車山 お知らせ(レア・メモリー便り)                     令和3年8月13日                                               
 

 Top  車山高原 車山の山菜 車山日記  車山ブログ 車山高原の野鳥 車山の紅葉 車山のすすき
 ☆車山;新緑の頃  ☆早春のスミレ  ☆車山高原の笹 ☆車山高原のシジュウカラ ☆諏訪の植生 
 ☆諏訪に生息する哺乳類 ☆諏訪の狐 ☆車山高原の狐
 DNA 
DNAが遺伝物質 生物進化と光合成 葉緑素とATP 植物の葉の機能 植物の色素 葉緑体と光合成
 花粉の形成と受精
 ブドウ糖とデンプン 植物の運動力 光合成と光阻害 チラコイド反応  植物のエネルギー生産 ストロマ反応
 植物の窒素化合物  屈性と傾性(偏差成長) タンパク質 遺伝子が作るタンパク質 遺伝子の発現(1)
 遺伝子の発現(2) 遺伝子発現の仕組み リボソーム コルチゾール 生物個体の発生 染色体と遺伝
 減数分裂と受精 対立遺伝子と点変異
 疾患とSNP 癌変異の集積 癌細胞の転移 大腸癌 細胞の生命化学
 イオン結合
 酸と塩基 細胞内の炭素化合物 細胞の中の単量体 糖(sugar) 糖の機能 脂肪酸
 生物エネルギー 細胞内の巨大分子 化学結合エネルギー 植物の生活環 シグナル伝達 キク科植物
 陸上植物の誕生 植物の進化史 植物の水収支 拡散と浸透 細胞壁と膜の特性 種子植物 馴化と適応
 根による水吸収 稲・生命体 胞子体の発生 花粉の形成 雌ずい群 花粉管の先端成長 自殖と他殖
 フキノトウ アポミクシス 生物間相互作用 バラ科 ナシ属 蜜蜂 ブドウ科 イネ科植物 細胞化学
 ファンデルワールス力 タンパク質の生化学 呼吸鎖 生命の起源 量子化学 ニールス・ボーアとアインシュタイン
 元素の周期表 デモクリトスの原子論 古代メソポタミア ヒッタイト古王国時代 ヒッタイトと古代エジプト
 ヒクソス王朝 古代メソポタミア史 新アッシリア時代 ギリシア都市国家の興亡 古代マケドニア 古代文明の破綻
 相対性理論「重力」 相対性理論「宇宙論」 相対性理論「光と電子」 太陽系の物理 量子力学 質量とエネルギー
 cp対称性 共役変換 素粒子の標準理論 宇宙の誕生 半導体 メタンハイドレート AI半導体 コンピュータウイルス
 AIチップ 機械学習 量子コンピューター 半導体レーザー アト秒科学 日本列島の原型 飛騨帯・飛騨外縁帯
 塩基性岩と酸性岩 
南部フォッサマグナ 中央構造線 チバニアン期 放射線炭素の利用 植物細胞の体内循環
 C3・CA・CAM植物 高等植物の光合成 古代象の生態
 
      車山高原!秋の風景        2023年9月1日
 サヨナラの形に ススキが手を振って      駆け抜けてゆく 風の輪唱

             俵 万智 

  霧深い霧ヶ峰高原の、シンボル的モニュメント「霧鐘塔」!
 見晴らしが良い蛙原・強清水・忘れ路の丘にたたずむアーチ型の霧鐘塔です。 濃霧の日には鐘の音色を響かせてその位置を知らせてくれる道しるべ。
  『鐘がものをいふ 霧だ霧だと  鐘がものをいふ 生きろ生きろと』
   諏訪市出身の小説家、平林たい子の詩が刻まれる。

  ススキの名は、細い意味を表すスを重ねたススに草()。 オバナは花穂を尾と見立てた呼び名。 カヤはカ()、屋根材に由来する。
 ススキは屋根を葺く素材として最も大切な茅・萱、屋根を葺くのに用いるイネ科、カヤツリグサ科の大形草本です。集落の周りには「茅場(萱場)」があって、ススキが育っている。
  「薄」「芒」はいずれも「草むら」を意味するそうです。
  尾花は字の通り、茎の頂に穂枝をだし、白い毛につつまれた小さな穂を密生させて開花、花の後は白い毛が伸びて穂全体が白くなります。
 秋の絶景とは、紅葉など色づくのは木々だけではありません。ススキも黄金色に輝き、神々しい光景を生み出します。
    駆け抜ける 狐も尾花 かざし來よ
 ビーナスラインの中間地点にある車山高原のススキは、9月上旬~11月上旬が見ごろです。 車山高原では、蓼科山の日の出と雲海を眺望します。早朝は、風は穏やか、朝日を吸収すれば服も体も温まります。
 雲海の南の彼方には、富士見高原と富士山、身延山地と甲斐駒、雄大な仙丈ケ岳など南アルプスが朝日に輝きます。



       トリカブトの花言葉 「あなたは私に死を与えた」  2023年8月28日
 八ケ岳の峰々の青天の大気が穏やかに安定していれば、わた雲も上方へ成長できないため、扁平積雲にとどまり、今日のような輪郭が輝く並積雲に育ちます。
 この雲が見られるときには、その後、入道雲や雷雲に成長する可能性は低いようです。
 八島ヶ原湿原では、トリカブの青い花の群生が楽しめそうです。
 鎌ヶ池の水面上空には、アマツバメが飛び交い、ハンゴンソウの枝にはノビタキが羽を休め、アサギマダラはヒヨドリバナの蜜に含まれるアルカロイドの吸収に努めています。
 アマツバメ・イワツバメ・ツバメの3種は8月に入ると、草原内に幼鳥群をともなって、採食に訪れる季節的侵入鳥になります。
 車山高原のトリカブトの開花時期は8月~10月。
この季節のトリカブトは、7月19日生まれの方と7月25日生まれの方の誕生花です。一般的な開花時期より少し前になります。丸くかわいらしいつぼみが美しいので、誕生日頃には、生花店に並んでいることもあります。
 トリカブトの花言葉が「あなたは私に死を与えた」と、その怖い言葉は、トリカブトが持つ毒に由来します。「ドクゼリ」「ドクウツギ」と「日本三大有毒植物」と言われ、死に至る強い毒性です。
 トリカブトに「騎士道」「「栄光」という花言葉がつけられています。騎士が被る鉄兜が、トリカブトの花の形が似ているから「騎士道」と、騎士に相応しい「栄光」という花言葉が生まれました。



      美しい車山高原のオオウバユリの花       2023年7月31日
 オオウバユリは、文字通りウバユリの大型のものです。
 レア・メモリーには、大きな株が14株ほど、150cmほどの高さで真っすぐに姿勢を正し、多いもので12輪ほどユリ科特有の花を咲かせます。
 クリーム色をした長さ10~15cmの花ですが、その12輪の花は、上から開き始めます。それも段々に、それぞれが違う方向に向いて咲きます。
 咲き始めは優しい穏やかな香りがしますが、二、三日くらいで香りは消えます。
 分布は、本州の中部以北と北海道辺りまでで、車山高原のような比較的寒冷な土地を好むようです。しかも、陽射しが優しい林間を好みます。

 花びら一枚一枚を、高原野菜サラダの上に飾り、梅ドレで食べれば、新鮮な歯応えがあり、えぐ味や苦味も普通の野菜程度で、むしろ高原の風味が味わえられます。
 若い株では根出葉だけが輪生状に数枚つきます。鱗茎が大きくなると、茎を直立させるようになり、根出葉も下の方で大きく広がります。
 増殖は実生によりますが、アブラムシや青虫など虫害は少なく、病害も特にありません。
 花が枯れると、楕円状の長さ5cm〜7cmほどの楕円形の蒴果を作り、熟すと果皮が裂開し、1cmほど扁平な種子が山風に乗り効率よく散布されます。
 近年、ウバユリは、増えすぎた鹿の食害により、随分個体数を減らしています。



      車山高原のニッコウキスゲ           2023年7月15日
 四季を通じて親しまれている「車山高原」ですが、緑の大草原が広がる初夏の車山高原に、7月の初め頃から、ニッコウキスゲが咲き誇る季節がやってきました。
 ニッコウキスゲは朝に咲くと、夕方にはしぼんでしまう1日花です。1株に5個ほどの蕾がつき、1日に1個ずつ開花していきます。
  スカイライナーリフトに乗り、車山の中腹の遊歩道を少し進んだ先が絶好の観察スポットです。 一面に咲き誇る車山肩から車山山頂に向かう遊歩道沿い、 車山肩の「ビーナスの丘」とビーナス・ライン「富士見台」なども絶景です。
 今年は近年の中でも特に花芽が多く、7月20日頃までが見頃となる見込みです。
 車山肩近くのニッコウキスゲの花園に生えているレンゲツツジの木を見ると、表面が黒いことが分かります。今年のゴールデンウイークに、霧ヶ峰高原の野火で、林野一帯が燃え尽きました。ニッコウキスゲ自体は、枯草が焼き払われて日当たりが良くなったことで、例年より開花数が多い印象です。ほとんどの方は火事があったと気づかないでしょう。



      弘長寺、1,000株の紫陽花           2023年6月20日
 昨日は松本市寿の弘長寺にて、約1,000株の紫陽花を鑑賞してきました。
 まだ満開ではないのに、一株一株ごとに種類が異なる見事な紫陽花なので、感動しっぱなしでした。
  信濃あじさい寺と言われる弘長寺の近くには、法船寺という寺も有名な「あじさい寺」です。
 この寺の鐘楼から松本平と北アルプスがすっきりと見渡せます。
 今日は、奈良井川を下り犀川のほとりの信州新町の道の駅で、美味しい手打ち蕎麦を食べてから飯縄山や戸隠の野鳥公園で遊びます。
 北信五岳に数えられる飯縄山は、1,917mの標高ながら、同じ北信五岳に数えられる戸隠山や黒姫山、妙高山をはじめ、後立山連峰の秀峰、鹿島槍ヶ岳や唐松岳も眺望できます。また、パワースポットとして名高い戸隠神社も近いので、一日で両方堪能できます。



      美しい緑色に染まる「ガボチョ山」           2023年6月6日
 千葉県では、「ぼっち」とは、収穫した落花生を乾燥させるために畑に散在させる、「ボッチ積み」のことを指すようです。
 落花生は千葉県を代表する作物ですが、秋の収穫期に、畑に多くの「ぼっち」が並びます。共通語では「野積み」と言います。この時季特有な農業景観です。
  「ぼっち」を使った乾燥方法は、千葉県の生産地で長い栽培経験から生み出された日本特有の農法です。生の落花生は、1日で味や硬さが変化するので、冷凍食品以外では一般の流通に乗せることができないため、通常は乾燥を行う必要があります。
 栽培面積が大きいため、労力や資材の面で「ぼっち」を積む、その場所に、土から上がってくる湿気を遮断するために籾殻を敷くことも…
 収穫後の稲穂は、通常では、稲刈りした直後は20%以上の水分量を含むそうです。しかし、保管するためには水分量を15%ぐらいにしなければなりません。
 水分量が多ければ、蒸れてカビが生えたり芽生えたりして、その変質により旨味が大きく損なわれます。JAでも、買取の際には、14.5%以下が買取条件としています。それが、刈り取った稲を、稲架(はさ)に掛ける、天日干しの農村風景となります.。
 車山の南麓に広がる米沢の大地には、藤原川・前島川・桧沢川・横河川の4つの一級河川が、稲作に大きな恵みを与えてくれています。その扇状地の随所には、湧水があり、特に「大清水 湧水」は、水量豊富で茅野市の水源地にもなっています。
 
 かつて、「ガボチョ山」周辺のすすき野は、里の家萱や刈敷を供給する入会地でした。ススキの束をいくつも重ねて、この広大な草原に「ぼっち」の小山を多数築いては、天日で干していたようです。
   「臥せる」の音読みは、「臥す」、それは「臥牛」、「臥所」・「臥至」に通じます。

 カシガリ山の喬木帯が尽きると、明るい「ガボチョ山」の草原に、朱色にきらびやかに群生するレンゲツツジの光景が美しい!その梢に、やすらう翡翠に輝くカワセミ!
 車山山頂より吹き下ろす、絶え間ない山風に、リズムの合わせて尾を振つつ、やり過ごします。
 

      イタヤカエデ 楓若葉は「青楓」           2023年5月30日
 生命力が強そう!
 生い茂るイタヤカエデの巨木の若楓と、その周囲を取巻くレンゲツツジが、青い空の下、いまだ3分咲きですが、
 花芽が豊富すぎるほど!
 既に、かなり赤く膨らんでいるため、その光景は華やいで見えます。

 レア・メモリーの裏庭の背景は、林立するコナシの白い花群が飾ってくれます。
 ウグイスの囀りが止まないこの辺りには、コゴミの緑の群生が散在しています。今年も食べきれないほどです。
 コシアブラの大木の若葉それぞれが、陽光の恩愛に浴するほどに、賢く茂っています。
 その木漏れ日がゆらぐ木陰には、白いニリンソウの花が、穏やかに咲き広がっています。

 そうでした!!
 今、ヤマウドの先端が柔らかく伸びて、香り豊か!
 まさに旬です。細切りにして、コシアブラの若葉と玉ねぎのスライスと合わせて塩もみにします。
 サラダ風です!



      海鮮蔵「魚魚魚流通団地店」の魅力           2023年5月14日
 
 今日は「ブリカマ煮付け定食」にしました。
 
 マグロ・イワシ・ハマチ、いずれも新鮮で旨味十分!
 
 「ぶりのあら」の粕汁、具だくさんで食べ応え抜群!

 松本市芳川の松本流通団地にある海鮮処です。西源の鮮魚部が展開しているだけあって、産地直送・新鮮素材へのこだわりが嬉しい!

 提供されるメニューは、どれもオーソドックスでありながらオリジナリティが高く、他店の差別化が図られているのに、価格に幅があり、しかも安くても、味わいが洗練されている。

 メニューも豊富で、海鮮料理がすべて揃い、ボリュームも満点で、品質はもちろん、味や盛付けの豪華さに驚かされます。

 なによりも、テーブルに置かれている「さくら漬」が美味しい!

  「魚魚魚」にリピーターが多いのは、料理のクオリティに加えて、年齢性別を問わず誰もがゆったりできる、適度なモダンを取り入れた和風空間が、天井も高く広々としているなど開放感があるからでしょう。

 しかも、設備全体が清潔感にあふれています。

 客層はさまざま、メインは高齢者を含めた2人組とは言え、女性同士や一人の方も多く、近くのサラリーマンやファミリー層もランチメニューを楽しみに来ています。
 
 
    美味しそうなウバユリの根生葉           2023年5月12日
 ウバユリは漢字で「姥百合」と書きます。庭のウバユリの若葉は、4枚葉です。ユリ科とは思えないような根生葉を、地上茎の基部に広げます。その葉は通常のユリと違い、強い光沢があり、厚く広がり鮮やかな網状脈を描きます。
 ウバユリは、山地の雑木林や木陰に自生するユリ科の多年草ですが、我が家の庭では、朝日が射し風を通す広めの空閑を好んでいるようです。
 ユリ属ではなく独立したウバユリ属とされています。牧野富太郎先生が、その著書「ウバユリとともに古くからユリ属に入れられていたが、葉が網状脈を持つこと、(中略)などではっきりと別属であることに著者はこれに気づき、この属を設立した。」と記しています。
 特に日本は「百合の王国」、多くの自然種が自生し、また園芸種も豊富で、首筋を伸ばすその美しいシルエットと甘い香りが好まれています。
 ウバユリ属は世界的な分布ではなく、日本のオオウバユリと同種のものが、サハリンや南千島で見られ、中国の四川省周辺に日本のものとよく似ているものが1種、ヒマラヤから中国にかけて、より巨大な3mほどになるヒマラヤウバユリがあるだけだそうです。
 日本には2種類のウバユリがあり、北海道と本州中部地方以北にオオウバユリが、関東地方以西と四国や九州にウバユリが分布します。その分布が重なる関東地方から中部地方においては、主に太平洋側にウバユリが、日本海側にオオウバユリが分布する傾向が見られます。オオウバユリは、東北地方や北海道などの寒い地方に自生するウバユリの変種にあたり、両種の違いは、葉の形・草丈・花数の多少によって区別されています。
 ウバユリは山菜としても知られ、他のユリと同様に球根を食用にします。ただ、ウバユリの方はオニユリのユリ根のようにやや苦味があります。
 写真のような春に芽が出たばかりの若葉は、ポン酢がおすすめです。ミョウガの英名はJapanese ginger / mioga gingerであるように、日本では古代から栽培され、人家の周辺で野生化したと考えられています。以前はベーコンとミョウガを合わせて炒めましたが、今では、「塩水漬けなす」とミョウガを、軽く湯がいたウバユリの若葉で包んで食べます。若葉の茎に、違和感があれば、その部分を外せば苦味もえぐ味も取り除けます。



    大草坂戸(上伊那郡中川村大草)の桜橋           2023年4月1日
 左前方の小高い丘が、桜の名所大草城址です
 諏訪湖へは30もの河川が流入しますが、唯一の出口が天竜川ですから、諏訪湖がその源流となります。
 江戸時代、流域の山林で伐採され建築用木材が天竜川を筏で下り運ばれました。延長213Kmのうち長野県内は118Km、木曽川についで全国9番目の長さです。
 天竜川の流域は急峻な地形のため、古くから「暴れ天竜」として恐れられ、治水と発電などの多目的ダムが多数造られています。
 県道大草坂戸橋線にある「坂戸橋」は、昭和8年に架設された天竜川にかかる道路橋です。坂戸橋は、橋の長さが約78mの大規模な鉄筋コンクリート造りのアーチ橋であり、現存する戦前期の道路橋では国内最大で、昭和前期における日本の技術力の高さを示すことができる建造物です。部材の接合部を曲面状に滑らかに仕上げ、細部にわたり美観にも重視した丁寧な施工から、重要文化財に指定されています。
 重厚で美しい橋は、周辺の急峻な渓谷に溶け込み、坂戸橋の上下流域一帯は「坂戸峡」と呼ばれる景勝地になっています。その坂戸橋の桜が、見ごろを迎えています。
 昭和8年に完成し、当時の新聞で「東洋一の坂戸橋」と報道されています。商工会が架橋を祝って周辺道路につつじ3,000本、桜300本を植え、展望開ける緑の渓谷に季節の花々を添えました。
 明治36年に完成した吊橋の頃は、地域の人たちが総出で道を作ったそうです。大正9年までは橋銭で維持管理されていました。



    蓼科湖の桜(見頃:4月中旬?           2023年3月26日
 広い駐車場から蓼科湖を一周する遊歩道を歩みますと、白樺・カラマツやモミジなどの木々の並木が続きます。
 標高1250mの蓼科湖を一周しながら、横岳や赤岳と阿弥陀岳・権現岳と並ぶ残雪の八ケ岳と湖面に影を映すサクラ花や、岸辺を離れて長閑に憩う鴨などを見渡します。
 やがて秋になると紅葉が美しい東岸にまで来ますと、初春の青空が似あう穏やかな山並みの車山高原が望まれます。
 一周約1kmの蓼科湖 近くには、彫刻の森や芸術公園があり、その先に、この時季、せせらぎに咲く水芭蕉の小群生の貴品溢れる純白の美しさに目を奪われます。 四季折々の爽やかな散策の後には、木立の下のテラスで、さっぱりとした甘みがうれしい「道の駅蓼科湖」の自家製モカソフトを味わい寛ぐと会話がはずみます。
 でも野鳥のさえずりは静でした。



    立石公園さくら広場(諏訪市上諏訪            2023年3月25日
 見頃:4月下旬頃?
 諏訪湖を一望できる立石公園は、「君の名は。」では巡礼聖地として、平成28年公開され新海誠監督の黄昏時のシーンが感動を呼びました。今でも、お互いの愛情を表現する記念すべき撮影の場所に選ばれています。
 標高934m、広さは3.6haの車山の南西麓にある立石公園は、海抜759mの諏訪湖を一望し、対岸の伊那山地や中央アルプスと御嶽山、遠く乗鞍岳などの北アルプスなどを眺望する展望テラスです。その一段上の時計台が展望台にもなっています。
 その高台にある立石公園付近で咲く「さくら広場」の約40本のオオヤマザクラやヤエザクラ、シダレザクラの仄かな香りに心が和らぎます。
 長野県諏訪市、上諏訪温泉街を見下ろす車山の南西麓に位置する公園が、立石公園です。諏訪市元町から霧ヶ峰に登る長野県道40号(諏訪白樺湖小諸線)沿いにあるので、アプローチも容易です。「信州サンセットポイント100選」、「信州ふるさとの見える丘」の一つ、諏訪湖を一望にするパノラマ、夕景、夜景も見事です。特に夕景と夜景が美しく、新日本三大夜景・夜景百選にも選ばれています。
 国蝶・オオムラサキの生息地でもあり、諏訪国蝶オオムラサキの会が餌となるエノキの木を育て、環境の保護に尽力しています。



   高島公園の桜(高島城     昨年の写真です  2023年3月22日
 今年の開花予想;3月28日、満開予想;4月3日です。
 高島城の本丸跡が高島公園となり一般開放され、復元された天守閣や冠木門と、長塀を超える桜が堀の水面に映る絵画的な光景がカメラマンに好まれています。
 ソメイヨシノを中心に早咲きのオカメザクラやシダレザクラ・ヒガンザクラ・ヤエザクラなど約90本が植えられています。
 早春を代表する黄色の小さな花をたくさんつける5本のサンシュユが、桜とほぼ同じ時期まで花を咲かせ続けています。桜色とサンシュユの黄色が高島城の天守閣を背景に陽春の陽射しに映えます。

 高島城下の上諏訪温泉よりにある諏訪湖畔公園沿いに、ソメイヨシノの桜並木の遊歩道が続きます。清清しい湖畔の風の中、穏やかに咲き競う桜の下を散策し、その先にある花見足湯で疲れを癒します。
 諏訪市四賀赤沼の車橋近くの上川の土手沿いにほぼ同じ時季に咲く桜並木と、その下の河川敷を覆う群生するスイセンの黄色の花との共演は、遠く残雪が残る北アルプスが借景となります。信州ならではの見事な景観です。
 高島城の桜が散り、「諏訪の平」がようやく新緑の季節を迎える頃、高島公園として開園した明治9年に植えられたものと思われる樹齢約130年と推定される、豪勢な総状花序の房すべてが長い藤波が藤棚に咲き続けます。暦年の重みと他の追従を許さない絢爛さに圧倒されます。
 その長い藤の花房が萎れると、諏訪の平の周辺の里山に、卯の花が今が盛りと、主に白い花々で咲き清めます。やがて夏の先駆けとなるズミの白い花が、車山高原に上がる大門街道沿いに咲き競います。時に、既にウグイスの囀りが始まっています。



   下諏訪町湖浜の美しい桜並木     見頃:4月上旬  2023年3月21日
 開花予想4/2(日);満開予想4/9(日)
 諏訪湖畔から富士山を眺めながら散策し、足湯につかりながら花見を楽しみます。
 諏訪大社の門前町の下諏訪町は、五街道のうち甲州道中と中山道の二つの街道が合流し、中山道・甲州道を結ぶ温泉宿場の下諏訪宿として栄えてきました。
 富士見町や富士見橋といった名称が多いのも、かつては町内各地で東山と西山地区が切れる南東に富士山が眺望できたからです。
 下諏訪町湖畔の湖浜は、ジョギングやサイクリング、そして釣りや公園利用の折に湖越しに西日に映える茜富士を望める絶景ポイントです。
 下諏訪町湖畔公園は、八島ヶ原湿原を源流とする一級河川砥川が諏訪湖に流入する河口部の右岸と左岸に岬状に形成された平坦な土地です。諏訪湖に面して湖水と筑摩山地と伊那山地の山並みを望む絶景が保全されています。
 葛飾北斎の富嶽三十六景「信州諏訪湖」は、諏訪湖を下諏訪方面から眺めた景色です。手前には大きな松二本と小さな祠が描かれています。湖の中ほどに浮城のように諏訪高島城、その先に富士が眺められます。湖上には、小舟一艘が浮かべ、静かな山国の湖水風景が描かれています。歌川広重もこの光景を錦絵に描いています。
 東海地震に係る地震防災対策強化地域にも指定されていることから、大規模な地震災害などに備え下諏訪町及び諏訪湖周地域の地域防災力の向上のため、「下諏訪公園」を下諏訪町地域防災計画における地域防災重要拠点としても施設整備を進め、令和元(2019)年度末に公園全体の整備が完了しています。



   樹齢300年の慈雲寺のシガンシダレザクラ 見頃:4月上旬から4月中旬  2023年3月15日
 満開の花が満ち溢れて垂れる彼岸枝垂桜の傍らで、境内地の日溜まりに配置される10個の巨石の存在感が見事に映えわたり、その周りの丈が高めの苔の小群生の深緑色の差し色がとても気高く美しく見えます!
 その枯山水の景色の移ろいが、四季折々の興趣を添えてくれます。
 慈雲寺は、諏訪大社下社春宮を北東の台地から見下ろします。つまり、春宮の鎮護を目的に建てられた諏訪郡下諏訪町の臨済宗の鬼門寺です。
 下社の大祝金刺満貞が鎌倉の高僧一山一寧を諏訪に招請して、正安2(1,300)年に開基しました。
 一山一寧は、中国「宋」より帰化した僧です。鎌倉幕府執権北条貞時の帰依が篤かったといわれています。中門から山門に向かう杉並木の参道に生える苔の連なりが、年月の隔たりと静かな趣が重なり、境内地の風格漂う慈雲寺へと導いてくれます。
 山門に導く苔庭の参道は、巨木が連なる杉並木となり、その山門の両側には、金剛力士像が剛胆に仁王立ちし、境内には樹齢400年となる天桂の松が、歳月という風雪を物語る巨大な枝ぶりを鶴翼に広げて、圧倒的な存在感で迎い入れてくれます。
 天桂の赤松の前には、山門前と墓地脇の三十三観音が静かに安置されていますが、その姿と表情は極めて個性的です。時には微笑がこぼれます。
 本堂裏側の庫裏は、積年の巨木により夕光(ゆうかげ)がほどよく和らぎ、その庫裏から眺める池泉庭園は穏やかです。

 慈雲寺には、天桂の松・大梵鐘・竜の口など見所が多く、裏山には高島城を築いた豊臣秀吉の家臣、日根野高吉の墓もあります。
 日根野高吉は和泉の出身で、信長・秀吉と仕え、天正19(1,590)年の小田原の役で、戦功ありとして諏訪を宛行われました。
 今の高島城を、諏訪湖を防御の要として、水城を築きました。慶長5(1,600)年に病没し、この慈雲寺に葬られました。慶安2(1,649)年に、嫡子の当時大分藩主の嘉明が、その50回忌の追善供養として五輪塔を建立したのです。諏訪地方では、最大の五輪塔です。



    国宝松本城の桜の見頃  2023年4月上旬    2023年3月11日
 雪を冠した北アルプスを背景にした国宝松本城天守です。豊臣秀吉が石川数正に命じ、その子・康長が創建しました。
 約300本のソメイヨシノやヤエザクラ、そしてシダレザクラが、城郭と堀を取り囲んで咲き誇り、遠く残雪の北アルプスを眺めながらの花見散策です。
 肥後一国54万石の加藤清正公が、江戸からの帰りに立ち寄った際、松本城主石川康長が清正公に馬を差し上げたときにつないだ木が、写真のシダレザクラです。
 桜と天守のコントラストが見事でした。
 国宝松本城は、現存する12の城のうち唯一の平城だそうです。また、全国に4つしかない国宝天守閣のひとつです。
 天守の窓から眺める堀端の桜並木が美しい‼
 天守最上階から乗鞍岳・槍ヶ岳・常念岳・燕岳など北アルプスの名峰の眺めが素晴らしい‼
 松本の居城は、室町時代末期の永正元(1504)年、信濃小笠原氏(府中小笠原家)の当主小笠原貞朝が築城し、以後、「深志城」と呼ばれていました。
 小笠原氏は、甲斐源氏の出身で甲斐国小笠原に住して小笠原氏を名乗り、鎌倉時代には阿波守護、室町時代では信濃守護でした。江戸時代には小倉藩など5つの藩の藩主を世襲し、いずれも譜代大名家でした。



     「姥ケ懐」の枝垂桜(北佐久郡立科町芦田姥ケ懐)  見頃は4月中旬    2023年3月10日

 大空を渡る神霊が
 大地に花満ちる 枝垂桜に誘われて
 姥ケ懐に 降り立たんとした

 芦田村は、長野県北佐久郡にあった村です。江戸時代では中山道の宿場町(芦田宿)でした。明治8(1875)年、近世以来の佐久郡芦田村が姥ケ懐新田・中尾新田と合併しました。その芦田村も昭和の大合併で消滅しましたが、現在の立科町の中心部から南端にかけての南北に長い地域でした。
 「姥ケ懐」の語源は、南に開けた陽当たりのよい土地柄を、丁度乳母に抱かれているような温かい大地と見立てました。懐(ふところ)は、古文では「ふつくろ」と言い、離乳を進めるため乳を飲むことは禁じられる代わりに触ることは許され、それが小学校に入るまで寝とぼけた時の習慣となります。「ふところ」は母に寄せる愛情の原点です。そんなここちよい音韻が「姥ケ懐」の地名となりました。
 姥ケ懐から北北東にのびる丘陵の東斜面には、桑畑や薬用人参畑などが育てられていました。今でも東側の窪地は、小川が北へ向 って流れるという恵まれた立地条件です。
 長野県道40号諏訪白樺湖小諸線は、観光道路であるとともに、諏訪地方と東信地方を結ぶ主要路線でもあります。諏訪市元町の国道20号を起点とし、立石公園や霧ヶ峰・車山・白樺湖など八ヶ岳中信高原国定公園内を通過し、女神湖から小諸市の国道141号に至る県道(主要地方道)です。
 「姥ヶ懐」の美しい枝垂桜の目印は、車窓の左手に見える見過ごせないシダレザクラの巨木です。

