車山高原の笹

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  野尻湖の西岸「立が鼻遺跡」を臨む

  野尻湖の西岸の「立が鼻」という岬付近の湖底に、「立が鼻遺跡」と呼ばれる、ナウマン象の狩猟及び解体場の遺跡がある。春先の発電による湖水位の低下に合わせて3年に1度、発掘調査が行われる。

  砥川(とがわ)は、長野県下諏訪町西部を流れる一級河川で、車山に源を発し、観音沢から諏訪湖へ流入している。
 フォッサマグナ形成期に発生したムラサメ変質作用(珪化作用)で、この付近の火成岩や安山岩が村雨石(水玉の模様が、にわか雨による 雨滴のように見えることから名付けられた)となった。
 砥川の場合は、これを砥石に使っていて、これが砥川の名前の起こりになっている。
 吹野原A遺跡(上水内郡信濃町大字古間)・貫ノ木遺跡(上水内郡信濃町柏原)・仲町遺跡(上水内郡信濃町大字野尻)などでは、後期旧石器時代(35,000〜15,000年前)前半期の砥石が出土している。
 いずれの遺跡でも刃部(じんぶ)がよく研磨された石斧が出土している。それらの石斧の多くは磨製石斧とその再生剥片が、近接するブロックで伴出している。近年、野尻湖周辺で石斧が大量に出土し、砥石が共伴する事例が増えている。砥石の研磨面に残る1条から数条の砥ぎ痕と、共伴する磨製石斧の刃部の角度と幅が一致している。
 
 目次
 1) なぜ竹は咲くのか
 2) 竹林の開花周期
 3) 食用としての竹・笹の実
 4) シカなどの草食動物は、100gの草から80gもの量を栄養分として吸収
 5) 植物は本来、万能な食材
 6) シカの四季と反芻胃の関係
 7) シカが消化するセルロース
 
 霧ケ峰高原のレンゲツツジ


 1) なぜ竹は咲くのか
 車山湿原の笹野
  竹は種類によるが、60年から120年に1度花を咲かせ、結実し枯れます。花が咲くと地下茎で繋がった1個体の竹は枯れます。
 日本のタケ類の中で最大といわれるモウソウチク(孟宗竹)は、67年に1度、花が咲くとされますが、この事を証明する記録はわずか2回しかありません。
 マダケ(真竹)は、中国原産とも日本に自生ともいわれ定かでありませんが、その開花時期は初夏ですが、その周期は約120年で、ほぼ間違いないとされています。太く長い地下茎を張り巡らし、地中からタケノコを生やし、稈は散開して立ちます。竹類は、日本や朝鮮半島から、第三紀中新世(約 2,300万年前から約 533万2,000年前の期間)以降の化石が見つかっています。日本にも自生していたようです。
 竹の一個体の地下茎から直接生える"無性生殖"の産物です。いわばクローンによる竹林の形成です。竹林はその個体の最後に、若い竹も古い竹も一斉に花を咲かせ、そして枯れてしまいます。
 恐ろしく繁茂した竹林が消滅すると、元のかたちに回復するまで15〜20年を要するといわれています。
 無性生殖ばかりだと、環境の変化や土壌の悪化を克服できず、栄養素を摂取し、成長し、生存をし続けるための竹の栄養体が発育不全となり、その晩年に、通常の植物のように有性生殖を開始するのです。こうして、両親とは異なる遺伝子型個体を生産するのです。
 有性生殖では、2つの細胞の接合によって、染色体による選択が生じ、両者の遺伝子が組み替えられ、新たに多様な遺伝子の組み合わせを持つ個体が誕生します。これにより、生物の多様性が生まれ、適応能力を増進さる進化をもたらすのです。これが有性生殖の意味です。これが、竹の開花周期なのです。
 開花結実には、特別多くの栄養分を吸収するため、他の個体も栄養不良となり発育不全に陥ります。そのため開花の連鎖が起こり、竹林一群に開花が蔓延するのです。
 (染色体は、細胞内の遺伝情報を担うDNAの巨大な糸状分子を指す。数・形は生物の種ごとで定まっていて、遺伝や性の決定に重要な働きをします。染色体が伝える遺伝子の情報が、細胞の構造および機能を決定づける、とみられています。)

