車山高原の7月


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車山高原にコヨシキリ囀る

 梅雨空が 忽然として 晴れ渡り
 車山に 雲一つない 蒼穹が広がる
 澄明な光が アヤメ・オダマキ・グンナイフウロウ・ウツギなどが咲く
 初夏の車山高原を 隈なく照らしている
 その梅雨晴れの陽射しを 穏やかに はね返す
 涼やかな 風が流れた

 僅かに咲き出す ニッコウキスゲの花びらに 
 潤い優しく 露を残す 
 その姿に 誘われるかのように
 コヨシキリが なぜか せわしなく 囀る 
車山高原の7月の風景
 車山高原の 過ぎし日に 
 心を 馳せる度に 浮かぶ風景

 白樺湖の大門峠から 車山の頂まで
 万遍なく 遡上する ニッコウキスゲの大群落は
 
 青く澄んだ夏空が放つ 
 ぎらつく 穂先のような光を 
 優しく 高原の大地に 導き 吸収してみせた

 旺盛な 繁殖力を誇っていた ニッコウキスゲ
 今 ようやく 防鹿柵の成果があがり 
 車山高原で 復活の兆しが 見えてきた

 今と昔が 渾然となり その境目が 掻き消える日が
  再び 訪れるのだろうか 
車山の夏を告げるニッコウキスゲ 
 大陸の方から 寒波が南下する 
 梅雨時の 薄青い空の 日々ですが

 確実に 緑野の色を 変えてきています
 キボウシの葉先の色は 硬く 濃い緑に染まり 
 猛々しい 夏の陽射しにも たえられる準備をはじめています

 夏は 知らぬ間に おとずれ
 かつて 車山高原を 占有していた ニッコウキスゲが 
 新たな 季節を 呼び寄せています
 車山の梅雨時の花
 日光キスゲ アヤメ コバイケイソウ 今咲き誇る

 流れる 白い卯の花の 木陰に

 露に濡れた 黄色い 日光キスゲが 咲き初めると

 薄曇の 緑野のそこだけが 明るくなります

 アマドコロのの涼やかな姿が遊歩道沿いに

 互いを尊重するように
まばらに、その純白の花が咲き並ぶのです
 車山のニッコウキスゲの花言葉

ニッコウキスゲの花言葉は 心安らぐ人

 梅雨にうたれて しぼんでしまった レンゲツツジの高原で

 アヤメや コバイケイソウの花々を 

 観賞しながら 散策する あなたが

  そよりと 向かい風を さけた横顔に 

 浮かんだ 花言葉だったのですね

2015年7月の車山高原 
 
コアジサイと秋茜(あきあかね)
 満天の
 輝く青空に
 浮雲一つ二つ

 風を乗り分けて
 空中に とどまる秋茜

 棒杭のようになった
 枯れた レンゲツツジの
 枝先の揺蕩に
 身をゆだねて やすむ秋茜

 埴生の宿の 庭には
 純白の花を咲かせる コアジサイと
  その傍らで 涼む 
 コバギボウシの
 気高い うす青紫の花が
  めぐる季節との 
 出合いを 重ねます

 車山高原には いまだ盛夏訪れず
(2015.7.22[Wed])

ニッコウキスゲ 車山の南麓の富士見台
 7月21日 富士見台に 再び立ちました
 空気は軽く 緑は深く
 台風一過の 輝く碧空に むら雲が浮かびます

 左に カシガリ山 右に カボッチョ山
 その眼下には 北山浦の 小泉山と大泉山

 前方を閉ざすのが 甲斐駒ヶ岳と伊那山地
 神奈備山の守屋山の雄姿

 空より薄い山影の連なりが
 諏訪の平の 果てとなる借景です 

 多く優占する ヒヨドリバナを避けて
 ハナチダケサシ オオカサモチ グンナイフウロウ ツリガネニンジンが
 それぞれの たたずまいで 咲き競い
 ナデシコ ヤナギランが
 紅色の花で 彩を 豊かにします

 初秋の花 ワレモコウ シュロソウが 印象的でした
(2015.7.21[Tue])

車山高原にノアザミ(野薊)咲く
 アザミの仲間で 春に花をつけるのは
 ノアザミだけです

 「アザミ」は 古語の「浅む(あさむ)」が由来とか
 近世以降になると 「あざむ」とも 訓みました

 「意外なことに驚く」 「あきれかえる」の意味です
 野にあって アザミの葉の 鋭い棘に触れ
 その疼きを 語ったのでしょう

 葉は ロゼット葉で 長さ15cmくらい
 地際に 広がります
 その基部で 茎を抱きます
 伸びた茎の 葉元から
 花茎を 垂直に 屹立させます 
 
 日照を好む
 典型的な 陽性植物ですから

 花時に、草丈を 1mほどに伸ばし

 アザミの花は 
 青天では 
 明るく 紅紫色に
 美しく 映えます

 アザミの葉は
 光を透かすと 若緑色に
 眩しく 輝きます
(2015.7.20[Mon])

薄雪草が咲く頃
 車山の山頂から 下る遊歩道沿い
 いまだ 丈が低い
 ススキの 葉陰に
 薄雪草が 少なからず 咲いていました

 花のまわりに
 薄雪を かぶせたように
  白い綿毛を付けて
 静かさに まどろむ 面影がありました
2015.7.19[Sun]

7月の殿城山
 見るも目映い 蒼穹の 7月の大空に
  まだら状に広がる 絹積雲が
 うすく 優しく たなびきます

 緑したたる車山の 山頂に伸びる
  濃緑な樹叢は
 ダケカンバとウツギ
 三伏の炎にも 揺らぐことは ないでしょう

 高原の丘と丘がかわす 沈黙の語らい

 とつぜん 美しい微風が
  幾たびも 流れ
 一瞬 車山高原一面に 緑の波が湛えられた

 殿城山の中天を
  ノスリが 滑空する

 車山乗越に 木魂する
  鋭い 鳴き声が
 短く 繰り返されたびごとに
  すすきに 身を沈める 
 オミナエシを 震わせた
 
(2015.7.17[Fri])

ニッコウキスゲが咲く頃
 車山高原では ショウジョウバカマが 咲く頃
 5月の初旬の ことです

 ニッコウキスゲの 草若葉が 
 厳しく 長い 冬季を凌いで
 その 雪の果
 高原を覆う 枯野を押し分けて 
 柔らかく ごく薄い 若草色の 優しい顔を 
 のぞかせるのです

 やがて 毎年欠かさず
  車山の初夏を 
 告げる 大切な 標となります

 ニッコウキスゲは 元々
 その繁殖力から
 密集することが あたりまえでした 

 葉心の上部で 2つにわかれる
  花茎を伸ばし
 その それぞれの 
 先端に 4~6個の花芽を 
 重ならないように 散らします

 しかも その ほとんどが 
 朝露を浴びて咲き

 夏の陽射しが満ちる 車山を 満喫するかのように 
  その願う思いを込めて
 ニッコウキスゲは 一株ごとに 
 咲く日を 分ちあい
 長く 楽しませてくれるのです
(2015.7.16[Thu])

車山高原 五分咲きのニッコウキスゲ
 ニッコウキスゲの草若葉は 2列に並んで 叢生します 
 いくつも 上へ上へと 積重ねられていきます
 そうして 体力を 養いながら 夏を迎えます
 
 6月が 終わるころ
 葉元の 深い中心から 2本の長い花茎を 直立させます
 それにより 車山高原の
 遅い薄暑の 訪れを 知らされます

 葉叢を越えて 
 花茎を伸ばし それぞれが 2つにわかれ 
 その先端に 4~6個の花芽を 
 互い違い 積み重ねていきます

 しかも その ほとんどが 
 朝露を浴びて咲き

 日中には 草原を 黄一色に染め
 高原の陽射しに映え 
 美しい光輝を 放ちます
 
 一変して 夕べとなれば 突然 無残にも しおれます

 ニッコウキスゲ 1日花の 
 哀しい 定めです
 
(2015.7.15[Wed])

薄暑の車山風景
 昨日は 前日に続く 好天となりました

 今日も 標高が高い
  車山高原ですから
 紫外線の強さが 堪えます
  最高気温は 28度の猛暑でした
 
 それでも、車山の頂の背に 隠れて
  西日が沈めば
 湿り気を含まない
  車山高原ならではの 冷涼な風が 吹きます
 
 夕刻から 窓を少しでも 開けていれば

  黎明 漆黒の影を宿す 
 八ヶ岳の 稜線を なぞるように
  朝陽が 一筋の 光輝を連ねたとき

 鈍感な人でも こごえて
  後悔することに なるでしょう

 車山の旅人は 近年 なぜか
  大都会の住人のように
 車山の風を 感じようとせず
  時々の 感覚のままに 不平をもらします 
(2015.7.14[Tue])

車山に咲くヒヨドリバナの光景
 夜が明けてから だいぶ経つのに
 外は まだ薄暗い 
 空は 一面 うす暗い雲に おおわれている
 台風が 遠い 南海上にあるせいか
 少し暖かく 大気も湿っぽい

 白い素朴な ヒヨドリバナの花先は
 絹綿のように ふっくらとしている

 強い 南風にあおられて 大きくゆれる様子に
 不安も すきも無い
 ヒヨドリバナの花のように
  堂々と
 俯仰 天地に恥じない 生き方をしなければ
(2015.7.13[Mon])

桃色の花 キシモツケ(木下野)
 夜が明けたばかりの
 大気のゆらぎに 合わせるかのように
 星のまばたきが かすかに残る空は 
 くすんではいますが 晴れ渡っているようです

 車山高原は 今だ 寒々とした 冷気に震えています

 埴生の宿の 長い石垣に沿うように 咲き並ぶ
 シモツケの花は
 美しいのですが 野趣ただよう風情があります  
2015.7.12[Sun]

苧環 (おだまき)の意味は 糸繰草(いとくりそう)
 低い日が射し込み 朝の大気が満ちる中
 車山高原では つねひごろ 
 静かな抒情が
 旋律となって 流れます

 苧環の花は
 傷みやすく
 ひっそりと うつむいて 咲くのです
2015.7.11[Sat]

梅雨の晴れ間 
 台風が沖縄を通過 中国大陸に 上陸しました

 久方ぶりに 迎えた 東雲の朝
 諏訪の平の上空は 厚い雲海に おおわれ
 里山は その姿 すべてを 沈めています
 
 八ヶ岳連峰は 麓一帯に きり雲を はわせて
 ようやく 群青色の全容を あらわします

 富士見高原の 高い上空には 
 三層の つるし雲が
 淡い あかね色に染まり 辺りを照らします

 白白明け 薄青い空となりました
 キビタキの 高く響き渡る さえずりが 
 シモツケの茂みから 車山の樹そうに 木魂します
(2015.7.10[Fri])

車山高原のニッコウキスゲ
 八島ヶ原から車山山頂へ登山した日は 雨勝ちでした
 晴れていれば 写真のように
 レンゲツツジや八島ヶ池 車山 蓼科山などの風景が
 優しく 迎えてくれていたはずです
 周囲の山々 それぞれに 緑の濃淡があり
 時季折々の 陽射しに映えて 移ろいます

 現在 車山高原は、日光キスゲが 見頃を迎えています
 写真は 車山高原の標高1,700m付近の 現在の状況です
 日光キスゲは 鹿の食害がなければ
 繁殖力は 極めて旺盛ですから
 防鹿柵内に 限定されますが 濃密に群生するのです
(2015.7.9[Thu])

車山高原のアヤメとホオアカ
梅雨時に 佇む アヤメとはいえ 
花垂れて なお雨に耐える姿は あわれです

緑濃い 木間を 飛び交い
鋭く囀る ホオアカは 今は どうしているのだろう

初夏とは思えない 冷気が居座っています
アヤメもホオアカも
 雲重くとも
梅雨の晴れ間を 待つ思いでしょう
(2015.7.8[Wed])

埴生の宿のニッコウキスゲ
 7月4日に撮影しました
レアメモリーの前庭の 日光キスゲです
 数年前までは
 何百年と 星霜を重ねて来た
 レンゲツツジと ニッコウキスゲの群生地でした
 前庭から 裏庭を巡る遊歩道沿いには
 ニリンソウ クリンソウ ナデシコなど 
 たくさんの花が 四季折々に咲いていました
 今では レンゲツツジ オダマキ トリカブトなどの花に限られます
 その毒性が強い植物だけが 鹿の食害から 免れています
2015.7.4[Sat]