 古事記の中つ巻「倭建命1」
 當此之時其御髮結額也
  爾小碓命 給其姨倭比賣命之御衣御裳
 以劒納于御而幸行

 剣(つるぎ)を于御(ふつくろ)に納(をさ)めて幸行(いでま)しき



      松本市の「弘法山古墳」の桜                2023年3月9日
 松本市の弘法山古墳(長野県松本市並柳)のサクラの例年の見頃は、4月上旬~4月中旬です。
 2023年の開花予想日は4月5日、五分咲きが4月9日、満開4月10日、桜吹雪4月16日と発表されています。
 弘法山古墳は、東日本最古級の前方後方墳です。JR松本駅から南西に約3kmにある弘法山古墳は、松本市街の南東にあたります。
 3世紀末頃の築造とされる弘法山古墳は、標高約650mの弘法山の上にあります。全長約66m、後方部の幅33m、高さ4mで、その後方部にある石室からは鏡や鉄剣、鉄斧などが出土しました。
 この場所をグラウンドにする計画が持ち上がった際に古墳が発見され、山全体にはソメイヨシノやヤマザクラなど約4000本が植樹されました。今では、開花時期や種類が異なるソメイヨシノ・オオヤマザクラ・エドヒガン・ヤエザクラ・シダレザクラなどが山一面をピンク色に染めます。桜のグラデーションも見事です。頂上からは、松本市街と北アルプスを、桜とともに一望できます。
 古墳時代の前方後方墳は、弘法山古墳(松本市)や姫塚古墳(長野市)、瀧の峯古墳群(佐久市)など長野県内各所で発見されており、古墳時代前期の3世紀末頃から4世紀中期頃のほぼ同時代とみられています。
 卑弥呼時代前後の纒向遺跡から出土する土器のうち、15%から30%くらいの比率で、大和以外の搬入土器があります。その50%ぐらいが東海系土器です。大和が倭国の中心であるとすれば、『魏志倭人伝』に「その南に狗奴國有り。男子を王となす。その官に狗古智卑狗有り。女王に属せず。郡より女王國に至ること萬二千余里。」いう。「狗奴國」が東海にあり、卑弥呼に属しないまま、しかも比較的早い段階から、信濃の中南部は、「狗奴國」と密なる交流があったようです。
 その後、前方後円墳を埋葬形式とする大和王家が「越」を制圧し、特に長野市南部から千曲市北部にかけて一帯にその勢力を南下させ、森将軍塚古墳や川柳将軍塚古墳・倉科将軍塚古墳など県内最大級の前方後円墳を築造していきます。



      荒神山公園の桜                   2023年3月8日
 写真は昨年4/11に撮りました。
 上伊那郡辰野町辰野にある「荒神山公園の桜」の見頃は、4月上旬から中旬でしょうか?
 辰野町のほぼ中央、標高764mの小高いなだらかな稜線を描く丘には、豊かな緑に育まれた約35 haの広い「荒神山公園」があります。園内には、ナイターを完備したテニスコートや野球場、そして室内運動場(ほたるドーム)・陸上競技場・マレットゴルフ場・体育館・武道館などがあり、加えて美術館や昆虫館など極めて充実しています。
 「荒神山公園の桜」は、約35haの広い敷地にコヒガンザクラ・ソメイヨシノ・ヤエザクラ・シダレザクラ・ヤマザクラなど860本の種類豊富なサクラが植栽されていますので、長い期間楽しめます。
 ちょうど、青天下の「たつの海」に、周辺のコヒガンザクラの薄桃色の花々が水面に映え、その岸辺で白鳥が頻りに毛づくろいをしていました。北帰行の時期は過ぎているはずです。繁殖のためにシベリアへ渡っていかなくてよいのでしょか?
 青天に映える周囲700m「たつの海」に白鳥が浮かび、その周囲をコヒガンザクラ・ソメイヨシノなど860本の薄紅色の桜が彩り、その上空に色彩豊かな130匹の「鯉のぼり」が泳いでいます。
 辰野町観光協会は、今年も、第29回目の荒神山公園さくら祭りを開催します。4月上旬~4月16日までのお祭り期間中は、桜のライトアップを午後6時~9時まで行います。また、4月15日には、さくらステージやキッチンカーの出店などでイベントを盛り上げます。

 駐車場 普通車150台
 中央自動車道 伊北IC 車 10分 4km  / JR飯田線伊那新町駅 下車,徒歩15分




       春日城跡(春日公園)の桜の見頃          2023年3月7日
 伊那市西町区沢のサクラの見頃は、4月上旬から中旬、昨年は4月9日頃が満開でした。
 本丸、二の丸などの約200本の小彼岸桜・ソメイヨシノ・枝垂れ桜が時間差で咲くので、長期間楽しめそうですが、暖かい日が多いので意外と4月中旬には見事な桜吹雪になりそうです。
 城跡の高台から満開の桜の下、風に煽られ再び舞い上がる桜吹雪の合間から、広がる伊那の街並みや、左の甲斐駒ヶ岳、右の南アルプスの女王と称えられる仙丈ケ岳に見惚れます!
 三の丸広場からは中央アルプスを望めます。
 戦国時代の春日城は、伊奈の豪族伊那部大和守重慶の居城でした。そのため、伊那部城とも呼ばれました。伊那部は在郷名から採った姓で、本姓は春日でした。
 重慶の子重親・重国兄弟などの伊那の諸領主は、武田信玄が伊那へ侵攻すると一旦は従ったが、武田軍の手薄な時を見計らい反旗を翻す。この反乱はすぐに鎮圧され首謀者たちは斬首された。その後、生き残った春日一族の春日河内守昌吉が城主となった。
 天正10(1582)年に、織田信忠が5万の大軍を率いて武田領内へ侵攻すると、信濃諸郡は続々と織田家の手に落ちていった。そんな中、果敢に抵抗したのが、仁科盛信(武田信玄の5男)が守る高遠城であった。春日昌吉は手勢を引き連れて高遠城に籠城、虎口の守備に就いたとされるが、織田軍の猛攻に晒されて落城した。昌吉一党は討死し、直後に春日城も火を放たれ落城した。これ以降、廃城となり、以後は農耕地と化した。



       大草城址公園の桜の見頃予想          2023年3月6日
 上伊那郡中川村大草で、最初に見頃を迎えるエドヒガンザクラは、4月上旬です。
 中央アルプスを望む中川村の地勢は、天竜川によってできた河岸段丘です。屈曲蛇行して南流する天竜川により竜東南向地区と竜西片桐地区が画然と両岸に分かれている。
 天竜川左岸の段丘を削った沢は天竜川に注いでいます。その中心部の段丘の城址が整備され「大草城址公園」となりました。
 エドヒガンザクラ・ソメイヨシノ・シダレザクラ・ウコンサクラ・ヤエベニシダレザクラ(八重紅枝垂れ桜)など10種類以上約500本が咲き誇る「桜の公園」です。中でも、ウコンサクラは、江戸中期以前に作られた品種と考えられています。花弁が香辛料で知られるウコン(鬱金)に似た萌黄色になることからウコンザクラと名付けられました。
 清酒「黄桜」は、黄桜の別名「鬱金桜」とも呼ばれるサトザクラ(里桜)の一種で、その桜に因みます。その透き通るようなうす萌黄色の花びらが、風に散るさまは江戸時代から風情のあるものとされていました。
 「大草城址公園」から眺める残雪の中央アルプスの絶景と桜のコントラストが素晴らしい!そのすばらしい風景に、カメラマンが魅せられて人気のスポットとなりました。
 松川ICから   9km 20分
 駒ヶ根ICから 19km 30分
 駐車場 普通車116台

 宗良親王は、南朝勢力の再興を図るため、ここ大草城を拠点として挙兵した。 越後・越中まで兵を進め、3年間戦塵下にあったが、正平10年/文和4年(1355年)、諏訪直頼(諏訪氏当主の大祝は安芸守などの受領名を称した)の諏訪神党や仁科氏などを結集し、北朝方の信濃守護小笠原長基と桔梗ヶ原で決戦に挑むも敗れて、以後、有力氏族の離反により南朝の勢力は大幅に後退した。香坂高宗は応永14(1407)年に大河原城にて没する。宗良親王は、やむなく南下して大草城に拠って30年を過ごした。
 城址公園の入り口にある宗良親王の歌碑には 「我を世に ありやと問はば 信濃なる 伊那とこたへよ 嶺の松風」 の歌が彫られている。

        長寿更科は平日でも若い人が多いです!          2023年3月2日
 信州茅野市の車山山麓は標高が高く、甘みのある美味しいお蕎麦の有名な生産地です。
 また車山からの湧き水や地下水は美味しく純水に近く、その湧水で打ったお蕎麦は、雑味の無い手打ちそば本来の味わいがあります。
 そば粉8割で打った二八そばは、旨味と喉ごしがよく、そばつゆとの相性もよいため食べるたびに感動します。
 野菜5種や海老大2本の天ぷらが付いた天せいろそば(上:税込1,980円)や、油揚げにそばを詰めたそばいなり1皿2個360円(税込396円)が好みです。
 もりそば十割は920円(税込1,012円)、並でも量は多いです 。


        ウェルカム信州アクティビティ割,完売しました                          2023年2月16日 
 「【ウェルカム信州アクティビティ割】のリフト券販売終了について」、本日13:30にメールが受信されました。
 「ご好評につき、平日割、ファミリー割も予算上限に達したため、 リフト券すべての アクティビティ割対象チケットの販売を終了しました。 多くの皆様にご購入いただきまして誠にありがとうございました。 なお、購入済みのチケットは対象期間内でご利用いただけます。」
 「ご不明点等ございましたら以下にお問い合わせください。
  ■ウェルカム信州アクティビティ割についてのお問い合わせ
 アクティビティ割事務局(平日10:00~17:00
 電話:026-233-3140
 E-mail:dsnagano_winter@nta.co.jp
 特設サイトhttps://nagano-snow.jp/」
 アクティビティ割事務局の皆様方、ご苦労様でした。


        ウェルカム信州アクティビティ割                          2023年2月9日 
 Go NAGANO スマートパスは長野県観光機構が運営する デジタルチケット販売サイトです。
 ウェルカム信州アクティビティ割をはじめ長野県内の スキー場のリフト券を利用当日までネットで購入できます。
 車山観光協会とスキー場では、観光協会会員用の割引券を発行しているところですが、現在長野県の補助事業で、観光協会の割引券よりさらにお安い割引券 を県のホームページよりお客様が購入できるようになりました。    
 期間は令和5年3月13日(月)までですが、県の予算が余ればさらに3月末までの延長も検討されています。
  詳細情報
 
       とんかつイワシ料理が美味しい勝味庵定食       2023年1月23日 
 諏訪の地で40年の歴史を持つ「勝味庵」は、車山で同年に開業されたリゾートインを営むレア・メモリーと同じ年代で時を刻みます。
 現在の「勝味庵定食」は、豚ヒレのカツ、大き目な海老フライ、新鮮なイワシの刺身、そしてお代わりができるキャベツとしじみ汁など、時を重ねて進化し続けています。
 長野のSPFといった上質なブランド豚などを厳選し、もう一つの看板料理となるイワシ料理でも、築地・松本・甲府などの市場から毎日仕入れているため、とても新鮮で、その肉厚な食感と重なり、それに「旨味」が加わるため、食する度ごとに感心いたします。
 時間の経過とともに、特有の臭みが出るイワシだからこそ、鮮度にこだわり、使う分だけを毎日仕入れているようです。それは味わえば、直に食感に表れます。
 揚げたての膨らみが残るとんかつには、特製果実ソースをかけていただきますが、添えている新鮮なキャベツの千切りには、いつも、テーブル上にある特性ドレッシングを使わず、上品な香りの「特性のニンニクソース」で味わいます。口中に広がるふくよかな香りが際立ちます。

 SPFとはSpecific(特定の)・ Pathogen(病原体)・Free(無い)の略です。日本SPF豚協会が指定した病原体を持っていないと言う意味です。SPF養豚では、抗生物質を可能な限り制御し、ビタミンが豊富な専用飼料で育てます。日本では、SPF養豚が開始されてから、半世紀が経ちます。SPFポークは、風味豊かで保水性に富み、脂質にも豚肉特有の臭みがないため、勝味庵のように柔らかな肉質の良さを活かした料理が推奨されています。
       諏訪大社前宮の初詣       2023年1月1日 
 茅野市の諏訪大社上社前宮には、茅野駅から徒歩30分、タクシー10分です。
 初詣客数は、3万人以下ですから、駐車場は少し待機していれば空いてきます。
 諏訪大社前宮は最古の神社であり、諏訪大社発祥の地でもあります。諏訪の武士もこの地で育ちました。
 本殿で拝む方向に、御神体「守屋山」が、諏訪の平を一望しています。
 諏訪大社は、前宮以外は本殿を持たない、代わりに2つの宝殿が設けられています。
 前宮は、元は主祭神とその関係の深い神様を祀っている上社摂社でありましたから本殿を構えています。
 今では、諏訪の産業や商業の中心が北へ移ったこともあり、今は静かで寧ろ趣があります。
 上社の前宮と本宮、ならびに下社の秋宮と春宮の間は、徒歩で15分強ほどです。
 
       プロミネント車山高原ホテル       2022年11月21日 
    
 車山の今朝の初雪には、驚きました。
  東に明ける 蓼科山の 霜の上に、重ねて見える 今朝の初雪
 浅間山はほぼ冠雪しました。雪は空から降ってくる1ミリにも満たない氷の結晶です。着地するまでに、いくつもの結晶が結び付いて大きくなります。
   ホテルの朝食バイキングです。
 
 

       慈雲寺の気品漂う紅葉       2022年11月6日
 「慈雲寺」は、砥川の畔に万治3年(西暦1660年)建立された「万治の石仏」や、諏訪大社下社春宮に程近い、 中山道を挟んだ高台にあたり、千本桜で有名な水月公園の入り口にある気品漂う禅寺です。
  戦国時代に武田信玄により中興開基され、天桂玄長禅師が第7代住職となり、武田信玄の援助により境内が整備されました。 現在でも寺紋は武田菱です。
 杉並木の苔の参道に、木漏れ陽が差すと、鮮やかな緑の陰影が幽玄な光景となって映し出されます。
 天桂禅師お手植えとされる樹齢400年以上のアカマツ「天桂松」の太い主幹は、地上3mの高さ、6つに枝分かれし、東西に17m、南北に13mと生い茂り、その枝々が豊かに地上を覆う樹形は実に豪快です。 下諏訪町指定天然記念物です。
 本堂正面の広大な回遊式枯山水の石庭「帰錫庭(きしゃくてい)」は、神戸・祥福寺僧堂師家の河野太通老師による作庭、その施工は京都の京都の造園会社「植音」によるもの。 10個の巨石が配置されており、「釈迦十大弟子の庭」とも呼ばれ、修行のための地方伝道から戻るお釈迦様の弟子たちの孤高を、 四国の四万十川源流域の巨石を用いて陰影として現したものと伝えられています。
 本堂裏の庭園は武田信玄の命によるとも伝わり、大きな亀島の浮かぶ池泉鑑賞式庭園で、現在の姿に整えられたのは江戸時代後期の天保8年(1837年)と言われています。
 裏山には諏訪湖の湖水と数条の河川に囲まれた浮城、高島城を創建した豊臣秀吉の家臣、日根野織部正高吉の墓が現存しています。 日根野氏は、嫡男の吉明が継ぎ下野・壬生藩1万2千石として存続し、後に豊後府内藩2万石に加増移封されますが、吉明の世嗣吉雄が早世したため継嗣が無く、しかも家臣間で養嗣子相続の筋目騒動が重なり、明暦2年(1656年)、無嗣改易・断絶とります。
 大名日根野氏は断絶しましたが、家名は高吉の2男高継が、慶長7年(1602年)より徳川家康に仕え采地7000石の旗本になっており、また高吉の父、日根野弘就(ひろなり)の次男吉時と3男弘正がそれぞれ旗本として朱印を受けています。


        車山渓谷の紅葉!       2022年 10月17日

 奥横岳から昇る「有り明け」に、明かるく映える車山渓谷の紅葉も、ようやく燃え尽きようとしています。

 それでも夕暮れの空が薄曇りになっても、ところどころで、薄く紅を溶かしたような淡い日の光を透かして見せてくれます。

 ジョウビタキが飛来したようです。ジョウビタキの地鳴きから、10月になると車山高原では、秋の訪れを感じる愛鳥家が多い。積雪が少ない車山では、主に冬鳥として見られています。
 かつては、チベットから中国東北部あるいはロシア南東部の沿海州で繁殖し、厳冬期になると日本などに渡って来ます。総距離が 800kmを超える日本海を、一気に渡る『日本海ルート』が観測されています。積雪の少ない平地から低山の農耕地や、住宅地、公園、河原などで越冬します。
 近年、本州中部の高原地帯の春に、繁殖するものも出てきています。車山高原でも、ジョウビタキは 留鳥化しています。国内での繁殖地が拡大しています。韓国では留鳥です。その営巣は、開けた林 間の別荘やペンションなどが散在する環境下、その軒下や換気扇フード、物置小屋などの構造物に 架けられていました。

 ジョウビタキは人を恐れないため、前庭のリョウブの「花のあと」をとどめる梢で、出逢える「可憐な小鳥」です。


         全国旅行割 最新情報!10月11日開始予定!       2022年 9月27日
 全国旅行割とは、政府の財政支援を受けて各都道府県が実施している「県民割」の全国版のことです。
 連休や年末年始など、繁忙期は対象外となる可能性もあります。
 また、全国旅行割(全国旅行支援)は各都道府県ごとに実施されるため、利用条件が若干異なります。
 現在実施中の県民割(地域観光事業支援)については10月10日宿泊分(10月11日チェックアウト分)まで延長すると発表されました。
 令和4年10⽉11⽇(⽕)から令和4年12⽉20⽇(⽕)宿泊・催⾏分までです。
 宿泊料金に対しての割引支援が中心で、飛行機や新幹線を使い、旅行客が少ない平日に旅行をすると補助額が上乗せされます。
 旅行中に使える交通クーポン券1,000円の他、1人1泊あたりの補助額は、平日旅行で宿泊代の40%+観光クーポン3,000円となります。

 全国旅行割の条件は、「ワクチン接種歴3回」、または「PCR検査等の陰性結果」などの提示です。

          ヤマホタルブクロ 7月中旬~8月と花期は長い)        2022年 8月17日
 ホタルブクロ(蛍袋)は、車山高原では林縁や遊歩道沿いに咲きますが、なぜか心惹かれる花です。北海道から九州にまで分布している多年草で、丈夫で育てやすいためか、庭植えや鉢植え、さらに盆栽と多様な育て方で楽しまれています。
 下向きの釣り鐘姿がゆかしい花ですが、環境に対して適応性が高く、丈夫で育てやすい生命力漲る植物です。英語では「ベルフラワーbellflower」と呼びます。
 特にヤマホタルブクロは、近畿地方から北海道にかけて分布している亜高山帯の植物です。車山高原では、草丈はせいぜい40~60cmほどで、花は5cm前後とやや大きめです。ホタルブクロとの違いは、萼の裂片の間に反曲する附属体がなく、しかも毛が多いこと以外では、ほとんど変わりありません。
 ホタルブクロの変種は、山地に多く、しかも環境適応性が高いため、その目立つ美しい花は意外と生息地が広いのです。ただ、車山高原では、ヤマホタルブクロだけが育っているようです。
 花の咲く時季が、蛍が舞う季節と重なるためか、子供たちはホタルブクロでホタルを包んで、その美しい輝きをお互いに見比べて楽しんいたことが、その名の由来と言われています。貝原益軒は、「螢火。ホは火なり、タルは垂なり(ホタルとは火が垂れるという意味)」と説く。
 提灯の古い呼び名は「火垂る(ほたる)」です。蛍の光を、炎としてとらえて、それが上から下に垂れているということですね。
 群生することもなく、しかし高原や林辺でよく見かけられるのは、地下茎を伸ばして増え、花を咲かせた後は種と子株を多く残すことで繁殖領域を広げます。
 若芽や若葉は食用にでき、食卓に春の訪れを告げます。車山高原のような寒冷地では、5月ごろに若芽や若葉を採集します。根出葉は、初夏の開花期のものと形が違うので注意が必要です。花は開花期の7月頃に首の部分から採集します。
 若芽や若葉は、柔らかいものを茎先で摘みます。茎を折ると、通常、白い乳液が出ます。若芽や若葉は、天ぷら・和え物・炒め物など、花は、酢の物・サラダ・お吸い物などに添えて楽しみます。
 ただ心形(しんけい)の若葉には苦味があるので、天ぷらにする以外は、1%の塩を入れた熱湯でほどよく茹でて、流水にさらしてアク抜きをします。元々苦味のない花の方は、湯通しすると少しぬめりが出て、かえって美味しく食べられます。

          天狗岳は北八ヶ岳の主座に当たります。        2022年 8月12日
 西天狗岳は北八ヶ岳の最高峰で、標高2,646mです。北八ヶ岳は、北の蓼科山への登山口大河原峠から、連峰を南北に分ける夏沢峠(八ヶ岳縦走路の要所、南の硫黄岳への登り口)まで、その原生林が育んだ常緑に見映える500種類に及ぶ苔の絨毯の豪華な美しさに感動させられます。
 南八ヶ岳にある標高2,899mの赤岳は八ヶ岳連峰の最高峰で、長野県茅野市・南佐久郡南牧村・山梨県北杜市との境に位置しています。
 レア・メモリーから眺望される、その山名の由来となった赤茶色の山肌は、朝日と夕日に茜色染まり、時の流れや季節の移ろいにより様々な美しい表情が望まれます。
 天狗岳は東西二峰からなり、東天狗岳にある天狗岩と呼ぶ岩塔を天狗の鼻に見立てて山名としたようです。東天狗岳は、長野県の茅野市と南佐久郡小海町の境に位置しています。レア・メモリーからは八ケ岳北端の蓼科山が真東にあたります。東南にあたる八ヶ岳縦走路上にある東天狗岳は、男性的にそびえていますが、縦走路から外れた2,646mの西天狗岳は、二等三角点(地球上の位置、緯度・経度・標高などの基準が正確に求められている)をもち、その山容はずんぐりとしており、西尾根から日帰り入浴もできる唐沢鉱泉へと下れます。また、北側の黒百合平との間にある天狗ノ奥庭は、摺鉢池をはじめ点在するいくつかの小池とハイマツやコケモモ、そして釣鐘形の、赤みが少ない白に近い花ミネズオウが上を向いて咲いています。黒百合ヒュッテからは、摺鉢池のある台地が見上げられ、その摺鉢池から東西天狗岳の全景が広がります。
 「西天狗岳」、「東天狗岳」と呼ばれ、対照的な特徴を現します。西天狗岳は丸みを帯びたピークで、ハイマツが茂り「青天狗」と称されます。一方で東天狗岳は、岩がむき出した山肌から「赤天狗」と呼ばれます。
 東天狗岳にある「天狗の鼻」は天狗の鼻のように飛び出た岩です。この屹立する岩塔が、天狗の横顔を彷彿とさせることから、山名が付いたと考えられています。
 佐久側に東壁と呼ばれる大断崖をもつ東天狗岳の山頂は、ごつごつとした岩場です。そこも八ヶ岳縦走路の要衝です。その展望は、硫黄岳の火口壁や、北アルプスをはじめ北八ヶ岳の山と森のうねりなど、太古の眠りそのままに望見することができます。また、周囲には北八ヶ岳の最南端にあたる根石岳(ねいしだけ)、箕冠山(みかぶりやま)、稲子岳(いなこたけ)があります。東天狗岳と根石岳の鞍部は、白い砂に緑のハイマツが映える広々とした所で、南東に「白砂新道」が本沢温泉へ延びています。
 八ヶ岳の硫黄岳直下に湧く本沢温泉に、1882年(明治15年)山小屋を創業した原田豊三郎は、この街道の要所に宿があれば往来する旅人や商人の助けになると考え、また硫黄岳爆裂火口の湯川に湧く温泉を開拓すれば佐久の町から湯治客も呼べるのではと思い、八ヶ岳で初となる宿を本沢に構えました。
 二代目の頃には湯治の棟も構え、徐々に温泉のある宿は好評となり往来の旅人や湯治客で賑わいました。
 白砂新道は、本沢温泉からの針葉樹林帯の単調な登りで、特に難所はありません。針葉樹林帯を抜けるとダケカンバの林になり、しばらくすると根石岳と東天狗岳との乗越に到着します。

          今、リョウブの花穂の天婦羅が美味しいです        2022年 8月3日
 北海道南部から九州までの山間に見られるリョウブ科の落葉樹です。「リョウブ」という名の由来は、かつて救荒植物として採取と貯蔵が「令法」で定められたことから「リョウブ」と名付けられました。
 若葉が食用となるため、飢饉に備えたのです。令法の正しい読み方は「りょうぶ」になります。いわゆる熟字訓(じゅくじくん)です。 別名の「ハタツモリ(畑積り)」もこれに関連し、事前に収穫量を見積もって畑に植えられたことに由来します。
 車山周辺では、カシガリ山の山頂や八島ヶ原湿原から鷲ヶ峰に登る山道「リョウブ坂」に自生しています。日当たりを好みますが、日照が強すぎる場所ではかえって育ちが悪いようです。 
 4~5月の枝先の若芽が食用になります。生えぎわから摘み取ります。車山では、6月ごろに採取しても柔らかく、生でも食べられます。また夏から秋までの花と実も食用となります。 その若菜は、「木の芽」と呼ばれるサンショウ同様にアクがなく、生のまま食べることができます。
 新芽や若葉を下ごしらえし、薄口醤油やみりんで味付けすれば簡単な「箸休め」にもなります。一般的には、若葉や花穂をまるごと天婦羅にして食べたり、湯通し後に乾燥させたものを、御飯や団子に混ぜて食べたりします。
 (律令国家とは、非常に簡潔に言えば、「律」と「令」と呼ばれる法によって国を統治する制度・仕組みのことです。「律」は概ね現代で言う刑法、「令」はそれ以外の行政法・商法・民法にあたる法律等を指し、更にその律令の不足分を補う改正法である「格」、そしてそれらの施行細則と言える「式」も合わせて大きな法体系を築いた。)
          レア・メモリーの庭のウバユリ        2022年 8月2日
 ウバユリは多年草で、種子から発芽して6~8年目にようやく開花します。開花した個体はその後枯死します。
 その生涯は、多年草ですから長寿命にも関わらず、生涯に一度だけ繁殖を行い死んでいく典型的な1回繁殖型の植物です。 葉は20cm前後あり葉柄も長く厚めです。車山での花期は、7~8月に長く屹立する120cmほどの花茎を伸ばし、その上部に横向きの、それぞれが異なる3方向に3から5個ほどの花を付けます。薄い緑白色の10数cmの長い花びらです。
 花が咲くとき、しばしば下部の形のよい10枚ほど互生する葉が枯れて薄茶色に染まり、そこからまっすぐに背筋を伸ばして咲く白味を帯びる花の姿は、老いても美しい気品を漂わせる貴婦人のようです。
 果実、その楕円形の植物体がある程度成長すると母鱗茎の基部に、数個の娘鱗茎を作ります。開花・結実した親個体が枯死すると、親株から分離して、独自に幼植物を形成する栄養生殖を行います。
 親株から簡単にはずれる娘鱗茎は大きいので、次世代を種子から成長させるより遥かに効率性が良いことになります。
 他のユリと同様に根の部分、鱗茎の部分を食べます。採取時期は10月から翌年5月頃です。鱗茎は花が咲く頃には小さくなっていますから、翌年の春になって芽出しの頃に根元から掘り起こし採取します。
 鱗茎は水から茹でます。茹で上がりに、煮出汁で煮詰めて味を調えます。簡単に鱗片を1枚ずつ外して茹で、酢の物、和え物にもします。縄文人などの古代の人々は、鹿の髄液などで煮て食べたのでしょうか?
          レア・メモリーの庭のスグリ        2022年 7月24日
 スグリには、さまざまな種類があり、ヨーロッパから西アジアに広く分布しているセイヨウスグリは1~3m程度の落葉低木です。
  冷涼なレア・メモリーの庭のスグリは、ブドウの房のように密集して実ります。
 このため日本では赤スグリという名前のほかに、フサスグリと呼ばれることもあります。
 1~1.5mほどの落葉低木ですから収穫は容易です。
 特に甘味が特徴の高原野菜のサラダと、フサスグリの淡い酸味との相性がいいようです。
 
          車山高原の梅雨時の花、コバイケイソウ        2021年 6月19日
 遊歩道を 車山山頂へ向って歩きます。   
 左側に下る斜面に、白い花のコバイケイソウの小群落、前方の山頂に上る斜面にはヤマドリゼンマイが、遠目にもまぶしく緑野を展開しています。    
 ズミの白い花は、一部の木々で咲き出しています。
 ウグイスの囀りが頻り、そこに割り込むカッコウの鳴き声、時々木魂するキジのオスの「ケッケーン」という甲高い声!    
 ドドドドッと、羽を打ち付ける「ほろ打ち」だけは止めてほしい。    
 今年は、車山湿原の湧水地のコバイケイソウは、期待できるでしょうか。明日、出かけてきます。

          車山高原の秋景色!        2020年10月18日
 秋が深まるとメジロがレア・メモリーの前庭のアケビの実を食べに来る!アオゲラが真っ赤に染まったツタの実を頻りについばむ!  八ヶ岳・北横岳から昇る朝陽が、霧ヶ峰のススキ野の果てに、甲斐駒ヶ岳と、貴婦人こと仙丈ケ岳の影を浮かび上がらせます!
 
