対立遺伝子と点変異
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 DNA DNAが遺伝物質 生物進化と光合成 葉緑素とATP 植物の葉の機能 植物の色素 葉緑体と光合成 花粉の形成と受精
 ブドウ糖とデンプン 植物の運動力 光合成と光阻害 チラコイド反応  植物のエネルギー生産 ストロマ反応
 植物の窒素化合物  屈性と傾性(偏差成長) タンパク質 遺伝子が作るタンパク質 遺伝子の発現(1) 遺伝子の発現(2)
 遺伝子発現の仕組み リボソーム コルチゾール 生物個体の発生 染色体と遺伝 対立遺伝子と点変異



 
 目次
 1)減数分裂の弱点
 2)ヒトの受精
 3)対立遺伝子
 4)点変異
 5)マラリアとマラリア原虫の有性生殖
 6)現代人のゲノムに遺存し続けている変異
 7)ハプロタイプブロック
 8)遺伝子ファミリー
 9)進化上有益な変異
 
 1)減数分裂の弱点
 減数分裂が行われるヒトの細胞では、23対ある染色体が倍加するため、92本の染色体の動態を把握し、1セットごとに完全に仕分けて配偶子に収めなければならない。そのため重層的で緻密な機構を完成させている。しかし高度な技術を使っていても、相同染色体が適切に分配されない不分離という現象が稀に起こる。その結果、特定の染色体が欠ける一倍体細胞と、余分に染色体をダブらせる一倍体細胞ができる。そのため減数分裂が終わると異数体の配偶子ができあがる。こうした配偶子が受精すれば、異常な胚が出来上がり、大部分は自然流産や胎児死亡となるが、中には生き延びるものもある。
 例えば、筋力の発達の遅れ・認知障害や特異な身体的な異常を伴うダウン症候群は、減数分裂第1分裂中に第21染色体の対が不分離を起こし、1個の配偶子に染色体が1本余分に重複する遺伝子の異常を原因とする。受精でこの異常な配偶子が、正常な配偶子と融合すると、その胚には第21染色体が3本含まれる。そのため第21染色体上にある遺伝子座から形成されるタンパク質の量が過剰となり、胚の発生や成人期の機能に障害が生じる。
 実際、ヒトの配偶子が形成される際の染色体分離の失敗は、高い頻度で起き、特に女性では顕著である。ヒトの卵母細胞では、減数分裂の約10%で不分離が起こり、染色体数が異常な卵ができる。この数的異常な染色体を受け取った配偶子を異数体配偶子と呼ぶ。通常、染色体は2本で対をなしている「ダイソミー」が、これが1本になるのが「モノソミー」、3本になるのが「トリソミー」、4本になるのが「テトラソミー」、5本になるのが「ペンタソミー」という。
 ヒトの精子が異数体となる頻度は低い。おそらく精子形成が、卵形成よりも厳しい品質管理が施され、もし雄性細胞で減数分裂が異常となると、体細胞周期制御機構と同一の仕組みが活性化され減数分裂を停止し、その上、アポトーシス(apoptosis; p tóusis)による細胞死を促す。そのため分離異常が、精子や卵のどちらで起こったにしろ、その染色体分離の異常は、ヒトの妊娠初期に起こる高率の流産により防がれる。
 アポトーシスは、厳しい制御下にあるプログラムされた細胞死を指す。細胞外からの刺激を受けて細胞が死ぬのではなく、細胞内部で遺伝子に組み込まれたプログラムに従った、多細胞生物を構成する細胞の死に方の一種で、個体をより良い状態に保つために積極的に引き起こされる、管理・調節された細胞の自殺、即ちプログラム化された細胞死である。
 個体の成長の過程で、必要とされなくなり、寧ろ妨げとなる細胞を、発生過程の生物体や成体から除去する仕組みである。胎児の指が、指と指のあいだの細胞が死ぬことで生ずるのがその例である。癌化した細胞の殆どは、アポトーシスによって取り除かれており、腫瘍の成長が未然に防がれている。
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 2)ヒトの受精
 男性の精子は、精巣の中で1日に5,000万~数億個作られている。性交時に射精されるヒトの精子3億個のうち、卵管に到達するまでに精子の99%は死滅し、卵管内の受精部位までたどり着くのは200個ほどしかない。精子の命は、射精後3~5日ほどで、その精子は、卵とそれを取り巻く支持細胞が放出する化学シグナル物質に導かれながらも、自ら動いて卵管に向かう。
 女性の子宮内にある2つ卵巣では、「二倍体生殖系列細胞」と呼ばれる卵の元となる細胞が育てられる。卵巣で起こる排卵は、二価染色体である「卵母細胞(卵のもとになる細胞)」で2回連続して起きる減数分裂により4個の「一倍体細胞」の卵の成長に支えられている。卵巣の中で卵がきちんと成長しているからこそ排卵が起こる。たくさんの「一倍体細胞」のうちの1つが、卵として成熟し、月1回の周期で卵巣の壁を破って外に飛び出し、卵管采(らんかんさい)の先にある「卵管膨大部」で精子を待っている。この一連の流れを「排卵」といい、その卵が「卵管膨大部」で生きていられるのは約24時間ほどである。