アマドコロの花言葉 心の痛みのわかる人
 清楚なる 白いみどりの 花を垂れ アマドコロ咲き ひとのやさしき  
                         鳥海昭子
 しんしんと 心が冷える 長梅雨の日々
 ようやく
 雲間に 青空があらわれた 昼下がり
 陽射しを 浴びて
 車山高原の 緑草全体が 一気に 輝きました
 そこに 姿優しい アマドコロの小群落があって
 その白い 花の光彩は
 あまりにも 眩しすぎます
(2015.7.1[Wed])


2014年7月の車山日記

車山高原にヤナギランが咲き始めました
 白樺湖から大門峠を通って、車山へ向かうビーナスラインを走ると、左に蓼科山を眺める車窓から、ヤナギラン(柳蘭)が数本咲いているのがみられました。
 頂に艶やかな紅紫色の長い穂状の花序をつける、その姿が美しい!
 ヤナギランは、八島ヶ原湿原が最大の群生地で、シモツケソウと同様、お盆ごろまでが見頃となります。その後はマツムシソウ・ツリガネニンジン・ワレモコウ、シラヤマギクなどの秋の花が楽しめ、8月下旬頃には、緑の浮島に花のように点在するヤマウルシの紅葉が始まります。
 八島ヶ原湿原を展望する入口から、木道を反時計回りで数百m歩くと群生地があります。 
 その先には、鷲ヶ峰の3つの峰が見えます。ヤナギランの群生する中に、もう間もなく、鮮やかなコオニユリの花も見られるようになるでしょう。
(2014.7.31[Thu])

車山のイブキジャコウソウが満開
 日当たりの好い岩場に咲くイブキジャコウソウ(伊吹麝香草)は、常緑の小低木ですが、樹高が15cm位なので草のようにしか見えません。
 イブキジャコウソウを手の平で優しくなでて、その手の残り香を楽しんで下さい。
 イブキジャコウソウは、タイムの仲間で、唯一日本に自生する植物です。花色は明るい青紫色ですが、白花をつけるシロバナイブキジャコウソウもあります。
 イブキジャコウソウは、背丈が低めで、丈夫な体の構造を持った、荒れた土地でも生育できる種です。
 むしろ、コマクサのように典型的な陽性植物ですから、他の植物が繁茂すれば、イブキジャコウソウには、適地ではなくなり、やがて消滅するか、ほふくして日当たり良好な石垣の間で植生します。
 車山のレア・メモリーのイブキジャコウソウの多くは、石畳の間や石組みした庭の狭間で生育しています。耐寒性もあり、車山山頂付近の遊歩道沿いにもみられます。
 今日の写真は、陽射しを浴びて満開に咲くイブキジャコウソウの蜜を吸いにきたヒョウモンチョウ(豹紋蝶)です。
 

 一般に「タイム」という名で呼ばれる植物は、ヨーロッパ原産の「タチジャコウソウ」" Thymus vulgaris L."のことです。
 しかし、同属の他のいくつかの種も、「タイム」と呼ばれ、ハーブとして利用されています。
 「イブキジャコウソウ」もその1種です。
  この植物の属名"Thymus"は、"thyein" (香りを放つ)に由来するギリシャ古名"thyme"に基づくと言われています。この属の植物の多くが、芳香を放つことも肯けます。
(2014.7.30[Wed])

八島ヶ原湿原のアカバナシモツケが見頃
 八島ヶ原湿原の木道沿い近くには、アカバナシモツケが群生する場所が何か所かあります。
 鎌ヶ池を過ぎたあたりの湿原内には、シモツケソウの群落があり、湿原のかなり中ほどの群落ですが、遠くから紅が陽炎ように立ち上って見えます。
 ヤマアジサイやキンバイソウ・ハナショウブ・クサフジ・ハクサンフウロ・マルバタケブキなども風景を彩っています。
 そろそろ、ホタルブクロやコオニユリも花を咲かせるでしょう。
 今年のヤナギランの群生は、いつごろになるでしょうか。もう咲き始めていますけれど・・・

 現在、車山のレアメモリーの庭では、カッコウが夜明けとともに囀り始めます。
 ウグイスは、例の囀りを中心に、地鳴きがしっきりなし、しばしば谷渡りが響き渡ります。
 時々、キビタキの短い囀りが、木立を伝わって聞こえてきます。
(2014.7.29[Tue])

優しげな桔梗が行う種の保存
 中国名の桔梗の字を、音読みで「ききょう(ききやう)」と読んだのが名前の由来です。
 開花当初のつぼみの状態では、花びら同士のふちがくっついたまま膨らみますので、青を基調とした、特に意匠に拘った小さな提燈のように見えます。
 つぼみが徐々に緑から青紫色に変りながら裂けて、車山高原では、7月下旬頃から、5から7枚の花弁が開き、星型の色鮮やかな青紫色の花を咲かせます。車山の昼と夜の寒暖差が、花の色を一段と際立てさせるのでしょう。
 開花当初は、黄茶色の7本の雄しべが、柱頭(ちゅうとう)が水色の雌しべにひっつくように寄り添って花粉を放出します。雌しべは、粘液を分泌して花粉を細かい毛にたっぷりつけます。ただ、この花粉の付着により、雌しべは、自家受粉するのではありません。
 開花が進むと、花粉を出し終わった雄しべは、寄り添っていた雌しべから見離されるように倒れ込み、やがて萎えていきます。
 この時期、雌しべの花柱(かちゅう)は、より青くなり、たくさん付着していた花粉が徐々に払われていくようになります。雌しべが一番美しく見える時です。
 この間、車山高原レア・メモリーの庭に咲く桔梗に、絶えず2匹のハナアブが蜜を求めて、雌しべの根元にあたる膨らみを探るようになります。ハナアブが好む先は、雄しべの付け根が膨らみ、縁に毛を生やし保護している、蜜のある場所です。
 雌しべの花柱は丈夫にできています。ハナアブが、雌しべの柱頭に着地し、花柱を伝わって蜜のある根元に近づこうとします。
 そのため、ハナアブの体は花粉まみれになります、というよりも、絶えざるハナアブの高速翅動により、花粉の殆どが飛び散ります。また、その間に、雄しべの花粉が失活します。
 すると写真のように柱頭が開き、車山高原レア・メモリーの庭に咲く桔梗では、涼やかな7つに割れて広がる、水色の雌しべに急変します。他の株の花粉を待ち受ける雌花期を迎えたようです。
 雄しべの花粉を、ハナアブやハナバチなどの翅動で散らした後、桔梗の花は雄から雌に性転換し、雌しべの先が開いて、訪れる昆虫から他の桔梗の株の花粉を受け取ります。
 雌しべの先は、花粉をたくさん受粉できるように、細かい毛が密生しています。ここでも、自家受粉を避け、遺伝子の多様性に、種の保存を賭ける英知が働いていたのです。
 強い子孫を残すため、巧妙な自然の営みが、恐ろしい程の規模で、地球上に精緻に仕組まれ、現代の諸生物を成長させ、以後も、引き続き環境変化に適応できるよう促すのです。
2014.7.27[Sun]

車山高原の美しいキキョウ(桔梗)の花
 キキョウは、車山高原・白樺高原・霧ヶ峰高原・八島ヶ原高原などでは、自生するものは、皆無になっているようです。美し過ぎて乱獲されたと思われます。
 レア・メモリーのキキョウも、写真にある一株だけです。他はなぜか消滅しました。
 ただ、この一株のキキョウは、健康的な力強い美しさがあり、大切に育てています。
 車山高原では、そろそろキキョウ科のヤマホタルブクロが咲き、その後をツリガネニンジンが、孤高ともいえる淡紫色の姿形を、青天に伸ばしていきます。その優しげな風情が、散策する人々の心を癒してくれるのです。
 日当たりのよい湿原に生えるサワキキョウ(沢桔梗)に出合えれば、その鮮やかな濃紫色の総状花序は、単色でありながら他を圧する輝きがあり、遠くからでも容易に確認され、思わず駆け寄ってしまうほど、我を忘れます。
 それが、いつまでも忘れられない車山高原のひと時の思い出となります。
 桔梗や 神は雅の 色賜う  (西崎 佐知)
 桔梗を 母の花とし 育てけり   (黒川 悦子)

 桔梗を身近に感じられた世界が、いつ失われたのでしょうか?
2014.7.26[Sat]

車山高原にコバギボウシのシーズンが到来
 コバギボウシ(小葉擬宝珠)の花の色や葉の形や大きさは、生育地の環境によって、変異が多いようです。
 コバギボウシは、日当たりの良い高原に生育する多年生の草本です。高さ50cmほどで、オオバギボウシに比べると小さ目です。
 花軸につく蕾が、下部から上部へと開花していきます。蕾の初期段階では、上向きですが、膨らむにつれ、徐々に下向きになります。
 花は、漏斗状の清楚な紫色からやや赤味を帯びた紫色で、やや下向きに咲き、優しく涼やかな雰囲気があります。
 内側の脈は濃紫色で艶やか、雄しべは6本ですが、雌しべの柱頭は1本、それがより長く超出しているのが特徴です。同じ株同士の受粉を避けているのでしょうか。多様な遺伝子を獲得するための戦略でしょうか。
 もう一つの特徴が、雄しべ・雌しべ共に、同一方向に、先を上向きに曲げていることです。蜜を吸いにくる蝶を、受粉の手段とするため、まとい付きやすいようにしたのでしょう。

 車山高原では、オオバギボウシより花期は遅く、今頃から咲き始めます。
 コバギボウシは、車山高原の夏を彩る代表的な美しい植物の1つです。その周辺部の森林地帯の境界付近でも、生育域を広げています。その花はより瑞々しく輝いていました。
(2014.7.25[Fri])

車山高原のニッコウキスゲとナデシコ
 現在の車山高原は、車山の東南麓にあたる中腹から山頂にかけて、ニッコウキスゲが見頃を迎えています。
 車山展望リフトで山頂へ上がり、帰りはゆっくりと60分、夏の高原の花々や八ヶ岳・富士山・南アルプスなどの山岳風景を楽しみながら下って来て下さい。その途上、午後4時!正面の諏方平の小泉山上空に虹が架かっていました。
 車山高原の今の時季、アカバナシモツケソウ・ヨツバヒヨドリ・コバギボウシ・ ノアザミ・シシウド・ノコギリソウ・チダケサシ・キンバイソウなどの花が主です。そろそろです、コオニユリの花芽も大分膨らんできています。

 エゾカワラナデシコ(蝦夷河原撫子)の淡紅色の可憐な花が、諏訪の平から吹き上げてくる風にそよいでいます。花弁は5枚で、先が細かく糸状に裂け、余りにも繊細で、風に傷まないか心配です。
 「撫子」の名の由来は「我が子を撫(な)でる時のように、かわいい花」というイメージです。
 エゾカワラナデシコは、開けた高原の、陽射しが豊富な環境を好む種です。
 近年、鹿の食害により、高原が一面、イネ科の植物に優占され、丈が短いナデシコやアマドコロ・ウツボグサ・ケブカツルカコソウなどが、その植生域を減少させています。
(2014.7.24[Thu])

梅雨晴れの車山にクガイソウ咲く
 涼やかな水色の花芽が、穂状に130粒以上付き、下から段々に咲いていきます。

 花穂が枝分かれしているような様子が、ナナカマドからの木漏れ日を透かし、より一層、清々と高原の花らしい風情を漂わせます。

 クガイソウは九蓋草・九階草と書きます。車山高原レア・メモリーのクガイソウは、その輪生する葉は4枚で、茎は9段の層をなしています。花をよく観察しますと、花冠は4裂し、2本の雄しべが突出しています。 

 夏の典型的な花のクガイソウも、他の陽性植物同様に、日当りの良い高原を好む多年草です。

 八島ヶ原湿原の木道沿いのクガイソウの花は、もっと青紫が濃く、遠く男女倉山を見晴らすように咲いています。

 オカトラノオが一株、クガイソウの傍で、花を咲かせました。
(2014.7.23[Wed])