         美しい八島ヶ原湿原の紅葉!        2020年10 月14日

 八島湿原一帯が秋色に染まります。

 八島ヶ池周辺の多くのミズナラの木々も色づき、モミジの赤とマユミの紅色が鮮やか。

 遠く沢渡まで、湿原全体が草紅葉!

 秋の風にゆれるススキの穂が西日を浴びて銀色に波立ちます。

 木道沿いのリンドウの青紫色の花が目立ちます。
 
         長野県内各スキー場のシーズン券が当たる!        2020年2月18日
 2/17〜2/24の期間中に車山高原SKYPARKスキー場や長野県内のスキー場でリフト券を購入されたお客様の中から抽選で、10名様に長野県全スキー場共通リフトシーズン券が当たります‼️
 対象期間中に、長野県内のスキー場で対象となるリフト券をご購入いただいた方に応募用紙が1枚差し上げられます。
 リフト1回券を除く、すべてのリフト券が対象となります。
 シーズン券や2日券などの複数日券を購入された場合、ご来場1日ごとに、応募用紙を1枚差し上げられます。
 必要事項をご記入の上、スキー場に設置されている応募箱からご応募ください。
 
         車山高原SKYPARKスキー場、レンタルのお問い合わせ        2020年1月23日
スカイゲート TEL:0266-68-2723  webから予約もできます!⇒http://www.xraeb.co.jp/rental7/ SKYGATEレンタル リニューアル
  選べる交換可能なレンタル!!  ゲレンデがもっと楽しくなるレンタル、レンタルの常識を打ち破るブランドバイキング登場!
  ブランドバイキングでは、世界各国の有名ブランドを種類多く取り揃えております。 また、ショッピング感覚でスキーやスノーボードを自分で選ぶ事ができ、試乗会感覚で乗り換えも自由です。
 更にプレミアムなギアも同一価格!!
 ゲレンデをもっと楽しむ事ができるレンタルを是非お試しください。
 
         佐久市の天船 の「駒月みそかつ丼」        2019年12月13日
 天船では、地元で醸した雁喰味噌(がんくいみそ)を使用した「駒月みそかつ丼」が賞味できます。蓼科山に源を発する鹿曲川が佐久市の望月町を貫流し千曲川に注ぐ清流の里、その山間に育まれた雁喰豆(黒平豆)ベースの味噌かつと、信州下伊那郡喬木村の自然豊かな農村で飼育されているブランドの「くりん豚」の良質な肉の旨味が味わえます。
  「駒月みそかつ丼」は、地元の女性グループが作った雁喰豆の味噌を混ぜ合わせた、天船オリジナルの味噌ソースを使用しており、ロースとヒレの2種類があります。
 ライスの五郎兵衛米は、味で魚沼産コシヒカリを凌ぐと言われる佐久市のごく限られた地域だけで作られているお米です。その歴史は、徳川家光の時代に市川五郎兵衛が灌漑によって水田を作り上げたことに始まります。 
 佐久市産そば粉による信濃御膳、そば寿司セット、「駒月みそかつ丼」などがあります。
 
        老舗中の老舗の「太養パン」は、グルメ向きのパン屋さんです        2019年12月9日
 今話題の「野じゃが菜パン」は、午前中10::00頃には売り切れます。
  諏訪市末広で創業105年を迎える、手作り焼き立てパンのお店「太養パン」 。
 「太養パン」本店のテラスでは、初夏になると木香バラの花で彩られます。
 本店以外に、 「諏訪湖SA(サービスエリア) 下り店」と「レイクウォーク岡谷1Fアピタ店」、 そして「角上魚類上諏訪店」があります。
 創業105年、地元からもっとも愛される老舗パンやさんです。
 じっくり時間をかけて発酵する素地はなんと18時間。 霧ヶ峰の伏流水、自家製培養天然酵母と長時間発酵、 仕上げは、ドイツ製ミキサーとオーブン蒸気による焼成です。 その焼きたての香り漂うお店です。
 写真では遠いため分りにくいのですが、レジの方は若く美しいだけでなく、フレンドリーな会話ができて楽しい思い出になりました。

 「太養パン」本店のすごさは、朝は6時から店頭で焼き立てパンを、ドンドン売り出すことです。近所の方がうらやましい!.
 今度は、、作り立ての「野じゃが菜パン」を食べながら、諏訪湖の東南に浮かぶ富士山を眺めては、八ヶ岳の天狗岳から浮上する朝陽を浴び、贅沢な散策をしたいと心底思いました。
 「太養パン店上諏訪本店」 長野県諏訪市末広12-2  TEL 0266-58-0982
 
            蜂は冬の間どうしているの?            2019年11月24日
 蜂たちのほとんどは、冬になると姿を消します。夏の間に作られた巣の大方は、冬にはもぬけの殻、あれだけいた蜂は一体どこへいってしまったのでしょうか。
 実は、蜂のほとんどは冬を超えることができず、秋の終わりには死に絶えています。蜂に限らず虫全般にいえることで、気温が低くなるにつれ蜂たちの活動は急速に衰えてきます。
  スズメバチ科のアシナガバチの巣の規模や、群れの数こそ、スズメバチに敵いませんが、スズメバチの仲間なので、スズメバチと同じような一生をたどります。
 冬の直前に羽化した成虫であっても、初冬の寒さに耐えられずに全滅します。

  ミツバチの群れは越冬して春を迎えることができます。スズメバチやアシナガバチは肉食性なので、エサをため込んでおくことができません。ミツバチは食料である花の蜜を「ハチミツ」というかたちで巣に蓄えます。
 ミツバチは群れ全体で寄り集まって塊になる「蜂球(ほうきゅう)」を作ります。互いの体を密着させ、羽を震わせて熱を生み出し、その熱が外に逃げないよう蜂球の内部に閉じ込めることで、巣の温度を一定に保つという防寒対策です。これで、ミツバチは冬の厳寒にも耐えるのです。
 そのミツバチは、冬でも栄養が欠かせません。巣に貯めた蜜を食べます。養蜂家が蜜を回収した代わりに、砂糖のキャンディや砂糖水を置いておくのです。
 寒い時期になるとエネルギーの節約のために女王蜂は卵を産みません。働き蜂の寿命は、羽化してから数か月程度と長いので、冬の間も群れは維持されます。
 冬を越えることができないスズメバチとアシナガバチですが、それはあくまで働き蜂の話です。群れのなかのほんのわずかにですが、越冬する蜂がいます。それが女王蜂の「候補」たちです。
  単生バチは、ミツバチのように巣を作らず、マルハナバチのようにコロニーの一員になることはありません。体の小さな単生ハチは、冬の間は穴倉や洞窟の中で過ごします。春一番、最初に現れるのがマルハナバチです。
 
            高島公園の晩秋            2019年11月10日
 浮城と云われた高島城蹟の公園の銀杏と欅の黄葉、そして桜の紅葉など、さまざまな木々がさまざまに色付き、その鮮やかで美しい光景に魅了されます。
 諏訪湖には多くの野鳥が集います。
 カモやゴイサギ、トンビなど、中でもかわいいのはカルガモたち、高島城蹟の心字池にも、カルガモが数羽ずつ群れをつくり、こまめに泳いでいます。
 背景には、桂の巨木の黄葉と天守閣が望まれます。
 
            海鮮蔵「魚魚魚」 松本流通団地店で昼食            2019年9月30日
 「季節の海鮮丼」(1,350円+税)をいただきました。
 鮮度に『ぎょ』、ボリュームに『ぎょ』、価格に『ぎょ』」の3つの『ぎょ』が店名の由来であり、コンセプトです。
 新鮮な海鮮尽くしのレストランです。金沢や新潟の村上岩船港などから直送される魚介類です。「岩船漁協」直営の岩船港鮮魚センターでは、水揚げされたばかりの旬の魚を漁師食堂で食べることができます。新鮮な魚料理が格安で食べられます。
  「魚魚魚」でも、西源グループの直営店ですから、その日の朝に水揚げされたばかりの海鮮を調理することができるのです。
 珍しい日本海の地魚などは、「本日のおすすめ」で提供してくれます。
  「季節の海鮮丼」では、鰤の厚い大きな刺身が何枚も、どんぶりからはみ出しています。中型の海老を持ち上げると、ネギトロで立たせてあったのです。鮮度がいいこともあってカンパチは、実にいい歯ごたえ、カニの爪も、玉子焼きも隠れていて、まさにご馳走どんぶりでした。具材は豊富、銀杏入りの茶碗蒸し・サラダ・薄味の美味しい味噌汁も付いていました。
 
           姨捨の棚田            2019年9月27日
 冠着山は、長野県中北部、千曲市と東筑摩郡の境界にある山、標高1,252m、姨捨山伝説があります。
 「姨捨伝説」の舞台となった姨捨山は、冠着山の別名です。
 平安時代から月の名所として知られ、東山道や善光寺街道を歩いた多くの旅人がその光景を詠んでいます。
  「古今和歌集」(905年)に
 「我が心 なぐさめかねつ さらしなや 姨捨山に 照る月をみて」
  姨捨の棚田は、「棚田」として全国で初めて国の名勝に指定され 日本の棚田100選にも選ばれています。
 夜は千曲市から長野市へと広がる善光寺平の夜景を撮影できる絶景スポットとしても知られています。
 付近にある長楽寺というお寺には松尾芭蕉ほか多くの俳人の句碑があることからもわかるように、中秋の名月の夜には多くの月見客が訪れるそうです。
 境内にある「姨石(姨岩)」は、高さ約15 m、幅約25 m、奥行約25 mあり、頂上からは長野盆地を一望でき、月の眺めも格別です。眼下は、善光寺平の南端にあたる千曲市の戸倉上山田温泉と「あんずの里」で有名な倉科や、全長約100mの前方後円墳がある森地区です。その標高490mに立つと、千曲川の流域から古代の「もののふ」達の雄叫びが聞こえてきます。
 三面鏡みたいに隣り合う田んぼが傾いていない限り、田毎に月が同時に見えることに限界があります。月の位置は変化するわけですから、月に合わせて歩いて移動すれば、月が映る田毎も移り変わります。
  姨捨の棚田からは、戸隠連峰や飯縄山がよく見え、遠く妙高や黒姫山・斑尾山などの北信五岳の山々が一望できます。
 
          八島ヶ原湿原のアキノウナギツカミ(秋の鰻掴み)            2019年9月20日
 秋の寒空の下、八島ヶ原湿原の木道沿いに、可憐な花を咲かせるタデ科の植物を見つけました。
 その名も、アキノウナギツカミ(秋の鰻攫)、コンペイトウ形の淡紅色の花序をつけて群生する一年草です。
 葉や茎に細かく柔らかなトゲがたくさん生えていて、ぬるぬるしたウナギをつかむことができる、ということが名前の由来です。
 ウナギツカミと名のつく同属の植物は何種かあるのですが、アキノウナギツカミはそのなかでもっともよく見られる種です。
 小川の畔や田畑など湿った場所を好み、美しい可憐な花なので、今の季節では、野の花同士、リンドウに添えて仏花として供えます。
 
          安曇野の「大王わさび農場」            2019年9月13日
 信州安曇野に広がる日本一のわさび園、「大王わさび農場」に行ってきました。
 何年振りか、久しぶりなので実に新鮮に感動しました。
  開拓100年を迎えた世界最大(15ha)のわさび田や、北アルプスの雪解け水が湧水となって流れる蓼川に回る三連の水車は、黒澤明監督の映画『夢』の舞台となったほどです。
 「大王わさび農場」は、安曇野の開拓者が自ら描く理想郷を実現した風景が広がっているのです。
 わさびソフトクリームやわさびビール、そして信州そばに安曇野わさびなど、様々なわさび料理が楽しめる敷地内を、無料で散策できる安曇野の一大観光スポットにもなったのです。
 
         新蕎麦の花が美しい車山山麓            2019年9月9日

 信州の八ヶ岳と車山の山麓は、標高が高く、その昼夜の寒暖差により、甘みのある美味しい蕎麦を実らせる気候と風土が再評価され始めています。
 車山山麓は、美味しい湧水と地下水を豊富に溜め込んでいます。その清水で打ったお蕎麦は、おいしい手打ちそばとなります。
 八ヶ岳西麓から諏訪方面にかけては、蓼科や車山、白樺湖、霧ヶ峰、諏訪湖といった景勝地が連なる高原のリゾート地です。
 新宿から特急あずさで120分、標高770m〜2,899m、約,2000mの標高差が生み出す多様性に富んだ高原は、徐々に蕎麦の栽培面積を広げています。
 今この季節、蕎麦の耕作地の拡大により、「新蕎麦」の白い花々が、八ヶ岳西麓の農村風景の主役を見事に演じて見せています。 車山高原は、真夏の東京の猛烈な残暑から、暫し逃れることのできる避暑地です。
 
         車山高原ニッコウキスゲ、今の様子             2019年7月24日
 断続的な雨天が続き、晴れ間が続かない日々です。でも、意外に霧の発生は少ない!
 なぜか晴れていないのに早朝には、富士山が見られる日も少なくありません。
 車山高原中腹ではニッコウキスゲが満開を迎えています!
  これから山頂方面にかけてまだまだ見ごろは続きそう!!
 7月下旬ころまで充分楽しめるでしょう。
 梅雨明けも間近のようです。これからがいよいよ夏本番の車山高原です!
 写真のニッコウキスゲは、早朝の雨上がりに、レア・メモリーの庭で撮りました。
 
         風味豊かな車山高原の山菜の天ぷら             2019年7月9日
 車山高原は、3月下旬ころからフキノトウが採れるようになります。早速、天ぷらにして食べますが、6月下旬から7月上旬の今頃でしたら、ヤマフキとワラビが採れます。
  ヤマフキは香りと歯応え、ワラビは、簡単にあく抜きができ、シャキシャキとした食感と独特な「ぬめり」がよい!
  ヤマフキ(ミズフキ・沢フキ)は、沢筋だけに自生する希少で高級なフキです。
 一時的に雨脚が止まった昼近く、前庭の山菜を集めました。
  ヤマフキ・ヤマブドウ・フジやアケビの新芽・ヤマウド・アザミ・ナンテンハギ・イタドリ、タラノメも僅かですが採れました。 種類が豊富な、豪華な山菜の天ぷらでした。
 
        車山高原、一輪のニッコウキスゲ             2019年7月2日
 レア・メモリーの庭に咲いた一輪のニッコウキスゲです。瑞々しい黄色が美しい!
 青天の日が少ないせいか、今年の車山高原は涼しい日々が続きます。 例年より開花が遅れているようです。
  今年、車山山麓で一番早く見頃を迎えるのは、車山の東斜面、南斜面の富士見台、それとも西斜面の車山肩か? 現段階では、予想が付きません。
 近年、霧ヶ峰園地のニッコウキスゲも、随分と回復しつつあります。期待をしています。
 
 レンゲツツジも激しい雨にたたかれることがなかったため、いつまでも朱色の花の大群落が堪能できました。
 
        白樺湖,新緑の中のヘラ釣り             2019年6月4日
 白樺湖周辺の新緑の木立から、爽やかな薫風が流れてきます。 シラカバとミズナラ、そしてカラマツの新葉が、青天下で眩しく輝いています。
 白樺湖から車山の山頂へ向かい、緑野を広げていきます。
 コナシの白い花とヤマブキの黄色い花、もうそろそろラショモンガズラの紫の花も盛りが過ぎてきます。
 もう直ぐです。レンゲツツジの朱色の花が、白樺湖周辺を彩り始めます。
 パラソル風の笠を被る釣り人の近くで泳ぐヘラブナを目視しました。
 ヘラブナも桟橋を設置し、放流の成果も出てきているようです。
長竿での底釣りが主体となります。桟橋からは18尺できれいに底がとれるという。
 
        高島城蹟、春の庭の風景            2019年5月20日
 高島城跡の樹齢130年を越える藤棚は、美しく流れる薄紫の花々から爽やかな香りが漂います。
 心字池から立ち上がるフジは、見事な立木仕立て、獅子頭が舞うようです。
 ツツジも満開でした。特に池をめぐる白いツツジが印象的で、仄かな香りに気づかされました。
 高島城跡のモミジの春の芽吹き、その新葉は実に美しく、青モミジや紅モミジ、あわせて春モミジと称えられます。
 若楓とか青楓の季語がありますが、夏の青葉、秋の紅葉と季節ごとに表情を変えます。
 
        春の、レア・メモリーの庭の風景            2019年5月19日
 現在、車山高原レア・メモリーの庭では、ニリンソウ・アケビ・ヤマザクラ・ムラサキケマン・ショウジョウバカマやキジムシロが可憐な花を咲かせています。
 春先の花は、新緑のカラマツやシラカバンの陽射しに遮られないような、明るい草原に小さい花を開花させます。
 そのなかで、オオウバユリの堂々とした若葉が、その葉脈のせいもあって目立ちます。
  山菜もフキノトウの茎が伸びたと気が付きましたら、ヤマウドとタラノメ、ヤマブドウの若芽が栄養たっぷりに膨らみ、コゴミがゼンマイのように、しっかり巻いた太い若芽を数本ずつ出し始めました。
 
       レア・メモリーの前庭のタカネザクラ            2019年5月10日
 レア・メモリーの前庭のタカネザクラは、5mくらいの樹高があります。 
  ダケカンバと同様に多雪にも耐え、車山で最も遅く咲く桜です。  
 やがて、ジョウビタキがサクランボを食べに、毎日、何度も通ってくるでしょう。
 車山湿原のタカネザクラも、そろそろ見頃となります。
  枯れたように見えたミヤコザサの葉も、だいぶ緑を濃くし始めています。
 オオカメノキ(大亀の木)も、両性花を取り囲むようにして白い装飾花をつけています。 素朴に見えて、見つめてみれば、清純な美しさを感じさせます。
  秋のはじめにはヌルデのように、濃い紅色に染まります。
 
        信州の新緑風景            2019年5月9日
 白樺が群生する車山高原、向かい合うように眺められる南アルプスの仙丈ケ岳・甲斐駒ヶ岳・鳳凰三山、そして諏訪大社の御神体、神奈備山の守屋山も美しいしい!
  白樺林の中に迷い込み、ゆっくりと散策するゆとり、諏訪の平を銀色の雲海で覆う幻想的な光景、途中での、美しい渓流や小さな瀬と淵との出合い!
 信州の中央高原を巡るビーナスラインは、白樺林だけでなく、美しいカラマツ林が広がります。展望が広がる車窓から流れる春の風に、草原の香りが感じられます。
 蓼科・天狗岳・赤岳、そして清涼な気が漂う阿弥陀岳と、5mほどの高さの小さな滝、豊かな水量と緑の渓流、新緑が萌える原生林が茂る地上を、厚く覆う苔や緑の岩々なども美しい!都心から約3時間半というアクセスも魅力です。
 
        車山は、今が早春です            2019年4月21日
 濃紺色・白色・赤色の派手な装いのアカゲラが、芽吹き前のコナシの幹に、縦に止まり長い嘴で盛んに突っついています。
  後頭部が赤色なのでオスでしょう。
  今日、ウグイスの初鳴きが聞こえました。
 「ホーホケキョ」と鳴くのは早春からということになりますから、車山高原に漸く遅い春が訪れたのです。
  秋冬には、山を下って「チャッ チャッ」と囀ります。
  今聞こえる「ホーホケキョ」はずいぶんとか細く、しかも下手くそです。
  ホーは吸う息、ホケキョは吐く息、胸をいっぱい膨らませて囀りなさい、と教えてあげたいくらいです。 車山高原では、「ホーホケキョ」は春先から盛夏まで聞くことができます。
 昨日、前庭でフキノトウの花が咲きました。 早朝、見回ると、鹿が食べた跡が残っているだけです。
 
         高島城址の桜がそろそろ見頃            2019年4月17日
 高島城の本丸址の公園に、最初に咲く馬酔木(あせび)は、今年は3月17日に純白の花を咲かせました。
 3月の末の頃になると黄色いサンシュユが花を咲かせ始めました。
 そろそろ、ソメイヨシノを中心にカンヒザクラ、シダレザクラ、ヒガンザクラ、ヤエザクラ、オカメザクラなど約90本の桜が次々と咲き競います。
 本丸の表門にあたる冠木門にかかる冠木橋(かぶきばし)から眺める桜と新緑の柳と天守閣が、堀の水面に美しく映えています。
 本丸址の東側の歩道橋辺りのシダレザクラの大木は、満開でした。
 多くの人がその下に立って、写真を撮ってもらいました。
 今週末の4/20には見頃を迎えるでしょう。
 
         アクがない山菜,「ノカンゾウ」            2019年4月4日
 車山高原や霧が峰に群生するニッコウキスゲは、有名です。  
 人里で普通に見られるキスゲの仲間がノカンゾウ(野萱草)とヤブカンゾウ(藪萱草)です。
 ノカンゾウは、田圃の畦など湿り気のあるところに、この季節、「諏訪の平」では普通見られますが、畦地では平気で刈られています。
  アクがないので、私は山菜として食べています。
 春の若芽や葉は和え物、お浸しなど、花は一輪ごとに天ぷらか、花びら一つずつをスープの浮実にします。  
 『和名類聚抄』には「一名、忘憂」とあり、身につけると憂いを忘れる、「忘れ草」とも呼びます。
 万葉集に  我が下紐(したひも)に、付けたれど、醜(しこ)の醜草(しこくさ)、言(こと)にしありけり  
  (あなたを忘れようと「忘れ草」を下帯に着けましたけど、あなたへ思いは募るばかりです。まったく役に立たない「いやな草」、忘れ草とは名前ばかりではないですか。)  
 大伴家持が、数年離れていた坂上大嬢(さかのうえのだいじょう)に、再会した時に贈った歌です。
 
         フキノトウのかき揚げの天ぷら            2019年3月28日
 レア・メモリーの裏庭で、フキノトウを収穫!!
 今日、裏庭で、旬のフキノトウを20本位採りました。かき揚げの天ぷらにしました。
 フキノトウの風味を味わうなら、さっと茹でる「おひたし」です。大根おろしと和えて、醤油よりもポン酢との相性がよい!
 オリーブオイルを主体とするパスタ料理に、あく抜きのため茹でておいたフキノトウを入れると、香りが一段とたち意外に合います。
  「甘味」、「塩味」、「酸味」、「苦味」、「うま味」は基本5味と呼ばれます。これは、食品に含まれる化学分子に対する味覚です。
 おおよそ、「甘味」はエネルギー源である糖、「うま味」はたんぱく質、「塩味」はミネラル、「酸味」は有機酸との化学反応で感知します。
 「甘味」、「塩味」、「うま味」は人体に必須な栄養素の存在を知らせるシグナルです。「酸味」は腐敗のシグナル、「苦味」は多くの毒物のシグナル、そのため、酸味と苦味は不快と感じ本能的に避けます。ただ、人類はそのリスクを調理法による工夫で回避して来ました。
 
         高島城、サンシュユの黄金色の花            2019年3月27日
 サンシュユは、葉がつく前に、樹木全体が、鮮やかな黄色の花に包まれることから、 春黄金花(はるこがねばな)ともいい、 早春を代表する花木の一つです。
  花は黄色い小花が30個ほど集まり、直径2~3cmほどの、ほぼ同じ長さの小さな花を、多数密集させて咲かせます。
  「さんしゅゆ」は、中国名「山茱萸」の音読みだそうです。
 茱萸はグミのことで、秋にはグミのような実がなります。
  深紅に染まる紅葉とともに、 サンゴのような、つややかな赤い実が楽しめます。
 「サンシュユ」は、和名では、「アキサンゴ」とも呼ばれています。
 宮崎県の民謡「稗つき節」で「庭のサンシュウの木・・・・」と唄いますが、「山椒の木」が訛ったものだそうです。
 
         高島城で最初に咲く馬酔木(あせび)            2019年3月17日
 ツツジ科の常緑低木で、早春に多数の白い壺形の花を総状に咲かせます。
 スズランに似た小さな花の固まりを、枝いっぱいにたわわに咲かせるます。
 スズランと同じで有毒です。アセビは毒性を持つために、動物や昆虫に害されず、栽培が容易な庭木として重宝されている。
 「馬酔木」は、葉や茎には、有毒のアセトポキシンが含まれているため、馬がこの葉を食べると脚がしびれて動けなくなることにより、この字があてられた。
 葉を煎じたものは、殺虫剤としても使われている。
 アセビは、鹿も敬遠するため、箱根の大観山から眺望すると、鹿の食害から免れて残るアセビ山となっています。
 
         車山高原の美しい樹氷            2019年3月16日

 寒天の朝陽は、八ヶ岳の茶臼山と縞枯山の山稜にあって眩しい!
 空気が凍り、カラマツ林に、木花が咲き揃います。
 車山の山頂から、吹き降ろす冬の山風が、霧氷を付着させながら樹氷を育てたのでしょう。
 凍てつく氷点下の世界に、真っ白な光の煌めき、冬に咲く一日花です。
 諏訪の平に、光を集めて咲く霧華、その向こうに、南アルプスの鳳凰三山と甲斐駒ヶ岳の雪解けが、春の訪れを告げています。
 仙丈ケ岳だけは、純白の貴婦人の装いです。
 
         車山高原SKYPARKスキー場の休憩所            2018年12月15日

休憩所は、スカイシティ1Fにございます。
更衣室は、スカイプラザ1Fとスカイシティ1F、
コインロッカーなど道具や衣服の保管場所は、スカイプラザ1Fとスカイゲート2Fにございます。
今シーズンから仮眠所営業はいたしていません。
小さな子供が遊べる場所は、12月下旬からOPEN予定のスマイルキッズパークがお勧めです。
 
         車山高原一面にススキが広がる光景が美しい!!            2018年10月15日

 晴れ渡る秋空に、陽射しが傾き始めると、

  ススキが実る車山高原は、
 一面、白銀色に光を放ちます。

 5時になると、早や、陰り始め、
 西の穂高連峰も
 東の八ヶ岳連峰も、
 夕映えに紅赤色に染まります。

 赤岳が、阿弥陀岳を前備えとして、
 控えさせる風景が、

 夕陽が沈む日ごとに、
 赤焼ける、赤岳の美しさを、
 一段と、増長させます。
  
         「おしどり隠しの滝」の紅葉            2018年10月13日

 国道299号沿いの「横谷観音堂」から、紅葉の王滝の瀑布まで下りて、再度、観音堂へ戻り、299号を「麦草峠」方面へ上がり、冷山口から湯のみち街道の明治温泉に向かいました。  
 冷山口から15分ほど、渋川温泉から横谷渓谷の入口に出る道と、奥蓼科温泉郷・明治温泉などの 横谷渓谷最奥部への分岐に出られます。
  創業120年の歴史を誇る明治温泉旅館の下を真横に流れる 渋川の上流にあたる「おしどり隠しの滝」と呼ばれる美しい紅葉の名所は、八ヶ岳連峰の北西麓に位置し、紅葉の季節には、渋川渓谷の木々が秋色に染まり、一際、鮮やかに彩られます。
 
         信州上伊那郡箕輪町の『古田の赤蕎麦里』オープン!            2018年9月10日
 真紅の花,「高嶺ルビー」
 「古田の里,赤蕎麦」

 2018年の今年は、9月15日(土)~ 10月7日(日)が、「赤蕎麦の里」のオープン期間となりました.。
 「古田の里 赤そば」は、長野県上伊那郡箕輪町上古田区金原地籍にあって標高900mにあります。周囲を幾筋かの沢水が川となって滾り、伊那谷の特徴である田切台地を造ります。
 面積は4.2haと広大で、ゆったりとした緩斜面となっています。  
 車山からは、長野県道50号諏訪辰野線で、諏訪市街地の湖南豊田の有賀峠から上野に下り辰野へでれば、1時間半位でいけます。  
 「古田の里 赤そば」は、元は、50枚を越す段々畑であり総面積も5ha以上あり、桑・とうもろこし・そば・麦・粟・稗などの作物が主な畑地だったそうです。  
 その後、種子とうもろこしを作付しましたが、経ヶ岳の深い山麓ですから猪・鹿の食害が甚大で、10年程放置されたようです。  
 平成9年、箕輪町により、現在のような雄大なスロープを持った圃場として整備されました。そこへ信州大学の氏原暉男名誉教授が、昭和62(1,987)年に、ヒマラヤの標高3,800mの大地に咲く赤い花のそばの種を日本に持ち帰り、宮田村のタカノ(株)と共同で品種改良を成功させました。
 その真紅の花を「高嶺ルビー」と名付けました。  
 普通のそばより背丈が低く収量は1/3程度です。そばの栽培では、結実させるためにかえって肥料を与えません。それでも「高嶺ルビー」は殆どが実を結ばない粃(しいな)で終わるそうです。
 
          赤そば花祭り 見渡すかぎりの、ルビーの絨毯            2018年9月9日

 9月29日(土)・9月30日(日) 赤そば花祭り  *会場は 赤そばの里『上古田公民館』
 地元の蕎麦打ち名人たちの赤蕎麦・白蕎麦を、大きな公民会会場で食することができます。 例年地元の農産物や工芸品などのお店が出店します。  
 紆余曲折があって、平成9年から平成17年までは中箕輪そば組合が、平成18年からは「古田の里赤蕎麦の会」が耕作し現在に至っています。
 見ごろが、9月20日頃~10月15日頃になるように播種しているそうです。  
 今年も9月下旬ころが。赤蕎麦の花の最盛期と言われます。  
 そばの花は直径3~4mm、花が各枝の先端にたくさん集まり、総状をなし、たくさんの蕾を付け、日々、下部から少しずつ咲き、次第に先端に進み、花が密集するようになります。
 雄しべの下部には、8個の蜜線があり、蜜の分泌はたいへん多く、日本でも昔から蜜源作物として重要視されてきました。  
 信州の蕎麦の花は、今の時季、急激に枯れてきます。そばが結実する時季です。
 「古田の里 赤蕎麦」は、11月早々、「古田の里赤蕎麦の会」の方々が収穫を始められます。
 
          八島ヶ池の浮島に、紅色のヤマウルシ            2018年9月6日

 シツゲンヤマウルシの紅葉は、八島ヶ池の浮島に配置される紅のヤマウルシ!
  寒冷な八島ヶ原湿原のヤマウルシは、背丈が短いので「シツゲンヤマウルシ」と呼んでいます。
 富士見高原から上がる大門街道沿いのヤマウルシも、真っ赤に染まっています。
 白樺湖の大門峠を過ぎれば、車山高原です。
  霧ヶ峰から八島湿原まで、高原一面ススキの花穂で満たされます。
 車山高原では、ジゴボウの収穫時期です!
 
