲き、標高の高いほど花付きがいいのです。
 まずは!今週末が、富士見台のニッコウキスゲの見頃になるでしょう!

雨上がりの車山湿原
 コバイケイソウは、毎年、同じ場所で群落を形成しますが、今年は、車山高原や車山湿原では、花付きが悪いようです。
 レア・メモリーの庭では、今年は一本も花の茎を出しませんでした。花が多くつく当たり年は、3~4年周期だそうです。来年は期待できるかも知れません。
 ネバナノギラン・ハクサンフウロ・ヒヨドリバナ・キンポウゲ・オオカサモチなどが、車山湿原の遊歩道沿いで楽しめました。
 夕刻5時を過ぎれば、車山湿原から、人影が絶えます。木道を鈴を付けた杖で叩くドラミングに合わせるかのように、タカネザクラの木立の方から、ウグイスが胸をいっぱいふくらませて囀ります。
 ホーは吸う息、ホケキョは吐く息、巣にエサを運ぶメスに「それほど危なくないよ!」と知らせているのでしょうか。
 時々、ジョウビタキの地鳴きでしょうか。「スイーピィ」「スイーピィ」と、レンゲツツジの茂みの方から断続的に聞こえてきます。
 車山肩の方へ向かうと、下の方のミズナラの車山樹叢から、カッコウが幾度も呼びかけてきました。早春に、車山湿原のザゼンソウに会いに訪れた時も、同じような体験をしました。

2014年7月 13日、 車山高原ニッコウキスゲ開花情報
 車山山麓・富士台は二分~三分咲き、車山中腹~山頂付近と車山肩は咲き始めです!
 
 見頃は
 昨年と同様、車山山麓・富士見台は、7月 18日以降で
 その後に続く最盛期も、例年になく長くなると予想しています。

 車山中腹~山頂付近と車山肩は、天候次第ですが
  7月 20日より、少し遅れるかもしれません。

 車山肩から車山湿原にかけては、ヒヨドリソウが開花を始めました。
 コバイケイソウの花は、今年は、見る影もありません。
 ネバリノギラン(粘芒蘭)・ハクサンフウロ(白山風露)・キンポウゲ(金鳳花)・オオカサモチ(大傘持)などが目立ちます。
 ユモトマユミの花は、既に散っていました。

小坂観音院の紫陽花と西街道
 小坂観音院の紫陽花、800株がほぼ満開となり、眼下の諏訪湖と、高ボッチ・鉢伏山・和田峠・霧ヶ峰などの筑摩山地や八ヶ岳の峰々の眺望と共に楽しめました。
 小坂観音院は諏訪氏の祈願所でした。そこは、諏訪湖畔の小高い山にありました。その山門は、諏訪湖とは反対の山側に向いています。山門からは、樹齢400年以上というサワラ(椹)の並木が続いていました。

 山側には、鎌倉街道「西街道」が現在も通じています。山門から北西に向かえば、花岡城址裏の牛首から天竜川に出、橋原で「東街道」と合流します。そこから洩矢神社前・鮎沢・駒沢を通り上伊那の平出にに達します。
 小坂観音院の山門から南東へ向かえば、有賀江音寺前・湖南大熊・諏訪大社上社本宮下・諏訪大社前宮前・安国寺・西茅野などを通り、鎌倉に到ります。

 光を浴び、風が吹き、季節が移ろい、山々の風景と共に、諏訪の花々が装いを変えていきます!

朝露に濡れる小坂観音院の紫陽花
 三好達治『乳母車』
 母よ
 淡くかなしきもののふるなり
 紫陽花いろのもののふるなり
  はてしなき並樹のかげを
 そうそうと風のふくなり

 極めて残念ですが、私には、小坂観音院の紫陽花と諏訪湖の風景を、表現することができません。
 ただ、ネムの木の花と青紅葉が、紫陽花に季節の巡り合わせを語り掛けているようです。