 受精とは、卵に引き寄せられ、卵と出合った精子が、長さ10cm位の卵管の基部、径1cmある「卵管膨大部」で合体することである。基本は1個の卵につき、卵を保護する細胞層を通り抜け、卵の透明帯という外被に結合して侵入した1個の精子は、透明帯の下にある卵の細胞膜に結合し融合しなければならない。受精はこの精子と卵の融合過程で起こる。精子が卵と自然に融合できない場合は、人為的に精子を卵の細胞質に直接注入する不妊治療が行われる。
 一度受精卵になると、卵まで辿り着いた精子が多数あっても、入ってこないように受精膜を形成し、自身以外のDNAを持ち込めないようにする。この制御は、受精卵(接合子zygote:zάɪgoʊt)の染色体セットを確実に2つにするためには重要だ。
 卵に複数の精子が入り込まないようにする仕組みはいくつかある。
 その1つが、最初に受精に成功した精子が、卵の細胞質内に、Ca2+(カルシウムイオン;筋肉収縮や細胞の機能を制御する、補酵素などの働きをする)の波を引き起こすことである。大量のCa2+は次に酵素類の分泌を促し、卵の外被の透明帯を硬化させる。そのため2番手以降の精子は、卵と融合できなくなる。
 受精が完了するには、2つの一倍体核(前核)が合体して、両者の染色体が合流して1個の2倍体核となった時である。前核が融合して2倍体核となった受精卵は、その後28時間以内に細胞分裂をはじめながら、ボール状の細胞塊となり、ゆっくりと卵管から子宮へと移動する。
 受精卵は、何度も細胞分裂と分化を繰り返しながら、約1週間~10日かけて子宮へと向かう。受精卵が子宮内にたどり着き、子宮内膜に根を下ろし、母体と結びつくことを着床という。この着床の段階で妊娠と判断される。子宮の中の胎盤で発生した胚が、器官原基の分化を完了して成体となり出産する。
 精子の命は3~5日、卵子の命は約24時間と短命なので、妊娠するためには性交するタイミングが重要である。たとえ排卵日に性交したとしても、1回あたりに卵子と精子が受精する確率は10~20%といわれている。また、子宮に受精卵が着床する確率を着床率というが、一般的に20~30%程度といわれている。子宮で着床せず卵管や卵巣に受精卵が着床してしまった場合は、子宮外妊娠となり妊娠を継続することはできない。
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 3)対立遺伝子
 有性生殖を行なうたびに染色体の組み合わせは新しくなる。減数分裂では、二倍体の生殖系列細胞にある母方と父方の2組分の染色体が、1組ずつに分かれて配偶子に入るが、それぞれの配偶子が受け取る染色体群には、母方と父方の相同染色体が、相互に入り混じるから、受精で2個の配偶子のゲノムを合わさると、固有な組み合わせの染色体群をもつ受精卵(接合子zygote:zάɪgoʊt)ができる。
 母方と父方の相同染色体に同じ遺伝子があるなら、染色体の組換えは無駄のように考えられるが、各相同染色体にある遺伝子セットは、それぞれ母方と父方のバージョンがあり、個々の個体ごとに遺伝子は多型ととらえたほうがよい。多型なそれぞれの遺伝子を対立遺伝子(allele; lí l)という。1つの生物種が抱える「遺伝子プール(gene pool;)」には、それぞれの遺伝子ごとに多数の異なる対立遺伝子が存在している。1つの個体にある母方と父方の相同染色体同士でも互いにやや異なっているはずで、他の個体とでも当然違っている。対立遺伝子は、異なる組み合わせで受け継がれている。有性生殖は、二倍体・減数分裂・一倍体・細胞融合というサイクルを経ることで、対立遺伝子の古い組み合わせを、新たなに組換えていく。
 また、減数分裂の初期の過程で、各染色体にある遺伝情報を混ぜ合わせようとして、有性生殖は、更に「倍加した相同染色体の対合と組換え」という第2の仕組みでも、遺伝的多様性を生み出している。
 単細胞生物の系統樹は、各個体をその子孫と祖先に直接繋ぐ単純な細胞分裂の枝分かれ図そのものであるが、有性生殖をする多細胞生物では、系統樹の繋がりは格段に複雑になる。多細胞生物でも、個々の細胞は分裂する。その極めて限られた特殊化した生殖細胞(germ cell)の減数分裂だけが、種のゲノムの写しを次世代に受け渡す。例えば、ヒトの重要な機能を担う頭脳・心臓・肺機能・消化器官・肝臓・神経組織など枢要な器官・組織を作る体細胞(somatic cell)は、「人の生涯」を決定するが、進化の過程では、その子孫を残さず「個々の運命」に従うだけである。体細胞に生じる変異であれば、その個体に、例えば癌細胞が生じても、その細胞の子孫にだけ影響を及ぼすだけで、その生物の子孫には遺伝しない。