 「環境は変動し続けるもの、単に強いものだけが生き残れるものでもない。環境変化に適応できたものだけが生き残る」
 地球の生物は、「適応放散と絶滅」を、生物が誕生したと思われる約40億年前から、これを繰り返してきました。
 「強者が生き残る」とは言い切れない、最も強いものが絶滅していくことの方が、現代では、むしろ多いようです。
 モンシロチョウの幼虫アオムシは、アブラナ科のキャベツ・ブロッコリー・カリフラワーなどを食餌とする大害虫です。モンシロチョウのメスは、畑の中に卵を一つ産むと、大きく移動してから次を産みます。一方、アブラナ科の野草、イヌガラシやタネツケバナなどにも産卵します。モンシロチョウのメスは「リスク分散」のために、産卵ごとに遠くへ飛び、農産物や野草の両方に次世代の幼虫を、一つひとつ託すのです。
 こうして、畑での農薬散布やその収穫、野鳥からの捕食などを考慮し、種の保存のため保険をかけておくのです。
 遺伝子の研究が進むにつれ明白になったのが、生物のDNAやタンパク質にほとんど変化がないのに、遺伝子のDNAの配列上の突然変異(置換)が、相当な確率でランダムに起きている、という事実でした。1,960年代には、遺伝子の突然変異の頻度までが測定できるようになり、予想以上のスピ−ドでDNAの塩基配列が置き換わっていたことが数学的に証明されました。
 個々の生物の生存に直接かかわりあいのない中立的な突然変異が、現存する生物の遺伝子内に、ランダムに頻発していたのです。生物の進化には、偶然が重なりますが、その多くが中立的な突然変異が潜在していたため、その生物の仲間内で突発的な環境変化に適応できるものが少なからずいたから、種の保存を全う出来たのです。

 自然選択とは、環境変化によって生物が淘汰されていく過程の中で、生物の生存競争において、少しでも有利な形質に変異適応し、その遺伝子をもつものが生存して子孫を残し、適しないものは滅びる、その結果、生き残ったものが持つ形質や遺伝子を繋ぐ子孫を、どれだけ残せるかが問われるのです。
 次代に残す子孫の数は重大で、自然選択に対する有利さが顕在化し、ある生物の集団のうち特定の性質をもつ、その個体集団に属する種が主流となって生延びる数が高まれば、より多くの子孫を残し、その生物の種が一般的な特性となって、環境の変化に適応できるようになるのです。
 ある生物に生じた遺伝的変異が、その種の生存競争において有利に働かなければ淘汰され、その生物の種は絶滅します。一方、その集団が、適応し主導すれば放散し、各地に根付きます。
 現存する生物は、こうして40億年前以降から、自然の環境変化が過酷な選択を迫るたびに、突然変異を繰り返して事前に予防し凌いできたのです。現存する生物は、無限ともいえる試練に研ぎすまれ、美しい現代の生命体となったのです。
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 2) 竹林の開花周期
 孟宗竹
 
 クマザサ(隈笹、学名:Sasa veitchii)は、竹と同じイネ目イネ科タケ亜科の植物の1種。
 「クマザサ」は、「熊笹」ではなく、正確には「隈笹」と書きます。冬になると緑色の葉のまわりに白いフチが蔽い、まるで歌舞伎の隈取りのようだから、と言われています。葉の長さは約20cm、幅は5cm程度です。およそ80日から120日で成長し、その後の寿命は60年〜120年にもなるといわれています。
 種類によって開花周期が異なりますが、環境の変化などで従来通りに適応できなくなると、種の保存のために開花を促すのです。
 笹は、短いもので10年足らずで開花結実しますが、おおよそ50年とみられています。
 『長野県林業総合センター ミニ技術情報 No13 平成11年6月』によれば
 「昭和32年に、長野県南部から岐阜・愛知にかけて70,000ha にわたり開花した」と書かれている。また、1998年、長野県下15ケ所での小規模な開花情報があった、という。
 長野県林業総合センターの情報によれば、「笹は開花してから40〜50日して実をつけ、種子は米粒ほどの大きさで、熟すとばらばらと地上におち、冬越しして翌春に発芽する」とあります。
 竹も笹もイネ科なのですが、笹は竹の一種ですね。竹とは広義には、イネ目イネ科タケ亜科のうち、木本(木)のように茎が木質化する種の総称です。
 笹の殆どは常緑多年生植物で、地下茎で繁殖するため、めったに花を咲かせず、一度咲くと枯れてしまいます。また、竹や笹は一個体として根が繋がっていれば、花が咲くと、その繋がっている笹の群衆は一気に枯れてしまうのです。
 (ミヤコザサは、寡雪地に多く、枝の殆どは途中から分岐しないで、地下茎より立ち上がります。地上部の寿命は1〜1.5年で、地際に冬芽を付け、ひと冬越すと殆どが枯れます。シカに食べられると、翌春に新しい筍が育ち、次々と新しい稈【かん】や芽を出し、しかも葉を小さくし適応します。ミヤコザサの「耐食戦略」です。)
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 3) 食用としての竹・笹の実
  花が咲けば実がなります。竹や笹の実は古来、特に救荒食品として食べられてきました。
  皮肉なことに、極めて栄養価が高いため、野ネズミがそれを食べて、一気に繁殖します。
  その繁殖したネズミが畑などの食物や穀物を食い荒らします。それが人々の食糧難の原因となり、飢饉をもたらします。そのため竹や笹の花は、飢饉の予兆と言われてきました。

