生物個体の発生と分化(遺伝子発現) | ||||||||||
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DNA DNAが遺伝物質 生物進化と光合成 葉緑素とATP 植物の葉の機能 植物の色素 葉緑体と光合成 花粉の形成と受精 ブドウ糖とデンプン 植物の運動力 光合成と光阻害 チラコイド反応 植物のエネルギー生産 ストロマ反応 植物の窒素化合物 屈性と傾性(偏差成長) タンパク質 遺伝子が作るタンパク質 遺伝子の発現(1) 遺伝子の発現(2) 遺伝子発現の仕組み リボソーム コルチゾール 生物個体の発生と分化 |
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1)生物の細胞分裂にみる遺伝子発現 光学顕微鏡は、高価な道具過ぎて極めて限られた人しか使えなかった。19世紀になって、ようやく細胞観察に広く使われ始めた。細胞生物学が独立した科学と認められるまで長い道のりがあり、大勢の研究者の貢献があった。 シュライデン(Matthias Jakob Schleiden)は1838年に論文『植物発生論(Beiträge zur Phytogenesis)』の中で「植物は独立した細胞の集合体」であるとして植物の細胞説を、シュワン(Theodor Schwann)は1839年に論文『動物及び植物の構造と成長の一致に関する顕微鏡的研究』で動物の細胞説(cell theory)を提唱した。この2つの出版物の発行をもって、細胞生物学の公式な誕生としている。二人は、光学顕微鏡を用いて、それぞれ植物組織と動物組織を大系的に観察した。その結果、細胞がすべての生体組織の構成単位であることが分かった。 1880年にシュトラスブルガー(Eduard Adolf Strasburger)は、顕微鏡で観察した 生きているムラサキツユクサの花の毛の細胞を、25時間以上かけて線描した。2つの娘細胞に分裂するようすまで描いている。シュトラスブルガーは、ボン大学の教授となり (1880~1912) 、同大学を細胞学研究の世界的な中心地に育て上げた。19世紀には、顕微鏡学者の研究により、すべての細胞は、既に存在する細胞の成長と分裂によって生まれるといことが解明されていた。この細胞説は、「生物は自然に生じることはなく、既に存在する生物からしか生まれない」という考え方であったため、当時広く受け入れられていた生命の自然発生説から強い反対論も起きていた。 ロベルト・コッホと共に、「近代細菌学の開祖」とされるルイ・パスツール(Louis Pasteur)は、1860年代に、巧妙な実験により、細胞が既存の細胞からだけ生じ、おなじ性質を受け継ぐという生物学の根底をなす原則を揺らぎないものとした。 パスツールは、まず加熱殺菌したフラスコにふたをし、何も発生しないことを示した。これに対して酵素が無いためだ、あるいは加熱殺菌で「生物の素」がだめになったなどの反論が起きた。 パスツールは、今度は、自身が考案した、塵や空気中の胞子が入らないように、細く長い首が曲がった「白鳥の首フラスコ」(いわゆるパスツール瓶)を使用した。煮沸してフラスコ内の培養液に、生命の痕跡は見られなかった。そして首の中にたまった“ほこり”を少し流し入れると、生命を支える能力があることが示せた。この実験から、「生物は、既に存在する生物からしか生まれない」という説の正しさを証明した。 ダーウィンは、1859年に刊行された『種の起源』で進化論をとなえた。ランダムに起きる突然変異と自然選択によって共通の祖先から多様な生物が生じる過程を説明する。この説と細胞説を踏まえると、生命の始まりから現在まで、個々の細胞が連なる巨大な家系図となってあらわれる。しかも細胞の構造・仕組み・働きを考えれば考える程、“進化”という文字がよぎる。 受精という現象が、正しく理解されるようになったのは、19世紀の後半になってからである。その後、無脊椎動物を使って、発生中の胚に対してさまざまな実験的な操作を加えることによって、受精卵が発生の過程でだんだんと幼体になっていくことが確かめられた。動物の場合、初期の細胞分裂を卵割(らんかつ;cleavage)と呼ぶ。 例えばウニやカエルの場合、2細胞期にその娘細胞を1個ずつ分けて育てると、それぞれの細胞が卵割を進行させ、やがて本来より小さいがそれぞれに完全な幼生が形成される。これはヒトにおける一卵性双生児と同じような現象で、分割するとそこから全身が形成されるのは、状況の変化に応じて何らかの調節作用が働いたものと判断出来る(調節卵)。 これに対して、クシクラゲ類などでは、その初期の分割では、その割合に応じた部分のみから不完全な幼生を生じる。