 変異を次の世代に伝えるためには、生殖系列細胞を変えなければならない。有性生殖をする生物の祖先は、究極的にはわれわれ生物のすべての祖先、即ち35億年以上も前に、生命が誕生した時に存在した最初の細胞にたどり着く。
 種を存続させ、しかも遺伝的変化を生み出す、雄と雌の生殖細胞が、受精で合体すると、交配するゲノムの混ぜ合わせにより、いずれの親とも異なる子ができる。
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 4)点変異
DNA塩基配列を正確に複製し修復するために存在する精巧な機構であるはずが、細胞が分裂するたびに生物のゲノムの各塩基対が、頻度は低いが変化することがある。単一塩基対に影響を及ぼす変化を「点変異(point mutation)」と呼び、これは稀に起こるDNA複製または修復の誤りから生じる。
 大腸菌(E.coli)などの細菌を使って、点変異率が直接測定された。実験条件では、大腸菌は20~25分ごとに1回ずつ分裂し、1日も経たないうちに1個の大腸菌が地球の総人口を超えるほどの数になる。これほどの数となれば、可能性のある点変異は、すべて得られるだろう。例えば、自然突然変異によって、結核の治療に用いる抗生物質リファンピシン(細菌のRNAポリメラーゼに直接作用してRNA合成を阻害することにより抗菌力を発揮する)に耐性となる大腸菌は、一晩培養して得られた10億個の細胞から約10個同定できる。つまり、大腸菌を用いると、生物進化の原動力となる突然変異の発生を、映像の早送りのように実験室で調べることができる。最初の祖先細胞とは微妙に異なるゲノムを持つ変異細胞を何百万個も容易に得られ、その変異には、毒性に対する耐性や、標準栄養素の欠乏時の生存能力など、個々の細胞にとって選択上有利に働くものもある。
 実験では、抗生物質を加えたり、必須栄養素を除いたりして選択条件を作れば、干し草の中の針ほどの変異細胞でも見つけられる。元の細胞が生存できなかった条件下でも、生き延びる変異細胞を生みだすことができる。実験で、ヒスチジン(アミノ酸の一種、略号は His)の生産に必要な、His遺伝子(ヒスチジンタグ;ヒスチジン残基-NH-C(R)(H)-CO-を6個ほどつないだ短いペプチド)に有害な点変異がある大腸菌を用いると、変異によってG-C塩基対が、A-Tに変わり、変異遺伝子からできるmRNAに、ヒスチジン合成に必要な酵素が、その変異を認識して途中で生産を停止させる。
 ヒスチジンを加えた増殖培養地では、His遺伝子に有害な点変異がある大腸菌も正常に増殖して分裂できる。多数の点変異細胞(約1010個)をヒスチジン無添加の寒天培地に塗布すると大部分は死んでしまうが、稀に生き残る大腸菌は、A-TからG-Cに戻る復帰変異をして、この復帰が当初の欠損を修正するため、ヒスチジンがなくても生き残るのに必要な酵素を作る。こうした変異は偶然に、しかも極めて稀にしか生じないが、非常に多数の大腸菌細胞を使えば、この変異を検出し、その変異頻度を正確に測定できる。ヒスチジンがなくても生き残る大腸菌でも、ヒスチジンの非含有培地でも増殖ができ、コロニーも稀に出現する。
 こうした実験で、大腸菌で起こる全点変異頻度は、各細胞世代あたり1010(100億)塩基対におよそ3塩基の変化であることが分かった。ヒトの変異数は、子と両親のDNA塩基配列の比較、及び親の生殖細胞の分裂回数の概算により測定すると、大腸菌の変異率の約1/3となることから、ゲノムの完全性維持のため進化した機構は、遠縁種間でも大きく違わないようだ。
 点変異は、遺伝子の活性を破壊したり、ごく稀に改善したりするが、ゲノムのあちらこちらに生じる点変異は、生物の外観や生育能力や生殖能力に全く影響しない。こうした中立変異は、真核細胞でRNAスプライシングの際、mRAN前駆体から除去されるイントロンの大部分を含む、そのDNA塩基配列が重要でない遺伝子領域で起きることが多い。例え、中立変異がエキソン内に起こっても、コドンの3番目の塩基の変化で指定するアミノ酸が変わらない場合もあり、指定するアミノ酸がタンパク質の機能に影響しないこともある。
 
 遺伝子の翻訳配列の変異は、作られたタンパク質のアミノ酸配列を予想される程度に変化させるので見つけやすい。調節DNAの変異で見分けがつきにくいのは、タンパク質のアミノ酸配列には影響せず、また遺伝子の翻訳配列から離れている場合があるからだ。
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 5)マラリアとマラリア原虫の有性生殖