  ササの実のタンパク質を始めとする各成分は、イネ科に通有するものでした。ササのタンパク質は、イネやコムギより勝り、脂質はコメより高くコムギよりは低い、灰分もイネやコムギよりも勝っています。エネルギーも遜色がない。

  可食部100g 当たりのコメ・コムギ(薄力粉)・ササの実の栄養成分です。単位はgです。

              水分・たんぱく質・脂質・炭水化物・灰分(かいぶん)・エネルギーの順で
    コメは、     15.5、  6.1、   0.9、   77.1、   0.4、    356(kcal)
    コムギは、    14.0、  8.0、   1.7、   75.9、   0.4、    368(kcal)
    ササの種実は、10.5、  9.6、   1.4、   77.4、   1.1、    361(kcal)

  (灰分とは、栄養学では、食品成分に含まれる鉱物質で、カルシウム・鉄・ナトリウムなど。ナトリウムは、体内の細胞外液に多く、体液の浸透圧の維持や、筋・神経の刺激の伝達に重要な役割を果たします。人間は通常、塩分として吸収します。)
  参考までに、大豆に含まれる100g 当たりのタンパク質は、皮を含む乾燥大豆の栄養成分ですが、
 国産・米国産・中国産それぞれの含有量は、35.3 g・ 33.0 g・ 32.8gと極めて高いのです。国産牛のもも肉は、19.5g、牛バラ肉は、12.5g、牛ヒレ肉は、21.3gとする参考例があります。
  肉食動物でない植物が生成できる「たんぱく質」は、どうして摂取できたのでしょうか。土壌有機物が供給源とみられます。土中に密集する有機性微生物が、植物の脂肪・たんぱくなどの豊富な供給源になっています。

  植生の南北環境の違いは、シカの食性にも大きな影響を与えています。シカの採食に関しては、南半は常緑広葉樹林帯ですから年間を通して安定し、北半は長い冬があり不安定です。 そのため、ニホンジカの亜種は南から北へゆくほど大きくなる傾向があります。体色も暗色からオレンジ色と明るくなり、枝角(えだづの)も複雑になりより進化しています。
  落葉広葉樹林帯ではクヌギ・ミズナラ・コナラ・カシワ・ブナなど、結実量が多く、そのデンプン質に含む栄養価が高いため、夏・秋とあり余る食物に恵まれますが、冬になると大半の植物が枯れてしまいます。そのため植物が豊富な夏と秋に十分な食物を摂取し、脂肪として蓄え、冬を乗り切ろうとします。ニホンジカのみならずアカシカ・ノロジカ・ヘラジカ・トナカイなどの温帯以北のシカ類は、夏秋に採食量を増やし、冬に備えて体内に脂肪を蓄積させます。
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 4) シカなどの草食動物は、100gの草から80gもの量を栄養分として吸収
 車山高原は草食動物の餌の宝庫、レンゲツツジは有毒植物
  パンダは、もともと肉食獣のため、草食獣が通有する栄養分を充分に吸収するための長い腸が備わっていません。そのため大人のパンダは、1日12〜16kgもの竹を食べなければなりません。調査によると、100gの竹からたったの17gしか栄養分を摂取できていないそうです。
  草食動物は摂食した植物から栄養を取り出す仕組みを持っていますが、人間にはそれが不充分なので、笹を摂食したとしても、なかなか栄養に変えることができません。
  草食動物の一般的な特徴として、非常に長い消化器官、発達した盲腸が上げられます。さらにシカ・ウシのように反芻して植物の繊維を、体内にある細菌の働きで分解し、取り込む種類もいます。人間の場合、その中に植物を溜めて発酵させる盲腸は痕跡器官になっていて、植物を溜めて発酵させることができません。そのため肉なども食べて栄養を補給しなければなりません。
  植物繊維から鉄以上に強靭な素材が作られていますが、研究が進めば、やがて笹や樹木の葉から、人類に必要な、あらゆる栄養素が取り出されるようになるかもしれません。