この不完全な卵細胞の各部の細胞質が特定部位へ分化する性質を強く持っている。このような卵をモザイク卵と言い、これに対して上記のような調節作用を示す卵を調節卵という。 胚(はい;Embryo)とは多細胞生物の個体発生におけるごく初期の段階の個体を指す。胚子ともいう。 卵割が進むと、次第にその生物の構造が出来上がる。孵化する時期は動物によって異なるので、どの程度の体の仕組みができるまでを胚というか、というような定義はない。初期の発生には様々な動物群を通じて共通する構造も見られるので、それらを共通の名で呼ぶことも行われる。 卵割が進んだものを桑実胚(そうじつはい: Morula)と呼び、分化のない細胞層が表面を覆う状態で、やがて、内部に卵割腔(らんかつこう)という空洞が生じる。これを胞胚(ほうはい)という。ほぼすべての後生動物(こうせいどうぶつ;多細胞の動物をまとめた呼び)に共通する胚の発達の初期段階の一つで、分化しない細胞が卵の外側に配列し、中央には通常は胞胚腔と言われる空洞が現れる。その胞胚腔の内部に、一部の細胞層が陥入して原腸を構成する。それが原腸胚(げんちょうはい: Gastrula;嚢胚のうはい)である。 動物群によっては、このような胚の名で呼ばれる時期に孵化してしまうものもあり、そのような場合、その群固有の幼生の名で呼ばれるが、ウニの骨片が形成されるプリズム幼生などは原腸胚と呼んでいる。プリズム幼生になると、原腸が反対側に達し、口が形成され、原腸は消化管となる。プルテウス幼生になると、扁平な逆三角形となり、腕が生じ海水中を遊泳するようになる。 ヒトの胚でも、胞胚の段階では、分化しない同じ細胞の集まりであるが、原腸の形成後には消化管の原器が構成されるようになり、これらは遺伝的な「プログラム」によって調節され、さらに環境要因の影響も受ける。 原腸の形成された原腸胚の内層に囲まれた腔所近くの内壁、胞胚期までは胚表に配列していた細胞群が、胚内に移動し原腸を作る。その胚表面から移動は、規則性のある一連の運動を伴い、陥入・おおいかぶせ・巻込みなどの変化が組合わさって起る。それが、消化管の原器となり、やがて主として腸管、それに付属する肝臓・膵臓などの器官が作られる。 やがて、遺伝子DNAの構造が明らかになり、DNAのRNAによる転写とタンパク質へ翻訳の過程が明らかになり、すべての細胞には、その生物のすべての情報がDNA分子に暗号の形でおさめられていることが明確になった。生物の各部の細胞の形質や機能が変わり、複雑な諸器官が形成されるのも、適宜、全情報のうちの必要な部分だけ、順次、転写と翻訳が行われる遺伝子発現(gene expression)の仕組みが解明されてきている。 発生の最初のスイッチが入ったあと、卵細胞内に蓄えられたmRNAの翻訳がおこり、不活性だったタンパク質が転写調節因子として活性化され、次々と発生の過程が進んでいく。その後は、諸々の環境の影響を受けながら、個々の個体が継承した遺伝子発現の手順に従って作られたタンパク質が、次の遺伝子の発現をオン・オフにするといった連鎖反応が起こることが明らかになった。 多細胞生物が、受精卵から生殖力をもつ成体にまで、正常に成長するためには、遺伝子発現を調節する能力が、受精卵として誕生した、その初期から始まる一連の転写プログラムが実行されなければならない。そのプログラムに従って様々な遺伝子発現が起こり、背と腹・頭と尾の体の基本設計ができる。最後の段階で、羽や足・口や肛門とニューロンや生殖細胞が適切な部位に発現される。これらの生体内における枢要な部位は、受精後数時間内で起きている。この初段階からかかわるのが、遺伝子の中でも重要な転写調節因子と呼ばれるタンパク質である。 これらのタンパク質が、多様な調節DNAとの相互作用により、胚のあらゆ細胞に対して、それぞれ適宜に、遺伝子の「スイッチをオン」にするよう指令を出す。多くの遺伝子は、他の遺伝子の「スイッチ・オン」にたすけられる一方、他の遺伝子が「スイッチをオン」にする契機となっている。ある遺伝子が、生物のどの細胞で発現するか、発生のどの時点で遺伝子のスイッチが入るかは、調節DNAが制御うる。真核生物では、調節DNAは遺伝子の上流にあることが多い。しかし、DNAの一部分に結合した1個のタンパク質が、どのようにして複雑な多細胞生物の発生を誘導するのか。 目次へ |