諏訪 鎌倉街道 東街道を行く
 鎌倉街道の諏訪への道筋は、鎌倉から小田原を通り、足柄峠を越え、富士山の東側から河口湖に入り、甲府盆地へは距離的に一番近い御坂峠の峠越えとなり、漸く甲府へ到達します。
 釜無川の右岸にあたる富士見高原から急峻な山道を抜け金沢へと上り、宮川の坂室に到達します。
 ここで二筋に分かれます。「東街道」は宮川の右岸から上原に出ます。当時の諏訪氏は、上原を、鎌倉幕府の都市計画を模倣し、地方街区を造ります。上原八幡・上原五山・五日市場・十日市場などを備える諏訪の政治・経済の中心としていきます。
 そこから桑原・細久保・武津・上諏訪から諏訪湖の北側、大和・高木・高浜を通り、諏訪大社下社秋宮裏・春宮の門前(慈雲寺裏)から砥川を渡り、更に東山田の小野田から中屋・中村を経て横河川を渡ります。
 ここから二筋に分かれます。荷直(になおし)峠から塩尻へ、もう一方は、今井から間下・天王森・丸山橋を抜けて、天竜川を渡り橋原へ出ます。それが諏訪の鎌倉街道「東街道」です。
 鎌倉街道は、旧石器・縄文時代の往古から、和田峠と八島ヶ原周辺の黒曜石が、諸方に運ばれた道、建御名方命が諏方平一円を統治するための道、古代ヤマトの王化に服する道、天武天皇以降確立されていく律令政治の国衙・郡衙の道などの要路があり、次々に開削され四通八達して行くのです。
 それは、有賀峠から、和田峠・桑原城跡・上原城跡など「東街道」を眺望すれば、一目瞭然となります。

諏訪の鎌倉街道
 鎌倉街道は、中世において鎌倉から関東諸国を通過し、信濃・越後・陸奥などの諸国に四通八達した交通の要路で、いわゆる鎌倉幕府の御家人が「いざ、鎌倉」とばかりに、史上初めて創始された武家政権を守るため馳せ参じる道でもありました。
 信州の諏訪の平で、現在残っている鎌倉街道跡と呼ばれる殆どが、その道幅2mもありません。現代では、鎌倉幕府創設から数えて8百年経過し、殆どが廃道化して、山林の中に埋もれたも同然か、 農道や山の小道となり、「幻の道」といった観を呈しています。
 主要な鎌倉街道は、化粧坂→町田→武蔵府中→入間→笛吹峠を通る武蔵路・信濃路とも呼ばれた[上道(かみのみち)」、奥大道(おくのたいどう)とも呼ばれた奥州道中から鎌倉に通じる「中道(なかのみち)」、江戸時代に房総街道・常陸街道と呼ばれた「下道(しものみち)」、京からは、鈴鹿峠を通過せずに美濃・赤坂宿までは、近世の中山道のコースを通る「京・鎌倉往還」、朝比奈切通から六浦・金沢と江戸湾沿いに延びる「六浦道(むつらみち)」など多岐にわたっていました。
 統治は、古代より要路の開設が、必要条件とされていたのです。
 「上ツ道」「「中ツ道」」「下ツ道」と呼ばれている道は、古墳時代から奈良盆地にも、これと同じような呼び名の道が開設されていました。
 鎌倉時代や室町時代の中世には、鎌倉時代の史書『吾妻鏡』には 「奥大道」「下道」、南北朝の『太平記』には「上道」「下道」、『梅松論』では「武蔵路」「下道」などと書かれているそうです。然しながら、その呼び名が同じでも、それぞれは同一の道筋を示していません。
 下野足利荘から鎌倉に至る道筋である「武蔵大路」は、正慶2年/元弘3年(1,333年)に、新田義貞が北関東の兵を糾合し、鎌倉を攻めた時に、直属の軍勢を率い、攻撃した鎌倉街道でした。稲村ヶ崎に達しながら、極楽寺の切通しの守りが堅固で、磯伝いを廻り、義貞が海中に剣を投げ祈ると、俄かに潮が引き瀬となり、渡れたとされた伝説のある路筋です。
 「上道」より西関東の山々の裾を南北に辿るように秩父道とも呼ばれる「山辺の街道」がありました。別に真っ直ぐ相模の足柄峠を越え、甲斐の御坂峠を越えて甲斐の国石和へ向かう「鎌倉往還」と、御坂峠を経て諏訪に入る鎌倉街道「西街道」がありました。
 「西街道」は、釜無川沿いの若宮→松目→栗生→花石→馬飼場(ばんげいば)→御射山神戸御所平などの山道を通り、茅野の坂室から西に分かれて、宮川の左岸を庵沢から西茅野・駒形城下・亀石・安国寺の樋沢城西・前宮前・峰堪え・高部を経て、神宮寺との境で「高部道」ともいわれた杖突峠道とつながります。
 一方、上社本宮前を通って大熊・有賀の江音寺前・小坂の観音院の上・天竜川を見下ろす花岡城から岡谷の橋原に出て鮎沢で東の街道に合流したといわれています。
 また江音寺前から有賀峠道から伊那へと通じてもいました。
 奈良時代から使用されていた官道や各地域を結ぶ郡衙路などを、鎌倉幕府の成立後に、整備し再編成した地域も少なからずあったとみられます。