 調節DNAに生じた点変異が、タンパク質の生産に影響して生物に多大な影響を及ぼす例が多数見つかっている。マラリアは、世界で100か国以上にみられ、世界保健機構(WHO)の推計によると、年間3~5億 人の罹患者と150~270万人の死亡者があるとされる。死亡例の大部分はサハラ以南アフリカにおける5歳未満の小児だが、重症化しやすく死亡率も高い熱帯熱マラリアは、アフリカ・アジアやパプアニューギニアやソロモンなどの南太平洋諸島のほか中南米の熱帯地域が流行の中心だ。
 三日熱マラリアは、韓国や中国といった温帯地域でも問題になっている。黒人は遺伝的に三日熱マラリア原虫に感染しにくく、従来、三日熱マラリアの流行は、アフリカではないとされていた。近年、アジア系住民の流入増加もあり、東アフリカを中心に報告されるようになった。熱帯熱マラリアと三日熱マラリアの両方がみられる地域では、マラリア対策の進捗により、流行の中心が熱帯熱マラリアから三日熱マラリアに移る現象がみられ、現在、東南アジアや中南米ではマラリア患者数が減少するとともに、相対的に三日熱マラリアの比率が増している。
 マラリア原虫は、単細胞の動物であるが、核などの細胞内構造を有し、運動能力や捕食能力を持つ。特に、マラリア原虫は、ヒトにしか寄生できない宿主特異性の強い種類である。マラリア原虫は、名前の通り、まだら模様の斑点が翅(はね)にあるハマダラカ(翅斑蚊/羽斑蚊)を媒介者とする。マラリアは蚊に刺されないかぎり絶対に感染しない。多くのウイルスや細菌では、一度の感染で容易に免疫が成立し、再び感染を受けることがない。ところが、マラリアの感染では、一度の感染で防御免疫が成立することは極めて稀である。マラリアの流行地の居住民は、乳幼児の時期から成長してゆく過程においてマラリア感染を繰り返し、マラリアに対する免疫を獲得していく。感染したマラリア原虫の種によって、病型や治療法も異なるが、特に熱帯熱マラリアは、迅速かつ適切な治療をしないと、短期間で重症化し死に至る。
 マラリア原虫は、蚊の吸血時に唾液腺から感染型のスポロゾイト(sporozoite;種虫、「胞子」の中に生じる感染性細胞)が人の血液中に注入される。スポロゾイトは数分以内に肝細胞に侵入し、そこで分裂をくり返す。肝細胞内で増殖を終えると、寄生細胞を破壊し、メロゾイトを放出する。それは、単細胞寄生生物の無性生殖により細胞数を増やす過程で、メロゾイトと呼ばれる1個の親細胞が、数十秒以内に非感染赤血球に侵入し、ヘモグロビンを摂取して成長する。形態変化とともに細胞分裂を行い、侵入48時間後には、娘細胞として約20~30個のメロゾイトが、1個 の感染赤血球内に形成される。
 このメロゾイトは赤血球を破壊して次の赤血球に侵入する。なお、三日熱マラリア原虫と卵形マラリア原虫では、一部の肝細胞内原虫が休眠型(ヒプノゾイト)を取り、数カ月~数年後に増殖し、マラリア再発の原因となる。マラリア原虫は、ヒト体内での発育のほとんどを細胞内で過ごすため、これが、マラリアに何度でも感染し、免疫が容易に成立しないことと大いに関係する。
 赤血球内の虫体の一部は、雌雄のガメトサイト(生殖母体)に分化する。ガメトサイトはハマダラカの吸血によって蚊に移ると、その中腸で雌雄の生殖体(ガメート)になり、受精して接合体を形成する。接合体(ザイゴート)はオーキネート(ookinete;虫様体)と呼ばれ、運動能があって直ぐに、中腸の消化管上皮細胞に侵入してスポロゴニー (sporogony;接合子が細胞分裂によって複数の細胞を形成する過程) が行われる。その細胞分裂によって内部に複数のスポロゾイトができる。こうして生じた構造をオーシストと呼んでいる。その中で虫体は分裂をくり返し、多くのスポロゾイトを形成する。スポロゾイトは、ハマダラカの唾液腺に移行して成熟し、次の感染の機会を待つ。なお、ゲノムが2倍体になるのは接合体の時期だけで、その後、すぐに減数分裂がおこり1倍体となる。ヒト体内でのマラリア原虫の全発育期の核相は1倍体である。ヒトでは1倍体の時期は精子と卵子の時期なので、発育史におけるゲノムの倍数性はヒトとはかなり違う。

 マラリア原虫は、いかにして宿主の免疫監視機構から逃れるのであろうか。
 マラリア原虫は、ハマダラカ亜科ハマダラカ属の蚊の昆虫の総称である。世界におよそ460種が知られている。一般にマラリア原虫が、ヒトを媒介するのは、そのうちの30~40種という。メスのハマダラカが、産卵のために吸血する際に、唾液腺の中に集積している原虫「メロゾイト (sporozoite) 」が、宿主の体内に注入される。血中に入った「メロゾイト」は45分程度で肝細胞内に取り込まれ、肝細胞に侵入すると、分裂を開始し、数週間で数万の「メロゾイト」に分裂し、血液中に放出される。「メロゾイト」は、赤血球に侵入し8~32個に分裂した段階で赤血球膜を破壊し放出され、次の赤血球に感染しながら増殖する。これが繰り返され発熱や貧血が起こる。