車山高原に可憐なハクサンフウロ(白山風露)
 25mm程度の薄い紅紫の可憐な花が、高原の風に怯えるように、身を縮めて、揺れる風情がはかなげです!
 色も淡い紅色から濃いめの朱紫と様々です。日当たりが大きく影響するのでしょうか。
 咲いたばかりの時には、花の中心にある雌しべの柱頭が開かないため、藍色の雄しべが花の中心のように見えます。
 やがて雄しべの葯が脱落しますと、雌しべの柱頭が開いて、薄紅色の人形に開きます。
 今、車山レア・メモリーに咲いている野草は、ジャコウソウ・シモツケソウ・ノコギリソウ・キバナノヤマオダマキ・オオバギボウシ・ウツボグサ・ニガナ・ヒヨドリバナ・シシウドなど、数えればきりがありません。
 そういえば、クガイソウが2本咲いていました。
 今日は、ヒヨドリソウにヒョウモンチョウ(豹紋蝶)が飛び交い、盛んに蜜をねだっていました。
(2014.7.22[Tue])

車山高原に、早、赤トンボが
 車山高原レア・メモリーの庭のラベンダーの花にとまる赤トンボ・アキアカネ(秋茜)を、2匹発見!
 これから8月上旬、アキアカネがよく目につくようになります。アキアカネは、今時分では、まだ赤くはなっていないので、赤トンボだと思っていない人がいるかもしれません。
 アキアカネは稲刈り後の水田に産卵し、卵で越冬したあと、春に水を張った田んぼで幼虫時代を過ごす、稲作と大きく関わっているトンボです。
 アキアカネは日本のトンボの中でおそらく五本の指に入るほど普通に見られるトンボです。これは、日本の水田に適応したことによります。
 あの夏の風物詩である、お盆頃から、車山山頂で、アキアカネが乱舞する光景が楽しめるようになります。
 アキアカネは、低地に降りずに高地でそのまま産卵を終える個体があると報告されています。車山高原のアキアカネは、その仲間かもしれません。
(2014.7.21[Mon])

車山の南西麓,富士見台のニッコウキスゲが見頃
 風は西南にあたる諏訪湖の方から吹き上げてきます。標高1,702mの高原の風は、爽やかで、涼しくも感じられます。
 富士見台は、諏訪大社上社のご神体・守屋山と諏訪の平を挟んで正対します。
 ビーナスライン沿いの富士見台は、車山展望リフトの乗り場と霧ヶ峰(強清水)のほぼ中間地点にあたります。
 そのビーナスライン沿は、蓼科高原から続く、山岳風景を眺望する絶好のビューポイントであり、蓼科山・縞枯山・天狗岳・権現岳などの八ヶ岳連峰をはじめ、富士山と鳳凰山・甲斐駒ヶ岳・北岳などの南アルプス、そして御嶽山や中央アルプスまでも見渡せるます。
 富士見台のビーナスラインを渡れば、ニッコウキスゲの群生地です。その遊歩道の上部ほど、花の数は増えていきます。
 ヒヨドリバナ・ノコギリソウ・シシウド・ハクサンフウロなども咲いていました。特にイブキトラノオが目立ちます。
 ニッコウキスゲの花は、明るい陽射しを透かすと、白く透き通って見えます。
 穏やかな青空は安らかです。蓼科山に、雄大積雲がかかっていました。
 当夜、落雷あり!
(2014.7.17[Thu])

車山のアサギマダラ
 アサギマダラ(浅葱斑)が、車山のレア・メモリーの石垣に生えるヒヨドリバナの花の蜜を吸っていました。余り美しいので、近寄って見ますが、何の反応も示さず、逃げようともしません。
 翅の模様が鮮やかで、大型のチョウでありながら、ふわふわと飛翔し、人をあまり恐れないため、近寄ってよく観察ができるので、人気が高いようです。
 翅の内側が淡い半透明の水色で、黒い翅脈が走りるのが印象的です。
 和名にある「浅葱」とは青緑色の古称で、翅の内側の淡い半透明の水色を表現します。翅の外側は前翅は黒、後翅は褐色で、ここにも半透明のアクアブルーの水玉(浅葱斑)が並びます。
 アサギマダラは、蜘蛛の巣にかかったり、カマキリに食べられることがありますが、鳥のターゲットになることは通常ないようです。
 アサギマダラのオスが好む、ヒヨドリバナやフジバカマなどの花の蜜には、ピロリジジンアルカロイドが含まれ、肝毒性があります。またオスは性フェロモン分泌のために、ピロリジジンアルカロイドの摂取が必要とみられています。 
 食草に有毒物質が含まれているため、鳥が忌避していると思われています。
(2014.7.16[Wed])

2014年7月15日,車山山麓のニッコウキスゲ開花情報
 昨年から車山の西南麓にあたる、ビーナスライン沿いある富士見台のニッコウキスゲが、脚光を浴びています。今現在、その最盛地では5分咲きです。今週末が楽しみです。
 ビーナスラインの富士見台から、車山山頂へ向かう、鹿の食害対策の電気柵により保護された高台が、かつて車山山頂から車山高原・霧ヶ峰高原などで、それを当然としてきたニッコウキスゲの大群落を、漸く甦らせたようです。
 それもニッコウキスゲを鑑賞し愛でる人々や、かつてはニッコウキスゲをモチーフとして、車山・霧ヶ峰・八ヶ岳・南アルプス・中央アルプスなどを、壮大な背景として撮らえてきたカメラマンを魅了させてきた世界を、再現してみせたのです。
 他の車山を中心とする地域では、ニッコウキスゲに近付けません。危険として遊歩道から離れた場所に、電気柵で囲うのが常です。
 その美しいニッコウキスゲの花を身近に感じられない世界が、当然のように装置され、当然のようにその鑑賞を阻むのです。
 富士見台のニッコウキスゲの大群落は、心憎いまでの配慮がなされています。夜間は電気柵が、鹿の食害から車山山麓の花園を守り、昼間は他を圧するニッコウキスゲの大群落により、大勢の人々が訪れ、流石に人を外敵と見ず、無視する鹿も臆するのです。
 今日、その富士見台に行きニッコウキスゲの開花状況を観察すると、富士見台から登った位置では、3分咲き、更に登ると4分咲きとなり、その最上部では5分咲き、標高の高いほど花付きがいいのです。
 まずは!今週末が、富士見台のニッコウキスゲの見頃になるでしょう!
(2014.7.15[Tue])

雨上がりの車山湿原
 コバイケイソウは、毎年、同じ場所で群落を形成しますが、今年は、車山高原や車山湿原では、花付きが悪いようです。
 レア・メモリーの庭では、今年は一本も花の茎を出しませんでした。花が多くつく当たり年は、3~4年周期だそうです。来年は期待できるかも知れません。
 ネバナノギラン・ハクサンフウロ・ヒヨドリバナ・キンポウゲ・オオカサモチなどが、車山湿原の遊歩道沿いで楽しめました。
 夕刻5時を過ぎれば、車山湿原から、人影が絶えます。木道を鈴を付けた杖で叩くドラミングに合わせるかのように、タカネザクラの木立の方から、ウグイスが胸をいっぱいふくらませて囀ります。
 ホーは吸う息、ホケキョは吐く息、巣にエサを運ぶメスに「それほど危なくないよ!」と知らせているのでしょうか。
 時々、ジョウビタキの地鳴きでしょうか。「スイーピィ」「スイーピィ」と、レンゲツツジの茂みの方から断続的に聞こえてきます。
 車山肩の方へ向かうと、下の方のミズナラの車山樹叢から、カッコウが幾度も呼びかけてきました。早春に、車山湿原のザゼンソウに会いに訪れた時も、同じような体験をしました。
(2014.7.14[Mon])

2014年7月 13日、 車山高原ニッコウキスゲ開花情報
 車山山麓・富士台は二分~三分咲き、車山中腹~山頂付近と車山肩は咲き始めです!
 
 見頃は
 昨年と同様、車山山麓・富士見台は、7月 18日以降で
 その後に続く最盛期も、例年になく長くなると予想しています。

 車山中腹~山頂付近と車山肩は、天候次第ですが
  7月 20日より、少し遅れるかもしれません。

 車山肩から車山湿原にかけては、ヒヨドリソウが開花を始めました。
 コバイケイソウの花は、今年は、見る影もありません。
 ネバリノギラン(粘芒蘭)・ハクサンフウロ(白山風露)・キンポウゲ(金鳳花)・オオカサモチ(大傘持)などが目立ちます。
 ユモトマユミの花は、既に散っていました。
2014.7.13[Sun]

小坂観音院の紫陽花と西街道
 小坂観音院の紫陽花、800株がほぼ満開となり、眼下の諏訪湖と、高ボッチ・鉢伏山・和田峠・霧ヶ峰などの筑摩山地や八ヶ岳の峰々の眺望と共に楽しめました。
 小坂観音院は諏訪氏の祈願所でした。そこは、諏訪湖畔の小高い山にありました。その山門は、諏訪湖とは反対の山側に向いています。山門からは、樹齢400年以上というサワラ(椹)の並木が続いていました。

 山側には、鎌倉街道「西街道」が現在も通じています。山門から北西に向かえば、花岡城址裏の牛首から天竜川に出、橋原で「東街道」と合流します。そこから洩矢神社前・鮎沢・駒沢を通り上伊那の平出にに達します。
 小坂観音院の山門から南東へ向かえば、有賀江音寺前・湖南大熊・諏訪大社上社本宮下・諏訪大社前宮前・安国寺・西茅野などを通り、鎌倉に到ります。

 光を浴び、風が吹き、季節が移ろい、山々の風景と共に、諏訪の花々が装いを変えていきます!
2014.7.12[Sat]

朝露に濡れる小坂観音院の紫陽花
 三好達治『乳母車』
 母よ
 淡くかなしきもののふるなり
 紫陽花いろのもののふるなり
  はてしなき並樹のかげを
 そうそうと風のふくなり

 極めて残念ですが、私には、小坂観音院の紫陽花と諏訪湖の風景を、表現することができません。
 ただ、ネムの木の花と青紅葉が、紫陽花に季節の巡り合わせを語り掛けているようです。
(2014.7.11[Fri])

諏訪 鎌倉街道 東街道を行く
 鎌倉街道の諏訪への道筋は、鎌倉から小田原を通り、足柄峠を越え、富士山の東側から河口湖に入り、甲府盆地へは距離的に一番近い御坂峠の峠越えとなり、漸く甲府へ到達します。
 釜無川の右岸にあたる富士見高原から急峻な山道を抜け金沢へと上り、宮川の坂室に到達します。
 ここで二筋に分かれます。「東街道」は宮川の右岸から上原に出ます。当時の諏訪氏は、上原を、鎌倉幕府の都市計画を模倣し、地方街区を造ります。上原八幡・上原五山・五日市場・十日市場などを備える諏訪の政治・経済の中心としていきます。
 そこから桑原・細久保・武津・上諏訪から諏訪湖の北側、大和・高木・高浜を通り、諏訪大社下社秋宮裏・春宮の門前(慈雲寺裏)から砥川を渡り、更に東山田の小野田から中屋・中村を経て横河川を渡ります。
 ここから二筋に分かれます。荷直(になおし)峠から塩尻へ、もう一方は、今井から間下・天王森・丸山橋を抜けて、天竜川を渡り橋原へ出ます。それが諏訪の鎌倉街道「東街道」です。
 鎌倉街道は、旧石器・縄文時代の往古から、和田峠と八島ヶ原周辺の黒曜石が、諸方に運ばれた道、建御名方命が諏方平一円を統治するための道、古代ヤマトの王化に服する道、天武天皇以降確立されていく律令政治の国衙・郡衙の道などの要路があり、次々に開削され四通八達して行くのです。
 それは、有賀峠から、和田峠・桑原城跡・上原城跡など「東街道」を眺望すれば、一目瞭然となります。
(2014.7.10[Thu])