八島ヶ原湿原 タニウツギ
 八島ヶ原湿原の八島ヶ池のほとりで、ニシキウツギが咲いていました。一本の木に紅白の花を咲かせています。
 レア・メモリーの庭に咲くタニウツギは、深紅の花を咲かせます。
 タニウツギの園芸種のベニウツギなのだろうか。種間交雑が盛んなのか、庭だけで10本近く自生していますが、それぞれ色合いが異なります。
 「卯の花」には、卯月(旧暦4月)に咲く「卯の花月」の意味がこめられ、田植えの時期に花が咲くので「田植え花」とも呼ばれています。
 そのため、梅雨の時期に、信州の山道を歩くと、新緑の中で咲く、紅を含んだタニウツギの花は、一際、映えます。
 車山高原では、6月中旬頃になると、沢沿いや渓流沿いの林道が、ウツギの白い花で埋め尽くされます。

八島ヶ原湿原のエゾボウフウ(蝦夷防風)
 エゾボウフウは、深山の木陰に生える目立たないセリ科の仲間です。
 その姿と咲き方を見ていると、シシウドやオオカサモチが思い浮かびます。
 八島ヶ原湿原では、今、木道沿いにたくさん見掛けます。シシウドだけは、まだ咲いていません。
 3種の中でこのエゾボウフウが一番小さく、レースフラワーのような可憐な花を咲かせます。
 白色の5弁の小花を多数付け、茎は直立し、上部は枝を分け、高さ70cmほどの涼やかな草本です。
 イブキボウフウ(伊吹防風)は、車山高原の日当たりのよい草原などで見られますが、花期は8から9月です。 
 中国東北部から華北原産の多年生草本の防風は、中国から渡来した薬用植物です。その根および根茎には、発汗・解熱・鎮痛作用があるそうです。ボウフウとは、その漢方の薬名を、音読みにしたのです。

 鎌ヶ池のほとりに集中するワタスゲが、随分と咲き残っていました。八島ヶ池の方でも、双眼鏡で観察する人を見掛けました。

八島ヶ原湿原のバイカウツギが美しい
 バイカウツギ(梅花空木)は、ウツギと同様、山地の路傍や渓流沿いなどに多いとされていますが、どこにでもあるウツギとちがって、実際にバイカウツギを見る機会は余りありません。
 八島ヶ原湿原で、全く濁りの無い、 眩しいほどに白いバイカウツギの花に突然出合うと、その美しい気品と品格に、思わず笑顔がこぼれ、感謝したい気持ちになります。
 枕草子に出てくる官人は卯の花の枝を御所車に挿して「卯の花車」と称した、といわれます。バイカウツギの花は、夏の日、涼風が流れる度に、雅かに舞うようにやり過ごします。
 バイカウツギの名前の由来は、その花の形が梅に似ているウツギという意味ですが、ウメに似た真っ白な4弁の花を枝先に付け、その下に次々と側枝を出して花を咲かせます。 
 純白で清楚な花が、これほどの感動を呼ぶとは!
 

車山風五平餅
 今日は、五平餅を作りました。
 お米に、もち黍を入れて炊きます。するとご飯が、もち米のように、ふんわりと炊けるから不思議です。
 五平餅のタレには、赤味噌を使って下さい。車山で採れた山椒と山蕗で調理した佃煮がポイントです。胡桃を砕いてすり鉢に入れて、砂糖・酒・味醂・醤油・味噌など、すべてをすりこ木で、擦りながら和えます。
 ご飯をボールに入れて、ご飯の半分位が潰れて、粘り気が出て来るまで潰して下さい。
 串を包んだ五平餅は、皿に笹を敷いて、その上に10分位、乾かしておきます。焼き面が焦げ付かないようにするためです。
 白焼きします。指でさわって、乾いているな、と感じるまで、両面を白焼きします。
 片面にタレを塗ります。縁まで丁寧に塗り、胡麻をふり、表面に焦げ目がつくまで焼き、ひっくり返してタレを塗り、また胡麻をふり、同様に焼きます。
 五平五合とは、五平餅が美味しいので、五合分の米くらい、一人で平らげてしまう、という意味だそうです。昔の五平餅は、本当にわらじ並みの大きさがあったようです。

 江戸時代中期の宝暦4(1,754)年、徳川 家重の時代、伊那谷と中山道の妻籠宿を結ぶため、信濃飯田藩によって大平街道が開設されました。
 木地師の大蔵五平治と穀商人の山田屋新七が、飯田藩から許可を得て開墾して始まったのが大平部落です。
 その五平治が、山仕事の折、毎日、必ず持参するのが味噌を付けた握り飯です。杣小屋の囲炉裏で、それを太目の枝に包んで、味噌をつけ足しし、火で焙って食べるのが常食でした。渓流の岩魚を獲って串焼きしたり、雉・鹿・猪も鉄砲で射ち殺して、枝に挿し味噌を付けて焼いたりもしたでしょう。デザートは、今の時季、スグリの実です。
 これを見倣った木地師達が、山の神に捧げ、同時に神事の際、食べるようになり、五平餅と呼んだようです。