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 6)現代人のゲノムに遺存し続けている変異
 感染症から回復するためには、免疫系の助けが必要となる。この時に、細菌やウイルスなどに対抗するために重要となる物質が抗体である。例えば、麻疹や風疹などの感染症に一度罹ると、この病気を二度発症することはまれだとされている。それは、一度感染症に罹ると、その病原微生物に対する抗体が出来上がり、免疫力を獲得するからである。
 一度目の感染で抗体が作られるため、二度目に病原微生物が侵入してきても、あらかじめ作られていた抗体によって防御される。この原理を利用した感染症への予防方法がワクチンであり、それにより、あらかじめ抗体が作られ免疫を獲得する。このときに獲得する免疫反応としては、最初の反応よりも二度目の反応の方が素早くて強い反応を示す。つまり、病原微生物に触れるごとに、免疫応答が強くなっていく。そのため、ワクチンを一度接種するよりも二度接種した方が、より強い免疫応答力と免疫力が得られることになる。この免疫系が作り出す病原微生物に対抗するための物質を「抗体」と呼び、この抗体が標的とする物質が抗原である。抗原としては様々な物質があり、感染症から回復するために作られる抗体は病原微生物に対して作用し、そのため、この時の抗原は病原微生物となる。

 近年の進歩により、ヒトの全ゲノム塩基配列を短時間に、しかも安価で解読できるようになった。ほんの数年前では、及びもつかなかった、有害な変異を見つけて、その変異の生成や受け継がれ方まで研究できるようになった。しかも、世界中から収集した何千人ものゲノム塩基配列を比較し、DNAの差異を個人レベルで見つけられるようになった。これらの違いは、ヒトの進化を遡りその起源を知る手掛かりとなり、疾患の原因を探る手立てにもなる。
 そのため、ヒトは遺伝学研究において魅力的な研究対象となっている。それは、ヒト集団が非常に大きいので、自然発生した致死的でない変異が、すべてのヒト遺伝子に何度も生じていて、そのうちの殆どの変異が、現代人のゲノムに遺存し続けているし、最も有害な変異であれば、通常、その変異を持つ人が医療に頼るため発見し易くなっているからでもある。
 複数のヒトゲノムの塩基配列を比較すると、どの2人の間でも塩基対1,000につきほぼ1個の割合で違いが見られる。こうした違いは、殆どの集団に共通し、いずれも殆ど害が生じていない。ゲノムの同一部位に2通りの塩基配列があり、それがどの集団にも広く存在していれば、これらの遺伝子多型(polymorphism;多形性)を一塩基多型(snp : single nucleotide polymorphism)という。通常、多型は欠失または挿入によるものが殆どで、変化が少規模な場合をインデル(indel;挿入欠失)、大規模な場合をコピー数多型(copy number variation)という。
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 7)ハプロタイプブロック
 これらの遺伝子多型は、ゲノム全域に見られが、ランダムに散らばったり独立して発現したりせず、複数がまとまって遺伝する傾向がある。このまとまりをハプロタイプブロック(haplotype block)と呼び、haplotypeは、1つの染色体に存在する特定のDNA塩基配列セットで、そこにある多型のセットは密接に連鎖して継承され、世代を経ても遺伝子の再編成が殆ど生じることなく、そうした領域にある遺伝子マーカー(生物個体の遺伝型、もしくは個人の特定、親子・親族関係、血統あるいは品種などの目印となる個体に特有なDNA配列をいう)のセットとして存在し続ける。遺伝子には、いくつかの対立遺伝子があるように、ヒト集団内に一定頻度で存在するいくつかのハプロタイプブロックがあり、そのそれぞれには、特定の祖先から受け継いだできたDNA多型群が含まれているため、ヒトの進化史を克明にたどれる手掛かりとなっている。
 変異によって新しい対立遺伝子が常に生まれている。その対立遺伝子はおおよそ中立であるため、個体の繁殖に影響しないので、むしろ集団内に残存し続けることで集団内に広がる。
 一塩基多型のように比較的高頻度に存在する1個の対立遺伝子から生じるので、経過した世代の頻度が重なるにつれ、それを含むハプロタイプブロックの領域が小さくなる。多くの世代に繋がることで、古くからある対立遺伝子の染色体交差により、近隣の他の多型から切り離される機会が増すからである。
 様々なヒト集団のハプロタイプブロックの大きさを比較すれば、ある特定の中立変異が現れてから何世代経過したかが推測できる。このような遺伝的比較解析に考古学的知見を重ねれば、少数の祖先から始まったヒトの進化史がたどられ、アフリカから出発した祖先たちの移動経路を追うことができる。