諏訪の鎌倉街道
 鎌倉街道は、中世において鎌倉から関東諸国を通過し、信濃・越後・陸奥などの諸国に四通八達した交通の要路で、いわゆる鎌倉幕府の御家人が「いざ、鎌倉」とばかりに、史上初めて創始された武家政権を守るため馳せ参じる道でもありました。
 信州の諏訪の平で、現在残っている鎌倉街道跡と呼ばれる殆どが、その道幅2mもありません。現代では、鎌倉幕府創設から数えて8百年経過し、殆どが廃道化して、山林の中に埋もれたも同然か、 農道や山の小道となり、「幻の道」といった観を呈しています。
 主要な鎌倉街道は、化粧坂→町田→武蔵府中→入間→笛吹峠を通る武蔵路・信濃路とも呼ばれた[上道(かみのみち)」、奥大道(おくのたいどう)とも呼ばれた奥州道中から鎌倉に通じる「中道(なかのみち)」、江戸時代に房総街道・常陸街道と呼ばれた「下道(しものみち)」、京からは、鈴鹿峠を通過せずに美濃・赤坂宿までは、近世の中山道のコースを通る「京・鎌倉往還」、朝比奈切通から六浦・金沢と江戸湾沿いに延びる「六浦道(むつらみち)」など多岐にわたっていました。
 統治は、古代より要路の開設が、必要条件とされていたのです。
 「上ツ道」「「中ツ道」」「下ツ道」と呼ばれている道は、古墳時代から奈良盆地にも、これと同じような呼び名の道が開設されていました。
 鎌倉時代や室町時代の中世には、鎌倉時代の史書『吾妻鏡』には 「奥大道」「下道」、南北朝の『太平記』には「上道」「下道」、『梅松論』では「武蔵路」「下道」などと書かれているそうです。然しながら、その呼び名が同じでも、それぞれは同一の道筋を示していません。
 下野足利荘から鎌倉に至る道筋である「武蔵大路」は、正慶2年/元弘3年(1,333年)に、新田義貞が北関東の兵を糾合し、鎌倉を攻めた時に、直属の軍勢を率い、攻撃した鎌倉街道でした。稲村ヶ崎に達しながら、極楽寺の切通しの守りが堅固で、磯伝いを廻り、義貞が海中に剣を投げ祈ると、俄かに潮が引き瀬となり、渡れたとされた伝説のある路筋です。
 「上道」より西関東の山々の裾を南北に辿るように秩父道とも呼ばれる「山辺の街道」がありました。別に真っ直ぐ相模の足柄峠を越え、甲斐の御坂峠を越えて甲斐の国石和へ向かう「鎌倉往還」と、御坂峠を経て諏訪に入る鎌倉街道「西街道」がありました。
 「西街道」は、釜無川沿いの若宮→松目→栗生→花石→馬飼場(ばんげいば)→御射山神戸御所平などの山道を通り、茅野の坂室から西に分かれて、宮川の左岸を庵沢から西茅野・駒形城下・亀石・安国寺の樋沢城西・前宮前・峰堪え・高部を経て、神宮寺との境で「高部道」ともいわれた杖突峠道とつながります。
 一方、上社本宮前を通って大熊・有賀の江音寺前・小坂の観音院の上・天竜川を見下ろす花岡城から岡谷の橋原に出て鮎沢で東の街道に合流したといわれています。
 また江音寺前から有賀峠道から伊那へと通じてもいました。
 奈良時代から使用されていた官道や各地域を結ぶ郡衙路などを、鎌倉幕府の成立後に、整備し再編成した地域も少なからずあったとみられます。
(2014.7.9[Wed])

八島ヶ原湿原 タニウツギ
 八島ヶ原湿原の八島ヶ池のほとりで、ニシキウツギが咲いていました。一本の木に紅白の花を咲かせています。
 レア・メモリーの庭に咲くタニウツギは、深紅の花を咲かせます。
 タニウツギの園芸種のベニウツギなのだろうか。種間交雑が盛んなのか、庭だけで10本近く自生していますが、それぞれ色合いが異なります。
 「卯の花」には、卯月(旧暦4月)に咲く「卯の花月」の意味がこめられ、田植えの時期に花が咲くので「田植え花」とも呼ばれています。
 そのため、梅雨の時期に、信州の山道を歩くと、新緑の中で咲く、紅を含んだタニウツギの花は、一際、映えます。
 車山高原では、6月中旬頃になると、沢沿いや渓流沿いの林道が、ウツギの白い花で埋め尽くされます。
(2014.7.8[Tue])

八島ヶ原湿原のエゾボウフウ(蝦夷防風)
 エゾボウフウは、深山の木陰に生える目立たないセリ科の仲間です。
 その姿と咲き方を見ていると、シシウドやオオカサモチが思い浮かびます。
 八島ヶ原湿原では、今、木道沿いにたくさん見掛けます。シシウドだけは、まだ咲いていません。
 3種の中でこのエゾボウフウが一番小さく、レースフラワーのような可憐な花を咲かせます。
 白色の5弁の小花を多数付け、茎は直立し、上部は枝を分け、高さ70cmほどの涼やかな草本です。
 イブキボウフウ(伊吹防風)は、車山高原の日当たりのよい草原などで見られますが、花期は8から9月です。 
 中国東北部から華北原産の多年生草本の防風は、中国から渡来した薬用植物です。その根および根茎には、発汗・解熱・鎮痛作用があるそうです。ボウフウとは、その漢方の薬名を、音読みにしたのです。

 鎌ヶ池のほとりに集中するワタスゲが、随分と咲き残っていました。八島ヶ池の方でも、双眼鏡で観察する人を見掛けました。
(2014.7.7[Mon])

八島ヶ原湿原のバイカウツギが美しい
 バイカウツギ(梅花空木)は、ウツギと同様、山地の路傍や渓流沿いなどに多いとされていますが、どこにでもあるウツギとちがって、実際にバイカウツギを見る機会は余りありません。
 八島ヶ原湿原で、全く濁りの無い、 眩しいほどに白いバイカウツギの花に突然出合うと、その美しい気品と品格に、思わず笑顔がこぼれ、感謝したい気持ちになります。
 枕草子に出てくる官人は卯の花の枝を御所車に挿して「卯の花車」と称した、といわれます。バイカウツギの花は、夏の日、涼風が流れる度に、雅かに舞うようにやり過ごします。
 バイカウツギの名前の由来は、その花の形が梅に似ているウツギという意味ですが、ウメに似た真っ白な4弁の花を枝先に付け、その下に次々と側枝を出して花を咲かせます。 
 純白で清楚な花が、これほどの感動を呼ぶとは!
 
2014.7.6[Sun]

車山風五平餅
 今日は、五平餅を作りました。
 お米に、もち黍を入れて炊きます。するとご飯が、もち米のように、ふんわりと炊けるから不思議です。
 五平餅のタレには、赤味噌を使って下さい。車山で採れた山椒と山蕗で調理した佃煮がポイントです。胡桃を砕いてすり鉢に入れて、砂糖・酒・味醂・醤油・味噌など、すべてをすりこ木で、擦りながら和えます。
 ご飯をボールに入れて、ご飯の半分位が潰れて、粘り気が出て来るまで潰して下さい。
 串を包んだ五平餅は、皿に笹を敷いて、その上に10分位、乾かしておきます。焼き面が焦げ付かないようにするためです。
 白焼きします。指でさわって、乾いているな、と感じるまで、両面を白焼きします。
 片面にタレを塗ります。縁まで丁寧に塗り、胡麻をふり、表面に焦げ目がつくまで焼き、ひっくり返してタレを塗り、また胡麻をふり、同様に焼きます。
 五平五合とは、五平餅が美味しいので、五合分の米くらい、一人で平らげてしまう、という意味だそうです。昔の五平餅は、本当にわらじ並みの大きさがあったようです。

 江戸時代中期の宝暦4(1,754)年、徳川 家重の時代、伊那谷と中山道の妻籠宿を結ぶため、信濃飯田藩によって大平街道が開設されました。
 木地師の大蔵五平治と穀商人の山田屋新七が、飯田藩から許可を得て開墾して始まったのが大平部落です。
 その五平治が、山仕事の折、毎日、必ず持参するのが味噌を付けた握り飯です。杣小屋の囲炉裏で、それを太目の枝に包んで、味噌をつけ足しし、火で焙って食べるのが常食でした。渓流の岩魚を獲って串焼きしたり、雉・鹿・猪も鉄砲で射ち殺して、枝に挿し味噌を付けて焼いたりもしたでしょう。デザートは、今の時季、スグリの実です。
 これを見倣った木地師達が、山の神に捧げ、同時に神事の際、食べるようになり、五平餅と呼んだようです。
2014.7.5[Sat]

キビダケの囀りとチダケサシ
 今日も、車山の夏鳥キビダケの囀りに励まされて目を覚ましました。
 繁殖期、雄はなわばりの宣言と、雌の関心を引く「さえずり」を、ズミの高い梢に止り、天空に向かって、日の出とともに高らかに響き渡らせます。
 明るく大らかなテノールです。学名ナルシシナは「水仙」の意味です。胸元を、鮮やかな黄色で染めるキビタキの美しい姿は、泉のほとりで、水面に映る自らの姿に見惚れて水仙になってしまったというギリシャ神話の美少年ナルシスを連想させます。
 これからは、車山高原の遊歩道では、チダケサシが数多く見られるようになります。典型的な陽性植物ですから、草叢は苦手のようです。
 夏の花には、そういう陽性植物が多く、ジャコウソウ・ケブカツルカコソウ・ウツボグサ・ナデシコが遊歩道に群生してきます。歩くときは、十分、ご注意を!
 7月下旬こには、八島ヶ原湿原でも、優しいピンク色のエゾカワラナデシコが楽しめます。
(2014.7.4[Fri])

ノコギリソウ(鋸草)も咲きました
 車山高原では、「ウグイスの谷渡り鳴き」と呼ばれる、けたたましい鳴き声が響き渡っています。繁殖期の雄は、縄張りの上空をタカが飛んだり、人が近づいたりすると鳴く声で、警戒を意味していると言われています。
 そんなレア・メモリーの庭に、白いノコギリソウの花が、目立つようになりました。
 ノコギリソウの名の由来は、葉が鋸のようにギザギザに切れ込んでいるからです。
 ノコギリソウは、傷薬であり、「止血草」「血の草」などと呼ばれていました。
 学名のアキレアという名は、イリアスによると、アキレスがケンタウロスからノコギリソウの効能に関する知識を授けられ、トロイ戦争の際、ノコギリソウから傷薬を作って、自軍の兵士に与えたということに由来するそうです。
 花と葉は強壮効果があり、健胃による食欲増進や解熱作用があるとされ、ハーブティーとして利用されます。
 夏の開花時期に全草を乾燥させ、煎じて飲みます。ただ、蜂蜜を加えるなどして飲みやすくした方が無難です。
 
(2014.7.3[Thu])

車山高原のヒヨドリバナ
 レア・メモリーの前庭に、ヒヨドリバナ(鵯花)が咲いているのに気が付きました。
 伐採跡地などに自生するほど、しばしば見られるキク科の多年生草本ですが、「長野日報」の記事よりますと、ヒョウモンモドキとアサギマダラの成虫が蜜を吸うヒヨドリバナも、ニホンジカによる食害を受けて群生地が減っているそうです。
 希少な蝶が、ますます絶滅の危機に瀕することになります。
 その繁殖力を誇っていたニッコウキスゲ・オオバギボウシ・アマドコロなども、旺盛な鹿の食害により、車山高原・霧ヶ峰では、その群生地をどんどん減らしています。
 ただ、シカも相当な過密状態になっていますから、越冬が次第に困難になってきています。
 車山でも、雪解けが始まると、シカの死体が、各所から現れてきます。

 葉が、主に4枚輪生するヨツバヒヨドリ(四葉鵯)は、車山樹叢から八島ヶ原湿原にかけては、ヒヨドリバナより多いと思われます。
(2014.7.2[Wed])