キビダケの囀りとチダケサシ
 今日も、車山の夏鳥キビダケの囀りに励まされて目を覚ましました。
 繁殖期、雄はなわばりの宣言と、雌の関心を引く「さえずり」を、ズミの高い梢に止り、天空に向かって、日の出とともに高らかに響き渡らせます。
 明るく大らかなテノールです。学名ナルシシナは「水仙」の意味です。胸元を、鮮やかな黄色で染めるキビタキの美しい姿は、泉のほとりで、水面に映る自らの姿に見惚れて水仙になってしまったというギリシャ神話の美少年ナルシスを連想させます。
 これからは、車山高原の遊歩道では、チダケサシが数多く見られるようになります。典型的な陽性植物ですから、草叢は苦手のようです。
 夏の花には、そういう陽性植物が多く、ジャコウソウ・ケブカツルカコソウ・ウツボグサ・ナデシコが遊歩道に群生してきます。歩くときは、十分、ご注意を!
 7月下旬こには、八島ヶ原湿原でも、優しいピンク色のエゾカワラナデシコが楽しめます。

ノコギリソウ(鋸草)も咲きました
 車山高原では、「ウグイスの谷渡り鳴き」と呼ばれる、けたたましい鳴き声が響き渡っています。繁殖期の雄は、縄張りの上空をタカが飛んだり、人が近づいたりすると鳴く声で、警戒を意味していると言われています。
 そんなレア・メモリーの庭に、白いノコギリソウの花が、目立つようになりました。
 ノコギリソウの名の由来は、葉が鋸のようにギザギザに切れ込んでいるからです。
 ノコギリソウは、傷薬であり、「止血草」「血の草」などと呼ばれていました。
 学名のアキレアという名は、イリアスによると、アキレスがケンタウロスからノコギリソウの効能に関する知識を授けられ、トロイ戦争の際、ノコギリソウから傷薬を作って、自軍の兵士に与えたということに由来するそうです。
 花と葉は強壮効果があり、健胃による食欲増進や解熱作用があるとされ、ハーブティーとして利用されます。
 夏の開花時期に全草を乾燥させ、煎じて飲みます。ただ、蜂蜜を加えるなどして飲みやすくした方が無難です。
 

車山高原のヒヨドリバナ
 レア・メモリーの前庭に、ヒヨドリバナ(鵯花)が咲いているのに気が付きました。
 伐採跡地などに自生するほど、しばしば見られるキク科の多年生草本ですが、「長野日報」の記事よりますと、ヒョウモンモドキとアサギマダラの成虫が蜜を吸うヒヨドリバナも、ニホンジカによる食害を受けて群生地が減っているそうです。
 希少な蝶が、ますます絶滅の危機に瀕することになります。
 その繁殖力を誇っていたニッコウキスゲ・オオバギボウシ・アマドコロなども、旺盛な鹿の食害により、車山高原・霧ヶ峰では、その群生地をどんどん減らしています。
 ただ、シカも相当な過密状態になっていますから、越冬が次第に困難になってきています。
 車山でも、雪解けが始まると、シカの死体が、各所から現れてきます。

 葉が、主に4枚輪生するヨツバヒヨドリ(四葉鵯)は、車山樹叢から八島ヶ原湿原にかけては、ヒヨドリバナより多いと思われます。

車山高原 夏の花(7月)
 7月です。車山の火山活動によって生まれた車山・霧ケ峰の広大な高原台地は、ようやく初夏に入り、緑のキャンバスが亜高山帯植物の群落により華やかに塗り替えられていきます。
 ニッコウキスゲの見頃は、車山の中腹から山頂では、7月中旬~下旬ころとなります。車山の東から南にかけて、その草原の斜面一帯が黄金色の花で埋め尽くされます。
 夏を迎えた車山高原では非常にたくさんの種類の花々が咲き誇ります。一面に咲くニッコウキスゲは有名ですが、その他にもコバギボウシ・キンバイソウ・キバナノヤマオダマキ・ハクサンフウロ・ヤマホタルブクロ・コウリンカなどなど、見応えのある花が夏の高原を彩ります。
 澄んだ空気と山岳風景の中、黄や紫の花々が、今、清水ですすがれたように瑞々しく見られます。
 上りは展望リフトを使って気軽に、下りはゆっくりと大地を踏みしめながら、一面に咲く多くの高山植物を楽しみながらの散策がお勧めです。