 現生人類は、6万~8万年ほど前に、アフリカのおそらく10,000人程度の小規模な集団から出発したと考えられている。人類すべての祖先となるこの小集団の中には、ある遺伝子多型セットを持つ人と、それとは別のセットを持つ人もいたであろう。現代人の染色体は、この小規模な祖先集団の人々の染色体が、切り混ざり組み合わさったといえる。その祖先集団から現代人までは、2,000世代ほどであるが、祖先集団にあった染色体の領域が、減数分裂の交差により切り刻まれることなく、大きいまま親から子へ受け継がれていた。しかも、それぞれの相同染色体セットの間で起こる交差は、2~3か所しかなかった。
 その先祖集団が、最も初期にたどった道筋は2ルートとみられ、東アフリカ(東アフリカの北部の大地溝帯;グレート・リフト・バレー)から、エジプトを経由しヨルダン川を北上し、チグリス・ユーフラテス川の中上流域を中心に広がる山岳地域のクルディスタン地域から南下しペルシア湾へ、もう一つがアフリカの角とよばれるアフリカの北東部にあるエリトリアから紅海を渡り、アラビア半島の南部の海岸沿いのイエメンを北上し、オマーン湾からペルシャ湾を渡海し、クルディスタン地域から南下した集団と合流しているようだ。そしてインド半島の西海岸から東海岸を経てマレー半島南端からボルネオ島に渡り、ニューギニア島とオーストラリアへと分流した。
 ハプロタイプブロックの大きなさの研究の成果により、現代ヨーロッパ人は、3~5万年前に小さな祖先集団の移動に由来し、それより古い時代に、より小さな集団がナイジェリア人を形成していた。現代に居住するオーストラリア先住民や中東の諸民族も、現代ヨーロッパ人と同様、45,000年前位に根付いたようだ。それは考古学的知見とも矛盾していない。
 さらに最近の研究により、ネアンデルタール人やシベリア南部の別の絶滅人類とのゲノム塩基配列比較により、現代人のなかには、それらの旧人類と共通する塩基配列を数%持っている人々がおり、現代人の祖先の一部が移動の途上で、旧人類と交雑したようだ。
 ネアンデルタール人はヨーロッパに30万年前か、それ以前から住み、狩猟を中心とした生活していた。英オックスフォード大のチームが英科学誌ネイチャー(Nature)に、遺跡の出土品などの分析から、ネアンデルタール人が欧州から絶滅したのは41,000~39,000年前だったとする研究成果を発表した。その絶滅は、ヨーロッパに現代人の祖先である現生人類が登場した時期より後で、2,600~5,400年間ほどは同時期に生存していた、とし、混血や文化、技術の交流があったとみている。ヨーロッパで発見されたネアンデルタール人の遺跡約40か所から出土した馬やトナカイの骨など生活の遺物に含まれる放射性炭素で年代を測定すると、45,000年前には欧州の広い地域に生活の痕跡が認められ、その後5,000年ほどで消滅している。
 中国・チベット・米国の国際研究チームが、2014年7月2日の英科学誌ネイチャーに、チベット人が高地で暮らすことができるのは、現在は絶滅している人類系統から受け継いだ特殊な遺伝子のおかげだ、とする研究論文を発表した。現在のチベット人の祖先は、血液中の酸素量を調整する重要な遺伝子変異を、デニソワ人(Denisovans)と呼ばれる人類種と交配した際に獲得した、という。
 ネアンデルタール人と同時代に生きていたデニソワ人の存在が明らかになったのは、マックス・プランク進化人類学研究所の進化遺伝学者スバンテ・ペーボ氏が率いる研究チームが、2010年に、ロシア・シベリア南部のアルタイ山脈にあるデニソワ洞穴(Denisova Cave)で発掘された、約50,000年以上も前の女性の小指の指節骨の破片1個と臼歯2個によって判明した。デニソワ洞窟の発掘現場で見つかった臼歯の化石は、新しいヒト科ヒト属(ホモ属)であるデニソワ人の存在を示す重要な遺伝的証拠となった。デニソワ人もネアンデルタール人と同様に、現生人類(ホモサピエンス)によって絶滅に追い込まれた可能性が高い。
 そのデニソワ人は、姿を消す前にホモサピエンスと交配して、現在のヒトDNAの塩基配列に、その特徴を残したことが、遺伝子配列の解読によって分かった。
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 8)遺伝子ファミリー
 点変異は既存の遺伝子の活性に影響することもある。その遺伝子の重複が、古い遺伝子から新しい遺伝子を生み出す最も重要な機構とみられている。いったん遺伝子が重複すると、その遺伝子の元の活性が失われない限り、重複した2つの遺伝子の各々は、自在に変異を蓄積し、少し異なる機能を遂行する可能性が生じる。その変異は、遺伝子重複が起こった最初の細胞の子孫に蓄積されるので、重複遺伝子の特殊化は徐々に生じていく。この遺伝子重複と分岐が、数百万年を超える間に何回も繰り返され、1つのゲノムの中に、1個の遺伝子から派生した、それぞれ特殊化した機能を担う遺伝子ファミリー(gene family)ができることがある。