車山高原 夏の花(7月)
 7月です。車山の火山活動によって生まれた車山・霧ケ峰の広大な高原台地は、ようやく初夏に入り、緑のキャンバスが亜高山帯植物の群落により華やかに塗り替えられていきます。
 ニッコウキスゲの見頃は、車山の中腹から山頂では、7月中旬~下旬ころとなります。車山の東から南にかけて、その草原の斜面一帯が黄金色の花で埋め尽くされます。
 夏を迎えた車山高原では非常にたくさんの種類の花々が咲き誇ります。一面に咲くニッコウキスゲは有名ですが、その他にもコバギボウシ・キンバイソウ・キバナノヤマオダマキ・ハクサンフウロ・ヤマホタルブクロ・コウリンカなどなど、見応えのある花が夏の高原を彩ります。
 澄んだ空気と山岳風景の中、黄や紫の花々が、今、清水ですすがれたように瑞々しく見られます。
 上りは展望リフトを使って気軽に、下りはゆっくりと大地を踏みしめながら、一面に咲く多くの高山植物を楽しみながらの散策がお勧めです。
(2014.7.1[Tue])

2013年7月の車山日記

車山のハクサンフウロ
 今時分、中部地方以北の高山の山道沿いで、ハクサンフウロ(白山風露)がよく見掛けられます。25mm程度の薄紅色の花が、風に小刻みに揺れるさまが可憐です。色は淡い紅色から濃いものまで様々です。日当たりの加減が、大きく関係しているようです。山中で、深く切れ込んだ葉を見ると、ほぼ間違いなくフウロソウ科フウロソウ属と同定できます。紫系の色は少なく、花弁の基部には軟毛が密集しています。
 ハクンフウロは高山の雪渓周辺の草地に生えなど、本州中部の亜高山から高山帯の草原を植生にする多年草で、分布が広いだけに変異が多いです。エゾフウロ・イブキフウロとは、変種の関係にありますが、中間形も多く、区別は難しいです。
 7月になると車山高原・霧ヶ峰・入笠山で普通に見られ、車山湿原・車山山頂付近・八島ヶ原湿原周辺では、8月中旬頃まで美しく咲いています。果実は細く、長さ約3cm、さく果ですから、熟すると下部が裂け、種子が散布されます。
2013.7.7[Sun]

法華寺の裏手に吉良義周の墓がありました
 法華寺の裏山中腹に、忠臣蔵で有名な吉良上野介義央(よしひさ)の外孫で、後に義央の養嗣子になった義周(よしちか/よしまさ)の墓があります。義周は、養父義央の首を討ち取られたことにより、「仕方不届」として幕府より咎めを受け、領地を召し上げられました。
 吉良義周は、討ち入り後の15日、幕府の検使に口上書を差し出しています。
「昨十四日夜八ツ半過、上野介並に拙者罷在候処へ、浅野内匠頭家来と名乗り、大勢火事装束の体に相見え、押込申候。表長屋の方は二個所に梯子を掛、裏門は打破、大勢乱入致、其上弓箭槍長刀など持参、所々より切込申候、家来共防候得共、彼者共兵具に身を固め参候哉、此方家来死人、手負多有之、乱入候者へは手を負せ候ばかりにて討留不申候、拙者方へ切込申候に付、当番之家来傍に臥居候者共之を防ぎ、拙者も長刀にて防申候処、二箇所手を負、眼に血入気遠く罷成り、暫く有て正気付、上野介俄無心許存(俄に心もとなく思い)、居間へ罷越見申侯へば最早討れ申候、其後狼籍之者共引取、居不申候
 十二月十五日 吉良左兵衛義周」
 『米沢塩井家覚書』には「御疵も御眉間に少々、御右の御肩下御疵の長さ四五寸ほど、底之はよほど入申候、御あはら骨一本を切り申し、其の砌御身動之の節、かちり々と音の仕る程の事に候、二三日過ぎ左様の音も仕らず…御評定所にて、左兵衛様疵ハ、武林唯七手に御座候由、…御後の疵も逃疵ニハこれ無く前後左右より取囲み四方八方切り立て申す故、御後ニも疵有之るの由」とあります。
 翌元禄16(1,703)年2月、吉良義周は、評定所に呼び出され、大目付仙石伯耆守久尚や中町奉行丹羽遠江守長守ら列座の上処分の宣告を受けます。「浅野内匠家来共、上野介を御討候節、其方仕方不届に付領地被召上 諏訪安芸守之御預被仰付者也」2月11日の日暮れには(諏訪)安芸守邸へ護送されます。
 4代高島藩主・諏訪安芸守忠虎へお預けの身となります。
 時に18才、吉良家からは左右田孫兵衛、山吉新八郎盛侍(もりひと)の2人のみ付き従います。荷物も長持3棹とつづら1個だけでした。高島蕃お預けは、当然、罪人扱いで、道中、錠をかけた青網をかぶせた籠で運ばれています。
 諏訪高島藩にお預けの身となった義周は、高島城南の丸に幽閉されたが、高家の子息ということで藩士たちは「左兵衛様」と敬称した。諏訪家では、義周の処遇について度々幕府に書簡を送って細々と指示を仰いでいます。
 高島藩の『元禄十六年御用状留帳』には「(二月)四日九ツ前に老中連名の手紙が届き、御預け人があるとの内容。七ツ時、評定所へ沢市左衛門、茅野忠右衛門、加藤平助が行ったら、吉良左兵衛様をお預けするので受け取るようにと仙石伯耆守、丹羽遠江守、目付長田喜左衛門に言われたので、暮れ前には、御屋敷へ恙なくお連れした。」「左兵衛様の部屋にこたつをおいたらどうかとの伺いに、相成らずとの返事が来たが、こちらはまだ寒く、こたつがないとかなわないので、できるように申し付けた」「いつもお菓子として氷餅ばかり出しているが他のお菓子を出してはどうか。もしよろしければ、諏訪には相応の菓子がないので、江戸より届けてもらいたい」「髪を結う時、湯行水の時、庭へお出の時、爪を切る時、ものを書く時、鋏を使う時は、利兵衛、猶右衛門、八左衛門、八郎兵衛のいずれか一人が付いていること」「左兵衛様は(五月)六日より持病の疝気が起こり延川雲山に診てもらったところ軽い容体であったが、持病だから長引くかもしれず油断なきように。」など詳細に記録されています。
 左兵衛は元来腺病質で流謫中疝気、風邪など度々患っています。宝永2(1,705)年12月1日、悪寒発熱、病臥のまま正月を過ごします。翌年1月19、日暮れから小便が出なくなり、呼吸困難 に陥り、翌20日卯の上刻(午前六時頃)に絶命、配流されて3年後、享年21。遺体は塩漬けにされ、防腐処理が施された。
 同年2月4日、検使役の幕府御書院番石谷七之助清職が検死、断絶した吉良家に義周の遺骸を引き取る者はおらず、幕府より死体取り捨ての沙汰を受け、神宮寺村の法華寺に土葬されました。遺臣の孫兵衛・盛侍の両名は、義周の石塔を自然石で立てて欲しいと代金3両を法華寺に納めています。それが埋葬費用の全部でした。
2013.7.6[Sat]

神宮寺であった法華寺を散策
 鷲峰山(しゅうぶせん)法華寺は、元々、天台宗の寺でした。出家して蓮仏入道と号した鎌倉時代中期の領主・諏訪盛重が中興し、建長寺蘭渓道隆を招いて臨済宗に改めたといわれています。盛重は北条泰時の得宗被官として活躍し、『吾妻鏡』にも頻繁にその名が見られます。北条時輔が誕生すると、傅役に任命されています。
 延慶元(1,308)年、大祝の支族で下伊那に勢威を奮う知久敦信が、上宮普賢堂、釈迦堂、五重塔、鐘楼などを再建し、大いに興隆させた。
 後年、神宮寺は武田信玄に働きかけ、信玄の寄進により堂塔の再興に着手します。天正2(1,574)年、千手堂落成、同年三重塔再興起工、天正3年千手堂落慶、天正4年(推定)、三重塔が落成します。
 法華寺は、諏訪大社上社神宮寺の中心であった大坊に付属する宮寺の一つで、その神宮寺は、往時には七堂伽藍が揃った規模の大きな寺院でした。
 甲斐武田氏追討のために高遠城を落した織田信長の嫡男・信忠の率いる軍勢は、天正10(1,582)年3月 3日、諏訪に入り、武田信玄が崇拝していた諏訪大社上社本宮を焼き討ちし、その社殿等、全て焼失させました。その際、神宮寺だけは類焼を免れました。
 武田勝頼・信勝父子は、重臣で郡内領主の小山田信茂にも裏切られ、夫人北条氏の伝手を頼り上州を目指しますが、天目山に至り織田軍勢に挟撃され、遂に3月11日、天目山麓の田野の地で妻子とともに自刃、享年37でした。
 甲斐武田氏が滅亡すると、19日に信長自らが上諏訪に入り、この法華寺に本陣を置きます。すると、甲斐・信濃の国人衆は、引きも切らず参集します。盟友であり、武田氏討伐戦に加わっていた家康公は、信長と会見すべく、この法華寺を訪れています。法華寺で、信長は論功行賞を行ない、武田氏滅亡後の知行割をして甲斐・信濃両国などの支配を定め、家康公には信長より駿河一国が与えられています。
 小笠原貞慶は、府中の小笠原譜代衆をかき集め、金松寺から信長に謁するため駆け付けますが、「御礼罷り成らず」と門前払いされています。尚、この時、信長の家臣である明智光秀は信長の怒りに触れ、居並ぶ諸将の面前で、欄干に頭を押し付けられて殴られるという恥辱を受けます。
 信長は、4月 2日に諏訪を発ち、翌日、甲府入りします。10日には甲府を出発、家康公の歓待を受け、居城である安土城へと東海道で戻り、4月21日には安土に着城します。それから2ヶ月も経たない 6月2日未明、信長は京都本能寺において光秀にあっけなく殺される本能寺の変が勃発します。
 明治初年の廃仏毀釈で、諏訪神社の神宮寺も、法華寺を除き全て取り壊されました。現在は礎石すら残っていません。法華寺は平成11(1,999)年7月、放火によって本堂などの堂宇が焼失してしまい、わずかに山門を残すのみとなっていたが、本堂などがようやく再建されました。
(2013.7.5[Fri])

キバナノヤマオダマが咲きました
 キバナノヤマオダマ(黄花の山苧環)はキンポウゲ科の多年草です。花は5枚の萼(がく)と筒状の花びらからなっており、萼の後ろ側には距(きょ)が角のように突き出ています。この距に蜜を溜めるのです。下を向いて咲くオダマキの距は、袋状に細長く突き出して、先端を内側にくるりと曲がっています。それで蜜をうまく溜めることができるのです。
 一般によく見られるヤマオダマキの距と萼片は紫褐色をしています。日本固有種の高山地帯に自生するミヤマオダマキ(深山苧環)は、青色が美しい!
 中部地方の山では、特に車山高原や霧ヶ峰では、距と萼の色が黄色のものが多いようです。舌の長いマルハナバチ(丸花蜂)がやってきて、花びらに頭を突っ込み、距の中に長い舌を差し込む様子が観察できます。うつむいて咲いていても、器用なマルハナバチにとって蜜を吸うのに、なんの支障も無いようです。
 オダマキの名前は、中心を空洞にして巻いた麻の糸玉「苧環」に花の形が似ているところから付けられました。苧環は、元来、機織りの際に麻糸をまいたもののことです。全草が有毒で、皮膚炎(水疱)・胃腸炎・心臓麻痺などの症状があらわれます。
(2013.7.4[Thu])

美しい純白の花、ミヤマザクラ(深山桜.)
 ミヤマザクラ(深山桜.)はバラ科サクラ属の植物で、桜の野生種の一つ、別名はシロザクラです。その名前の通り山深い場所に生え、目立たず美しい純白の花を咲かせます。昨日撮影しました。白樺湖周辺に自生しています。
 暑い場所より涼しい場所を好むようで、桜では最も遅く咲くため、おそらく誰にも桜と気付かれず密やかに咲く美しい花です。北海道から九州の深山・朝鮮半島・中国東北部・沿海州・樺太など、以外に植生域が広いのです。
 名前の通り本州では深い山に見られ、涼しい気候を好むため、北に行くに従い低い場所でも見られるようになります。それでも誰にも知られず咲き、やがて散る深山の美しい花です。
(2013.7.2[Tue])