          ユリ科の植物ウバユリ            2018年8月6日 
 ユリ科には、ウバユリ属・ツバメオモト属・カタクリ属・バイモ属・キバナノアマナ属・ユリ属・チシマアマナ属・タケシマラン属・ホトトギス属・チューリップ属などがあります。
 これら全てが、花被の付け根よりも上に子房がつく子房上位です。ユリ科のウバユリも子房上位です。 茎から短い花柄を出して大きなユリの花を付けます。
  花被弁と雄しべは6個、雄しべ6個の長さに違いがあります。
 訪花昆虫は慌ただしく飛び回り、その間、昆虫の体中に花粉がつきます。 葯の位置が高いものと低いものがある方が、昆虫それぞれに異なる場所に花粉をつけることができ、それを他家受粉により異なる遺伝子型を運ぶという点では、受粉の可能性がより高くなり意義もあります。
 花被片が落下した後、未熟な子房の先に長い花柱がまっすぐ伸びます。 雄しべは、花冠基部につくため、花被片と一緒に落下します。
 子房は果実化して、成熟し乾燥すると三裂します。各裂片の内側に縦方向のしきりがあり、計6部屋に分かれています。それぞれに薄皮を積み重ねたように整然と種子が収まっており、一つの果実には400~500個の種子が入っていますから、1個体に3千個近くの種子があり、極めて多産の植物です。
 種子についている翼を利用して、風の力で分散する風散布型種子です。 子房の位置は子房下位から子房上位、あるいは、子房上位から子房下位へといろいろな系統で何回も繰り返し進化したことが明らかになっています。
 下位子房からできたウリ科のキュウリ・キク科のピラカンサ・ツツジ科のブルーベリーなどでは、萼痕が果実の先端の方に残っていることが多く、萼の内側に萎れた花弁や雄しべ・雌しべが残っていることもあります。 カキノキ科・ナス科のナスとトマトは子房上位ですが、果実の先端に萼痕が残ります。
 
          夏の高原の花を代表するハクサンフウロ      2018年7月23日 

 紫のキキョウの花が美しく咲く時季と重なり、茎頂に花柄を出し、径2.5cm内外の薄紫色の5弁花を1〜3個咲かせるハクサンフウロの小群生が、青天の車山高原の各所で観賞されます。
  5弁の花が咲いたばかりの時には雌しべの柱頭は、小さな筒のまま開かず、10本ばかりの紫色の雄しべが、その周囲で風に揺れています。
 やがて、雄しべの葯が見当たらなくなると、雌しべの柱頭が5裂に思い切り開きます。キキョウの花と同様、雄性先熟です。
 ハクサンフウロは、自家受粉はしません。ハナアブなどの昆虫に、別の株から花粉を運んでもらう他家受粉をします。
 その後、花弁が落ちて萼が閉じ、果実への成熟が始まります。果実は黄色から黒色に熟し、秋の晴天下に、乾燥した果実は裂片となって反り返り、その勢いで5個の黒い種をはじき飛ばし広く散布します。
 ハクサンフウロ・グンナイフウロ・アサマフウロなどのフウロソウ属は、秋の草原の紅葉には欠かせません。ヤナギランやヤマウルシとともに美しい草紅葉が、初秋の車山の草原に広がります。
 
          2018年、車山高原のニッコウキスゲは2分咲き  2018年7月2日

 ニッコウキスゲの見頃は、例年ですと、7月中旬頃でしたが、ビーナスライン富士見台は、既に2~3分咲きで、例年より10日早い!
 車山の駐車場から見上げる、陽の当たる山麓付近だけでなく、より標高の高い山頂から少し降りた周辺も、間もなく見頃を迎える勢いで咲いています。
 山麓の駐車場からは、遠く臨む丘状に、黄色い群落の縁取りが見えるほどで、今年のニッコウキスゲは、十分期待できそうです。

 蓼科山の麓の白樺湖の東側の黄金アカシヤが、一段と美しく染まりはじめています。その近くの、アサザが黄色い花を群生させる水辺からは、晴天の陽射しを浴びて、万緑の車山高原が涼しげに輝いて見えます。
 
          2018年、ニッコウキスゲが咲き始めました!   2018年6月24日 

 ニッコウキスゲの、鮮やかな黄色い花の色に驚かされました。 突然でした。たった二輪ですが、窓辺の傍に咲いていました。
 例年より随分と早いです。他にもそろそろ咲きそうな蕾も見られます。
 今年、車山高原に折々に咲く花は、いずれも数が多く、色味が濃いです。
 そして、咲く時期の早さに驚き、散る速さに啞然とさせられます。

 7月の2週目には、車山山麓と富士台が見頃になると予想されます。
 その頃に、車山の中腹の遊歩道沿いや車山肩は、五分咲きぐらいでしょうか?
 それから間もなく、ビーナスラインを走る車窓から、黄色いニッコウキスゲの濃密な大群落が、所々で眺められるようになります。
  ハクサンフウロ・ウスユキソウ・オダマキ・シモツケソウ・ウツボグサ・コウリンカ・ジャコウソウ・ヒヨドリソウなどは、そんな車山の薄暑に咲く花です。
 
          ベニバナニシキウツギの茎の髄   2018年6月23日

 枝が成長すると、その中心部にある髄が消失して中空になる木が「空木(うつぎ)」と呼ばれました。そのため、「空木」の名は、ガクウツギ・コゴメウツギ・バイカウツギ・カナウツギ・ニシキウツギ・ツクバネウツギなどの複数の科にまたがって付けられます。
 「空木」と名が付く植物は6科11属にわたって使われていて、通常は茎が中空であることを意味しますが、多くの場合、その髄はコルク状のもので詰まっています。
 
 髄は、植物の茎・葉柄・根などの器官にあります。ただ、木本植物では、通常、茎や幹が成長するにつれ、茎の中心部を占めていた柔細胞である髄組織は、木部化し固い組織に変わります。
 草本植物の茎髄の方は、水分を多く含んだスポンジ状の組織として残ります。髄には、養分と水分が貯蔵され、その養分としては、光合成産物のデンプンを含む糖類が主で、無機塩類(生物体を構成する無機化合物・ミネラル)や有機酸なども含まれています。
 髄で光合成を行う植物もあり、その場合の光合成産物はもとより、葉から転流し貯蔵される糖類も含まれます。
 やがて、枝が成長すると、その髄が消失して中空になるのです。
 オートリシスautolysisといい、自らのもつ酵素によって自らの成分を消化することによって、髄の細胞が低分子に分解されて、他の成長組織に必要な養分として転流されるからだと考えられています。
 植物の成長段階では、茎の髄は重要ですが、老化により植物組織の成長が止まると、髄の役割も終わりを迎えるからだと言われています。

 「空木」という和名は、枝・幹が中空であることから、植物の資源性に着目した命名といえます。茎は成長すると、その中心部の髄が消失して中空になる木が「空木」であれば、油を燃やして明かりとしていた時代には、木の髄は灯心として生活の必需品でありましたから、マイナス的なイメージが重なったのかもしれません。
 数ある「空木」の中で、ウツギとその近縁種は、日本での分布は広く、人家に身近に生えていた木であったため、生垣・繭かきの糸口・木釘・楊枝など様々な用途で利用されていました。しかしながら、灯心は得られなかった。
 灯火は、初めは油を含ませたものを燃やしました。のちに灯心の利用が発明されました。麻や綿の布を細かく裂いたものや糸を束ね、油をしみこませて、毛管現象を利用して、その先端に点火しました。
 畳やゴザの原材料として、約1,100年以上前より利用されていたイグサ科イグサ属の藺草は、やがて蒸されて、茎髄を取出して灯心に用いるようになります。それで、灯心草と呼ぶようになります。今日でも和蝋燭の芯の素材として用いられています。

 ユキノシタ科ズイナ属の落葉低木のズイナは、近畿地方南部から四国、九州地方の沢筋や林縁に自生します。植物学者・倉田悟氏は、植物の方言名にも造詣が深く、ズイナは「髄菜」に由来し、枝の髄が行灯の灯心に利用され、ヨメナと同様に若葉が食用にされたことちなむと言われる。
 その上、「ムスメサ」・「サカヤムスメ」・「サカヤヨメナ」と言う方言名は、ズイナの若枝がほんのり紅色を帯びるので、娘を連想したことによると解釈された。
 
          今年は、早くも車山高原にノリウツギが咲き出しました   2018年6月20日

 車山高原のレア・メモリーの庭に咲くノリウツギは、 同じアジサイ属なので、花だけ見ると、ヤマアジサイと見分けにくいです。
 このノリウツギが、高木化したシラカバの根元近くで、咲き始めると、なぜか落ち着いた気分になります。
 ズミやカエデ・シモツケ・ウツギなどが生い茂る緑の樹叢の中に、枝を縦横に伸ばして、その枝先に小さな黄色みを帯びる両性花を多数つけ、周辺に点々と白い装飾花を花弁状に広げると、深山に風情が広がります。
 ノリウツギの大きな円錐花序の中心部にあるのが本来の花で、周辺の萼片が、大きくなった白いものが装飾花と呼ばれています。
 これは、目立たない小さな花々に代わって、花粉を媒介する昆虫を誘い込むために、ノリウツギが編み出した仕掛けの1つです。
 それにしても、車山高原と八子ヶ峰に咲くノリウツギの装飾花は、純白で美しい気品に溢れています。
 
          コゴミ・タラの芽・ヤマウドなどの山菜シーズンの到来!   2018年5月13日

 車山高原では、春先と言っても、5月ですが、よく雪や霜に見舞われます。
 土の中から出てきた直後から、ある程度の大きさになるまで、雪や霜から身を守るため、傷みやすい葉を丸め込んだまま地表に現れます。
 これが「コゴミ」の名の起こりです。
  コゴミには、同じシダ植物のワラビやゼンマイと異なり、アクはほとんどなく、採ってきたばかりであれば、生でも食べられます。
 そのため、調理に、余計な手間をかける必要がありません。
  新鮮な生の物には、植物に共通した、やや独特の香りがありますが、茹でれば、しこしこした歯応えがあり、通常の野菜以上に「ヤサイ」らしいです。
 旬の「コゴミ」であれば、繊維質はほとんど感じられません。
 
          新緑の白樺の白い木肌が輝いています   2018年5月6日

 暖かな陽射しが、柔らかい!
  雪の仙丈ケ岳が、青空に映えます。

  芽吹きの季節、浅春の明るい緑がまぶしい。
 新緑の白樺林が、一番、美しくなる時季です。

  ウグイスの目覚めは、早い!
 ジョウビタキが、楓の梢で、
 未だ閉ざしたままの
 新葉をついばんでいます。
 
          高島城公園の滝のような藤   2018年5月4日
 高島城が破却され、城址が公園とされたのが明治 8年、
 開園されたのが明治 9年5月、その際に植えられ、樹齢約 130年を超える
 市内最古のマメ科の藤です。諏訪市の天然記念物になっています。
 藤棚の下に入ると、仄かに甘やかな、馥郁とした香りに包まれます。
 今、蝶形花をたくさん膨らませて咲かせ、たわわな紫の総状花序となって、「つるし雛」のように流れています。
 その花びら一つ一つに、思いが込められているのでしょう。

 藤の巨木の大きさは、東の藤は、根元回り 1m86cm、 
 西の藤は、根元回り 3m2cmです。

 「諏訪の浮城」と呼ばれた高島城天守閣のある高島公園内では、5月中旬になると藤の花が見ごろを迎えと、諏訪の人々は、いそいそと公園を訪れます。
 今年は、早々と咲き急ぎ、公園を散策して、藤の木陰を利用した休憩所で、新緑に覆われる桂の巨木を眺めています。
 
          十日ぐらい早いショウジョウバカマの開花でした   2018年4月21日
 ショウジョウバカマの学名は、Helonias orientalisです。
 北アメリカ産のヘロニアス属に類縁する東洋原産の種と言う意味です。
 学名のもとになった「ヘロス(helos)」は、ギリシャ語で「湿原」を意味します。
 ヘロニアス属は、ただ一種、ヘロニアス・ブラタが知られています。
 北アメリカ東部のメリーランド州からジョージア州の山地の、ごく限られた湿原に生育しています。
 日本列島に広く分布するショウジョウバカマは、ヘロニアス属と非常に近縁で、同属とする説すらあります。

 ショウジョウバカマ属は、4種が知られています。
 その分布は、北海道から九州までの低地から高地にまで及び、さらには台湾にまで生息域を広げています。
 日本海側では、特に分布域が広く、豊富な群落を形成します。
 新潟県柏崎市周辺の里山の渓流沿いでは、4月中旬、鮮やかなピンクのショウジョウバカマの花が、急峻な斜面一帯をおおいます。
 ショウジョウバカマは、本来、湿地帯を好むようです。

 寒風に凍える、亜高山帯の車山の山頂付近では、乾燥するためか、ショウジョウバカマの群落は見られず、むしろ点在しています。
 早春の訪れが遅い車山高原では、草原を歩く度に、しばしば出合うショウジョウバカマの花の美しさが、一際、際立ちながら、優しさが香る印象的な光景となります。
 車山高原のショウジョウバカマは、乾燥した日の当たる草原に適応しています。
 霧ヶ峰・山彦尾根・男女倉山などでも 、風通しのよい乾燥気味な所を好んでいるように咲いています。
 茎が短く群生しないため目立ちませんが、その高貴で可憐な美しさは、感動的です!
 いずれの大地も、ショウジョウバカマが、本来、望んではいないはずですが、親株から広く散布された種子が、懸命に次代に繋げようとするならば、馴化適応の過程を懸命に歩むしかありません。

 ショウジョウとは、「猩々」という酒好きの伝説上の「猿」に似た動物で、顔の赤いところが花の色に似ていること、根生葉がロゼット状に広がる様子を「袴」に見立てたといわれています。
 葉が地に広がってロゼット状になるとは、狭長楕円形の根出葉が地面を這うように、根元から放射状に広がる姿が、バラの花の形状を彷彿させるからです。  
 多年草のショウジョウバカマの葉の寿命は長く、常緑3年です。
 その間、車山高原の氷点下、-20℃以下も珍しくない極寒にも耐えています。
 3年目になると、葉は次第に光合成をするクロロフィルに代えて、アントシアンなどの色素体を形成するため、赤みを帯びます。
 枯死する直前に、葉の先端に小植物体を形成します。
 やがて親株から分離し、無性生殖で、遺伝子を同じくする個体を増やします。
 種を確実に保存するための手法です。

 細胞外の細胞壁部分や細胞と細胞の間には、水蒸気で満たされており、解けている溶質も少ないが、氷の結晶を作るための核となる物質も多く存在しています。
 氷点下になると、多くの植物では、最初に細胞外に氷ができます。
 一度、氷ができると、氷のまわりの水や細胞内の凍結していない水が、氷に引きつけられ、氷結晶ができます。
 それにつれて、細胞内の溶質濃度が高まるため、それ以上は凍結しにくい状態になります。
 また、細胞壁に接している細胞膜が、氷を通しにくい性質を持っているため、細胞外にできた氷は、細胞内に侵入できないと考えられています。
 その状態が保たれると、ある程度の氷点下でも植物は、生存ができるようです。

 ショウジョウバカマの厚みと光沢のある葉はもとより、植物の細胞内には、イオンや糖・アミノ酸・タンパク質などの有機化合物が、高濃度に溶融し、浸透濃度を高く保ち、氷点下になっても、細胞内は凍結しにくくなっています。
 多くの植物は、凍結しない程度の低温下に反応して、糖やアミノ酸などを増やし、氷点下の気温に、前もって備えを固めます。
 細胞内の糖分の含有率を高めることで、より凝固点を低くして、凍りにくくしているのです。
 更に、秋から冬にかけて植物が、凍結条件下でも生存できるように働く、必須のタンパク質を合成する、低温誘導性遺伝子と呼ばれ遺伝子の解明が進んでいます。

 車山高原では、4月に入ると、栄養状態のよい株では、根生葉の中心から、鮮やかな緑色の、その後に生育する花茎の新芽を守る、子葉のような組織が伸びてきます。
 その下から白っぽい花径が5cm程度に伸びると、その先端に径3~5cmほどの、3~10個の花が総状花序に咲きます。
 いずれも雌性先熟の花です。

 車山高原の花色は、通常、明るく淡い赤紫色ですが、地域によってピンクや白など、様々な変化が見られます。
 ショウジョウバカマは、特に花の色や花茎の形態で、変種に富んでいます。
 変種のシロバナショウジョウバカマや、亜種のツクシショウジョウバカマが有名です。

 花びらが変色してうなだれた後、花茎は、急速に伸びて30~50cmに達します。
 車山高原の草原では、見たことがありませんが、しばしば花茎が1m近くも高く伸びるそうです。

 上を向く朔果(さくか)は、熟して乾燥すると、基部のほうから裂けて、種子を散布します。
 1つの朔果には、両端に糸より細い付属物を持った種子を数百個付きます。
 熟すと殻が開き、糸状に見える種子が、風に飛ばされてゆきます。

 車山の山麓に、山桜・コブシ・ネコヤナギ・フデリンドウ・山吹・藤・レンギョが、いっぺんに咲き始めました。
 山吹の黄色い花は、車山高原に繁茂する笹から始まる、晴れやかな新緑によく映えます。
 
         立石公園の桜は散り始めています   2018年4月13日

 立石公園は、諏訪湖を一望できる景勝地として知られています。
 桜の季節には、車山高原から霧ヶ峰を下って必ず訪れます。
 名作映画「君の名は。」の聖地!
 この映画の舞台設定(糸守町の一部)が、この長野県「諏訪湖」らしいのです。
 平日ですが、若いカップルが、数組、散策しては感動して、諏訪湖を眺めています。
 夕景と夜景が美しく、信州サンセットポイント 100選に選定され、 新日本三大夜景・夜景百選にも選ばれています。
 今現在、カタクリとアズマイチゲの、それぞれの花の群生が同時に楽しめます。

  国蝶オオムラサキの生息地としても知られ、成虫は6月下旬~7月下旬にかけて羽化します
 
         フキノトウの雌花   2018年4月7日

 フキノトウの雌花は、頭花の小花から、白い雌しべが伸び出し、頭花の中央部では、退化した雄花が黄色く見えます。
 それで、雄花と雌花が、区別できるのです。
 それぞれが開花すると、雄株の小花は、主に黄色っぽく見えるのに対し、雌株の小花は白い綿毛状に見えるので見分けられるのです。
  雌株の頭花には2種類の小花があります。
 花序の中央に、雄株と似た形態の「雄型小花」と、貧弱な花冠と糸状の白い雌しべが目立つ雌の小花から成り立っています。
 雄型小花は、一つの頭花に数個と数は少ない、雌の小花は数百の数があるので、全体的に白く綿状に見えるようになります。
 雌花の小花の雌しべは微細で、多数密集させるのには有利ですが、蜜は分泌できず、もとより花粉もありません。
 その雌株の頭花を、全て雌の小花で占めれば、送粉者が寄り付かない。そこで、花粉は作れないが、蜜を多量に分泌できる雄型の小花を混在させることで、送粉者を巧みに誘導するのです。
 
        見頃を迎える高島城址公園の桜   2018年4月4日 

 晴天に影を映すかのような、高島城址の穏やかな桜風景でした。
  やがて訪れる車山山麓の山桜風景は、物静かな美しさを宿し、 見飽きることはありません。
 その思いで待ちかねて、年ごとに、幾たびも訪れる春の高島城址公園です。
  厳しい寒冷地で、冬季を過ごす人々が、望むままに、 ようやくかなう、春を感じる出合は、
 車山高原では、 雪解けて、姿を現すショウジョウバカマのロゼットとフキノトウです。
 それでも、年ごとにめぐり合う、最初の春の感動は、 高島城址のサンシュユの黄花で始まります。
 それは、高島城址の桜花の開花を、 予測してくれるのです。
 去年の春にも出合った感動を再び!その思いはつのります。
 
        早春の山里の幸   2018年3月31日 
 「諏訪の平」や「車山高原」で、最初に春の訪れを告げる山菜として人気があるのが、フキノトウ(蕗の薹)です。
  3月下旬、残雪の多い車山高原では、雪が溶け切らないうちに、 雪の下から、淡い緑の総苞に包まれたまま、顔をのぞかせます。
 厚くつややかなショウジョウバカマのロゼットと、同時季に、春の到来を告げます。
 車山の住民としては、本当に待ちどうしい春の訪れでした。
 諏訪湖周辺では1月に採れるそうです。実に羨ましいことです。
 3月20日、諏訪大社の前宮、水眼の畔に、ノカンゾウの幼葉が、流れに添うように幾筋もの小群落を上流の方へ伸ばしていました。  
 霧ヶ峰から車山に生息しているホンドジカも近年、よく食べるようです。冬眠から目覚めた熊は、最初にフキノトウを食べるという。  
 フキは、雌雄異株です。雄株の花は黄色っぽく見え、雌株の花は白く見えますので、比較的区別はしやすいです。
 
         諏訪大社 前宮の「のかんぞう」   2018年3月20日
 
 男々しい瀬音が境内に轟く、前宮の水眼の畔の「のかんぞう」です。
 未だ、「フキノトウ」は、顔を出していません。
 「立石公園」や「上原城址」では、「のかんぞう」ですら、まだ姿を見せません。

  「のかんぞう」は、美味しい山菜です。
 煮過ぎず、焼き過ぎず、蒸し過ぎない、ただそれだけです。
  「すき焼き」の時、食べる直前にさぁーと煮たら何よりです。
 「冷奴」の上の、「のかんぞう」のゴマ味噌和え、山里に授けられた「かけがえのない恵み」なのでしょうか?!
 
         美しい山岳の樹氷   2018年3月9日


車山高原のビーナスラインラインからの眺望です。
とりわけ赤岳と阿弥陀岳の真っ白な山容が美しいです。
 
         車山スキー場の富士山   2018年2月23日
 晴天率の高い車山高原特有の青空!
  天気はもとより快晴!
 南には、甲斐駒ヶ岳と仙丈ケ岳の雄姿と、 東には箕冠山と根石岳を抱きとめる東西に並ぶ天狗岳などの八ヶ岳連峰が、晴天下にまばゆい!
 スノーシューで、雪の遊歩道を歩くと、眼下にする、車山高原SKYPARKスキー場に、真っ白な富士山がありました!
  キッズパーク名物の巨大な雪山です。子供たちが、その山頂に腰掛け、飽きればその斜面を滑り降りる贅沢さ!
 雪に遊ぶ理想的な光景が、目の当たりにありました。
  車山高原SKYPARKスキー場自慢のエリア最大級のキッズパークが、今年は、さらにパワーアップしました!
 平日にもかかわらず、子供たちは賑やかに、しかも遊戯に貪欲でした。 若い母さんも、余裕の様子で見守っています。
  今年も、車山高原SKYPARKスキー場では、親子でお得なファミリーパックや、2歳からOKの託児所が充実し、各種レストランでは、両親がわが子の前に、提供されるキッズメニューを目前にして、親子ともども感嘆の声を上げる光景が見られています。
 
        「タウン・カラッ」は、地元の人に古くから信仰されてきた聖地です   2018年1月31日

 バガンから1時間半のとこにある、バガンの南東約50kmの平原にあるポッパ山(Mount Popa標高 1518m)は、その斜面に忽然と巨大な岩峰が現れます。
 その山の中腹にぽっこり出っ張った部分があり、その上に寺院があります。
 ミャンマーのマンダレー地方域にある玄武岩の火山で、「タウン・カラッ」は、地元の人に古くから信仰されてきた聖地です。
 ポッパ山の岩頸にある側火山のタウン・カラット( 標高737m)には、ミャンマーの土着信仰であるナッ信仰の総本山があり、多くの参拝客を集めます。
 狭い山頂には、パゴダ・塔・礼拝施設がひしめき合っています。
 ポッパ山は、急な階段を登らなきゃいけませんが、ミャンマーの人は年に一回はここにお参りに行かなきゃ!と思うそうです。
 ミャンマーは上座部仏教の国ですが、精霊信仰もあり、ポッパ山には精霊も祀られています。
 猿も精霊の化身か、たくさんいます。
 バガンからヤンゴンへは、小さいプロペラ機!
 
        アーナンダ寺院の仏像                2018年1月31日

 アーナンダ寺院は、バガン遺跡を代表する最大の寺院遺跡です。
 ミャンマー族最初の統一国家を築いたバガン朝の第3代の王チャンスィッターによって、11世紀末~12世紀初頭に建立されました。
 バガンで1番美しい寺院と言われています。
 「アーナンダ」という 名前は、釈迦の十大弟子の一人、多聞第一と称せられた阿難(あなん)に由来します。
 アーナンダ寺院の回廊には、ブッダの生涯をたどった彫刻があります。
  そのアーナンダ寺院の仏像は、見上げる角度によって表情が変わります。
 庶民が見る遠くからだと優しく見えるが、近くに寄る王族には、厳しい表情に見えるそうです。
 寺院には3つの通路があり、内側から順に、お坊さん用、王族貴族用、庶民用とあり、順に仏像からの距離が離れます。
 近いほど表情が厳しくなるように思えます。
 
        ヤンゴンの雀の巣                2018年1月30日

 面白い形でしょ?
 メスの巣は、卵を温めるから袋状だけど、オスのは、穴があいています。
 日本の雀に似たのも見かけたけど、その巣を作るのは山の方に住んでる種類だと言っていました。
 
 カラスはね、日本のより一回りくらい小柄。
 バガンではまったく見かけなかったけど、ヤンゴンにはたくさんいて、やっぱり都会の生き物なんですね。
 
       ミャンマーは、長袖シャツ一枚で過ごせる良い季節でした            2018年1月28日
 敬虔な上座部仏教(小乗仏教)国ミャンマーを巡る旅です。

 ミャンマー・バガン仏教遺跡と黄金の仏塔シュエダゴン・パゴダに、現在も残るほとんどの建物は、11世紀から13世紀、パガン王国の興隆から、元のフビライ・ハーンに攻略されるまでの250年ほどの間に建てられたものです。
 写真は、バガンで1番美しいと言われるアーナンダ寺院です。
 「バガン」とは、これら遺跡群のある地域を指します。

 金の仏塔のシェダゴン・パゴダは、土台から上の三角の部分が金板です。金板が9,000枚近くビスで留められています。
 仏塔の先端、目視はできない部分には、ダイヤモンドやルビーが散りばめられていて、76カラッとのダイヤモンドも収められているそうです。
 凄いのはこういうのが寄付で成り立っていることです。仏教施設にはお金の入った箱が何個か置いてあって、健康とか勉学とかお願いごとに箱が分かれていて、ミャンマーの人は目的に応じてその箱にお金を入れるのです。その箱の1つにそのお寺を修理するための箱もあって、ちゃんとその箱もお金がたくさん入っていました。
 ミャンマーの人は自分の収入の2割を寄付につかうのだそうです。

 ミャンマーでは、金やルビー、翡翠も産出されています。
 戦争中にイギリス軍やドイツ軍に随分と持っていかれたそうです。
 
       諏訪大社上社前宮 初詣                2018年1月2日

 諏訪大社(上社本宮 前宮、下社秋宮 春宮)4社の初詣は、今年も、前宮から始めました。
 場所は、茅野市宮川、ここは、諏訪大社発祥の地、荘厳な雰囲気で、空気までもが澄み切っています。
 拝殿の左手を、水眼の清流が流れています。
 前宮の御手洗川であり、御神水として利用されてきました。
  拝殿脇の、守屋山へと続く、なんともいえない清らかな雰囲気の小道が続いています。
 これより1kmほど登った山中に、清らかな水が、こんこんと山肌から湧き出している源流があり、すばらしい水の聖地として静まっています。
 
      車山高原SKYPARKスキー場 ゲレンデ情報                2017年12月25日

昨夜からの大雪で、雪質は良好です!
早朝より快晴、暖かな陽射しです。
ファミリーコース:◯
スラロームコース:◯
パノラマコース:◯
ビーナスコース:△
4コースがオープンしています。積雪は55cmです。
大人気スポンジボブキッズパークも、オープンしました。
スノーウォーカー・チュービングとストライダーも設置されました!
 