 脊椎動物でも、酸素運搬タンパクを作るグロビンファミリーの遺伝子は、明らかに1個の始原遺伝子から派生している。遺伝子重複の多くは、相同組換えによって生じる。その相同組換えは、2つのほぼ同一で長いDNA領域が対をなした後に起きるので、無傷のDNA断片の情報を使い、損傷したDNAの塩基配列を復元することもできる。ところが稀にであるが、1つの遺伝子の両側にある1対の同一、またはよく似た短いDNA塩基配列の間で組換えが起こることがある。この組換え過程で、これらの短い塩基配列が適切に並ばないため、遺伝子情報が不均等に交換されることがある。この「不等交差」で、ある遺伝子を余分に持つ染色体と、それを欠くもう1本の染色体が生じるようになる。この遺伝子が一度重複すると、その後の「不等交差」で、次々と重複遺伝子群に同じ遺伝子が追加されやすくなる。それにより一揃いの類縁遺伝子が、ずらりと並んだゲノムがよく見られるようになる。
 海洋虫・昆虫などに見られる最も単純なグロビンタンパクは、150個のアミノ酸からなるポリペプチド鎖であるが、脊椎動物の血液中の酸素運搬タンパクは、より複雑な球状タンパク質の一群であるαグロビンとβグロビンという2種類のグロビン鎖4本からなり、その4個の分子の酸素結合部位が相互作用して、効率よく酸素の結合と放出をするために、その分子の立体構造を変化させている。その血液中の酸素運搬タンパクの効率に支えられて、体表からの酸素の拡散だけでは、体内組織に十分な酸素を供給できない大型の多細胞生物の生存が全うされる。
 一本鎖のグロビン分子を作る祖先グロビン遺伝子から、現存のヒトなどの哺乳類の四本鎖のヘモグロビンタンパクを作る対の遺伝子が派生したと見られている。哺乳類のヘモグロビン分子は、αグロビン鎖2本とβグロビン鎖2本からなる複合体である。αグロビン遺伝子とβグロビン遺伝子は、脊椎動物の進化の初期に起きた遺伝子重複の結果であった。
 ゲノム解析は、ヒトの太古の祖先の1つが単一のグロビン遺伝子を持っていたことを示唆している。約5億年前の遺伝子重複と変異により、2つの僅かに異なるαグロビン遺伝子とβグロビン遺伝子が生じた。各鎖には酸素の結合に関与するヘム基が結合し、一本鎖のグロビンは酸素分子1個と結合できる。遺伝子重複と変異により、2番目のグロビン鎖が進化し、四本鎖となったヘモグロビンは、酸素分子4個と協同的に結合できるようになった。その後、各種の哺乳類が、共通祖先から分岐し始めると、βグロビン遺伝子自体に重複と分岐が起こり、胎児の時にだけ発現する第2のβ様グロビン遺伝子が生じた。その胎児ヘモグロビン分子は、成体のヘモグロビンより酸素に対する親和性が高く、母体から胎児に酸素を渡すのに有効となった。
 ヒトの場合、βグロビン遺伝子群は、第11染色体に集まっている。約3億年前に起こった染色体切断で、αグロビン遺伝子群とβグロビン遺伝子群が分離し、αグロビン遺伝子群は第6染色体に存在するようになった。
 その後もαグロビン遺伝子とβグロビン遺伝子それぞれに重複が繰り返され、これらのファミリーに更に新たな遺伝子が加わった。その重複遺伝子それぞれが、ヘモグロビン分子の性質に影響する点変異と、遺伝子発現の時期や強さを決める調節DNAの変化によって変えられてきた。それにより、各グロビンは、酸素と結合して放出する能力及び発現する発生時期に僅かな違いが生じて来た。
 こうした専門化したグロビン遺伝子のほかに、αやβグロビン遺伝子群には、機能を持たない重複DNA配列がいくつかある。これらは、機能を持ったグロビン遺伝子にDNA塩基配列が類似していながら、遺伝子を不活発にする変異が多数蓄積されてきたため機能できなくなっている。これら偽遺伝子の存在により、DNAの重複部位が、すべて新しく機能するとは限らないことが明らかになった。しかしながら、遺伝子重複の過程で、1つの遺伝子が変異により徐々に不活発になることはほぼない。ヒトゲノムに多数存在する他の遺伝子ファミリーでも、同様な遺伝子重複と分岐が繰り返されてきた。
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 9)進化上有益な変異
 ゲノム解析は、感染症に対する耐性など、進化上有益な変異を、ヒトが何時何処で得られたか推測する手掛かりにもなる。そうした有益な変異は、集団内で有利に働くから急速に蓄積される。さらに変異を持つ個体が、感染症の流行時に耐性となって生き残れば、それを子孫に伝える確率が高まる。ハプロタイプ解析は、進化上有益な変異が生じた世代の特定にも活用できる。変異が比較的新しい時期に集団内に生じた場合、その変異を含むDNA領域の組換えによって切り刻まれる可能性が低いため、そのハプロタイプブロックが大きくなっているはずだ。