車山のレア・メモリーのニッコウキスゲ
 今日、前庭で撮影したニッコウキスゲです。近年、鹿の食害で、かつてニッコウキスゲの群生地であったレア・メモリーでも、その群生写真が撮れなくなりました。
 車山高原のニッコウキスゲの見頃について、最近、電話による問い合わせが増えてきました。
 車山高原観光協会のホーム・ページでも
「ニッコウキスゲは、はやいものがぽつぽつと咲いてきたところです。今年は例年より、気持ちはやいのかもしれません」と、まだ確かな情報を発信していません。
 毎年、車山の中腹では、7月20日前後がピークでした。車山肩・霧ヶ峰高原は、それから4.5日は遅れています。
(2013.7.1[Mon])

2012年7月 車山日記

車山・霧ヶ峰・八島湿原のオオカサモチ
 深山から高山にかけて、主に草原に生えます。高さ1.5mにもなる大形のセリ科の多年草です。茎は太く、葉は柔らかくニンジンの葉のように細かく切れ込んでいます。
 日本では、北海道、本州中部以北でみられ、ユーラシア大陸では朝鮮、中国、シベリアなどに15種が分布しているそうです。
 花は7~8月、大傘持の由来そのままに、傘を広げたように半球状の複散形の白い花序を付けます。果実は卵形で紫褐色で狭い翼があります。草原では結構目立つ花です。
 写真はレア・メモリーの前庭で、先ほど撮影しました。
(2012.7.30[Mon])

車山肩のビーナスの丘のニッコウキスゲが8分咲きです。
 車山高原の中腹付近のニッコウキスゲが満開です。車山肩のビーナスの丘は8分咲きです。7月15日、16:30 高台のレア・メモリーの室内温度は、26℃です。霧ヶ峰の今、爽やかな高原の風が吹いています。アサマフウロウ・シロバナハナニガナ・ミヤマゼンコ・ウツボグサなどが目立ちます。
 レア・メモリーのワイルド・ブルーベリーの真っ赤な実が美味しいです。そろそろスグリの実も食べ頃となります。
(2011.7.15[Fri])

車山の中腹のニッコウキスゲが満開!
 車山高原のニッコウキスゲが満開です。7/10 12:30 高台のレア・メモリーの室内温度は23℃です。霧ヶ峰の今、爽やかな高原の風が吹いています。アサマフウロウ・シロバナハナニガナ・ヒヨドリバナ・ウツボグサなどが目立ちます。
 朝早くからカッコウがモミの木の天辺で、しきりに自分の名を呼ぶのです。
 渓流沿いのニシキウツギがきれい!
 レア・メモリーの庭のワイルドストロベリーが、真っ赤な実を付けています。
2011.7.10[Sun]
ネバリノギランが車山の山頂近くで咲いていました
 花は緑黄色でほとんど花被片は開かないんで、目立ちません。日本の特産種であり、九州・四国・本州中部以北で自生する多年草ですが、中国地方と本州西部では分布してないそうです。
 高さ10~20cm程度の根生葉をつけ花茎を伸ばします。尾根筋や急傾斜地などの草丈の低い草地に生育する陽性植物です。
 花茎の軸に腺毛があり、それが粘ります。またススキなどのイネ科の花につく長い毛を芒(ノギ)と呼び、花の下につく小葉をこの芒(ノギ)に見立て、根生葉をランの葉に見立てて、ネバリノギランと名付けたようです。この粘りは、ムシトリナデシコの茎の粘りと同じ性質だといわれています。 
 科名:ユリ科/属名:ソクシンラン属
2012.7.28[Sat]

車山高原のノハナショウブ
 車山高原では、ビオトープでノハナショウブとチダケサシが目立ちます。
 園芸品種のもとになった花菖蒲の原種です。昔は日本各地の原野に広く自生していましたが、最近は殆ど見られなくなりました。
 赤紫色の花びらの基部に黄色のすじが入るのが特徴です。アヤメには網目模様が入り、カキツバタには白色から淡黄色の筋が見られます。
 アヤメ属の植物は有毒の植物が多く、ノハナショウブも有毒とされている場合がありますが、最近では各地でシカによる食害が報告されています。それほど毒性が強くないのかもしれません。
(2012.7.27[Fri])

鹿食害に苦しむニッコウキスゲ
 鹿の食害は、全国的に猛威となっています。今では、車山高原と霧ヶ峰高原一帯では、電気柵で囲われっています。柵外の高原のニッコウキスゲは食べ尽くされています。
 対策に、海外から輸入したオオカミを野に放つ計画が、大分県豊後大野市で浮上しています。国内での実例はないのですが、米国の世界自然遺産・イエローストーン国立公園で実績を挙げているそうです。
 日本では元々動物園などで飼育されていた各種の鹿が逃げ出して野生化しています。時にキョンは、哺乳綱偶蹄目シカ科ホエジカ属に分類されるシカです。環境省指定特定外来生物と認定しています。2,002年から急激に増加し、2,007年12月現在、野生キョンの棲息数は平均4,000頭に達していると推定されている。千葉県は、2,000年に「県イノシシ・キョン管理対策基本指針」をまとめ、防除計画の策定を進め、駆除に取り組んでいます。ニッポンシカばかりではないのです。
(2012.7.11[Wed])

車山は火山です
 車山は諏訪市と茅野市との境にある山で、標高は1,925mの休火山です。大門峠から車山乗越、殿城分岐、山彦尾根、北の耳、男女倉山、鷲ヶ峰、和田峠の北側が小県郡長和町です。ちなみに和田峠の東側、和田宿から笠取峠を境にする長久保宿まで、かつては天領でした。
 江戸時代、小諸城跡のある小諸市を中心に領地のあった小諸藩は、年代ごとにその支配領が異なり、天領、旗本領、岩村田藩などの他藩と入り組み極めて複雑でした。
 車山は諏訪湖の北東にあたりますが、約170万年前から現在までの第四紀火山です。地球表面で最も一般的に見られる流動性の高い玄武岩質の溶岩が積み重なっている傾斜のゆるい楯状火山体です。楯状とは、楯を寝かせた緩やかな山稜を形容します。
 第三紀火山と第四紀火山の違いですが、第三紀火山は約 6,500~170万年前の火山、第四紀火山は170万年前から現在までの火山です。単に火山と言う場合は第四紀の火山を指すことになります。第三紀の火山の場合、生成してから寿命を終え、その後の長い年月は浸食をよび、火山の元々の形体を失っています。火山の断面やごく一部のみが、観察できるだけです。第四紀火山の場合は、現代にも成形時の火山の地形体がよく保存され、現代でも容易に観察目視でき、その一部は現在でも活発に活動しているからです。
(2009.7.31[Fri])

和田峠分水嶺(ぶんすいれい)
 貝原益軒の紀行文に、和田峠越えを『三月末(今の五月上旬)まで峰に雪おほし。路にもなほ残れり』と記しています。
 和田峠から東は大門峠、北は扉峠と分水嶺の尾根道が非常に古くから山道として確立していたようです。それは和田峠とその周辺で産出する黒曜石の搬出ルートにもなっていました。
 ただ扉峠【標高】1,660mは、分水嶺ではないようです。ヤテイ倉沢、小滝沢などは信濃川水系です。
三峰山【標高】1,887m信濃川水系仙ノウ沢?天竜川水系砥沢、砥川
和田峠【標高】1,531m信濃川水系和田川?天竜川水系砥川
鷲ヶ峰【標高】1,778m信濃川水系男女倉川?天竜川水系東俣川
車山【標高】1,925m信濃川水系大門川?天竜川水系中笹川、音無川
大門峠【標高】1,442m信濃川水系大門川?天竜川水系音無川
八島湿原【標高】1,630mは分水界、信濃川水系本沢、男女倉川?天竜川水系観音沢、東俣川
(2009.7.29[Wed])

車山展望リフト
レア・メモリーから車山展望リフトまで徒歩で3分です。日本でも有数な山岳風景が堪能できる標高1,925mの車山山頂まで、2本の4人乗りリフトを乗り継いで約15分です。上りは高山植物が織りなす車山高原の風景を楽しみ、流れるリフトの足元の草花は、その予備知識として、遊歩道沿いに咲く花々を知る絶好の機会となります。山頂下りは白樺湖を眼下にして、蓼科山などの八ヶ岳や富士山、南アルプスなどを見晴らす雄大なパノラマが満喫できます。

車山高原山麓-車山山頂(スカイライナー・スカイパノラマ乗継ぎ) 所要時間約15分869m
車山展望リフトの料金・運行時間・眺望・ペットの乗車など⇒詳細
(2009.7.28[Tue])

ウスユキソウ(薄雪草)
はじめは黄緑色で次第に薄い黄色に変わる小さな花を、白い綿毛のついた葉の上にいくつかつけます。茎の高さは25~55cmぐらいで、葉は細長い笹のようで、葉裏は灰白色の綿毛におおわれています。
ウスユキソウは、頭花を囲む包葉が白い綿毛をつけ、薄く積もった雪のように見えることからたとえられました。そのほとんどが中央アジア、ヒマラヤにあるといわれています。近縁種のエーデルワイスは「高貴な白」という意味で、「アルプスの永久花」という別名でも知られています。同じキク科の多年草です。
本州中部の山地の乾燥した草地や礫地に生え、車山では咲き始めの7月末頃が一番綺麗です。車山では頂上付近の沢沿いの岩場でよく見かけます。また殿城分岐から男女倉山へ向う山彦尾根の遊歩道沿いの平場に、小さな群落をいくつも作っています。
(2009.7.27[Mon])

車山乗越
 車山山頂から車山湿原の方へ下った所に、2つ大きな岩・夫婦岩があります。ニッコウキスゲの知られざる群生地です。ここ周辺が車山乗越で霧ヶ峰の中心的な岐路となります。東に向えば、車山高原から蓼科山を見ながら白樺湖へ下ります。西に進めば車山湿原で、もう直ぐ赤い花序が美しいシモツケソウが群生します。その先が、今やニッコウキスゲが最盛期の車山肩ビーナスの丘が、遠目からも一段と濃い黄色い帯びに見えます。更にゴマ石山を越えれば強清水です。
 車山湿原からは、北西に緑野が目映い丘、蝶々深山があり、物見岩へ通じ、八島湿原に出られます。途中、鷲ヶ峰、鉢伏山、三峰山などの姿のいい山々が目の保養になります。そして青空の下、広々とした高燥台地・美ヶ原が望まれます。
 車山乗越の北側のニッコウキスゲが黄色く輝く丘が、樺の丘です。北に進めばダケカンバが茂る殿城山へ、北西にすすむと木立が殆どない緑野が広がり、今は丁度ウスユキソウの季節、道々感動の多い散策道となります。その先が山彦尾根で、更に姿が得意な南の耳、北の耳へと通じ、男女倉山が最後の峰筋で、そこから見下ろす八島湿原は、穏やかな池のたたずまいとなって鳥瞰させてくれます。ちょっと急な斜面ですが、間もなく奥霧の小屋へ下りられます。
2009.7.26[Sun]

ハナチダケサシ(花乳茸刺)
 ユキノシタ科アスチルベ属、一見地味で、それほど大群生をすることもなく、それでも草原を歩けば、頻繁に出合い結構目立つ花序ですが、それを構成する一つ一つの花は小さく白いのです。
「アスチルベ」の語源は、ギリシャ語からきていて、「a」(~がない)と「stilbe」(輝き)とが合成して「輝きがない」と言う意味です。花言葉は、「恋の訪れ」でありながら、「輝きがない」が語源とは?
日本では「乳茸刺」(チダケサシ)とも呼ばれています。「乳茸」は、特に栃木県人にとって、お好みの夏のキノコなのです。お盆の時期になると、このキノコを求めて半狂乱になるとも言われています。
「乳茸」の料理法については、代表的なのが茄子との油炒めで、豚小間を入れると一段と美味しくなります。ダシ汁に醤油を加えた「乳茸汁」、更に煮たものをテンプラにすると濃厚な旨みが出ます。
乳茸はとても美味しい茸です。明るい茶色の茸で、折ると乳白色の乳が溢れ出し、べたべたするし、匂いはきついので、それで手を汚したくなく、「アスチルベ」の茎を串のようにして刺して運ぶことから 「乳茸刺」という呼び名になりました。
栃木県では松茸に次いで珍重され、7月から8月にかけて、会津街道沿いにずらりと並ぶ露店のチダケ売りは夏の風物詩になっています。袋入りの乾燥品も売られています。ハナと付いていますが、付いていないチダケサシの方が花は華やかです。
2009.7.25[Sat]