  市販される笹茶は、精度の高いエキスを抽出するために、大量のクマザサの葉が必要で、しかもエキスを取り出すにふさわしい笹を選ぶ必要があります。葉の緑が濃く、出来る限り肉厚で硬いものを選ぶようです。そのため必ず厳しい冬を越した笹が採集されます。越冬することによって繊維が太くなり、その繊維質にある有効成分が豊富になるからとみられています。
  車山の鹿も、2月下旬頃から、雪原から笹の葉が現れだすと、猛烈な勢いで食べ始めます。
  車山高原に広く植生するキボウシの葉も、車山の遅い春の5月、山菜として「コーレ」と呼ばれ、あくが無く癖のない優しい口当たりのため、味噌汁・スープの具材や温野菜にして食べられています。天麩羅の珍しい素材としても好まれています。
  それが、車山の「ニホンジカ」は、キボウシの葉が硬くなる秋10月頃、猛烈な勢いで食べます。繊維質に含まれる有効成分の量と関係があるのでしょう。
  野生の熊は冬眠前に、鮭や木の実といったカロリーの高い食物のほかに、笹の葉をたくさん食べます。また冬眠から覚めた後も笹の葉にむさぼりつきます。
  冬眠中は腸内に残った食物の発酵を抑えるため、そして目覚めたときには、汚れてしまった血液をきれいに戻すために、夢中で笹を食べるようです。
  熊の本能は、笹の大いなる効用を見抜いているのです。同じように、馬、牛、鹿なども笹の葉を食べます。
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 5) 植物は本来、万能な食材
  カシ・ナラ・カシワ・クヌギ・ブナなどコナラ属樹木の果実の総称であるどんぐりは、脂質やたんぱく質も多く、別格の栄養豊かな食材です。同じブナ科の常緑高木のシイ属シイは、殻斗(かくと)にクリ状のいがをもつものが多く、クリカシ属ともみられていますが、堅果はタンニンが少なく生食になじみ、古代人類にとっては重要な食料となっていました。
  鹿・熊・猪には必要不可欠で、ネズミ類やリス類でもほぼ全種が必要としています。カケスやキツツキなどの鳥類も好んで食べます。哺乳類のサルにとっても、欠かせない食料です。

  クズ(葛)は、マメ科クズ属のつる性の多年草です。日本では、根を食材にし、有名なの「吉野葛」や万葉の昔から秋の七草の一つに数えています。北海道から九州までの日本各地のほか、中国からフィリピン、インドネシア、ニューギニアに分布している。各国いずれも、緑化・土壌流失防止用として政府による推奨され、20世紀前半までは持てはやされていました。ところが、今では、日本をはじめ、繁殖力の旺盛さや拡散の速さから、有害植物ならびに侵略的外来種として指定し、駆除が続けられています。諏訪の山野を問わず、クズの繁茂が目立ちますが、その地下茎には豊富なデンプンが含まれています。
  シカやイノシシは、ドングリと農作物のどちらを好むだろうか。当然、硬いドングリよりも、農作物の方が美味しいと思うし、農地の方がまとまって大量に食材があり栄養価も高いのです。無理に山に隠れ住まず、里で暮らした方が楽なのです。

  ニホンジカの糞を手に取り、割って見ると、小さな虫が数匹うごめいている。昆虫の中には「糞虫」と呼ばれる虫たちがいます。主に食糞性コガネムシのことをいい、一般に糞虫と呼びます。
   糞虫の仲間は日本では130種あまりが知られています。その多くはタマオシコガネのようにはフンを転がすことはありませんが、このうちマメダルマコガネやセンチコガネの仲間でフンを転がしたという報告例もあります。日本にいる糞虫は体長2mmぐらいから、大きなものでもせいぜい3cmぐらいの小さな昆虫です。
  動物には牛や馬のように植物食、サルやイノシシなどの雑食の動物、トラやライオンなどの肉食というように食性の違いがあります。従ってその排泄する糞の中身も違ってきます。これまでの糞虫の研究から、糞虫は動物の糞なら何でも良いというわけではなく、糞虫の種によってある程度糞の好みもあるということがわかってきています。
  奈良公園の約1,200頭のニホンジカの糞の清掃係は、「糞虫」です。
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 6) シカの四季と反芻胃の関係
  ニホンシカの学名はCervus Nippon=ケルウス・ニッポンです。ケルウスとは、ラテン語のシカの意味で、ニッポンの名が冠されています。