      松代大本営地下壕                  2017年12月3日
 松代大本営地下壕は、もはや敗戦間近となった昭和19年11月、本土決戦に備えて皇居や大本営を疎開させるために掘られた地下壕です。
 地質学的にも岩盤が強固なこと、海から遠いこと、飛行場が近いことなどから選ばれたそうです。
 松代の舞鶴山を中心として、皆神山、象山に碁盤の目のように掘り抜かれ、その延長は約10km余りに及ぶそうです。  
 川中島合戦の舞台となった海津城や妻女山にも近く、なによりも真田松代藩の城下町を歩きながら訪れるのも楽しい!  
 第二次世界大戦の末期、軍部が本土決戦の最後の拠点として、極秘のうちに、大本営、政府各省等をこの地に移すという計画のもとに、およそ9ヵ月の間に建設されたもので、突貫工事をもって、全工程の約8割を完成させました。  
 この建設には、当時の金額で1億円とも2億円ともいわれる巨費が投じられ、また、労働者として多くの朝鮮や日本の人々が強制的に動員されました。飢えに耐えながらの苦役だったのでしょう。  
 皆神山には御座所と大本営等、象山には 政府機関やNHKなどが入る予定でした。ただ皆神山は地盤が弱かったため、移転予定先が舞鶴山に変更となったそうです。  
 いろいろ考えさせられる、使われず仕舞いの巨大な施設でした。
 
      信州新町道の駅の「信州おやき」                  2017年12月2日
 その隣は、そばの名店「そば信」です。そば信でそばを食べて、デザートのようにして、信州おやきを食べる! これこそ信州満喫!
 巨大な火鉢に、巨大な「ほうろく」・鉄鍋を置き、そこにたくさんの具を押し込むように入れて、その握りたての「おやき」を焼きます。全体的に淡い焼き色となり、ところどころに濃い焦げ目が付きます。
 「カリカリ系おやき」ですが、中はモチモチしっとりです。
 定番の「野沢菜」や「茄子」、この季節に合わせた旬の野菜が、おから・ピリ辛なす・ねぎみそ・かぼちゃ・ピリ辛のざわな・あずきです。野菜ミックスも、そのうま味が香り立ちます。 手で割って見れば、いろんな野菜がぎっしり入っており、このぎっしり感が、ここのおやきの特徴です。
 全て140円です。
 
      慈雲寺の紅葉   諏訪郡下諏訪町東町中               2017年11月11日
 諏訪大社の秋宮から春宮までの、国道142号(中山道)の途中で、何とも雰囲気の良い山門と出合いました。
 そこから美しい杉並木の参道を通して鐘楼門が遠く望まれます。
 そこまで鮮やかな緑の苔に包まれた石畳が続きます。苔庭の周りは、山門を囲むように石仏が、三十三観音だろうか。
 鐘楼門には、虹梁の文様が深く彫られ、その上に造形された龍・唐獅子・麒麟・獏なども実に見事でした。
 その門から前庭に立つと、樹齢400年以上という天桂の松、白砂が美しい石庭など境内のみどころの多さに感動させられます。その時、左右の大銀杏から黄葉した葉が、いつ果てるともなく降り注いできました。
 なんとも雰囲気のある苔参道・枯山水、見事な一山一寧の開山した寺院でした。
 その日は、本堂の裏庭の楓の紅葉と、池を覆う落葉の紅葉が織りなす光景に、再び圧倒されました。
 諏訪大社下社の大祝、金刺満貞が、鎌倉五山の一つ建長寺住職一山一寧禅師を招いて正安2(1300)年に開山いたしました。優れた僧が続き、臨済宗の信州筆頭であることもあり、武田信玄ゆかりの寺として知られています。
 裏山には高島城を築いた豊臣秀吉の家臣、日根野織部正高吉の墓もあります。
 
      依田川、山里の紅葉               2017年11月10日

 国道152線と並行して流れる依田川は、霧ヶ峰や男女倉からの流れを集めた和田川・男女倉川と車山の北西麓から流れ出る大門川とが合流する、鮎釣りでも有名な河川です。
 依田川は川幅も広く、鮎・ヤマメ・イワナなどが釣れる千曲川支流でも、最高の釣り場のひとつです。
 長野県小県郡長和町古町22-1の「信州 立岩和紙の里」では、今は「新そば」の季節、地元産そば粉を使った「挽きたて・打ちたて・茹でたて」を堪能できます。
 その裏側を流れる依田川流域で、美しい山里らしい紅葉風景が楽しめます。
 
      車山高原の紅葉情報               2017年10月3日
 車山高原の紅葉には、イロハカエデ・ハウチワカエデ・マユミ・ニシキギ・オオカメノキ・ヌルデ・ミネザクラと、ひときわ艶やかなコミネカエデなどの豊富な紅葉と、レンゲツツジと、そしてヤマブドウとナナカマドが織りなす紅葉が見られます。
 部分的にツルウルシが彩を添えます。

 紅葉するナナカマドの巨木高く、巻きつくヤマブドウの大きな赤い葉が鮮やかです。  カエデ類の紅葉は、車山湿原では一段と彩りが豊富となります。タカトウダイ・ヤナギラン・フウロウソウなどの草紅葉に加わり、タカネザクラとレンゲツツジが秋色を競います。  
 車山高原が織りなす秋色の美しさは、その紅葉に、ハシバミ・ハンノキ・イヌシデ・カシワ・ズミ・ミズナラなど多彩な黄葉が混淆するからです。 車山高原では、その樹叢にブナやイヌブナを欠くことが、大きな特徴です。  
 レア・メモリーの裏庭では、マユミの朱色の茂みから、アオゲラの”ピーピー””ピーピー”という甲高い囀りが響き渡ります。それは母ジカが、娘ジカに警告を発する呼びかけと似ています。  
 車山高原から霧ヶ峰一帯を覆うススキの尾花の大群落が、西日の斜光線に映え、銀波となって輝く光景は圧巻です。 輝く穂波の世界は、ビーナスライン沿いの車山高原から始まり、富士見台から強清水一帯で佳境となり、やがて、八ヶ岳や南アルプスの大パノマラを背景する雄大な眺望が眼前に展開します。
 眼下の諏訪の平には、大泉山・小泉山など、富士山を背景とする車山高原特有の景観が眺望されます。南には、清楚な貴婦人的な面影を留める南アルプスの仙丈ケ岳が遠望されます。その手前には、神奈備山の守屋山が、諏訪大社の御神体として、深みのある群青色に静まっています。
  ビーナスライン沿いのススキ野は、八島ヶ原高原から、一木もない三峰山の穏やかな山陵の景観となって、再び現れるのです。
 
     信州そば「長寿更科」(茅野市米沢)               2017年10月2日

 信州の八ヶ岳の西麓は標高が高く、甘みのある美味しい蕎麦の栽培に適しています。
 特に車山や八子ヶ峰を源流にする音無川の流域では、古来、蕎麦を常食とする山村として長寿が多いと言われています。
 車山南麓の「大清水」の豊富な湧水で打ったお蕎麦は、おいしい手打ちそばになります。
 本手打ち信州そば、「長寿更科」で  
   「そばいなり」
   「ミニ天丼セット」
   「プチ天もりそば」 をいただきました。

  蕎麦には、主成分であるデンプン質のほかに、タンパク質も豊富に含み、ポリフェノールの一種で毛細血管壁を強化させ、高血圧・糖尿病・老人性痴呆症などに予防効果のあるルチンや、老化を防ぐビタミンB群とビタミンEが多く含まれています。

  ビタミンB1、B2、ルチン、ナイアシン、コリンは水溶性で、蕎麦のタンパク質の約半分も水溶性のため、蕎麦の栄養成分は、多分にそば湯に含まれています。
 「そば湯」に含まれるナイアシンやコリンは肝臓を保護し解毒作用を促し、アルコールの分解を早めます。
 
     蓼科山から昇る朝陽に輝く、車山の紅葉!               2017年9月18日

 紅葉とは、もともと落葉樹の葉が秋を迎えると、赤や黄の色をもみだす紅葉現象のことです。 後に、紅葉する樹の代表として、カエデ科のイロハモミジを中心とする樹種の名前を代表するようになりました。
 イロハモミジの葉が、秋に赤くなるのは、アントシアニン系のクリサンテミンという紅色色素が生成されるからです。
 車山高原のオオカメノキやカエデ科・ツツジ科・ウルシ科・ニシキギ科・バラ科のサクラやナナカマドなどの紅葉も、同じ色素です。
 イチョウやダンコウバイが、諏訪の市街地周辺で、美しい黄色の染まるのは、葉の中の葉緑素が分解し、もともと含まれていた黄色のカロチノイドの色素が表に表れるからです。
 車山高原に美しく黄葉が映えるアジサイ科のノリウツギや、車山南斜面のダケカンバ群の見事な黄金色の色付きもカロチノイドの色素が溢れています。
 クヌギやブナ・ケヤキなどが、赤褐色に変わるのは、フロバフェンという物質が作られるからです。
 広葉樹林が多い蓼科横谷渓谷では、10月半ば頃に、モミジ・ナナカマド・ヤマザクラ・クヌギ・コナラ・オニグルミ・ダケカンバなどの紅葉・黄葉が見頃を迎えます。
  これらの紅葉化・黄葉化・褐色化の現象を、広く紅葉と呼んでいます。「万葉集」でも「もみじ」という万葉仮名の表記は、黄葉・黄変・黄反・黄色・黄などの文字が殆どで、むしろ、紅葉・赤葉・赤・紅の文字の方が大変少ないのです。
 万葉の人々は、「もみじ」と眺めたのは、大和のコナラやクヌギなどの黄褐色が主体で、そこにイロハモミジの紅色があった風景でした。 昭和29(1,954)年に、平城宮跡から発掘された植物遺体の多くがそれでした。それに加わるのが、赤褐色のアラカシやアカガシと緑褐色のサカキ・モチノキなどが、往時の美しい色を留めていたようです。
     風炉の花、節黒仙翁(フシグロセンノウ               2017年9月8日

 車山高原のフシグロセンノウは、ハシバミ・ニシキギ・ダンコウバイ・マユミ・ズミ・ナナカマド・ヤマハンノキ・ヤマアジサイなどの、涼しげな木陰に咲く花です。  
 茶席の床に生ける花には、四季の花を用いますが、香りの強いものは避けられます。
 新鮮で佗びのあるものをよしとします。 茶花には、飾らない山野草の素朴な一輪挿しなどが多く、普通お茶花(おちゃばな)と言います。
 千利休は、「花は野にあるように生け」(利休七則)よと言う。自然の風情をとどめるように、野の花を置くことで、様々な山野の風景が、かもし出されるのです。
 利休はまた、「小座敷の花は、かならず一色を一枝か二枝かろくいけたるがよし」(『南方録』)と、趣の深みが広がりに通じる様子を伝えます。
 茶花は、茶室のほかの道具の中でも、唯一命あるものです。その季節を映す「節黒仙翁」に心を傾け、その日その一刻に出会う花として活けるのです。
 
     奥蓼科逆川橋のサルオガセ(猿尾枷)               2017年9月3日

 国道299号沿いの「横谷観音堂」から、万緑の王滝の瀑布まで下りて、再度、観音堂へ戻り、299号を「麦草峠」方面へ上がり、冷山口から湯のみち街道の明治温泉に向かいました。
  冷山口がら15分ほど、渋川温泉から横谷渓谷を経て渓谷の入口に出る道と、奥蓼科温泉郷・明治温泉などの 横谷渓谷最奥部への分岐に出られます。
 このあたりから下、渋川にかけての山腹が諏訪鉄山の明治鉱区の位置で、この上空には褐鉄鉱石を運ぶ索道が、諏訪鉄山の石遊場から山裾の花蒔まで通じていました。
 今はまったくそんな面影もない森の中の静かな別荘地です。別荘の玄関前には、車が駐車している所が多いようです。 この案内板で、そのまま右手渋川温泉へ下りてて行けば、渋川温 泉から渋川渓谷沿いの横谷渓谷散策路に入れます。
 渓谷の一番奥にある明治温泉への標識が左手にあったので、久しぶりに奥蓼科温泉郷側へ行くことにしました。最終目的地は、緑響く「御射鹿池」です。
  正面に時折、山が顔を出すのが、南八ヶ岳の山稜です。 真っ直ぐ奥蓼科温泉郷へ行く道は、うっそうと茂る山間から、一旦山越えして渋川の本流が流れ下る「湯のみち街道」に出ます。
 その車道は、湯の道側から横谷渓谷の最奥部にあたる明治温泉に通じます。 分岐から少し下がった所に逆川橋が架かっています。この逆川(サカサカワ)は、渋川の支流の一つで、下流の横谷渓谷の手前で合流します。この逆川を真っ直ぐ下ると明治温泉の渋川「おしどり隠しの滝」です。
  この道は、逆川橋を渡って真っ直ぐ山越えをする峠の登り口です。川を覗き込むと、褐鉄鉱で赤茶けた岩の間を流れる川の中は深い緑色、 浅い川で、この鮮やかな緑は透明な水の流れの中にある岩の表面に、苔がびっしり張り付いているからです。
 丸山から冷山に至る尾根を構成する溶岩流が、逆川の源流部となり、この逆川は、渋川本流の源流よりも、褐鉄鉱の沈殿を含む強度の酸性泉を川に流し込んだことが、横谷渓谷「赤の谷」の景観を作ったのです。
  初期の蓼科山への観光道路は、この諏訪鉄山の鉱石を運ぶ鉄道の跡地でした。広大な高原別荘地が広がる蓼科中央高原には、かつて諏訪鉄山の鉱区が、点在する場所でありましたが、もうその痕跡は、殆どととどめてはいません。
 この蓼科中央高原の南側の縁をなし、麦草峠から渋川が流れ下る「横谷渓谷」には 幾つもの滝が架かる深い渓谷で、鉄分を含んだ温泉水が流れ込む河床には、溶け出た鉄分が、酸化されてできた水酸化鉄が河底に沈殿し、美しい赤い渓谷をつくりあげました。
 信濃を代表する褐鉄鉱の露天掘り鉱山「諏訪鉄山」があった場所「明治鉱区」、その冷山を源流にする逆川は、横谷渓谷の上流にあって、この逆川を下れと明治温泉です。
 この鮮やかな緑は、透明な水の流れの中にある岩の表面に、苔がびっしりと付着しているのです。
 逆川橋からの景観、「チャツボミゴケ(茶蕾苔)などが美しい渓流」は、逆川の川底の岩にびっしり付着した苔の描画で、川はその深い緑色の上を流れ、岸辺には赤茶けた岩肌の堆積が見られます。
  「チャツボミゴケ」は、硫黄泉などの酸性泉に限って生育する特殊な苔で、鉄を溶かし込む鉄泉が流れ込む川原の岩にびっしり付着し、川の流れの中に、ビロードの「チャツボミゴケ」を敷き詰める独特の景観をつくりあげるのです。
 逆川橋のもう一つの景観は、樹皮に付着して懸垂する糸状の地衣類「サルオガセ」です。地表、岩の上、樹皮上などに着生し、霧のかかるような所では種類が多いようです。他の植物が生育できないような厳しい環境に進出できるのも地衣類の特徴で、都会でもコンクリートの表面に懸垂するといいます。
 苔に近い仲間の地衣類に属し、長く木の枝から垂れ下がり、空気中の水蒸気を吸って自立して育ち、決して寄生植物ではありません。 霧藻(きりも)とも呼ばれ、水分と光合成だけで成長し、栄養を他から奪い取ることはないそうです。
  蓼科御泉水自然園や御射鹿池付近でも見られます。
 
     緑満ちる横谷峡「王滝」               2017年8月27日

 横谷峡の展望台からの眺めです。
 落差はおよそ40m、横谷渓谷の中では、一番落差が大きいのがこの王滝です。
 万緑の渓谷に轟く滝の音に、滝壺の勢いも盛り上がります。

 ミズナラ、コハウチワカエデ、 エンコウカエデ、ウリハダカエデ、ヤマブドウ、ニシキギ、ダンコウバイ、マユミ、ズミ、ナナカマド、ヤマハンノキ、ヤマアジサイなど樹種は豊富です。
 
     光と風の中のツリガネニンジン               2017年8月20日 


 車山高原の濃緑な草原の中に、

 爽涼な淡紫色の
 鈴なりの花を咲かせる
 ツリガネニンジンは、
 早ければ7月から咲き始めます。

 マツムシソウやワレモコウとともに、

 秋が近い予兆となる白樺に、
 病葉が目立つ8月の今頃、

 細長い花茎を伸ばして、
 そよぐ花々が、
 夏の終わりを迎えて
 身ぶるいする光景となるのでしょうか。

 
 
     天狗岳の朝焼けは、ナデシコの花の色               2017年8月5日記載 

 午前6時、気温は19度でした。
 紺色に澄んだ空いっぱいに、乾いた微風が吹いています。
 この透明な空の下に、八ヶ岳の連なる山影は、いまだ薄墨色に沈むばかりです。  
 諏方の平の上空を覆う雲海は、銀色白光に照り輝いています。
  レア・メモリーの窓辺から見下ろすと、エゾカワラナデシコの花の密集が、 山野草の緑の数を増すばかりの前庭に、
 薄紅色のベールが、ふんわりと舞い降りたように見えるのです。
 
     車山高原の盛夏に咲くキキョウ               2017年8月1日記載 

 万葉集に
  「秋の野に 咲きたる花を 指折り(およびをり) かき数ふれば 七種(ななくさ)の花
 萩の花 尾花 葛花 撫子の花 女郎花 また藤袴 朝貌(あさがお)の花」
      山上憶良
 「朝貌(あさがほ)は 朝露負(お)ひて
咲くといへど 夕影にこそ 咲きまさりけれ」
      作者不詳

 アサガオならば夕方、日没前に美しく咲くことはありません。通常、早ければ昼前には萎れてしまいます。
 万葉集で歌われる「朝貌」とは、「キキョウ」のことと言われています。
 現在の「朝顔」は、熱帯アジア原産のヒルガオ科のアサガオで、日本には平安時代に入り、8世紀以前の「万葉集」が歌われた時代には、渡来していなかった・・・・・
 
     コウゾ(楮)とノリウツギ(糊空木)               2017年7月28日記載

 アジサイ属の「ノリウツギ」が、ヤマアジサイと変わらない 白い美しい花々を咲かせています。
 車山の日当たりのよい南側斜面の山地や草原で、 時には、車山湿原にも入り込んでいます。

 車山の北、大門街道(国道152号)を上田方面に下る途中の 小県郡長和町の「信州立岩 和紙の里」では、 町内にあるクワ科の落葉低木、「楮(コウゾ)」を刈り取り、和紙にしています。

 古代では、「ノリウツギ」を 製紙用の「のり」として、 楮に混ぜて、和紙を漉していたそうです。
  このノリウツギの表面の皮を剥ぐと、 緑の皮が現れて、それが、粘液になるのだそうです。
 
     美しいノアザミの花               2017年7月21日記載

 アザミの仲間で 春に花をつけるのは、ノアザミだけです。
 初夏に咲く最も普通のアザミで、根生葉は花期にも存在し、頭花は花茎の先に上向きに咲き、花の下にある総苞片(花序全体を包む葉の変形したもの)が球形で、べっとり粘る点が特徴です。
 茎の先に頭花を上向きにつけ、筒状花をたくさん咲かせます。
 花の色は紅紫色のものが多いが、白いものもあります。  
 「アザミ」は 古語の「浅む(あさむ)」が由来とか。  
 近世以降になると、「あざむ」とも、訓みました。「意外なことに驚く」、「あきれかえる」の意味です。
 野にあって、アザミの葉の、鋭い棘に触れその疼きを、語ったのでしょう 。
 葉は、ロゼット葉で、長さ15cmくらい、地際に広がります。
 その基部で、茎を抱きます。伸びた茎の 葉元から、花茎を垂直に屹立させます。 
 
    2017年7月15日; 車山高原ニッコウキスゲ情報               2017年7月15日記載 

 車山山麓と富士台は、今週末が見頃となります!
  車山の中腹の遊歩道沿いや車山肩は、五分咲きです。
 車山肩には、ノビタキが飛び交っています。
 ビーナスラインを車で走っていても、黄色いニッコウキスゲの濃密な大群落が、所々で車窓から眺められます。  
 ハクサンフウロ・ウスユキソウ・キバナノヤマオダマキ・ノハナショウブ・シモツケソウ・ウツボグサ・コウリンカ・ジャコウソウ・ヒヨドリソウなどは、
 車山高原の向暑に咲く花です。
 
    美しい車山高原の白樺の木               2017年7月7日記載

 ヒトの場合、明瞭な境界となる一連の発生段階があります。幼年期・少年期・青年期・成人期の4つの発展段階があり、思春期が非生殖相と生殖相を生物学的に区切る境界となります。植物でも、いくつかの明瞭な発生上の相を経過するのです。
 植物の成長相の移行には、しばしば苛烈な環境の変化にさらされます。この変化する環境に適応し、被災した部位を復元するのが、植物のシュート頂分裂組織で、その部位は絶えず新しい器官を生み出しています。
 植物は、繁殖適応度を最適化するため、環境シグナルのみならず、細胞や諸器官の相互の自律的なシグナルを調節し統合しなければなりません。そのため異なる成長相の発生と移行には、特別で緊密な制御が働いています。
 植物の後胚発生(postembryonic development)は、3つの相に分けられます。因みにembryo;émbriòʊとは、胎芽・胚・胚子を指します。
 1.幼若相
 2.成熟栄養相
 3.成熟生殖相
 一つの相から次の相の移行を相転換phase changeと呼びます。
 幼若相と成長栄養相との本質的な違いは、成熟相では、開花能力を備えていることにあります。つまり、被子植物では花を、裸子植物では球果coneを形成する能力があるか否かが、相転換の指標となります。
 ただ成熟相での生殖能力の発現である花成は、特定の環境(春化)と発生に際してのシグナル(長日と短日)を必要とする場合が多く、それに対する植物生体内のシグナル分子の応答は複雑です。
 幼若相の段階では、開花能力を養うため、植物の栄養生長のみに集中します。そのためか、幼若相では、一般的に再生力が高いようです。車山高原のショウジョウバカマやノアザミの根生葉radical leafが、幼若相の特徴を顕著に示します。
 地表近くの茎から葉が重なり合って四方に伸び、地に接しながら円座形に展開する状態をロゼットrosetteと呼びます。タンポポの幼若相に代表されます。radicalとは、この場合、「根本的な・基礎の・根の」意味です。これらの植物の根生葉は、花が咲いても枯れない、むしろ、その後もショウジョウバカマ・やタンポポの光合成で、十分な役割を果たしています。

 車山高原では、ニッコウキスゲの新芽は5月初旬に地表に現れます。シカの食害が続き、幾たびも再生能力が働きますが、やがて花芽どころか花自体まで食べられます。車山高原に辛うじて生きる多年草のニッコウキスゲの花は、消耗し小型化しています。

 形態的にも、幼若相の「幼形」と成熟相の「成形」とで違いが多く、中には、別の種と見まがうまで大きく形態を変化させます。ラン科やイネ科など初期葉としての単子葉など、葉の形態ばかりでなく、葉が茎に対して配列する葉序が極端に変わることが多いようです。通常、緩やかな中間的な形態を含みながら相転換をします。

 成熟栄養相から成熟生殖相への相転換は突然起こります。一度、成熟相に達すると、その状態で安定します。
 シラカバ(白樺)の木に出合えば、白い幹と優しい緑の葉のコントラストに目を奪われます。シラカバを、一本植えるだけでも、その樹形の優美さが、そのまま外構を華やかに支配します。車山近辺のシラカバ林でも、その白い複雑な樹皮模様は、まことに見事で印象に残ります。都会地の広場や庭では、シンボルツリーとして傑出した存在です。
 白樺が、寒冷地の樹叢帯を穏やかに占有する時、その風情は詩的となります。 その生長の早さ、樹形の整った美しさ、単色の白でありながら複雑な樹皮模様など、その白樺(オウシュウシラカバ)を愛でて、古代ゲルマン人は、「生命・生長・祝福の木」と呼んで親しみました。
 そのオウシュウシラカバの根元から接ぎ穂を取り、若木の台木に接ぎ木した場合、その接ぎ穂は2年間花を咲かせません。成熟した上部から切り取った接ぎ穂は、通常通り花を咲かせます。

 幼若性(juvenility)の形態は、草本植物と木本植物では異なり、幼若相の草本植物の分裂組織を、花を咲かせた成熟相の植物に接ぎ木をすると、容易に花芽を付け咲かせます。
 一般的に、木本植物の幼若相の分裂組織では、接ぎ木しても、そのようなことは起こりません。木本植物の幼若相の分裂鉏組織は、花成能力を欠いているのです。
 
    車山のレンゲツツジと春化との関係               2017年7月5日記載

 春化(vernalization)は、長期間の低温による花成の促進を言います。そのため、秋まき小麦の種子を低温にさらすと、春にまいても収穫ができるのです。
 ただ、乾燥種子は、この低温処理には応答しません。水を吸収した吸水種子や生育中の植物を低温で処理することと、活発な代謝が関わることで、花成の抑制が緩和されるのです。
 低温処理を受けなければ、春化要求性の植物は、光周期(一日のうちの昼夜の長さ)に花成シグナルに応答することができず、花成が遅れるか、栄養成長をするだけとなります。その多くの植物は、茎を伸長できずロゼッタ状に広がります。
 春化は、主にシュート頂分裂組織で起こります。植物を局部的に冷却した場合、シュート頂を冷やした場合だけ花成が起こります。植物体から切り離したシュート頂だけでも春化が起こり、種子の時に春化が可能な植物では、殆どシュート頂のみを含む胚の断片だけでも低温に感受性を持ちます。その分裂組織が、春化により花成を行う応答能を獲得できるかが、その植物の将来を決定します。
 花成能だけでは、花成は保証されません。特定の光周条件を要求します。車山高原のように標高の高い環境や、高緯度で初夏に開花する植物は、低温に続いて「長日」の組み合わせを通常要求します。車山のレンゲツツジの年毎の景観の違いが、それを物語ります。
 それは、春化が起こるためには、低温処理の期間中に活発な代謝が必要なためです。春化には、エネルギー源となる糖と酸素が必要であり、代謝活性が抑制される氷点下の温度では、有効に働きません。また、春化には、細胞分裂ばかりか、DNA複製をも伴います。春化は、分裂組織に安定した持続的な変化を引き起こしますから、日長などのシグナルに応答して花成を形成するのです。
 
   車山高原の植物も低温により花成が形成される               2017年7月4日記載
 多くの植物では、冬に経験する長期間の低温が花成の促進には不可欠で、それを「春化」と呼びます。
 春化によってシュート頂分裂組織が、花成能を持つようになるのです。
 春化処理に感受できるようになる齢(れい;plant age)は、植物種によって大きく異なります。
 様々な穀類に見られる秋播きタイプ、つまり秋に播種して翌年に花を咲かせるような越冬一年草では、生活環のごく早い時期に低温と応答します。
 多くの越冬一年生植物では、種子が吸水し、代謝が活性化すれば、種子から幼根が出現するようになる発芽の前でも、春化処理ができるのです。
 殆どの二年生植物は、播種後1年目は、生育期としてロゼットで成長し、翌年の夏には、花を咲かせるようになります。それで、春化に応答するためには、低温に感受性を持つ前に、ある大きさに達している必要があるのです。
 春化に有効な温度は、氷点下よりほんの少し低い温度から約10℃までの範囲にあり、通常は1~7℃の間にあります。至適温度にはかなり幅があるのです。
 低温の効果は、処理期間を長くするほど増大しますが、やがて飽和点に達します。通常は、数週間の低温処理が必要です。その処理期間の長さは、種や品種によって様々です。
 早春の異常な高温のように、脱春化の条件にさらされれば、春化の効果は失われます。ただ低温にさらされた期間が長いほど、春化の効果は持続し、失われにくくなります。
 
   車山高原のタニウツギ               2017年7月3日記載

 遠くからですと、タニウツギ(谷空木)は、紅色の花で包まれているように見えますが、花の内側は淡いピンク色です。樹下に入れば、陽射しを透かして優しい色合いで迎えてくれます。根元には、純白の小さなチゴユリの花が散見されます。
 新芽を食べる人もいます。5月初旬、若葉の先端を摘み、日干し乾燥させ保存し、食べる時に臼で砕いて、塩少々と混ぜて、炊きたてご飯に混ぜて蒸らし「糅飯(かてめし)」にして食べます。当然、毒性はないのですが、苦みと少しのえぐ味があります。
 その5月初旬に、ノビタキが数羽、このタニウツギの新芽を食べに飛び交っていました。隣のタカネザクラ(高嶺桜)の新芽よりも、好む様子でした。
 