車山肩が一年中で最高の日
 今年のニッコウキスゲは、車山の麓の方から白樺湖にかけて、花数が極めて少なかった、鹿の食害と考えられます。中腹から山頂辺りは、例年並みに豊富でしたが、山頂の西側は近年にない密な群生と広がりがあります。特に車山肩へ下る周辺は見事というしかありません。
 道々、ウスユキソウの岩場の叢生と、ニッコウキスゲの黄色の花の大群落に、薄紅紫のハクサンフウロが点在する景色は、この時季、この瞬間だけ許されています。
 車山肩に近づくと、再び、足元周囲一帯が一面のニッコウキスゲで黄色く染っています。前方のビーナスの丘を見れば、一段と濃く染まり、ゴマ石山の山頂、標高1,756mまで、緑の草原風景のなかに一際浮き上がって見えます。ゴマ石山から園地へ下り強清水に至る所要時間は70分ぐらいです。ただ強清水周辺では、ニッコウキスゲが散見されるだけでした。
(2009.7.24[Fri])

車山の山頂
 車山の山頂こそ、現在ニッコウキスゲが満開です。車山気象レーダー観測所の霧ヶ峰寄りが見事の一言に尽きます。ここから車山肩まで、広大無限に一面黄色い花でおおい尽くされます。遠く眺める霧ヶ峰のビーナスライン沿いのニッコウキスゲも、伸びやかな広がりのある光景です。
 遊歩道沿いには、ハナチダケサシ(花乳茸刺)の小群落も、各所で見ることができます。散策グループの方で、シモツケソウと言う人もいましたが、一見、白花シモツケのように見えるからです。
 野鳥では、ノビタキが盛んに囀っています。道沿いの潅木の小枝を揺らしながら、「ヒーヒョーヒョーロリー」と、実に澄んだ甲高い声です。ニッコウキスゲの草むらに巣があるそうです。
 車山のリゾートイン・レアメモリーから、車山展望リフト乗り場まで、徒歩で3分ですから、レアメモリーの駐車場に車を置いて、ゆっくりお出掛け下さい。
(2009.7.23[Thu])

八島湿原
 標高1,540m~1,925m、長野県のほぼ中央、3,000ヘクタールの大草原が広がる霧ヶ峰高原の北西部に位置する八島湿原一帯は、古くは霧ケ峰奥野ともいわれその標高1,647mです。日本を代表する高層湿原である八島ヶ原湿原は、その重要性を早くから認められ、昭和14年 (1939年)に国の天然記念物の指定を受けました。また国の文化財としても登録され、国定公園内の特別保護地区にもなっています。
 12.000年の歴史を持つミズゴケ湿原ともいわれる、本州ではもっとも古いとされています。世界的にも貴重な日本最南の高層湿原でもあります。その主役ミズゴケの種類は18種にのぼり、総面積は43.2ヘクタール、泥炭層は8.05mに達しています。近年、八島ヶ原湿原は周辺の森林化や降雨量の減少などに伴い乾燥化が進んでいます。八島ヶ池の島々は、以前、水面に浮かんでいました。近年、水位の低下で、池の底で根付いています。
八島湿原は、国の天然記念物指定の3大湿原の1つです。あと2つは、池のくるみの踊り場湿原、車山の北西にある車山湿原です。南北620m、東西1,050mの卵形をしていて、西側に八島ヶ池、東側に鎌ヶ池があり、その中間に鬼ヶ泉水と呼ばれる池があります。
 高層湿原とは、標高の高い所にあるという意味ではなく、ミズゴケを主とする200種類以上の植物が、枯れても腐植土とならずに堆積し、泥炭化し、植物が上へ上へと生長して全体が水面よりも高く盛り上がったものを言います。
 1年に約1mmの割合で発達します。八島湿原一周は約3.7km、90分、散策コースとして遊歩道も整備されています。車山山頂から八島ヶ原湿原へのトレッキングコースは、物見岩を通って約3時間位です。ゆるやかなアスピーテ火山帯のなごりの草原を雄大な自然に触れ、高山植物を見ながら散策出来ます。
 八島湿原は、八島高層湿原を中心にして鷲ヶ峰、大笹峰、蝶々深山、丸山に囲まれた一帯を言います。数多くの高山植物が一斉に咲き乱れる夏は圧巻です。
(2009.7.22[Wed])

男女倉山にて
 男女倉(おめくら)山は、標高1,776mで、霧ヶ峰高原の他の山と同様、起伏の少ない穏やかな山容で、ピークも平坦で広い。山名は北麓の和田峠手前の男女倉地籍から付けられたと思われるが、奇妙にも「ゼブラ山」と呼ぶ人がいる。
 旧和田村の長和町の男女倉地籍から南に続く尾根のピークは、霧ヶ峰高原の北端にあたり、男女倉山頂は茅野市との境となっている。
 昭和30年代までは、諏訪から沢渡に登り、霧ヶ峰奥野にあたる旧御射山から八島湿原の北側を通り、男女倉道を通って和田村へ出た。急峻な和田峠を越えずにすむ近道で、通行も今では考えられないくらい多かったという。
 山頂付近は、草原で立木は無く展望はいい。ここから眺める三峰山と美ヶ原は美しい。北アルプスの奥穂高岳、槍ヶ岳、常念岳から鹿島槍ヶ岳の稜線が、青空の下に姿を現していた。
 山頂から見下ろす八島湿原のたたずまいがいい。
(2009.7.21[Tue])

車山気象レーダー観測所
 レーダーとは、「電波を使って目標の存在を探知し、その距離を測る装置」という意味です。レーダーの電波は空中を直進するため、進路上に山などの障害物があるとその裏側には届きません。そのため、わが国は山が多いため、レーダーの設置場所により、その観測範囲が、それぞれの周辺地形の影響を受けます。また、地球は球面であるため、遠距離では電波が、観測対象の雲や雨などの上空を通過してしまうため、可能な限り遠くまで観測するために、レーダーを車山のような独立峰的な高い山の上や鉄塔の上などに設置するのです。また気象レーダー観測所は通常無人です。かつての富士山の観測所とは違い、観測所の機器は、東京大手町の東京管区気象台で遠隔操作されます。また高度が高いだけが条件ではなく、機材を運搬し易い事も、設置場所の選定の決め手になります。気象庁では、わが国の国土のほぼ全域をカバーするようにレーダーを配置しています。
 車山気象レーダー観測所の直径4mのアンテナは、1分間に4回転しながら、1秒間に260回という規則的な間隔で電波を発射し、雨や雪などの粒に反射させ、戻ってきた電波を受信するという動作を繰り返して、戻ってくるまでの時間を測ることで目標までの距離を計算します。 また、アンテナの向きから方角が分かるので、目標の位置が定まり、はね返って来た電波の強さから、雨や雪の程度を推定します。
 車山気象レーダー観測所で観測されたデータは、気象庁に送られます。気象庁では、全国にある気象レーダーで観測されたデータを合成します。この合成した図が、テレビなどで見るレーダー画像になります。アンテナは、「レドーム」と呼ばれる球形の覆いで、厳しい風雨から守られています。
(2009.7.17[Fri])

車山
 蓼科山・八ヶ岳も火山列でありますが、 霧ヶ峰連峰の火山群の活動も活発でした。第三紀鮮新世(700万~200万年前)末期から第四紀更新世前期(約140万年前)にかけて活動した古期の火山活動は、火砕流を主体として溶岩流(安山岩)を伴いながら、現在の諏訪盆地を埋め尽くすほどの多量の火山砕せつ岩類(狭義の塩嶺累層)を噴出しました。その後も諏訪盆地は、糸魚川-静岡構造線の活動により沈降を続け、だんだん現在の盆地を形成するようになりました。
 その後の霧ヶ峰火山群の活動は、車山、鷲ヶ峰、三峰山などが中心で、火砕流から溶岩流を主体とした活動に変わってきました。第四期更新世前期(今から130万年前から60万年前にかけて)が最も盛んでした。この新期の火山活動は、北西の三峰山地域から始まり、北東の虫倉山、南東の八子ヶ峰などで、安山岩を主とした噴出物を堆積させました。そして、虫倉山の南南西と八子ヶ峰の北北東側では断層活動が起こり、鷹山断層、八子ヶ峰断層が生じました。この二つの断層に挟まれた谷は、いわゆる火山性地溝と呼ばれるもので、今日の大門街道とほぼ一致しています。そして最後の火山活動は、三峰から始まり、和田峠、鷲ヶ峰、霧ヶ峰高原の順で活動し、最後に車山の活動で、その何百万年と続いた霧ヶ峰火山群の活動も、ようやく終息しました。
その間、和田峠の南南東では角閃石安山岩を主体とした噴出活動が起こり、鷲ヶ峰を形成しました。また、霧ヶ峰高原南西麓の諏訪市福沢山から唐沢山で、諏訪鉄平石と呼ばれ、よく敷石に利用されているかんらん石輝石安山岩が噴出しました。
 霧ヶ峰の火山活動では、流動性に富む角閃石輝石安山岩を主体とした溶岩が広域に分布し、現在の高原台地を形成しました。
霧ヶ峰火山群の活動の末期には、粘性の増したかんらん石輝石安山岩を噴出させ、車山山頂部を形成しました。車山に鉄平石が多いのは、そのためです。山頂の南側には、最末期の活動による爆裂火口と推定される馬蹄形の断崖が見られます。
 こうして車山を最高峰とする現在の霧ヶ峰連峰が、形成されましたが、諏訪地方にはこれ以後も、木曽御嶽山と乗鞍岳などの頻発する大噴火で噴出された灰が、偏西風に乗って、降り積もります。これがローム層と呼ばれる赤土の堆積層です。火山灰は何10万年も、それも無限の回数で積層され続けます。それが諏訪地方の現在の表土となりました。
 ところが火山の噴出物は、霧ヶ峰連邦の火山群の活動でもふれましたが、それぞれの各火山と各時期で鉱物の組成が異なります。それで鹿児島県の姶良火山(あいらかざん)の大噴火が、考古学の年代測定の重要な基準になるのです。2万2千年前の大噴火で、旧石器時代にあたります。当時、鹿児島の錦江湾に浮かぶ桜島の北部に姶良火山がありました。この姶良火山が歴史上類をみないほどの超巨大噴火を起こしました。噴火による噴出物(ガラス質火山灰)を現在、九州地区では「シラス」と呼んでいます。噴出物は鹿児島では10m以上の地層を形成します。これをシラス台地といいます。このときの噴出物は偏西風にのって全国に降り積もり、中国地方で20cm、関東でも10cm、北海道でも5mmほど確認されています。なお噴火は何年もかかったわけではなく、わずか、数日から数ヶ月の出来事で地質学的には、全国に分布している「シラス」の地層がその地方の地層の年代を測る目印になっています。
 姶良火山は当時の大噴火により陥没して姶良カルデラが形成され、姶良火山自体は消滅して今の錦江湾の湾奥部ができました。桜島はそのカルデラの南縁に1万年ほど前に成長した火山です。諏訪の各地でも降灰が認められました。この時代は氷河期4回目のピークで、人類の歴史上先土器時代・後期旧石器時代にあたります、道具は未熟な石器のみ、土器はようやく作られ始められました。火山灰の降下が多く、寒冷気候の厳しい時代でした。
 霧ヶ峰火山群は、白樺湖から美ヶ原に達するビーナスラインの通る車山・鷲ヶ峰・和田峠などの山々を創生しました。車山は霧ヶ峰火山群の最末期に噴出してできたもので、山頂南側の急崖は爆裂火口といわれます。
 八島湿原周辺の黒曜石の噴出年代は星ヶ塔のものが 130~140万年前、和田峠のものは約85万年前と測定されています。また鷹山の黒耀石体験ミュージアムでは、星糞峠の黒耀石は、27万年前の噴火でできたとしています。
(2009.7.16[Thu])