  北半球における植生の南北環境の違いは、シカの食性にも大きく影響を与えています。南半は常緑広葉樹林帯ですから、シカの食料環境は年間を通して安定し、北半は長い冬があり不安定です。 ニホンジカの亜種は南から北へゆくほど大きくなる傾向があります。体色も暗色からオレンジ色と明るくなり、枝角(えだづの)も複雑になりより進化しています。
  落葉広葉樹林帯ではナラ類の結実量が多く、そのデンプン質に含む栄養価が高いため、夏・秋とあり余る食物に恵まれますが、冬になると大半の植物が枯れてしまいます。そのため植物が豊富な夏と秋に十分な食物を摂取し、脂肪として蓄え、冬を乗り切ろうとします。ニホンジカのみならずアカシカ・ノロジカ・ヘラジカ・トナカイなどの温帯以北のシカ類は、夏秋に採食量を増やし冬に備えて体内に脂肪を蓄積させます。

  タンパク質含有率が比較的高く高栄養ですが、林内に散在する双子葉植物の植生範囲は限られています。そのため草地に、タンパク質の含有率は低いが大量に生育するイネ科やカヤツリグサ科などの草本(グラミノイド)を中心にニホンジカは採食します。
  それら植物を摂取する際に選択的に採食するには、口先が尖っていた方がよい、ニホンジカの子ジカ・メス・オスの切歯列幅は、17.9mm・21.3mm・24.5mmで、メスとオスの比は1.15あります。
  冬はシカの採食時間が短くなります。枯れ草や笹ばかりで栄養価も低く選びようもありません。常緑である笹は、越冬期のシカにとっては特に重要です。それで、冬期、子ジカ・メス・オスで食性に違いが生じません。草食獣の研究の先進地・欧米では笹がないため、かつてはまったく知られていませんでした。笹が生育する大地・日本列島が、ニホンジカを育んできたのです。
  特に「ナワバリ・オス」は交尾期に合わせて脂肪を蓄積してきましたが、10月の交尾期、ナワバリの確保やメスの見張りなどで、秋の採食もままならず体力を消耗させていきます。11月、交尾期が過ぎると「ナワバリ・オス」は、見る影も無くやつれ果てます。その時期、ようやく若いオスに交尾する機会が与えられるのです。
  初冬となれば落ちたばかりの枯葉やササで体力を維持しなければなりません。降雪が多い地域では、それも束の間で、体重維持が困難になり、蓄積脂肪を消費しなければなりません。冬が長引けば、春先に大雪が降ることも多く、やがて体力を消耗し尽し、残雪に死体を晒すようになります。
  「ナワバリ・オス」は春に、再び体力を回復させなければ、その年の秋には、その地位を失います。
  初春になると枯れ野原にフキノトウ・ヤマウド・スミレ・フデリンドウ・ショウジョウバカマなどが芽を出し始めます。ただし、スミレ科植物でも、パンジーやニオイスミレなどは有毒です。タラの芽やズミ・シラカバの芽吹きも早いのです。その新芽は栄養価が高い、子ジカやメスは栄養価の高い青草や新芽を選び、緩急をつけて歩いては立ち止ります。大きいオスジカはたくさん食べなければなりません。余り選択する余裕がありません。
  夏になると7月、スグリやヤマグワの実がなり、栄養価の高い草本類が繁茂し、選択する必要がなくなり、ただひたすら採食に励みます。子ジカ・メス・オスなどに食物の内容に差がなくなります。体格に合わせて摂食するだけです。
  大地は、10月位までは豊富な緑の葉を残します。一部の植物が枯れても、栄養価が極めて高いヤマブドウ・アケビなどの果実やブナ・ナラなどの種子が実ります。子ジカやメスは、そうした良質の食物を選択的に食べます。大きなオスジカは、食物として良質ですが、供給量が少ない果実や種子だけでは足りず、低質な植物まで採食します。それで秋、オスジカがシバの群生地で懸命に食み続け、子ジカが母ジカと一緒に草むらに頭を下げている光景が見られるのです。
  同じシカで同じ植生環境でありながら、子ジカ・メス・オスでは、季節ごとに食性の違いが生じます。子ジカとオスとでは胃の構造も違います。子ジカは他の草食獣の子供と同じように、乳離れするまで母乳を飲むので反芻の必要がありません。母親に習い徐々に草を食べるようになります。