   車山・蓼科・八ヶ岳・入笠山・釜無山の風景               2017年7月3日記載

 蓼科・八ヶ岳では、コヨウラクツツジ・ハクサンシャクナゲが、シラビソ・オオシラビソの林間を厚く覆う苔の中で群生しています。
 草本層では、コミヤマカタバミ・タカネノガリヤス・マイズルソウ・タケシマラシや秋に葉が枯れてしまう夏緑性のミヤマワラビが登山道沿いで目立ちます。
 入笠釜無山系では、白岩岳・横岳の頂上あたりでシラビソ・オオシラビソ・コメツガなどの常緑針葉樹林が優占し、低木層ではナナカマド・ミネカエデ・オオカメノキ・ウラジロカンバ・コヨウラクツツジなどが主で、亜高山帯の秋を紅葉・黄葉で美しく彩ります。
 草本層ではマイズルソウ・ゴゼンタチバナ・カニコウモリ・コミヤマカタバミなどが、小ぶりで淡い色合いの可憐な花を咲かせます。ミヤマスミレも、標高1,000mを超える辺りから、草丈は20㎝ほどですが、6月頃、鮮やかな紫色の花を咲かせます。   北八ヶ岳にある白駒池は、標高2,115mで、典型的な亜高山帯に属します。美しい深山の紅葉で有名です。通常、見頃は10月早々です。
 その紅葉は、奥山の山岳風景が背景となるため深みのある格別な馳走となりますが、残念ながら盛期は一週間ももちません。
 ドウダンツツジやナナカマドの紅葉やダケカンバの黄葉が、湖面に映える光と影となり見事な協演となります。車山湿原と同様、好事家が毎年訪れる紅葉のメッカとなっています。
 
   新緑に染まる車山の樹叢               2017年5月28日記載
 車山は霧ヶ峰連峰の主峰で、標高は1,925mあります。1,985~2,004年の20年間の車山山頂気象観測所が測定した平均気温は5.9℃でした。
 その車山の山頂付近と蓼科・八ヶ岳山系の標高1,800m以上から高山帯の2,500mの森林限界までが亜高山帯でしょう。
 ただ植生に基づく分類が本質ですから、南アルプスの入笠釜無山系では、標高1,500mから既に、亜高山帯特有の植生が現れています。
 蓼科・八ヶ岳の亜高山帯では、高木層としてシラビソ・オオシラビソが優占し、部分的にコメツガの樹叢が見られます。  
 車山山頂の北面では、ダケカンバやミヤマザクラが樹高10m内外の樹叢帯を作り、低木層としては、樹木のオオヤマレンゲ・フウリンウメモドキ・オオカメノキ・ミネカエデなどがあり、特にヌルデ・ウラジロナナカマド・ヤマブドウ・マユミが、車山の紅葉の主役になっています。
  南側の深い断層が形成している沢筋には、ミズナラ・ダケカンバ・コミネカエデが優占する大型の樹叢が見られます。
 厚い樹皮に守られているカシワは、火を浴びても回復力が強いため、風衝地に群落を作ると言われています。そのためか、白樺湖付近から、車山高原とカシガリ山で目立ちます。
 ズミは多湿地を好み、八子ヶ峰や八島ヶ原湿原で大きく群落をつくっています。 今現在では、大門街道沿いに何本かのズミが、真っ白な花に満たされて、巨木として聳えています。
 
  音無川の谷の「大門おろし」               2017年5月21日記載
 白樺湖から湯川までの音無川の谷は、日中も夜間も白樺湖からの山風が吹き降ろします。 これを柏原の人は、「大門おろし」と呼びます。
 日中でも、山に向かって谷風が吹き上げるはずが、白樺湖方面から「大門おろし」が吹きます。
 8月上旬の夏、関東方面に強力な高気圧が張り出す、好天の南風の場であっても、
 その頃、諏訪の平・原村・蓼科の風が、南風であっても、
 大門街道沿いの山の神や柏原には、「大門おろし」の山風が吹きます。
  高原の湯川や柏原などの山浦地方は、西日を浴びて気温が上昇しますが、夜間は、相当に涼しく、または寒くなります。 それでも、白樺湖の湖面標高は1,416mですから、気温は、常に山浦地方より低いはずです。 そのため、音無川谷は、大きい気圧の場となり、谷風にならず「大門おろし」になりやすいのです。
 高度100mにつき何度気温が低下するかという割合を気温減率と言います。 諏訪地方の夏の観測では、午後1時、午後8時、午前2時の値は、それぞれ0.75、0.58、0.46と午後1時の値が最も大きくなります。 これは、日照による昇温が諏訪盆地の底部の方が高くなるので、日中でも、山麓と峠の上部とでは、気温差大きくなるためです。
 
 「諏訪の平」の美しい川               2017年5月20日記載
 電気伝導度は電気の通りやすさを示す指標です。
 溶液中に含まれるイオン(ion)が電気を運ぶ役割を担うので、これに含まれる電解質の濃度が高くなればなるほど値は高くなります。
 イオンとは、正または負の電荷を帯びた原子や分子のことで、それらの原子が他の原子に負電荷の電子を供与してイオン結合が形成されます。
 その電子の受け渡しで、電子を与えた原子が正電荷を帯び、受け取った方が負電荷を帯びるため、流域の大まかな水質特性や地下水の水脈の判定に役に立ちます。ただ万全とは言えず、シリカゲルとして吸湿剤に使われるケイ酸(通常H2SiO3)など電荷をもたない物質は、濃度が高くても伝導率には影響しません。
 宮川の場合は、河川の中に含まれる塩化物イオンが、6.0~10.0mg/ℓと多いことから、原村の集落や農耕地を流れる弓振川・小早川・大早川・阿久川・矢の口川・金山沢川などの支流域や茅野市宮川流域での人為的汚染が考えられます。
 ただ近年の下水処理の普及により解消してきているようです。

  pH観測は、地下水の性質が塩基性(アルカリ性)か中性か酸性かを調査する重要な水質項目となっています。
 山間部の河川は、地質、土壌中の二酸化炭素の酸化、植物の炭酸同化作用およびバクテリアによる生物体の分解や人為的影響等の因子によって水の性質が変化します。
 茅野市を流れる河川の観測傾向から、河川中のpH6.4~7.5を中性、pH5.4~6.3を酸性、pH7.6以上をアルカリ性として分類します。  
 宮川は、ほぼ中性で、原村から流れる 小早川や大早川などでややアルカリ性を示し、溶存物質も多いようです。  
 上川は、上流部の滝の湯川・渋川・角明川・鳴岩川(なるいわかわ)・柳川が酸性を示し、さらに渋川・角明川・鳴岩川・柳川の最上流部では、pH5.3以下の強い酸性の値になっています。
 八ヶ岳火山列の温泉や硫気変質地帯などの影響と見られ、それが顕著な場所ではpH2.8~3.8と強酸性です。  
 八ヶ岳火山列を源流とする河川とは異なり、車山の南麓を源流とする音無川・前島川・藤原川・桧沢川・横河川は、ほぼ中性で、霧ヶ峰の踊り場湿原だけは酸性度を示します。泥炭層のためと思われます。
 
 八子ヶ峰断層と蓼科温泉               2017年5月19日記載
 車山には、溶岩や火山砕屑物などが積み重なった爆裂火口があり、それが円錐台形の山を形成していたようです。
 玄武岩質から安山岩質のマグマによる噴火活動により地表面にスコリア(岩滓)が放出され、火口の周りに10枚以上の溶岩流の積み重なりが崖錐斜面をつくり、そのスコリア丘の南側が風化し崩落して、馬蹄のようにU字型に開いた今の形を残します。
  車山を主峰とする霧ヶ峰火山群の活動は、火砕流から溶岩流を主体とした活動に変わります。第四期更新世前期(今から130万年前から60万年前にかけて)が最も盛んでした。
 この新期の火山活動は、北西の三峰山地域から始まり、北東の虫倉山、南東の八子ヶ峰などで、安山岩を主とした噴出物を堆積させました。そして、虫倉山の南南西と八子ヶ峰の北北東側では断層活動が起こり、鷹山断層、八子ヶ峰断層が生まれます。この二つの断層に挟まれた谷が、いわゆる火山性地溝と呼ばれるもので、今日の大門街道とほぼ一致しています。  
 車山山頂からは、右手に平坦な八子ヶ峰が見下ろせます。その稜線の左側の斜面が八子ヶ峰断層です。その左遠方が蓼科山です。その登り口のすずらん峠(大石平峠)まで断層が走っています。  
 八子ヶ峰断層の南方へ伸びた延長上に「城の平」南東約1km地点の凹地は、蓼科高原溶岩上にできたものである。岩石が硫気変質し白色化しておりますが、90℃の湯元となっています。八子ヶ峰断層は、八ヶ岳火山列山頂部に並行して温泉を分布させているのです。
 
 鷹山断層               2017年5月15日記載
 諏訪湖を挟んで、その北東側から南西側方向へ活断層群が発達し、それらを一括して「諏訪盆地活断層系」と呼んでいます。
 茅野市坂室周辺には、南東から北西へ走向する茅野断層があり、直線的な断層崖が認められています。
 河成段丘や谷の屈曲に左横ズレがあり、これらの屈曲から推定される左横ズレの平均変位速度 は8~10m/1,000年に達し、日本で最大の変位速度を持つ活断層の1つです。
 中央自動車道が断層線を横切って建設されています。  
 車山の北西の男女倉地区から追分にかけては、約6kmと想定されている、西北西から東南東方向へ走る鷹山断層があります。
 虫倉山(1,658m)や高松山(1,667m)の山地と、霧ケ峰の主峰である車山(1,925m)から大笹山に広がる高原状の山体に挟まれた細長い低地帯を鷹山盆地と呼びます。
 この盆地の底部の標高は1,360m前後で、盆地北側の虫倉山から高松山の山体と鷹山盆地との境界をなして、その北西から南東方向に伸びる比高約200mの急崖が鷹山断層と呼ばれています。
 
 車山と「池のくるみ」の活断層           2017年5月13日記載

 霧ヶ峰高原は、火山活動により形成された、南北が非対称の地形です。
 その後の断層活動や浸食、及び「諏訪の平」の人々の営みにより、現代の美しい緑野が誕生しました。
 霧ヶ峰火山群の活動は、八ヶ岳火山列の目覚めより大分早く、第三紀鮮新世末期から第四紀更新世前期(約140万年前)にかけて活動し始めました。
 古期の火山活動では、火砕流を主体とした溶岩流(安山岩)を流出させながら、現在の諏訪盆地を埋め尽くすほどの多量の火山砕屑岩(かざんさいせつがん)を噴出しました。
 その初期の火山砕屑岩類の名残が、音無川流域の大門峠・白樺湖から「緑の村」別荘地にかけて見られます。
  この古期の火山砕屑岩類の火山活動が終息期になると、三峰山・和田峠・鷲ヶ峰・霧ケ峰高原・車山の順序で、北北西から南南東方面に連なる、現代の山体部の稜線を形成する新期火山活動期に入ります。
 その最期に形成された車山が、60万年前、その山頂の南側で火山ガスを大爆発させ、山頂部を崩壊させて、火山活動を終息させます。 やがて、車山の南側にあたる「池のくるみ」から「富士見台」の下を通って白樺湖に及ぶ、南南西から北北東方面に、左「横ズレ」の活断層が生じます。
 そのため、「池のくるみ」から「ガボッチョ(1,681m)」の北側を境にして、断層の北側が東に、南側が西へ約800mに及ぶ地形の「横ズレ」が起こります。 「池のくるみ」は、この「横ズレ」活断層にできた低地が、歳月を経て湿原となりました。
 
 車山火山           2017年5月12日記載

 霧ケ峰高原は、車山(1,925m)を主峰とする鷲ヶ峰(1,798m)までの標高およそ1,500~1,900m、東西10kmに広がる豊かな緑の大地です。
  霧ケ峰高原は、八ヶ岳火山列の北西延長部に展開する八子ヶ峰ー霧ヶ峰火山列に属します。その火山列は、車山を最高峰としたアスピーテ型火山(楯状火山)であるため、北西から南西に展開するゆるやかな傾斜からなる熔岩台地を現代に残します。
  車山は、霧ケ峰火山群の最末期に噴出してできた火山で、頂上の南側には、爆裂火口と推定される断崖があります。
 10枚以上の溶岩流の重なりが、柱状節理となっているのが望観されます。
 車山の爆裂火口から更に南に聳え、それも南側の米沢の方へ「傾いている(かしがっている)」カシガリ山(1,616m)は、霧ケ峰火山第Ⅱ期の噴火により、その火山岩で平坦に形成された台地が、その後の浸食で削られてできた山容です。
 
   高島城 桜吹雪           2017年4月27日記載

 高島城址の高島公園は 桜の名所です
 ソメイヨシノを中心に シダレザクラ ヒガンザクラ ヤエザクラ 約 90本が植えられています
 淡い紅色の一重の花を 下向き咲かせるオカメザクラは 萎んでいました
 黄色の花の玉をたくさん付けた
 サンシュユは  今でも心字池の畔から 天守を臨んでいます
 桜吹雪との共演が 多くのカメラマンを引き付けています
 カツラの巨木も 若葉を茂らし始めました
 ケヤキの林から アオサギは旅立ちしましたか
 今では 数羽のトビが カラスを追い立てています
 
   「姥ヶ懐」の枝垂桜           2017年4月19日記載

 大空を渡る神霊が
 大地に花満ちる 枝垂桜に誘われて
 姥ヶ懐に 降り立たんとした

 長野県北佐久郡立科町芦田の
 姥ヶ懐は
 昇る陽射しに ぬくもれる
 「乳母の懐」

 標高:911.4m
世帯総数10世帯、人口総数30 人(平成22年国勢調査)
 
   車山の眺望、仙丈ヶ岳           2017年2月12日記載

 車山高原も、大雪に恵まれ、スノーシューに最適なフィールドとなりました。
 車山肩から緩やかな山陵へ向う、初心者向けのスノーシューコースです。
 乾雪に残る靴跡は、行きも帰りも、一つだけでした。
 車山山頂から眺める、
 陽が射して目映い、白き仙丈ヶ岳は、
 男性的な北岳や甲斐駒とは対照的に、
  青空に凛と聳る優美な姿でした。
  「南アルプスの女王」と呼ばれています。
 長野県伊那市と山梨県南アルプス市にまたがる南アルプス国立公園内の赤石山脈の北部にある標高3,033 mの山です。
 日本百名山の一つ。
 
   富士山と八ヶ岳連峰を 一望           2017年1月29日記載  

 澄み渡る青空が、広がります。

 鳳凰山と仙丈ケ岳が群青色に染まっています。

 最高4℃は、南西の風です。
 積雪は、105cm、
 雪質は、粉雪で圧雪。

 最大斜度38度 車山高原スキー場、随一の急斜面スポーツマンコース からアクセスするトレビアンコースが爽快!

 車山高原スキー場は、全面滑走可能です。
 
   スポーツマン・トレビアンコース オープン           2017年1月3日記載

 お待たせいたしました!  
 最大斜度38度 車山高原随一の急斜面スポーツマンコース とスポーツマンコースからアクセスするトレビアンコースもオープンです!
 これで車山高原スキー場ほぼ全面滑走可能!
 全コースのコースコンディションも良好です。
 (御注意)キャプテンコースのみ滑走見合わせ中です。  
  第3クワッドリフトのスカイパノラマで山頂へ!
 蓼科山や阿弥陀岳の円錐形の山容が美しい、大パノラマ!
 車山山頂から周りの山々を見渡す広々とした ロングコースをお楽しみください。
 
 最大斜度:27°平均斜度:15° パノラマコース→ファミリコース 距離:2,000m
 
   車山高原スキー場、ビーナスコース上部もオープン      2016年12月29日記載

 12月29日(木)、ビーナスコース上部もオープンしました!
 最大斜度 35度のフラットな斜面をお楽しみください。
 第3クワッドリフト「スカイパノラマ」は、標高1925mの車山山頂近くまで昇ります。

 ファミリーコース:◯
 スラロームコース:◯
 パノラマコース:◯
 ビーナスコース:◯

 「スカイパノラマ」は、下りの利用も可能です。 雪の山岳風景を楽しむ方は 車山山頂から望む360度の大パノラマを堪能してください。
 山頂往復リフト 、スカイライナーとスカイパノラマの乗り継ぎで 合わせて、1600円です。
 キッズパーク本日無料開放です。
 
   キッズパーク・クローズ&イベント中止のお知らせ      2016年12月24日記載

 12月23日(金)オープン予定のキッズパークですが、雨の影響によりクローズとなりました。
  それに伴い予定していましたキッズイベントも中止となりました。
  ファミリーコース:◯
  スラロームコース:◯
 ファミリーコース、スラロームコースに続き ビーナスコースは、下部のみオープン予定です!
  第3リフト、パノラマコースは、コンディション不良の為クローズしております。
 各コース安全確認出来次第、順次オープンする予定です。

 営業時間:8:00-16
 
   車山高原スキー場 ゲレンデ状況      2016年12月21日記載

 2016 -17シーズンの車山高原スキー場の営業は、本日12月10日にオープンいたしました!
  スキー場オープンより10日以上が経過し、21 日現在3 コース滑走出来る状態になり ました。
 第3クワッドリフト「スカイジェッター」は標高1,925mの車山山頂まであと少しのところまで登ります。
 2016年12月14日 スラロームコースがオープンしました! 平均斜度18度の正斜面は中級以上のレベルの方に特におすすめのコースです。
  2016年12月17日 ファミリーコース、スラロームコースに続き、ビーナスコース下部もオープンしました! フラットな斜面をお楽しみださい。
 ゲレンデの今後の予定
 12 月23 日 : パノラマコースオープン(第3 リフト) キッズパークオープン(動く歩道稼働) 「スポンジ・ボブキッズパーク」もオープン予定です!
 12 月25 日 : ビーナスコース上部(急斜面)オープン
 12 月26 日 : ファミリーコース拡大(第8 リフト横滑走可能)
 主要コースはほぼ滑走可能状態となります。以降コース幅拡大等 年末年始に向けて状態を良くしていきます。
 クロスコース: 1 月21 日大会に向けて造雪
  パーク : 1 月上旬より徐々にオープン
 12 月23 日よりリフト料金がレギュラー料金となります。
 また、1 月4 日~6 日は特定日扱い(土日料金)ですので、ご注意下さい。
 
   車山高原スキー場 本日12月10日にオープン      2016年12月10日記載
 2016 -17シーズンの車山高原スキー場の営業は、本日12月10日にオープンいたしました!!
 今シーズンは降雪設備をパワーアップしたそうです。
 ゲレンデ関係者のご努力に感謝します。
 先ほど撮影したファミリーコースの写真です。
 まだ、中腹辺りからのようですが、雪の厚み、コース幅ともに充分なようで、車山高原スキー場のウインタースポーツシーズンの到来を堪能している様子でした。
  雪の雄大な蓼科山を一望!
 硫黄岳や天狗岳の円錐形の山頂も美しい!

 ゲレンデ下部にあるセンターハウス「スカイプラザ」には、ファミリー専用休憩所もあります。
 
   「五輪久保りんご」蓼科山の北麓 北佐久郡立科町五輪久保   2016年12月6日記載

 今年の「五輪久保りんご」は、日照不足で収穫量は落ちているようです。 また、密の入りも少ないようです。
 りんごの蜜の正体は、「水分」と「ソルビトール」という「糖アルコール」の一種だそうです。
 この蜜の部分が、特別甘いというわけではないようで、 農家の庭先で、採りたてを食べさせていただきましたが、 本当に、それほど甘くありませんでした。 寧ろ、そこから腐り始めるようです。
 蜜の部分より、その周りの方が甘いのに、今更のように気付かされました。
 りんごの甘さの元は、ソルビトールが果糖に変わるからです。 りんごの蜜は、果糖に変化しきれない多量のソルビトールが引き起こす現象です。 例年の「五輪久保りんご」の蜜が豊富なのは、果糖に変化できないほど多量の「ソルビトール」を含んでいるからです。 しかも、時間が経過するにつれ、果糖に変化しきれない多量の「ソルビトール」も、次第に果糖に変化し甘くなります。
 これが、それほど蜜が入っていなくても、例年通り、「五輪久保りんご」が美味しい理由です。 今年のリンゴは、密は少ないのですが、大きくて甘い、 しかも、保存性が増しているかもしれません。
 
    車山高原スキー場、冬季リフト初滑り料金        2016年11月22日記載

  2016-2017冬季リフト初滑り料金   2016年12月10日(土)~2016年12月22日(木)
小学生、中高校生、シニア(50歳以上;要年齢証明)、大人の順で
1日券  2,000  2,600  2,600  3,000
2日券  3,300  4,300  4,300  5,000
 
 オープニング期間特典  
12/10~16日の間に、1日券、2日券を購入されたお客様には次回使用可能な「リフト特別購入券」をプレゼント!  

 12月~3月までの第3日曜日は「スキーこどもの日」で小学生のリフト券が無料となります。  
 小学生未満(要年齢証明)冬季シーズン中無料!!
 
    車山高原スキー場 早割シーズン券        2016年11月21日記載

  2016 -17シーズン 
 車山高原スキー場のオープンは 
 12月10日を予定!
 11月1日より、特別早割りシーズン券の受付販売を開始しています。
 販売期間 
 平成28年11月1日~平成28年12月22日  販売価格 
 大人(18歳以上) – 35,000円  
 子供(6歳〜12歳) – 20,000円   
 中高生 – 35,000円   
 50歳以上 – 35,000円  
 60歳以上 – 20,000円  
 70歳以上 – 10,000円(税込み) 
 申込方法 http://kurumayama.sakura.ne.jp/
winter/archives/category/infoから
 シーズン券申込用紙をダウンロードいただき、必要事項をご記入の上、以下の①〜➁のいずれかの方法でお申し込みください。  
 ➀ 現金と申込書をご同封の上、現金書留にてご郵送ください。(早割は当日消印有効)  
 ➁ 申込書を送付頂き、下記口座に振り込みください。
 (早割の場合期日当日送金分まで有効)   
 金融機関 八十二銀行(0143) 茅野支店(531)   口座番号 当座 2004412   
 口座名義 信州綜合開発観光株式会社(シンシュウソウゴウカイハツカンコウカブシキガイシャ) 
 お問合せ:車山高原スキー場 シーズン券係 TEL 0266-68-2227
 
    御射鹿池(みしゃかいけ)の紅葉        2016年10月20日記載

 東山魁夷が御射鹿池を描いた有名な絵画「緑響く」は、シャープのアクオスのCMで、吉永小百合が白馬と並び、一段と評判が高くなりました。
 秋、短い西日は既に傾き、その夕日を受けて、周囲の落葉松林が黄金色に輝きます。 黄金色の影が、御射鹿池の水面に映ります。
 山並と雲間に挟まれるように日差しが落ちて、しっとりとした色合いを見せる御射鹿池の落葉松の黄葉が、水面の影と一体となって、穏やかな風情を漂わせます。
 湖底に酸性水を好むチャツボミゴケが繁茂したためか、水面にきれいに映るのだそうです。
 
    白樺湖の紅葉        2016年10月8日記載

  白樺湖のサクラや大門街道沿いのモミジ・ナナカマド・ヤマブドウも色付き始めました。
 車山高原から、シラカバやミズナラをはじめ、カラマツやナナカマドなどが、蓼科山を映す白樺湖周辺から八子ヶ峰の高原一帯を美しく染め上げる風景も、まもなく楽しめるようになります。
  ビーナスラインで蓼科を経由して訪れる横谷観音展望台から眺める、王滝などの横谷渓谷を彩る、あざやかな紅葉は、今年も10月中旬頃でしょうか。 
 そろそろ、車山湿原のタカネザクラ・レンゲツツジ・ナナカマド・ヌルデなどの紅葉も見頃となるでしょう。
  
    車山高原に紅葉の季節が訪れました        2016年10月4日記載

 レア・メモリーの庭のウメモドキも黄色く色づき、蔦ウルシやヤマブドウも紅色に染まります。
 ハウチワカエデ・イロハカエデ・ニシキギ・ナナカマドの梢の先が、随分と赤く輝いてみえます。
 白樺の病葉も、黄葉の色を濃くしています。

 八島ヶ池から鬼ヶ泉水にかけてヤマドリゼンマイが大群生していますが、丁度、赤褐色に染まり、木道沿いのアサマフウロ・タカトウダイ・ヤナギラン・ワレモコウなどが鮮やかな紅葉となり、それらがgradateされ、八島ヶ原湿原ならではの草紅葉風景となります。
 また萱類の紅葉も美しいものだと、再認識させられました。
 意外にも、クサキョウチクトウの白い花が、未だに咲き残っていました。
 
    松代の風景             2016年9月9日記載

 秩父山地・筑摩山地・三国山脈などに源流を発する千曲川に沿って長野盆地(善光寺平)の東岸に広がるのが、古くは河東(かとう)と呼ばれた地域です。
 ちなみに、車山の東麓を流れ下る大門川も、その源流の一つです。
 松代町はこの河東を中心地として、かつては、JR長野駅や善光寺のある千曲川西岸よりも栄えていました。   真田氏の城下町として発展した松代は、武家屋敷や真田氏ゆかりの社寺や諸施設が江戸の面影を今に伝えるものの、松代宿には本陣がなく、宿場らしい風景はあまり見られません。
 北国街道は、江戸幕府によって整備された脇街道で、北国脇往還、善光寺街道などとも呼ばれます。追分で中山道と分かれ、善光寺を経て直江津で北陸道に合流します。
 長野市の中央部にあたる青木島地区は犀川に面し、北国街道、善光寺街道、松代街道などが通じ、古くから交通の要衝として栄え、その犀川には「丹波島の渡し」が設けられ、船3隻・水主15人・船頭1人が松代藩から配備されていました。
  善光寺平の入り口、屋代宿(矢代宿)を過ぎて、「雨宮の渡し」で千曲川を徒歩渡りするのですが、川を渡らずに東岸の松代宿や福島宿を経由して、牟礼宿で本道と合流する松代道と呼ばれる脇道があり、谷街道の一部と重なります。
  宿駅制定から五度にわたり千曲川の水害に遭い、屋代宿は若穂の川田宿に移ったと伝えられます 。川田宿の素朴な町並みが、今も街道時代の風情を色濃く留めています。
 河東エリアは対岸の川中島エリア(千曲川と犀川が合流する地点)とともに肥沃な大地を有しており、古代より農耕に適していたようです。松代は、現在も農業が盛んで、特産品の長芋をはじめ、もも・あんず・ぶどう・りんごなどが作られています。昭和41年に長野市の一部(長野市松代町)となったため、正しくは市町村制度における「町」ではありませんが、現在でも松代「町」という名称がついています。
 
  数回にわたった川中島の合戦において、最大の激戦地となったとされる川中島八幡原には、現在でも多くの史跡が残されています。この川中島の合戦は、最後まで雌雄が決しなかったものの、それ以後、善光寺平は武田方の領有となりました。
 
   海津城 (松代城)             2016年9月8日記載

 車山からは、上田市真田町に下り地蔵峠を越えて松代に出ました。
 海津城は、武田信玄と上杉謙信が北信濃の覇権を争った川中島合戦で、武田軍の拠点として築城されたといわれています。
 城の名を松代城と改めたのは、正徳元(1711)年、真田氏三代幸道の時です。
 北不明門(きたあかずもん)は、当時は千曲川に接し、千曲川の流れを外堀とする天然の要塞でした。当時は「海津城」と呼ばれました。 また、茅津城とも言われ茅の生い茂った地であったとも伝えられています。
 松代・屋代・坂城・海野など千曲川流域は、昭和にいたるまで、水害に悩まされています。
 江戸時代、真田氏が松代藩主となると、松代城を中心に真田10万石の城下町が発展しました。
 明治の廃城にともない建物が壊されたため、長い間石垣を残すのみでしたが、昭和56(1981)年、新御殿(真田邸)とともに国の史跡に指定されました。
 北西にあたる櫓跡の石垣を登ると、南西には、上杉謙信が陣を張った妻女山が、指呼の間に見えます。その当時の千曲川は、もっと山沿いに流れていました。謙信と信玄の「川中島の戦い」は、映画や小説とは大分違うようです。  
 海津城は、桜の名所としても知られ、4月中旬頃、見頃を迎えます。「上田城千本桜まつり」も、丁度、その頃です。
 海津城は、武田信玄によって、永禄3(1560)年に築城され、以後、明治の廃城まで300年余りにわたって、北信濃の主要街道の分岐点として交通・軍事の要地でした。廃城後は建物が打ち壊されたために、城としての景観を失い、わずかに石垣が残るのみでした。
 平成14年までの整備事業で、本丸太鼓門・北不明門の2基の櫓門と二の丸の土塁や堀が復元されました。 
 復元された北不明門は、太鼓門とは異なり、石垣と石垣の間に建てられ、中世城郭の城門の様式を伝えています。
 