霧ヶ峰の「強清水」
 霧ヶ峰の「強清水」は、霧ヶ峰自然保護センター周辺から、見晴らしが良い蛙原(げぇろっぱら)、思い出の丘に建つ霧鐘塔辺りまでを呼ぶと思います。霧鐘塔は、霧ヶ峰高原が濃霧に包まれる日に、鐘の音色を響かせてその位置を知らせてくれるハイカーたちの道標となる避難塔でもあります。霧のない日には、霧ヶ峰のシンボル的モニュメントとなり、散策の目印にもなります。標高1,684m、昭和34年に建設されました。
 霧ヶ峰の「強清水」の名の由来は、諏訪鉄平石を代表とする安山岩などのすき間から吹き出冷たい湧き水があったからでしょう。清水の下で、水を飲む時、水中に手を入れて、体を支えているうちに、その冷たさに耐えられず、1分間も我慢できなかった、そういうイメージが浮かび上がります。そして最もおいしい水の温度は、8~14℃と言われています。その理由は体温より平均25℃程度水温の低い水が最適だからです。車山の場合、9.7℃で、常にこの条件を充たしています。すると、「強清水」とは地下水系で、恐らくは繋がっているでしょうから、「強清水」の湧き水も9.7℃で、冷たく美味しかったことでしょう。
 霧ヶ峰自然保護センターの北方に「留塚(1700m)」の地籍名が残っています。特に江戸時代から昭和30年前後まで、霧ヶ峰は、その東麓集落や西麓集落の刈敷、家萱、秣などの採草地でした。 未明、現在で言えば午前3時頃から、荷馬車を牽いて最短の山道である悪路を登って、ようやくたどり着き、飲んだ水が「強清水」であり、大鎌を振う重労働の合間の渇を癒してくれたのも「強清水」であったのです。その瞬間の感動を「こわい」と表現する方言は各地に散在する。また「留塚」は、その馬たちを留め休めた場所であったのでしょう。
(2009.7.15[Wed])

霧ヶ峰の日光キスゲ最新情報
 白樺湖から約15分、車山から8分位の霧ヶ峰の車山肩に咲く日光キスゲの現在の開花情報です。今週末ごろが最盛期でしょう。現在でも昨年を上回る咲き具合です。ここからは蓼科山、車山、八ヶ岳、南アルプスなどの山岳風景も楽しめます。車山肩の丘からは、北岳、仙丈岳の手前に、入笠山と並んで、諏訪大社の御神体守屋山も美しく眺められます。そして霧ヶ峰の日光キスゲは一面緑のじゅうたんの上に、可憐な黄色の花を、数えきれないほど豪華な群落となって展開してみせます。その先に穏やかな景観、八島湿原が望まれ、その後方、青空の下、美ヶ原の高原台地を仰ぎ見る事ができます。
 霧ヶ峰ここに発生する上昇気流は、グライダーの滑空に絶好ということで日本グライダーの発祥地となりました。強清水の霧鐘塔まで足を伸ばせば、グライダーの飛翔が見られます。その飛翔体の下、蛙原(げーろっぱら)の先に、富士山が見られる、感動的な光景に出合う事もできます。霧ヶ峰よりほどなく悠久の人類の歴史が眠る八島湿原があります。高山植物の宝庫八島湿原の下には、4万年を超える時代からの黒曜石採掘の遺跡群が潜んでいます。
(2009.7.14[Tue])

車山高原の現在の日光キスゲ
 車山、霧ヶ峰、八島湿原一帯、春から秋にかけてあちらこちらに天然のお花畑が出現します。車山湿原一帯では緑の季節、約800種類もの高山植物が咲き続けます。特に、ニッコウキスゲが黄色い絨毯を敷き詰めたように花開く7月は見応えがあります。
 今現在の車山は、日光キスゲの風景です。昨年より花数は多いです。鹿の食害も少ないようです。早春に若芽を食べられましたが、その後天気に恵まれ復活したようです。
 今現在、車山の中腹が満開ですから、駐車場からは、この風景は想像できません。車山展望リフトを利用するか、遊歩道を登って下さい。途中、白樺湖とその背景の蓼科山や八子ヶ峰の風景が美しいです。更に上に登れば、富士山を雲の下に見ることができます。
 八ヶ岳と南アルプスの麓、諏訪盆地が一望されます。諏訪大社の御神体・守屋山の姿も、神々しいです。
 車山のリゾートイン、レア・メモリーから車山展望リフト迄、徒歩4分です。
2009.7.11[Sat]
 車山、霧ヶ峰、八島湿原一帯、春から秋にかけてあちらこちらに天然のお花畑が出現します。車山湿原一帯では緑の季節、約800種類もの高山植物が咲き続けます。特に、ニッコウキスゲが黄色い絨毯を敷き詰めたように花開く7月は見応えがあります。
 今現在の車山は、日光キスゲの風景です。昨年より花数は多いです。鹿の食害も少ないようです。早春に若芽を食べられましたが、その後天気に恵まれ復活したようです。
 今現在、車山の中腹が満開ですから、駐車場からは、この風景は想像できません。車山展望リフトを利用するか、遊歩道を登って下さい。途中、白樺湖とその背景の蓼科山や八子ヶ峰の風景が美しいです。更に上に登れば、富士山を雲の下に見ることができます。
 八ヶ岳と南アルプスの麓、諏訪盆地が一望されます。諏訪大社の御神体・守屋山の姿も、神々しいです。
 車山のリゾートイン、レア・メモリーから車山展望リフト迄、徒歩4分です。
2009.7.11[Sat]
 車山、霧ヶ峰、八島湿原一帯、春から秋にかけてあちらこちらに天然のお花畑が出現します。車山湿原一帯では緑の季節、約800種類もの高山植物が咲き続けます。特に、ニッコウキスゲが黄色い絨毯を敷き詰めたように花開く7月は見応えがあります。
 今現在の車山は、日光キスゲの風景です。昨年より花数は多いです。鹿の食害も少ないようです。早春に若芽を食べられましたが、その後天気に恵まれ復活したようです。
 今現在、車山の中腹が満開ですから、駐車場からは、この風景は想像できません。車山展望リフトを利用するか、遊歩道を登って下さい。途中、白樺湖とその背景の蓼科山や八子ヶ峰の風景が美しいです。更に上に登れば、富士山を雲の下に見ることができます。
 八ヶ岳と南アルプスの麓、諏訪盆地が一望されます。諏訪大社の御神体・守屋山の姿も、神々しいです。
 車山のリゾートイン、レア・メモリーから車山展望リフト迄、徒歩4分です。
2009.7.11[Sat]
 車山、霧ヶ峰、八島湿原一帯、春から秋にかけてあちらこちらに天然のお花畑が出現します。車山湿原一帯では緑の季節、約800種類もの高山植物が咲き続けます。特に、ニッコウキスゲが黄色い絨毯を敷き詰めたように花開く7月は見応えがあります。
 今現在の車山は、日光キスゲの風景です。昨年より花数は多いです。鹿の食害も少ないようです。早春に若芽を食べられましたが、その後天気に恵まれ復活したようです。
 今現在、車山の中腹が満開ですから、駐車場からは、この風景は想像できません。車山展望リフトを利用するか、遊歩道を登って下さい。途中、白樺湖とその背景の蓼科山や八子ヶ峰の風景が美しいです。更に上に登れば、富士山を雲の下に見ることができます。
 八ヶ岳と南アルプスの麓、諏訪盆地が一望されます。諏訪大社の御神体・守屋山の姿も、神々しいです。
 車山のリゾートイン、レア・メモリーから車山展望リフト迄、徒歩4分です。
2009.7.11[Sat]
 車山、霧ヶ峰、八島湿原一帯、春から秋にかけてあちらこちらに天然のお花畑が出現します。車山湿原一帯では緑の季節、約800種類もの高山植物が咲き続けます。特に、ニッコウキスゲが黄色い絨毯を敷き詰めたように花開く7月は見応えがあります。
 今現在の車山は、日光キスゲの風景です。昨年より花数は多いです。鹿の食害も少ないようです。早春に若芽を食べられましたが、その後天気に恵まれ復活したようです。
 今現在、車山の中腹が満開ですから、駐車場からは、この風景は想像できません。車山展望リフトを利用するか、遊歩道を登って下さい。途中、白樺湖とその背景の蓼科山や八子ヶ峰の風景が美しいです。更に上に登れば、富士山を雲の下に見ることができます。
 八ヶ岳と南アルプスの麓、諏訪盆地が一望されます。諏訪大社の御神体・守屋山の姿も、神々しいです。
 車山のリゾートイン、レア・メモリーから車山展望リフト迄、徒歩4分です。
2009.7.11[Sat]
 車山、霧ヶ峰、八島湿原一帯、春から秋にかけてあちらこちらに天然のお花畑が出現します。車山湿原一帯では緑の季節、約800種類もの高山植物が咲き続けます。特に、ニッコウキスゲが黄色い絨毯を敷き詰めたように花開く7月は見応えがあります。
 今現在の車山は、日光キスゲの風景です。昨年より花数は多いです。鹿の食害も少ないようです。早春に若芽を食べられましたが、その後天気に恵まれ復活したようです。
 今現在、車山の中腹が満開ですから、駐車場からは、この風景は想像できません。車山展望リフトを利用するか、遊歩道を登って下さい。途中、白樺湖とその背景の蓼科山や八子ヶ峰の風景が美しいです。更に上に登れば、富士山を雲の下に見ることができます。
 八ヶ岳と南アルプスの麓、諏訪盆地が一望されます。諏訪大社の御神体・守屋山の姿も、神々しいです。
 車山のリゾートイン、レア・メモリーから車山展望リフト迄、徒歩4分です。
2009.7.11[Sat]

ピラタス蓼科ロープウエイ
 ピラタス蓼科ロープウエイは、長野県のほぼ中央に位置する八ヶ岳連峰にあります。この北八ヶ岳エリアの北端に位置する北横岳(標高2,472m)と縞枯山(標高2,403m)の鞍部にかかるロープウエイです。
 出発する山麓駅の標高は1,771m、山頂駅の標高は2,237m、その標高差466m・総延長2,215mを結んでいます。ロープウエイは通年運行しており、夏期は観光や登山・ハイキング、冬季はスキー・スノーボードで賑わっています。
 山頂駅周辺の坪庭は八ヶ岳最後の噴火で出来た溶岩台地で、地形の形状がすり鉢状になっています。溶岩がむき出しの岩場に長い年月をかけて植物が少しずつ回復しつつある状態です。土壌が乏しい岩間から咲き誇る高山植物たちは、可憐ではかなげですが、優しげで美しいのです。今時分は薄いピンクや濃いピンクのコイワカガミや純白の総苞が花のように見えるゴゼンタチバナが競うように咲き乱れています。
ゴゼンタチバナの花弁のように見えるのが、ヤマボウシと同様に総苞片であり、中心に小さな花がたくさん集まっています。「御前橘」の由来は、石川県の白山で発見されたことから白山の最高峰の名「御前岳」からつけれ、また果実の形が橘に似ていることによります。
(2009.7.2[Thu])

八島湿原
八島湿原で一番大きい八島ケ池は、東西800m、南北1,000mに及ぶ広大な高層湿原です。八島池は島の数が多いことから七島八島とも呼ばれています。
 250種類余りの高山植物、湿原植物が群生しています。湿原をとりまく木道やハイキングコースでは、色鮮やかな花々を間近で見ることができます。また、秋の草紅葉も素晴らしく、草原ならではのコントラストが鮮やかです。
 八島ケ池の奥に、小川ように流れるのが鬼ケ泉水、その後方の池が、鎌ケ池です。年間平均気温は 5.8℃です。そのため夏の7、8月は多くの花々が一斉に咲き、色とりどりの花を見ることができます。特に、湿原の周囲の草原は、亜高山(標高 1500m~2000m)性植物の宝庫となっています。
 ツルコケモモ、キリガミネヒオウギアヤメ、アカバナシモツケなどです。モウセンゴケは7月に咲く食虫植物です。ねばねばの繊毛で虫を取ります。
 八島湿原には1万2千年の生成年齢が認められます。しかし、この地では、3万年を超える以前から、人々が黒曜石の採掘と加工に励んでいました。氷河期からの八島湿原遺跡群が、散在しています。
(2009.7.1[Wed])


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