  シカは牛と同じく反芻動物であり、胃は4室に分かれています。人の胃に相当するのは第4胃です。食物は第1胃に入り、その第1胃内に住む微生物と混じり合いながら第2胃に進みます。第2胃から口に戻され反芻を繰り返すことで食物はさらに細かくなり、食道溝を通って第3胃に送られます。第3胃で水分が吸収され、第4胃で消化されます。第1胃から第3胃は食道が変化したもので、人間の胃にあたるのが第4胃です。成獣では第1、第2胃が大きく、重量で胃全体の約80%を占めています。
  ニホンジカの胎児の胃は、第1・第2・第4がほぼ同じ大きさで、その間に小さな第3胃があります。これがシカの原型で、誕生して草を食むにつれ、第1、第2胃が大きく発達します。それは成長に伴う後天的な必要性からの発達で、その後、体重が増えるにつれ第1胃が一段と拡大していくのです。それは、まさにシカの進化の過程をなぞるものです。成長しセルロースが多い草木を食べる量が増えるにつれ、反芻の必要量が増え、それに伴い第1・第2が発達していくのです。
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 7) シカが消化するセルロース
 セルロースは、植物細胞や繊維の主成分で、冷水にも熱水にも溶けません。しかし天然の植物質の1/3を占め、地球上で最も多く存在する炭水化物です。それなのに、本来、人間を含めて哺乳類は消化分解することができませんでした。
  光合成で草木が作り出したデンプンやブドウ糖をもとに、セルロースは、草木の体内で作り出されますが、デンプンとは違った働きをする分子です。デンプンは、草木を生育させるエネルギーを貯蔵します。米や麦の主成分もデンプンです。芋類やトウモロコシなどのデンプン質を精製して白い粉状にしたのが片栗粉やコーンスターチになります。
  その草木のひとつ一つの細胞を囲む硬い細胞壁を作っている分子のひとつがセルロースなのです。この細胞壁の硬さを利用したものが、麻・綿などからとり出される繊維で、セルロースは繊維のもとですから繊維素と呼ばれています。
  日本ではコウゾ・ミツマタという木の皮からとり出した繊維が、和紙のもととして今日でも利用されています。
  デンプンを食べると、体内にあるアミラーゼなどの酵素の働きで、デンプン分子がブドウ糖にまで分解され、やがてエネルギーなどに変えられます。一方、哺乳類には元来、豊富に存在する地上植物内のセルロース分子を分解する酵素が体内にないため、食料に利用できませんでした。
  新世代の前半、6,500万年前〜170万年前におとずれた乾燥化に伴う草原の拡大が、哺乳類に進化を促し、その消化器官内にバクテリアを飼うことで食料化に成功したのです。シカ・ウシ・ウマ・キリンなどは、体内にセルロース分子を分解するバクテリアを胃の中で飼うことで、セルロースをブドウ糖に変えられるよう進化したのです。ブドウ糖は血液中では血糖として存在し、インスリンによって濃度がコントロールされています。その血液中のブドウ糖の濃度が上がるとインスリンの働きで中性脂肪に変えられ、脂肪細胞として蓄えられます。
  ニホンジカが進化の過程でインド南部から東アジアへと北上し、極東ロシアのハバロスクにまで生息圏を広げられたのも、大型化して体内に蓄積した脂肪を消費する事で、極端に草本食物が減少する冬季でも、適応化で乗り越えてきたからです。
  人類も進化し、セルロース分子を少しだけ小さくする働きをする細菌を、大腸の中に飼っています。細菌の働きで小さくされたセルロースが、腸の機能を助けているのです。セルロースは水に溶けず、逆に腸の中で水を含んで数倍から十数倍に膨らみます。これにより腸の中の便を流動化し腸の壁を刺激し、腸のぜん動運動を活発化させ、便が腸の中に長くとどまることを防ぎます。腸内の便の通過時間を短くすることにより、便の中の有害物質が吸収されにくくされます。排泄をうながすセルロースは、腸内の掃除に励んでいます。
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