 その例として挙げられるのが、マラリア耐性にかかわる2つの対立遺伝子である。この対立遺伝子は、マラリアが流行するアフリカの人々に広く存在する、非常に大きなハプロタイプブロックであるため、アフリカ人の遺伝子に最近出来上がったものと見られている。一方の対立遺伝子は約2,500年前、他方は約6,500年前に出現したと推定されている。
 現代人のゲノムを解析することにより、古代で起きた人類史上、重要な出来事も明らかになってきた。

 マラリア原虫の抗原遺伝子には多重遺伝子族を形成するものと、遺伝子多型をもつものが明らかにされてきた。多重遺伝子族を形成する遺伝子の代表として、マラリア感染赤血球のノブに存在する PfEMP1 タンパク質がある。   
 PfEMP1 に対する抗体は、感染赤血球が血管内皮細胞へ結合するのを阻害する。そのため、感染赤血球は血流にのって脾臓に運ばれ、そこで除去される。しかしながら、熱帯熱マラリア原虫のゲノム中には抗原性の異なった PfEMP1 遺伝子が50程コピーされ、その発現する遺伝子を、一度の増殖サイクルあたり 2.4% の高頻度で変化させる。そのため PfEMP1 の抗原性が変化し、以前の抗体は無効となる。マラリア原虫の抗原遺伝子では多重遺伝子族を形成するものが数多く知られている。これらは一般的にワクチン候補抗原とはならない。
 遺伝子多型は多重遺伝子族とは異なり、抗原遺伝子がゲノム中にひとつしか存在しないが、株によって抗原性が異なる塩基配列の対立遺伝子が存在する。マラリア原虫の抗原遺伝子のほとんどには数多くの対立遺伝子が存在し、それぞれ抗原性が異なる。最も有名な例としてメロゾイトの表面に存在する膜タンパク質 MSP1 が上げられる。継代培養を繰り返した純系の株では MSP1 遺伝子は均一であるが、患者から分離された株は単離株ごとに配列が異なると言っても過言ではない。2種類の MSP1 遺伝子は減数分裂期組換えによって遺伝子の内部で組換えを起こし、さらに多様な対立遺伝子群を創出する。マラリア流行地域においては、多数のマラリア感染蚊による吸血のため多重感染が頻繁におこる。多重感染している人の血液を吸血することによって、また、何人ものヒトから吸血することによって、ハマダラカの中腸内で複数のマラリア原虫株が、有性生殖を重ね様々に交雑するであろうことは容易に想像される。その結果、異なるマラリア原虫株の間で遺伝子の組換えが繰り返され、多様な抗原性の変化が産み出されることになる。

 ヒトの成人が乳を消化する能力は、ウシの家畜化に伴うものであった。乳を飲み、消化するのは主に乳児で、ヒトの最古の祖先は、乳糖分解酵素のラクターゼが、乳児期だけに作られる。そのため成人すれば乳糖は消化できなくなる(乳糖不耐性)。母乳が必要でなくなるため、その酵素が不用になるためである。
 数万年前に牧畜が始まり、家畜から乳が得られるようになると、偶発的変異により生じた変異遺伝子を持つ人は、成人してもラクターゼを作り続けられるようになった。そうした成人には、ラクターゼ遺伝子の調節DNAに点変異が存在し、生涯、遺伝子が効率よく転写されていることが観察されている。
 現代では、大人でも35パーセントが消化できるようになっているが、1万年前には、その乳糖を消化できなかった。成長すると乳を消化する遺伝子の働きが停止するため、ラクターゼ(乳糖を分解する酵素)が作れなくなるためだ。

 1万年位前、北欧と中央アフリカの人々がウシを飼育し始めた。牛乳が手に入ると、しばしば訪れる飢餓の時期に、成人でも乳糖が消化できれば自然選択上有利に働く。成人にラクターゼを発現させる2つの別個の点変異が、1つは北欧のヒト集団に、もう1つは中央アフリカのヒトの集団に発生した。これらの変異は、動物の家畜化の進行に伴い、世界各地に広まった。また北欧の人々が、北米やオーストラリアに移住したことで、この方面の大陸に住む人々にも、乳糖を消化する成人が拡大した。乳を摂取する人は、乳糖消化能力に関する変異体といえる。それが特に栄養を乳に大きく依存する社会で、この形質が急速にヒトの集団で一般化したことは重要だ。しかし、北米やオーストラリアの先住民は、乳糖を消化できないでいる。
 乳糖不耐症は、小腸でのラクターゼの働きに問題があるために起こる。多くの場合、小腸にラクターゼが存在しないか、存在しても十分でないために、乳糖を分解できないことが原因で起きる。飲めば、消化不良や下痢などの症状を起こす。
 ラクターゼ遺伝子の調節DNAの塩基配列に生じた変化は、1万年前と比較的最近の進化であった。
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