  美しい満山緑野の車山高原             2016年8月26日記載

 針葉樹の葉の光合成は、最近の研究により低温下では光合成を行なわないことが明らかになりました。
 厳冬期には光合成はおこなわずに呼吸のみが行なわれています。逆に、このような低温下で雪面からの反射などの強い光を受けると、葉の組織が壊れて、枯れてしまう「光阻害」という現象が、冬の常緑樹でも起きます。  緑葉を付けている以上光は集まってきますが、車山高原の低温下では化学生産能力が 極端に落ちます。
 真冬の晴天などでは、真夏以上の「光阻害」がおきているのです。  
 光のエネルギーは、光合成の反応を進め化学エネルギーに変えます。強い光の場合、光合成能力を超え、その余分な光のエネルギーは光合成に使うことはできません。そのような場合、植物には防御システムがあって、ある程度までは、エネルギーを安全に熱エネルギーの形にすることができるのです。
 しかし、さらに光が強くなると、エネルギーが余ってそのエネルギーによって光合成の装置が壊されてしまうことがあります。 これが「光阻害」で、強すぎる光で光合成が行なわれなくなる原因となります。つまり、余った光エネルギーによって「活性酸素(ROS)」と呼ばれる反応性の高い化合物が発生し、それが光合成装置を破壊してしまうのです。
 
  車山高原の針葉樹             2016年8月25日記載

 シラビソ(白檜曽)は、八島ヶ原高原の下部にあたる、東俣国有林で優占するウラジロモミより更に上部、
 海抜1,500mから2,500mの亜高山帯にあたる車山に広く分布します。
 その葉の表面は深緑色で光沢があり、裏面は白色の2本の気孔帯があり、そのため少し白く見える、それが名の由来となりました。
  シラビソはマツ科モミ属の常緑針葉樹で日本の固有種、その樹皮は灰白色で平滑、白桧曽と書くから、白いヒノキの意となります。
 葉の付け根の形状は、仲間のモミと同じで葉痕は丸です。  
 ツガ属・トウヒ・モミ属などの針葉樹が生育する北方地域では、当然、光照射が南方に比べて少なく、より効率的に光資源を利用する必要性に迫られます。
 また、アカマツやカラマツなど、荒蕪地に先駆的に侵入してくる他の樹種や背の高い草本との競争に勝つためにも、成長を速くすることが重要なのです。
 
  梅雨明けを告げるアキアカネ              2016年7月25日記載

 諏訪の平の人里でよく見かける赤とんぼはナツアカネです。
 アキアカネは、梅雨明けの夏に一旦低地から飛び出し、車山高原や白樺湖に大挙して出現するのに対して、 ナツアカネは、夏も、上川や宮川の河原などの低地に留まるのため、ナツアカネの和名が与えられたのです。
 活動時季は、両種にほとんど差はありません。 アキアカネの場合は、平地や丘陵地にある水田や浅い池、河川敷の水たまり、 また学校の水泳プールで幼虫(ヤゴ)が育ちます。
 成虫になったアキアカネはオレンジ色をしていて、体も軟らかく弱々しい感じがします。 しかし、意外と飛翔力に優れ、その後まもなく高原を目指して飛び立ちます。
 梅雨があけ、真夏の日が照りつける頃にはアキアカネは高原に移動してします。 それで今の時季になると、突然、車山高原や霧ヶ峰の草原で多く見られるのです。
 アキアカネは、人里から姿が消えます。 アキアカネが暑い夏を過ごすのは、標高が 1,000mを越す高い山なのです。 アキアカネの餌はハエ・カ・小型のクモ、稲の害虫のウンカやヨコバイなどの小さな虫で、1日に11~12mgの餌を食べるという。
 そして10月初旬あたりに一斉に里へ集団移動します。水たまり・浅い池・水田、収穫の終わった水がない田んぼなど、ところかまわず産卵をします。アキアカネを含むほとんどのトンボは1年1世代なのです。
 2,000年代頃から日本各地でアキアカネの個体数が激減します。 2,009年の時点で、半数以上の府県で、1,990年の1,000分の1に激減する。 その原因はイネ苗といっしょに水田に持ち込まれる農薬入りの育苗箱といわれています。 種からある程度の大きさの苗になるまで育てるための箱で、稲苗と一緒に土壌中に埋め込むため、農作業の省力化にもなり、農薬の飛散を抑えるという観点からも、周囲の環境への配慮もなされていました。
 プリンスやアドマイヤーといった殺虫剤で、イネの苗と共に水田に埋め込まれます。 ここから溶け出した成分が、根から汲み上げられ茎や葉に拡散し、稲を食害する害虫だけに有効に働くと農薬だったはずが、 幼虫期に水田で水中生活をするアキアカネに甚大な影響を与えたのです。 特に、プリンスを用いた水田では、幼虫の羽化が全く見られません。
 
  車山高原ニッコウキスゲ              2016年7月10日記載 
 
 
 車山高原では、7月上旬頃からニッコウキスゲが咲き始めます!  
 7月中旬、ビーナスライン沿いの富士見台や車山展望リフト周辺が満開になります。
 富士見台一面に広く展開するニッコウキスゲの大群落に包まれて、 諏訪の平らを一望してみて下さい。
 左にカシガリ山、右にカボッチョ山
 その眼下の北山浦の入り口に、
 小泉山と大泉山が眺望され、
 その前方を閉ざすのが、神奈備山の守屋山の雄姿、
 そして甲斐駒ヶ岳・仙丈ケ岳・北岳・ 間ノ岳と伊那山地が  薄青い山影の連なりとなって、諏訪の平の果てとなって、たたなづくのです。
 それからニッコウキスゲは、車山山頂まで一気に駆け上がります。   
 筑摩山地の南端を走るビーナスラインは全長75Km。
 蓼科・白樺湖・車山・霧ヶ峰・八島ヶ原湿原・美ヶ原!  
 長野県の中心を貫くロングウエイを走る車窓に次々と映る大自然の感動的な眺望!  
 遠景は日本を代表する名だたる山々、蓼科山・木曾御嶽・木曽駒ケ岳・乗鞍などの山岳風景!
 
 信濃国分寺北側の蓮池の蓮の花が見ごろを迎えます        2016年7月9日
 創建時の国分寺は、承平8(938)年2月、平将門に敗れ身の置き所のなくなった平貞盛が、東山道をへて京へ上ろうと出立するが、朝廷に誣告されることを恐れた平将門が100騎を率いてこれを追撃、信濃国千曲川で追いついて合戦となり、貞盛側の多くが討たれました。
 このとき信濃国分寺は、戦いに巻き込まれて焼失したと伝えられています。隣接する尼寺は、その後も当初の地にしばらく存続したようです。
 やがて、この事件を機に約300m北方の現在の地に寺域が移転したと考えられます。しかし律令制度は、既に形骸化し、国家の保護が失われた国分寺は、漸次衰退に向かいました。
 現境内地には鎌倉期の石造多宝塔や五輪塔が存在し、また源頼朝が堂塔の再建を誓願したとの寺伝があるので、鎌倉期以降に現地での復興が始まったようです。

 室町時代には現存最古の建物である三重塔が建立され、八日堂(ようかどう)縁日の市は、当地方の交易の場にもなりました。
 
 諏訪湖の小坂観音堂のネムノキ                      2016年7月8日

 小坂観音堂の紫陽花の花が美しいです。
 諏訪湖を見下ろす高台から、紫陽花の花とネムノキの花の、穏やかな温もりのある香りが漂います。
 淡紅色の、毛のような細くて長いおしべが、湖畔の風にそよぐ風情の向こうには、美ヶ原と霧ヶ峰の緩やかな稜線が眺められます。
 ネムノキの葉は夕方に閉じて眠りにつきますが、花は夕方から開いて、翌日にしぼみます。でも昼間も咲いています。
 枝先にふわっと扇のように咲く花には足場がありません。足場を必要とせず、飛びながら蜜を吸うスズメガの仲間を誘うようです。
 元来、イモムシ(芋虫)は、サトイモやサツマイモの葉に多く見かけるスズメガの幼虫を言いました。
 昆虫は、紫外線から可視光の半分ぐらいまでを認識し、その紫外線により花弁の中の密や花粉の状態を外部から見ることができるという。
 
 俯いて咲くキバナノヤマオダマキ                      2016年6月26日

 漸く車山高原に、キバナノヤマオダマキ(黄花の山苧環)が咲き始めました。
 草丈は80~100cmになります。根から多数の茎を伸ばし、また側芽からも分岐して、径3cm程の透き通ったような黄色い花を、10数個、下向きに咲かせます。
  中には花茎を、実を付けるズミの小枝に巻き付けて咲いているものもありました。
 オダマキはキンポウゲ科の多年草ですが、キュウリをはじめとするウリ科の野菜同様に茎が支柱に巻き付く「接触屈性」があるようです。
 
 キバナノヤマオダマキは、キンポウゲ科に共通するアルカロイド系の有毒物質を含み、全草が有毒です。
 
 白樺湖のアサザが見頃です                         2016年6月13日           
 6月6日、白樺湖の水面に、赤みを帯びた浮葉から花茎を伸ばす浅沙(あさざ)が五弁の黄色い小さい花を、僅かに咲かせていました。
 今日、その水面が、黄色い花で、一面満たされていました。蓴菜(じゅんさい)に似ていると言われる葉は、既に緑色を深め、強烈な生命力に溢れています。
 アサザは、その祖先が陸上植物だった時代と同様に虫媒花で、しかも、顕花植物の多くに共通する他家受粉のための仕組みを発達させています。
 アサザは、雌しべが長く、雄しべが短いのですが、長花柱花(ちょうかちゅうか)ほどにもいたらない中間的な形態です。
 しかも、水面に葉を広げて毎年6月に開花するほど成長した個体は、時として1個体が数百mの規模を占有する、地下茎をいくらでも伸ばすクローン成長を遂げます。
  しかしアサザの結実は、同一クローン内では出来ません。「自家不和合性」という仕組みを備えているからです。被子植物の半数あまりが、こうした反応をその遺伝子に組み込んでいます。 雄しべの花粉が柱頭に付着した際に、その花粉を識別し、自分と同一の遺伝子情報であれば、自家花粉として忌避し、異なる遺伝情報を持つものと解すれば受精するのです。 
 
  車山高原のレンゲツツジ情報                         2016年6月2日 
 6月の車山高原を代表するレンゲツツジの花は、レア・メモリーの庭では、大分色づき満開に近づいています。
 カシガリ山や富士見台付近では、いまだ花の蕾が小さいためか、朱色に染まり始めているのでしょうが、それほど目立ちません。
 見頃は、一週間後くらいでしょうか。
 白樺湖周辺では最盛期で、この週末は、朱色のレンゲツツジと黄色い黄金アカシヤの新葉が、新緑に染まる車山高原や八子ヶ峰に多彩な色取りを添えている光景が楽しめます。
 
 
 
  車山高原のリゾートイン レア・メモリーの手作りデザート         2016年5月18日 

 巡り来る春を迎えて咲くショウジョウバカマを見つけました。
 
 好評の手作りヨーグルト・レアチーズケーキです。コクのある滑らかさを、味わって下さい。季節により、甘納豆・抹茶・ブルーベリ-なども入ります。甘さ控えめのため、男性陣にも人気があります。
 一晩、たっぷりのラム酒に漬けた干し葡萄を入れたのが、ベークド・チーズケーキです。さっぱりした酸味はレモンのせいです。ふわふわでしっとりとしたクリーミーさが、濃厚なチーズケーキにまろみを加えてくれます。
 口に入れると淡雪のように溶けるイチゴのムース!
 滑らかな口当たりは、イチゴをよく潰したため。甘酸っぱい香りが、食後の名残となります。
 何層にも重ね塗りしたカスタードクリームのミル・クレープも好評!


  車山山頂はパワースポット            2016年5月17日
 4万年前には、現代人の祖先が大陸から日本に渡って来ていました。そこには既に、旧人が生活をしていました。
 この八島ヶ原周辺から車山高原の台地で、星ヶ塔・和田峠・星糞山などで採取される黒曜石を石材にして、狩猟を中心にした生業を営んでいたのです。
 未だ、神話上の神々も存在していない古代です。八島ヶ原湿原自体形成されていません。
 この氷河期、人々は沼沢沿いに小屋掛けし、焚き火で暖をとりナウマンゾウ・オオツノジカ・ヘラジカを黒曜石材で作った石槍で刺突して、食料・衣服・容器などに活用していました。霧ケ峰高原台地では、彼らの生活を支える一切が賄えられたのです。
 太陽が西に傾き掛ける頃、車山の山頂上空の雲間から漏れる陽射しが、輝く目映さで降り注ぎます。その時、車山の頂を依り代に降臨した原始の神々は、八島ヶ原で石器を作り狩をする人々に、4万年の長きに亘って何を語り続けて来たのでしょう。


 車山高原の路傍花, ムラサキケマン       2016年5月14日
  この時季、車山高原の路傍や日当たりのよい林縁で目立つのが、ムラサキケマン(紫華鬘)です。車山は、春遅くまで寒冷が続き、しかも風が強いですから、いまだ草丈は20cm位しかありません。
 茎は直立し、やや角張り、早春から6月ころまで、長さ5cm前後の穂状の花序を茎頂に出し、長さ2cmほどの筒状の細長い紅紫の花を密につけます。
 開花したばかりの花を観察しますと、オシベの花粉は既に同じ花のメシベにたっぷり付着していました。つまり閉鎖花状態で閉花受精しているようです。似た花を付けるシソ科のホトケノザ(仏の座)のように、つぼみのままで結実する閉鎖花が混じることが多いのでしょう。
 やがて、ほとんどの花で子房がふくらんで、種子が形成されます。ムラサキケマンは2年生草本ですから、虫媒・風媒による偶然に頼らず確実に種子を生産しようとしているようです。
 一方、花色には変異が多く、紅紫色から筒の部分が白色を帯びるものまでありますから開放花同士による他家受粉も行なっているのでしょう。
 花冠は余り開きません。その中のオシベの葯とメシベの柱頭は、花弁が先端近くで上下にドーム状に膨らんでいる部屋にしまわれています。普段はオシベもメシベも外からは見えず、花粉は雨風などから守られています。虫が蜜を求めて上側の花弁と左右の花弁との間を割って花の内部に入ろうとすると、メシベとオシベが飛び出して、虫の体に花粉をつけ、虫の体に付いていた花粉はメシベの柱頭に付着します。それでも自家受粉にこだわっているのですね。
 果実は熟しても緑のままです。果実は熟して垂れ下がり、果柄を残して切れて落ちると、果皮が勢いよく丸まって黒い種子を飛ばします。種子には、種枕(しゅちん)と呼ばれている白いものがついています。それが、アリを誘引する物質が含まれています。オレイン酸などの脂肪酸、グルタミン酸などのアミノ酸、ショ糖などの糖を含んだ、かなり栄養価の高い物質で、アリはこの部分を好み、餌として巣に引っ張っていきます。このことで、種子はさらに広範囲に散らばることができるのです。
 ムラサキケマンのようなケシ科の植物のほとんどは、全草に強い有毒成分を含んでいます。誤って食べると嘔吐・昏睡・呼吸麻痺や心臓麻痺を惹き起して危険です。それで、アリも種子まで食べようとはしないのです。
 ただ、アゲハチョウ科のウスバシロチョウ(ウスバアゲハ)の幼虫にとっては食草です。ウスバシロチョウは毒まみれです。そでで捕食を免れているのです。


 茅野市 粟沢観音の桜       2016年4月19日 
粟沢城は小泉山から続く丘陵の末端部にあたり、上川に架かる粟沢橋を渡ると、上川の侵蝕で断崖となる丘陵上に粟沢観音堂が臨めます。
諏訪一族である粟沢氏の居館があったのでしょう。 上川を間に鬼場城と相対し、上田平や佐久平から上原城下を防御する要となっていたようです。
天正10(1,582)年、織田氏の侵攻により諏訪頼豊が討死し、その時に粟沢一族も滅んだとされています。
丘上は宅地化されていますが、その周辺に土壇と土塁があり、堀の痕跡をうかがわせます。
今、桜が見ごろの粟沢観音堂からは、眺望が開けており茅野市役所のビル方面が望めます。


 高島城のソメイヨシノが見ごろです       2016年4月11日 
 明るい 緑滴る   
 松の懸崖が 美しい  
 サンシュユの黄色小花が  
 高く集まって咲く   
 気品のある 樹形が優美でした
 大手門近くの柳は 新緑を靡かせ

 細長い花序に透かされる天守閣

 茅野市運動公園の桜が、今週末が見頃になるでしょう。
 運動場や広場の周り、沿道などに、ソメイヨシノを中心に、500本以上の桜が咲き乱れます。
 玉川北久保にある古御堂の枝垂桜も、ほぼ同時期です。目通り幹周約3メートル、樹高約14メートル、樹齢推定約200年のシダレザクラで、市の天然記念物に指定されています。
 


 豊平下菅沢にある「下菅沢の祖霊桜」は、もうそろそろ開花します。墓地の中心に立つ、大きなシダレザクラです。

 玉川粟沢にある粟沢観音の桜は、粟沢観音で、毎年5月2日には八十八夜祭が開かれます。

 蓼科湖近くの蓼科聖光寺の桜は、標高1,200メートル付近にありますから、4月下旬から5月上旬という遅い時期に約300本のソメイヨシノが満開の時期を迎え、聖光寺桜祭りが開催されます。





 車山高原スキー場にドクターヘリが着陸       2016年3月22日
 本日、お昼前に、車山高原スキー場のゲレンデで、滑走中に単独事故が発生しました。
 詳細は不明です。
 負傷者は、直ちにスキー場パトロールに収容され、その状況から、ドクターヘリの出動が要請されたようです。
  ドクターヘリは、車山高原スキー場の駐車場に着陸しました。
 負傷された方は、救急車で運ばれ、 タンカーでドクターヘリに移されました。
 ヘリは南へ向かって飛行しましたので、諏訪中央病院で治療されるようです。

 春スキーですので、時間の経過にともないコンディションは変化します。
 滑走には充分お気をつけ下さい。
  現在のオープンコースは、
 ファミリー・スラローム・ビーナス・スポーツマン・パノラマ・トレビアンの各コースと、
 クロスコース・アスレちっくコースですが、
 今後の気象条件により、一部クローズする場合もありますので、
 お出掛けの際には、車山高原スキー場のウェブサイトで、ご確認して下さい。


 車山高原スキー場 全コース滑走可能       2016年2月20日

 スキー場の東側は、初心者・初級者向けのオープンワイドなバーンです。
  写真は、昨日、西側の最上部から撮影しました。
 次第に、斜度がきつくなり、中級者から上級者向けのバーンとなります。
  トレビアンコースは、エリア最大級のクロスコースです。
 スノーパークは、パノラマコースやトレビアンコースの一部に設置されています。
 ファミリーコース・スラロームコース・パノラマコース・ビーナスコース・トレビアンコース・スポーツマンコース、いずれも滑走可能です。
 キャプテンコースは、△です。


 車山高原スキー場もパウダースノーに        2016年1月20日

1月18から3日間続く積雪、車山高原スキー場も、大雪に恵まれパウダースノーになりました。

晴天率が高いし、ベースの標高が1,560mありますから、権現岳・赤岳・編笠山や富士山・鳳凰山・仙丈ケ岳など開放的な眺望を楽しめます。

ただ寒さ対策だけは万全に!

ファミリーコース・スラロームコース・パノラマコース・ビーナスコースは、既に全面オープンしています。

【パノラマコース】は、山頂から滑走可能です。車山山頂から雪の山岳風景を望みながら、広々とした距離2,000mのパノラマコースからファミリコースとつなぐ、そのロングコースを満喫し、まだまだ続く冬の季節を堪能して下さい!

1月22日(金)には【トレビアンコース】が、1月23日(土)には【スポーツマンコース】がオープンするそうです。


 【ビーナスコース】も全面オープンいたしました        2016年1月15日

【パノラマコース】山頂から滑走可能です。

【ビーナスコース】も全面オープンいたしました。

車山山頂から滑走しながら、八子ヶ峰と蓼科山・赤岳・阿弥陀岳と姿の美しい山々が、パノラマとなって臨めます。

【パノラマコース】から【ファミリコース】へと滑走するロングコースもお楽しみください。

最大斜度 27° 平均斜度 15°距離 2,000m

ギャラリーの注目度も高い【スラロームコース】も、広いゲレンデとなっています。


 ビーナスコース!完全オープンが間近に        2016年1月7日

1月9日(土)より、これまで下部のみの滑走だったビーナスコースが、600mから1,000mへと延長されます。
第4ロマンスリフト(2人乗り)の運行も、開始いたします。

現在、ファミリーコース・スラロームコース・パノラマコース・ビーナスコース下部が、滑走可能です。

スカイライナー・スカイジェッター・スカイパノラマ・第5ロマンスが可動中です。



 パノラマコース(全長2,000m)がOPEN         2016年1月6日  


パノラマコース(全長2,000m)がOPENしました!!

ファミリーコース・スラロームコース・パノラマコースが、滑走可能です。

ビーナスコースは、山頂近くが造雪中です。

スカイライナー・スカイジェッター・スカイパノラマ・第5ロマンス・第8ロマンスが可動中です。





 暖かな新春の車山高原スキー場          

明けまして おめでとうございます

穏やかに 健やかに

過ごせる 年になりますように…

14:20 現在 レア・メモリーの外気の温度は 10度を越えました

パノラマコースがオープンしましたが

今も 山頂からの滑走が 可能です


諏訪IC付近から白樺湖経由の道路は 乾いています

霧ヶ峰方面では 一部 凍結箇所があります

それでは
本年も 宜しく お願いいたします


 車山、大晦日の夜の花火大会              

大晦日の夜の花火大会は、12/31(木) 21:00から、およそ15分間開催されます。

星空きらめく夜空に打ち上がるのは、

スターマイン10基、4号玉20個、5号玉6個、さらに仕掛け花火10台という充分の内容になっています!

またパノラマコースがオープンし、山頂からの滑走が可能になりました!

ファミリーコース・スラロームコースも、滑走可能です。

ビーナスコースは上部の一部が不可です。

車山高原スキー場より

『よい年をお迎え下さい。来年も宜しくお願いいたします』


  車山高原 冬山展望リフト            

12月29日より、車山中腹から山頂までを結ぶ4人乗りリフト「スカイパノラマ」が運行を開始いたしました。
スキーやスノーボードを装着しなくても、どなたでもご乗車が可能です。
この冬の雪の山岳風景の眺望や写真撮影をお楽しみ下さい。

日本百名山「霧ヶ峰連峰」最高峰の「車山」です。
標高、1,925mですが、独立峰ならではの眺望は、まさしに目を瞠る美しさです!

遠近に波打つ、たたなずく、白い山々の峰々!

「諏訪の平」を白銀の雲海に沈め
朝陽が染める、東に連なる八ヶ岳連峰が、富士山に向かって、岬のように張り出しています。
南に連なる鳳凰山・甲斐駒ケ岳・仙丈ケ岳・守屋山の峰々が、
半島のように、雲海の彼方に、群青色に染まっています。

堂々と雲上にとどまる御嶽山の白い雄姿も、遙かな青空に、神々しく静まっています。

ご乗車の際の服装は、スキーウェア程度の防寒性と撥水性があるもが安心です。

☆冬山展望リフト乗車料金☆
 大人・中高生・シニア 1,600円 小学生 1,200円


 12月30日パノラマコースOPEN       

2015年12月30日より車山山頂までの第3クワッドリフト「スカイパノラマ」の営業を開始いたします。

12月30日オープン予定の
コースは
ファミリーコース・スラロームコース・パノラマコース・ビーナスコース下部

スキー、スノーボードをやらない方も山頂からの景色を!

山頂往復展望リフト券: 大人・中高生・シニア 1,600円  小学生 1,200円


 
2015/12/6 〜 2016/3/31 リフト営業時間

平日 8:45~16:45

土・日 祝祭日8:00~16:45
8:00からの運行予定リフトは、スカイライナーとなります。


 車山高原スキー場,滑走可能コース           


ファミリーコース
スラロームコース
ビーナスコースの下部
以上が滑走可能です。

稼動リフト
スカイライナー
スカイジェッター
第5ロマンス

『スポンジ・ボブ キッズパーク』がプレオープンしました。
〔遊具エリア〕と〔そりゲレンデ〕で雪遊びができます!!



 今日の車山高原スキー場              2015年12月18日


12月18日(金)は、『スラロームコースをクローズ』し、

『ファミリーコースのみの営業』とお伝えしましたが、

スラロームコースもご利用いただけることになりましたのでご案内申し上げます。

ファミリーコースと併せて、スキー・スノーボードをお愉しみください。



 「初滑り期間」リフト割引延長のお知らせ       

当初、1218()までの日程にて実施予定でした

リフト料金の「初滑り期間」

今冬の天候による影響が大きく

コース幅を広げることが難しい状況となりました

そのため適用期間を

4日間延長することが決定致されました

「初滑り期間」 1218() ⇒ 1222() に


「レギュラー期間」 1219() ⇒ 1223(水・祝) に変更です


 車山高原スキー場,コースの一部がクローズ       

126()に、今シーズンのスキー場営業を開始致しました。

先週末の降雨と強風の影響もあり、コースの一部が途切れました。

状況を改善する為、下記日程にてそれぞれ、コースをクローズ

してのメンテナンスを実施致します。

ご迷惑をお掛けして申し訳ございませんが、ご理解くださいます

よう、宜しくお願い申し上げます。

1217() 

  ・クローズ(閉鎖)  ファミリーコース ※終日
  ・オープン(営業)  スラロームコース 8:50 16:40

  ・運行リフト   5ペアリフト 

1218()

  ・クローズ(閉鎖)  スラロームコース ※終日
  ・オープン(営業)  ファミリーコース 8:45 16:45

  ・運行リフト   1クワッドリフト



 ファミリーコースとスラロームコースが滑走可能!       

車山高原スキー場は

ファミリーコースとスラロームコースが 滑走可能です。

午後3:00の気温は いまだ 10℃を越えています。

毎年好評のレディースパックは 今シーズンも継続
1日券とお食事券が付いた お得なパック券
平日1日券と 1,000円分のお食事券が セットで 3,200円


ご購入は リフト券販売窓口で

除外日:土曜日・日曜日・祝祭日および2015年12月29日~2016年1月3日


 車山高原スキー場 スカイプラザのレンタル       

久しぶりに滑る人やベテランも納得のオガサカ中・上級グレードスキーもご用意してあります。

手ぶらで安心のフルセットレンタルもやってます!
上記スキーセットまたはスノーボードセットに加えてウェアセットをレンタルのお客様にはグローブとゴーグルを無料で貸し出します!

ロシニョール・エラン・フォルクル・オガサカ等一流ブランドのレンタルを取り扱っております 。

【スキー・ボード・ブーツ・ウェア・ショートカービング・スノーシュー・ゴーグル・グローブ・そり等】

フリーチェンジシステム(スカイプラザ)
レンタル用品はレンタル中いつでもチェンジ可能です。
スキーからソリ、ボードからスノーシュー、または長さやタイプの違う板へと自由にチェンジできます。
お子様には上達の早い板「ヨーイドン」が最適です!
※フリーチェンジはレンタル時間・同価格内で可能です。
※用品の貸し出しは先着順の為、欠品する場合もありますのでご了承ください。

レンタルのお問い合わせ
・スカイプラザ TEL:0266-68-2723

車山高原スキー場のリゾートイン

レア・メモリー 宿泊者用 割引券があります。

スキー・ボードのセットご利用の割引券 ¥3,600.⇒¥2,500. ジュニア ¥2,800.⇒¥2,000.

☆ 上級者保証スキーセットは、プラス ¥500.です。


 12月18日(金)までは初滑りリフト券割引実施中       2015年12月8日

車山高原スキー場の2015-16シーズンがオープンしました!

12月18日(金)まで 初滑りリフト券割引実施中

ファーストウィーク特典として

11日(金)までの期間中

リフト1日券・2日券をご購入のお客様には

次回にご利用時できる

【特別購入券】がプレゼントされます

営業時間は 8:45~16:45


 2015-16 車山高原スキー場は 12月6日(日) から開始   2015年12月5日

車山高原スキー場の方々が

本日125()のオープン予定に向けて 造雪作業に取り組んで 参りましたが

気象条件などの影響も大きく

今季のオープン日を

明後日126日に

延期させていただくことになりました

5日のオープンを心待ちにして下さった

皆様方には

心よりお詫び申し上げます

◇オープン予定コース:ファミリーコース

 ・距離 : 800m ・コース幅 : 20-30m ・積雪 : 30cm ・雪質 : 人工雪

  ・運行予定リフト:スカイライナー(4人乗り) ・運行開始時間 : 9:00


 五輪久保のりんごを購入     2015年12月1日

「五輪久保りんご」は 蓼科山の山麓

長野県立科町五輪久保の高台で 育てられたりんごです

品種は「ふじ」ですが

「ガブット」噛り付くと

甘い蜜の味が 口の中に しみわたります

他地域産より歯ごたえがあり
 
酸味もやや強いかと

絶対量が少ないため スーパーなどには ほとんど出回りません

昔はりんごの蜜は 県外の方々には あまり知られていなかったようで

腐っていると思って 全部捨ててしまった方もいらした

2015年のりんごは 完売したそうです


 小春日和の車山高原      2015年11月8日

秋の青空に 浮かぶ並雲は高く

静かに立冬を迎えるべく 優しく輝いています

遥かに輝く光が 稜線となって描く

車山高原の 晩秋の色は穏やかです

小春日和の 暖かな陽射しが
「ありがとう」と

車山の季秋を 見送ってくれています


 駿河国           2015年11月7日

駿河は、「尖川(するとがわ)ないし駿馬が千里を駈けるが如く、、山から海に落ちる険しい川 」を意味した。『万葉集』には「打縁流駿河能國(うちよするするがのくに)」とあるが、『和名類聚抄』では「須流加」、『東遊駿河舞歌』では「須留可」、『駿河国風土記』では「薦河」と表記された。それは駿河の三大河川である大井川・安倍川・富士川の流れが急峻であることに由来する。

諸国名義考(上)に

「駿河 和名抄に、駿河(須流加の國府在り)名義は、萬葉集に打縁流駿河能國(うちよするするがのくに)云々とある如く、尖川(するとがは)の意なるべし、

また東遊駿河舞歌に、須留可奈(するがなる)、宇止波末仁(うどはまに)、宇知與須留(うちよする)、奈見波奈々久佐乃(なみはななくさの)云々ともあり、こは川ならず、海なれば、いづこも浪はつよく打ちよすべけれど、万葉集の歌にゆかりあればいふのみ、

すべて此國の川は、山より落ちて海に入る水のけはしければ、川波強く打ちよする勢ひの猛烈なるによりて、尖川國と云なるべし、

此國に駿河郡あり、もとはそこより出し名なるべし、此國の風土記に、駿河に三大河有り、而して其の濤勢は駿馬が千里を駈けるが如し、故に國號と為す、また、薦河(するが)は其の河流薦々(えんえん;急峻な有様)に依り、而して淀み溜を知らず也、所謂(いわゆる)志通波他河(しづはたがは;賤機川;安倍川)、不二河(ふじかは)、大堰河(おほゐがは)也とあるは、共に字になづみたる也」

(静岡市安倍川中流に、賤機【福田ヶ谷】地区が現存する。「薦」には「頻り」の訓読みがある。その意は「度合いが著しいさま」に通じる)

赤石山脈の間ノ岳(あいのたけ)を源流とする大井川は、現在では、静岡県中部を南下する川であるが、かつては静岡市井川地区下流域からが、駿河と遠江の境となる駿河湾に注ぐ。山間地に深い峡谷を刻み、流域の長さに比して著しく狭隘で、日本でも屈指の急流である。奈良時代の大井川は、現在より北寄りに折れ、今の栃山川を流れていた。その流路が境であるため、後世に、大井川の流路が変わり、駿河国の領域が西に広がった。

駿河は、その流域にある三大河川の急峻な有様が、その国名の由来となったが、近国の三河は、「男川(おとかわ)」、「豊川(とよかわ)」、「矢作川(やはぎかわ)」の三川を単純にその国名の由来とした。
「美濃」も青野(あおの・大垣市青野)・大野(おおの・揖斐郡大野町)・各務野(かがみの・各務原市)という「三野」から「御野」を経て、大和朝廷より、大宝4(704)年に、諸国の国印の製作にあたり、吉祥語を選ぶことを命じられ「美濃」と表記した。公式令に、銅製で大きさ方2寸と定められ、中央官司の鍛冶司(かぬちのつかさ)などによって製作され、中央から各令制国に1面ずつ送られた。その国印が正倉の鎰(かぎ)とともに国司任命の節(しるし)となった。

「野」は、郊外を表記するため「里」扁となった。「予」は音符である。「野」とは「王城を去る2百里より3百里」の開けた平原を指す。

律令時代の五畿七道の一つ「東山道」は、大宝元 (701) 年に、近江から岐阜県不破郡にあった不破の関を越え、美濃・飛騨・信濃・上野・武蔵・下野の7ヵ国の国府を連ねる街道として定められた。宝亀2(771)年、武蔵を東海道に移し、陸奥・出羽の2国を加えて8ヵ国となった。

「東海道」は、伊賀から伊勢国の鈴鹿の関を越え、志摩・尾張・三河・遠江・駿河・甲斐・伊豆・相模・安房・上総・下総・常陸の14ヵ国を径路とする街道であった。

「東山道」と「東海道」とでは、それぞれに属する北と南の国名が、「野」と「河」で対(つい)になっている。

北の山岳地の「美濃」と「信濃」に対して、海側に接する「三河」と「駿河」の国がある。この地形を反映する国名の制定は、ヤマト朝廷が画期的な政策意図で命名したことの表れであった。


 近江国と遠江国       2015年11月6日

近江は、『古事記』では「近淡海(ちかつあはうみ)」「淡海(あはうみ)」と記されている。

「みずうみ」は「水海(みずうみ)」の意で、海はもとより池や沼なども表した。特に区別して用いる場合には、塩水のところを「塩海・潮海(しほうみ)」といい、淡水のところを「水海(みづうみ)」や「淡海(あはうみ)」といった。現在では、塩分を含んだ「塩水湖(塩湖)」も「みずうみ」に含められている。

漢字の「湖」は、「氵扁」で「大陂(おほつつみ)」の意で、「胡」は、この場合「古」を音符とする会意形声文字となる。

7世紀、飛鳥京から藤原宮時代の遺跡から見つかった木簡の中には、「淡海」と読めそうな字のほか、「近淡」や「近水海(ちかつみづうみ)」という字が見える。「近淡」はこの後にも字が続いて近淡海となる。近江国名は、琵琶湖を「近つ淡海(ちかつあはうみ)」と称したことに由来するとするが、琵琶湖を「近淡海」と記した例はなく、『万葉集』をみても、琵琶湖は、「淡海」「淡海之海」「淡海乃海」「近江之海」「近江海」「相海之海」と記されている。

「淡海」の所在する国で、畿内から近い国という意味であり、「近つ『淡海国』」であり、「『近つ淡海』国」の意ではない。大宝令の制定以降、「近江国」と国名表記が定められ定着した。

「遠江」も都から遠い浜名湖を「遠つ淡海(とおつあはうみ)」と称したことに由来する。7世紀後半の木簡の国名表記にも「近水海国(ちかつみづうみ)」と対になるように「遠水海国(とおつみづうみ)」とある。当時の各地域の住民には、「近い」「遠い」の意識が芽生えるはずもなく、ヤマト朝廷の視点による遠近感であった。


 車山高原スキー場 ファミリー専用休憩所       

ファミリーコース下のスカイプラザには、ファミリー専用の休憩所があります。

明るいキッズスペースはお子様が大はしゃぎできる土足厳禁のコーナーです。

スキーやボードをやらない方、おじいちゃんやおばあちゃんもご自由におくつろぎ下さい。

場所は、車山高原スカイプラザ2F メインレストラン隣(ピエモンテ)

ご利用時間は、スカイプラザ営業時間内

キッズルーム と 授乳室・おむつ換え専用スペースもあります。

お子様のいらっしゃるファミリーの方専用の休憩室です。

飲食は可能となっておりますが、お片づけは各自でして頂くようご協力をお願い致します。

 休憩所のお問い合わせ
   TEL:0266-68-2723


 車山高原スキー場 12月5日(土)オープン予定   2015年11月2日

車山高原スキー場は 2015年12月5日(土)オープン予定です
小学生は 毎月第3日曜日 リフトが無料になります

今シーズンの
スノーアゲイン キャンペーン2016は
40歳以上で 5年以上 スキーorボードで滑走していない方は
リフトとレンタルの料金が 割引になります
事前のご予約が必要です
毎日 20名樣限定です
平日 リフト1日券 1,000円 レンタルスキーセット 1,000円
土曜・日曜・年末年始(12/29~1/3)・祝祭日
リフト1日券 1,500円 レンタルスキーセット 1,500円

12月18日(金)までの早割期間中は
シーズン券が 5千円引きで ご購入いただけます!
大人40,000円 → 35,000円

 お問い合わせ
   車山高原スキー場:電話0266-68-2227


 車山高原から雲海を眺望      

早朝 車山高原は 氷点下でした

眼下に 遠望される 諏方の平は
朝陽を浴びて 白金に輝く 雲海に覆われていました

八ヶ岳は 青い影となって連なり

鳳凰山 甲斐駒ケ岳の山裾には 薄霞む白絹が流れていました




 
 牧之島城から眺める大岡の紅葉    

上水内郡信州新町(長野県長野市)にある城址

鎌倉時代に佐久から 
地頭として この地を支配していた香坂氏の居城があった
香坂氏6代の香坂心覚は 牧城を拠点に
建武3(1,336)年
南朝(北条残党)方として 中先代の乱で挙兵した
越後の上杉兵庫助 諏訪の諏訪頼重らも 決起した
北朝方の北信濃の勇将 村上氏や高梨氏などと激しく争った

戦国時代 香坂宗重は、武田信玄に臣従し 無血開城
弘治2(1,556)年 信玄の命により埴科郡(坂城町)に移り
馬場信春が牧城に入城
信玄は 牧城の一部に、馬場信春に縄張りをさせ
甲州流 三日月濠を備えた
牧之島城の城代とした

永禄4(1,561)年5月
香坂宗重が 上杉方と誼みを通じていることが発覚
海津城で誅せられた 
宗家香坂氏は断絶
信玄は名家・香坂家の断絶を惜しみ
宗重の娘を 春日弾正昌信に娶らせ 香坂の名跡を継がせた

天正3(1,575)年 信春が長篠の戦いで戦死
信春の子 馬場昌房が城代になる

西南北の三方を犀川に囲まれ平山城 
 渋柿が たわわに実っていました
東側に水堀 西側に空堀をめぐらした本郭
その北には 二の郭 

長野市大岡 紅葉した山のはざまに 犀川が流れる


 信州新町の新蕎麦    

信州の紅葉を見て来ました
 やはり、信州新町の「道の駅」の新蕎麦が、香り豊かで美味しく、しかも安いです。
 私は、一番安く、一番美味しい「ざる蕎麦(500円)」と
「おやき」の中でも「ねぎ味噌」と「野菜ミックス」が、好きです。
必ず欠かさず注文します。
 http://nagano-michinoeki.jp/

 なぜか、その「道の駅」にある「おやき」は、美味しいのに、蕎麦の人気に負けています。
信州定番の「おやき」
「野沢菜」「きんぴら」「茄子味噌」は、老いた母が好きです。


 諏訪、夏椿の紅葉      

諏訪の 夏椿の花期は 7月初旬
花の大きさは 直径5cmほどの大輪
その5弁の花びらは 純白で美しく
その花ずいは 黄色く 沈むようでした

そんな 不自然な色合が 
野趣を帯びて 咲く夏椿は
朝に開花し 夕べには落花する 一日花です

光をはね返すほどに輝く 夏椿の紅葉 

小走りに遠のく 去りし人のうしろ姿に
秋風が立ち 
陽炎となって 揺らめくたびに 追憶を募らし  
紅葉に映える夏椿に 面影をとどめます 

夏椿 葉を落とし後の 幹の大らかさ 


 科野,信濃の旧国名の由来       2015年10月29日

 「科野」の語源について、江戸時代、独学で国学を研究した谷川士清(たにかわことすが)が、『日本書紀通証』に「科の木この国に出ず」と記した。
 荷田春満(かだのあずままろ)・本居宣長・平田篤胤とともに「国学の四大人(しうし)」の一人とされる賀茂真淵も『冠辞考』に「(一説では)ここ科野という国の名も、この木より出たるなり」と記しています。
 古代信濃には科の木が多く自生し、その樹皮の繊維から布・縄・牛馬の手綱などが作られていました。
 また賀茂真淵は「信濃国いにしえ科野と書く。その地名には科のこと多く見ゆ。山国にて階坂(しなさか)あれば地の名となりけむ」とも記していた。
 その形声文字である「階」の「阜(こざとへん)」が、「土盛り」を表し、「しな」・「きざはし」などと訓まれ、「高きに登る道」という意となり、「皆」が「音」になります。
 信濃には、更科・豊科・埴科・倉科・仁科・明科・蓼科など科がつく地名が数多くあります。階坂(科坂)は高き峠を意味します。『古事記』にもみられますが、古代では「坂」は「峠」を意味しました。信濃でも、碓日坂(うすひのさか;碓氷峠)・神の御坂(御坂峠)・県坂(あがたさか;鳥居峠)などと呼んでいました。
 これが、賀茂真淵が記す「山国にて階坂あれば地の名となりけむ」の意味です。
「科野」の「野」は、山裾の緩やかな傾斜地を意味します。

 7世紀末の藤原宮跡から出土した木簡に「科野国伊奈評鹿□大贄」とあり、『古事記』には「科野国造」と表記します。 
 『続日本紀』では、文武天皇紀の慶雲元/大宝4(704)年の条に「鍛冶司(かぬちのつかさ)をして、諸国の印を鋳しむ」とあり、その諸国の国印を作成するにあたり、正方形の印面を「○○国印」と4文字構成するため、国名をすべて2文字の表記としました。その時に「科野」を「信濃」と、「三野」を「美濃」としたのです。


 夕陽に映える白樺湖の紅葉風景 

白樺湖の上空には 
うす雲の気配すらない
そんな抜けるような秋空に
一居の鷹の飛翔!

その悲痛な 鳴き声が 
明るい 紅葉谷に 
響き渡ります
日々秋色を極め 
その色彩を深める 
蓼科山と八子ヶ峰が 
遠近となって
広がる山肌が
柔らかな陽射しを浴びて
さざなむ湖面に 紅の影を映します

車山高原に 正対する
名峰を連れる 八ヶ岳の山裾が 夕日に映える頃 
残照が 白樺湖を 炎と染めていきます


 美しい日本の秋 雁道        
雁道(がんどう/かりのみち)に まつわる民話に欠かせないのが
雁風呂(がんぶろ)です

年ごとに 様々に装う 
美しい 漂秋の最中
青天を渡る 雁に寄せる
優しい思いが 込められている

雁は秋に 木片を口にくわえ 
北方から 飛来します

飛び疲れると 
波間に浮かべた 木片に
一時の 安らぎを 願うのです 

やがて 捨てられた木片が 
「外の浜」に散らばります

春になると 
寒露に 羽を休めた 
その木片を 再びくわえて 
津軽海峡を渡り 北帰するのです

空しく 「外の浜」に戻れないまま 
日本の大地と化した 雁の数だけ 
「外の浜」の木片として 海浜に残ります

浜人は それを 拾い集めては 
風呂を焚き 
不運な雁に 思いを馳せて 供養をするのです

「念仏に とる風呂蓋や 雁供養」
「雁風呂や あはれ幾羽の あたたかみ」


 車山高原、埴生の宿の紅葉        2015年10月12日

淡い青色の空でした。
八ヶ岳の硫黄岳の上空に 白い浮雲が4つ 浮かぶだけでした

埴生の宿の リョウブの病葉が 赤茶色に染まり出しました

カエデも 葉先を赤く染めるだけでしたが
朝晩の冷え込みに誘われて
ようやく 葉叢全体が 朱色に染まり
秋陽を透かして 輝いています

こんもり茂るコシアブラの黄葉までも
明るく 美しい 

「チィチィチィ」と ススキの茂みで 短く鳴く鳥
久しぶりに聞く ウグイスの地鳴きでした


 白樺湖 秋模様        2015年10月10日

車山高原の上空を
薄く覆った雲の向こうに 眩いばかりの 
大輪の陽が 輝いていました

ススキ野は 既に枯れ果て
その山影の緑色が 次第に褪せてきています

それでも車山の 陽に映えた 秋模様には
様々な色合いそれぞれに 濃淡があって
どの木々の葉も 吸い込まれるような 深い色を湛えていました
 
緑を留める笹 薄い茶色となって散る落葉松 岳樺と橅の鮮やかな黄葉
冴え冴えとした紅を基調とする 山桜 楓 大亀の木 レンゲツツジ マユミ ナナカマド

大門街道では ナナカマドとドウダンツツジの紅葉が 車窓を豊かにしてくれます
白樺湖畔では ドウダンツツジと桜が 
黄金アカシヤが 色褪せた今 
それを越える鮮やかな 紅の色合いとなって 
湖畔の風景を 楽しませてくれます

やがて 車山高原から 俯瞰する
蓼科山を借景とする 多彩で豊かな 
紅葉風景が 白樺湖周辺に 広がります


 諏訪湖のナナカマドの赤い実がきれいです        2015年10月9日

諏訪湖は 秋晴れの陽射しに 包まれていました
東に 大きな富士山のほぼ全容が 

湖面には 水脈を曳く 舟影も見えません
岸辺を覆う 黒ずんだヒシを避けて 
泳ぐ鴨の群れが いくつも ゆったりと

頭上に 気配を感じれば
目の当たりに 羽ばたくことなく 悠々と飛翔する鳥
腹は茶褐色で 白い羽が規則的に散る

しばらくすると 「ピーヒョロロロロ…」という口笛が
鳶だったのです

眩し気に 青空を仰げば 
大空に 翼を大きく広げ 大きく旋回していました


 秋晴れの諏訪湖の危機        2015年10月7日

戦後、排水に含まれる栄養成分で諏訪湖が富栄養化し、アオコなどが大量発生して、その腐敗で水質が悪化するという状況が続きました。

それが水質汚濁防止法が制定され、厳しい排水規制と排水処理施設の稼働により、水質が改善されました。

その結果、1978年には、透明度が上昇し、平均透明度が100㎝以上となったそうです。

その水質浄化と同時に漁獲量が低下しました。水質浄化により水中の植物性プランクトンが減少し、それを餌とする魚の繁殖を阻んだのです。

実は、時代を遡れば、水質がきれいだった時代の漁獲量は、意外に多くなく、水質が悪化していた時代の方が、漁獲量も増えていたのです。

諏訪湖では、水質浄化にともなって浮揚植物の「ヒシ」が大量発生するようになりました。「ヒシ」は、アオコが発生している時代には、増えることはできませんでした。アオコが抑えられると、その隙を埋めるように増殖しました。

一方、水質は改善されても、湖底に溜まったヘドロはなかなか分解せず、逆に湖面を覆う「ヒシ」に遮られ、太陽光が底に届かずに分解が阻害されています。

「ヒシ」は、水中の窒素やリンを吸収するため、水質浄化に役立ちますが、漁船のスクリューに絡んで漁の支障となり、水中への日射を阻み、他の水草の生育を妨げたりします。
「ヒシ」は、一年草の水草ですから、9月頃から枯れ出します。枯死すると湖底に腐敗沈殿します。さらに枯れた後の悪臭や、湖底に沈んだ際のヘドロ化が懸念されます。
湖底に堆積した有機物は、微生物などにより徐々に分解されます。この時酸素を消費します。その分解は、水温が高いほど活発となり、夏季には、湖底で、多量に酸素が消費されます。そのため、湖面からの酸素の供給が間に合わず、湖底付近では水中の酸素がなくなります。その深刻化な結果、諏訪湖の湖底の生物が全滅し、魚類も著しく減少しているそうです。

かつて、外来魚の捕食、護岸工事などが大きく取り上げられましたが、排水からの栄養分の流入の減少と、「ヒシ」の繁殖が、諏訪湖の漁業に深刻な影響を与えています。


 昨日 美ヶ原高原の放牧が終了        2015年10月6日

美ヶ原高原は 八ヶ岳中信高原国定公園の最北部にあります
標高約2,000m その溶岩台地の上、面積は約600ha

ここからは 北アルプス 中央アルプス 南アルプス 伊那山地 など
 重層な山並の中に 名峰が望め

 富士山と 諏訪富士といわれる蓼科山が
  両富士となって
 八ヶ岳を 挟んで 眺められます

昨日 春から放牧されていた
 美ヶ原牧場の 太った乳牛や黒毛和牛が 
 それぞれの 里の牧場に 引き取られていきました

 帰りのトラックから 美ヶ原の紅葉を 満喫しての 里帰りでした


 車山湿原の紅葉        2015年10月6日

車山高原に 霜が降りる10月の朝は 
頬を撫でる風が ひとしお身に沁みます

車山肩から望む ススキの 末枯れた野面を歩めば
車山湿原は 見事な錦繍に 彩られつつありました

車山湿原の 清らかな湧水の流れを育む 
密に茂る レンゲツツジ特有の 深紅の紅葉
所々に ミヤマザクラの紅と ダケカンバの黄金色が映えます 
ノリウツギとズミの黄葉は 暖かい秋の青空を予感させます 

車山に夕陽が照らす 北斜面には
アサノハカエデ ヌルデ マユミ ヤマブドウ ナナカマド ツタウルシ
さまざまな 赤や紅の色をまとう 色取月です
間も無く 真っ白な雪原の冬が 訪れます


 車山から眺める早朝の八ヶ岳        2015年10月4日

 先週は 暗澹たる雨雲に覆われ
 夜半の 驟雨に いくどか 眠りを妨げられました

 払暁 
 八ヶ岳から 甲府盆地の上空に
 曙光に赤く染まった 薄い高層雲が 棚引いています

 富士山の 淡い影よりも
 阿弥陀岳 赤岳のほうが
 より鮮やかな 山影となり
 雄偉にみえました



 車山の秋晴れ        2015年10月3日

 車山上空の 真っ青な空には 一朶の雲もありません
 11:30 気温は 19度
 山腹の ウルシとナナカマド
 ミズナラの巨木にからむ ヤマブドウ
 いずれも 真っ赤に 紅葉しています









 踊場湿原(池のくるみ)の草紅葉        2015年9月29日

秋の霧ヶ峰の今 湿原ならではの草紅葉が見られます
途中 蛙原のススキの原野が 雄大でした!
遠く 車山の山頂が 秋空に明るく 映えていました

10月上旬には マユミ・ヤマザクラなど
木々の紅葉も始まります








 ゲーン・ハン・レーンというタイ料理        2015年9月29日

 写真は、ゲーン・ハン・レーンという豚バラ肉を煮込む料理です。 コトコトと長時間煮込むので、肉は柔らかく、しかも、ミャンマー風カレーというだけあって癖がありません。
 北部タイというか、インドシナ半島に広がっている、シャン族の人たちのカレーだそうです。
 チェンマイはビルマ領だった事もあり、ミャンマーの影響を受けた料理がいろいろあります。

 作り方は、いろいろですが

 予めシーユー・ダム(タイの醤油)、唐辛子、カレー粉などのゲーンハンレーミックスを、豚の三枚肉に擦り込んで、しばらく置き、下味的になじませます。
 唐辛子は、香り付け程度に1粒くらい、カレー風味なので、日本で味わう家庭料理であれば、入れなくてもよさそうです。
 ターメリック、唐辛子、レモングラス、カー、ホムデン、ニンニク、カピ、塩などをペーストにして、フライパンで炒める。
 豚バラ肉も加えて炒め、ダシ汁、シー・ユー・ダム、ナム・プラー、砂糖、タマリンド汁、ニンニク、カーで味を調える。
 それから、水を少し加え、クツクツ1時間くらい煮込む。

 豚肉はとろーりと柔らかくなりますから、ニンニクと千切りしたショウガを入れ、
仕上げに、タマリンドで酸味を、黒糖でほんのり甘みを加えれば完成です。


 チェンマイのカオソーイ        2015年9月29日

写真はカオソーイという料理です。
同じくミャンマーの影響を受けた料理でチェンマイ名物の、いわゆるカレーラーメン。ココナッツベースのカレー風味のスープに、中華麺とカリカリに揚げた麺を入れたもの。
カオソーイは、スープにココナッツが入ってるから辛いながらも、マイルドでコクのある味わい。スープが美味しいかな。麺は、まぁ普通の中細麺だし。
面白いのは、写真の左上にちょっと写ってる、玉ねぎとか、お漬物風のものを入れて味を調整するのです。

チェンマイのある東北部は、カレーベースのスープでした。タイでは他にも鶏ガラスープや牛骨スープのラーメンもあります。麺は中細麺やら、米粉の麺やら、米粉も太麺やら細麺やら沢山あります。
今回、ラーメンは、カオソーイしか、食べなかったけど、
焼きそば的ですが、米粉の極太麺が、モッチモチで美味しい!


 タイ、空芯菜の炒め物        2015年9月29日

 空芯菜の炒め物は、東南アジアに、よくあるオカズです。ニンニクと唐辛子とナンプラーで炒めるだけ。シンプルですが美味しいので、あれば必ず食べます。
 チェンマイは、バンコクより北に位置する古都です。旧市街地の中は、古いお寺がたくさんあります。
 夜店が、毎晩どこかで立ち並び、お祭りのようです。

 明日は、チェンマイからバンコクに向い、羽田行きに搭乗します。





 遺跡ワット・ヤイ・チャイ・モンコン        2015年9月29日

 この写真の遺跡ワット・ヤイ・チャイ・モンコンは、アユタヤ王朝の初代王ウー・トンが建てたものです。
 ビルマ王子との一騎打に勝利し、それを記念したようです。ビルマとは歴史の中で何度も攻防があったようで、アユタヤ遺跡はビルマ軍に壊されたものが多い。


 アユタヤ王朝は、14から16世紀くらいに栄え、14世紀末には、東南アジア最大の勢力に成長しました。

 その頃、クメール王朝が衰退してきたらしく、アユタヤ王朝はアンコールを攻撃した。でも完全には掌握できなかったようです。

 だから、たぶんその後も、攻防は続いたのでしょう。

 ワット・チャイワッタナーラームは、1630年にプラサート・トーン王がカンボジアとの勝利を記念して建てたそうです。この王様がアユタヤの日本人町を焼き討ちして、それ以降、日本との朱印船貿易は途絶えました。

 タイは今、雨季だから、日本の梅雨が終わりかけて、夏が始まる時季の気候に似てるかな。

 今日は、バンコクよりちょっと南のアンパワーという所に、蛍を見に行きました。クリスマスツリーみたいに、木にたくさん蛍が集まって光ってて、予想以上の数で素晴らしかった。

 バンコクは今日までで、明日チェンマイへ移動です。バンコクの古都です。


 チェンマイのガイヤーン料理        2015年9月26日

ソムタム同様、写真のガイヤーンもチェンマイがある東北部の食べ物です。

タレで漬け込んだ鶏肉を炭火で焼いたもの。このタレもお店の味が出る部分。レシピを検索してみて下さい。

今日のお店は、よーく味が染み込んでいて、肉も柔らかくて、生姜とニンニクが効いて、日本人が大好きな味でした。

せっかくだから、もち米と食べました。東北部や、ミャンマーはもち米を丸めて食べます。



 バンコクからアユタヤへ        2015年9月26日

羽田空港からバンコクは6時間かからず、あっという間に着きました。ホテルには朝6時に着いて、今は休憩中です。

雨だし、ノンビリして午後からアユタヤに行こうと思います。

今は雨季です。

アユタヤに向けて電車で移動。ホテルは雰囲気があって素敵なホテルでした。

そう、山田長政がいた頃はアユタヤ王朝がありました。16世紀くらいが栄えてたのかな。

写真の寺院は、カンボジアのアンコール王朝と関わってたころだからクメール文化の影響を受けています。

今日は、カンチャナブリに行って泰緬鉄道に乗り、日本軍がビルマに物資を送るために作った橋を観て来ました。映画の戦場にかける橋の舞台。



 チェンマイのカオマンガイ        2015年9月26日

カオマンガイは、女性に大人気。タイだけじゃなく、マレーシアやシンガポールなど東南アジアで広く食べられる料理。
鶏出汁で炊いたごはんに、蒸し鶏をのせて、生姜や香草が効いたタレをかけて頂きます。

タイは外食文化なので、なんでも持ち帰りが可能。
カオマンガイも持ち帰りにすると、こんなふうに、タレやスープをビニール袋に入れてくれるんです。







 チェンマイのソムタム        2015年9月26日

チェンマイは、おそらく餅米が主食。片手で上手に丸めて食べるんです。まだ見かけてないけど。今日の昼に移動してきたばかりだから。

チェンマイは13世紀に建国されたランナータイ王国の首都。

今日は国内線で移動でしたけど、空から見るとタイは平地が多い印象。お米がよく取れるんでしょうね

明日は朝ジョギングしつつ、当時、建てられたお寺を廻ってみる予定です。

まずは、ソムタム。
パパイヤのサラダ。

まだ熟していない青いパパイヤが材料です。ソムタム レシピって検索すれば作り方が出るはず。

千切りパパイヤをトマトやインゲンと一緒に唐辛子、ニンニク、ナンプラー、ライム、ナッツなどとよーくあえます。このタレは各お店で特色が出るそう。

今日の夕食で食べたソムタムは非常に美味しかった。辛くしないことも出来るけど、辛い方が絶対美味しい。サラダだけどビールに合います。



 タイ,チェンマイの美味しいカレー

チェンマイはビルマ領だった事もあり、ミャンマーの影響を受けた料理がいろいろあります。
 作り方は、以下だそうです。
 予めシーユー・ダム(タイの醤油)、唐辛子、カレー粉で豚バラ肉に下味をつける。
 ターメリック、唐辛子、レモングラス、カー、ホムデン、ニンニク、カピ、塩などをペーストにして、フライパンで炒める。
 豚バラ肉を加えて炒め、ダシ汁、シー・ユー・ダム、ナム・プラー、砂糖、タマリンド汁、ニンニク、カーで味を調える。




  白樺湖の黄金アカシヤとアサザの花        2015年9月25日


車山高原のレア・メモリーから
車で5分の 東白樺湖の湖畔沿い

黄金アカシヤと 黄色いアサザの花がきれいです

ナナカマドの赤い実も 鮮やかです

車山高原の ススキの花穂も
大分 膨らみ始めてきました




 車山の紅葉        2015年9月25日

レア・メモリーの前庭も
大分 紅葉が 始まってきました

ドウダンツツジ レンゲツツジ カエデ ニシキギなど
そういえば 前庭の石垣に這う
ツタヤマウルシも 紅葉を 一段と 速めています
シラカバ ズミ コシアブラなどの
黄葉も 秋の深まりを 告げています

大門街道の
ヤマザクラ ナナカマド カエデなどの紅葉も

ナナカマドの
鮮やかな 鈴なりに 垂れる
赤い実とともに 美しい 車窓風景となっています