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2)Hox遺伝子群 ヒトを作る遺伝子は、コンピュータ及び実験技術をすべて組み合わせると、現在の予測値は、30,000個位になるが、人間を作るには、何個の遺伝子が要るのか、その最終的な答えは、まだ何年もかかるようだ。むしろ、正確な遺伝子の数を知るよりも、各遺伝子の機能や、それがどのような相互作用をして生物を作るかを理解する方が重要だ、という。 1,980年代の初頭、ハエを研究していた遺伝学者が、小さな遺伝子群を見つけて驚愕した。ある生物がもっている「遺伝情報の全体」をゲノムという。科学者が動物のゲノムを初めてのぞき見たとき、種が全く違う動物相互に同じ遺伝子群があるという発見であった。 Hox遺伝子群と名付けられたそれは、染色体上のあるところに、密集してならんでおり、動物の形態形成期に、体制(生物の体の基本形式)をデザインし、体節の分化にかかわる頭・脚・羽・触角・目などの適切な数量と大まかな配置について決定的な役割を持っていた。 Hox遺伝子群も、「転写調節因子」で、遺伝子の転写を制御するタンパク質群のことで、DNAに書き込まれた遺伝情報のRNAへの転写を促進したり抑制したりする働きを持つ、約2,000種以上ものタンパク質の分類がなされている。 「転写調節因子」がDNAと結合すると遺伝子の転写が開始される。逆に止まることもある。タンパク質合成には多くのエネルギーを消費するので、生物にとって無駄な遺伝子の転写や翻訳は避けなければならない。多くの遺伝子のうち、どれを・いつ・どこで・どの程度発現させるかは、生物にとって自らの生存をかけた最も重要な課題である。外界からの様々な刺激や真核生物が元来もっている発生・分化・増殖・加齢などのプログラムによって、個々の遺伝子の転写は精妙に調節されている。 マウスを研究していた遺伝学者の仲間が、マウスでも同じHox遺伝子群が同じ順序で並び、同じ役割を果たしていたことが分かった。 胚(はい)は胚子ともいう。多細胞生物の発生の初期、まだ独立生活のできない個体をいう。植物では受精卵がある程度発達した胞子体をいう。種子植物では種子中にある発芽前の植物体で、胚芽ともいい、同じ種子内にある胚乳から養分を吸収する。哺乳類では胎児である。 同じ遺伝子がハエの胚では、羽をどうやってではなく、どこに作るかを命じ、マウスの胚では肋骨をどこに作るかを命じている。 動物の基本的な体制は、6億年以上も遡る、既に絶滅した祖先が編み出したゲノムにあり、そのまま現代の子孫に受け継がれていた。 これと同じで、チンパンジーとヒトの差異は、遺伝子の違いにあるのではなく、同じ3万個の遺伝子が違ったパターンや順序で使われていることに起因している。 極めて近い種同士であっても、生態環境や食物が違えば、社会組織や風俗も大きく異なっていく。逆に遠縁の種同士でも、似たような食物や生息環境であれば、収斂進化によって似たような体形を持ち、類似の社会システムを形成する傾向がみられる。 二つの生物種が似たような行動形式をとるばあい、祖先の近縁性より、その行動をとらせてきた環境圧力による同一性の方が優位に働いているようだ。 目次へ |
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3)分化した細胞のエピジェネティクスな仕組み (エピジェネティクスな遺伝;epigenetics inheritance;DNAの塩基配列を変えることなく、細胞が子孫へとその遺伝子発現の状態を伝達すること。Inheritanceとは、生物学では「遺伝的性質」) 少数の転写調節因子が、遺伝子群全体の発現を制御し、細胞の型さえ変える。転写調節の威力が、モデル生物として研究されるショウジョウバエの目の発生過程の研究で痛感された。Eyと名付けられたマスター転写調節因子1個に誘発され、単なる1種類の細胞が作られるだけでなく、目の器官全体が出来上がった。実験室で、ショウジョウバエの本来ならば脚なるはずの細胞の胚に、あえてEy遺伝子を発現さえると、この胚から成体となったハエの中には、脚の真ん中に目を持つものができた。Eyが調節する遺伝子の中には、別の遺伝子の発現を調節する転写調節因子である遺伝子も備えているため、たった1個の転写調節因子の働きで、その他の転写調節因子にスイッチが入り、次々と連鎖が起こり、目にある様々な細胞群の分化を協調させ、目の器官全体としての三次元構造体を作り上げた。この原理が繰り返して応用され、複雑な生物の成体が、胚から順次作り上げられる過程が想像できるようになった。 一度ある特定の型へ分化した細胞は、その後もその分化状態を維持するのが通例で、子孫細胞も同じ型になる。高度に専門化した細胞には、骨格筋細胞やニューロンのように、一度分化すると二度と分裂しなくなる。即ち最終分化するのである。 線維芽細胞や肝細胞、眼球の中の毛様体や虹彩、胃や腸などの内臓筋に見られる平滑筋細胞などは、分化後も個体の一生を通じて何度も分裂を繰り返すものも多くある。その上、分裂しても自分と同じ細胞しか生み出さない。 細胞が増殖しながらも独自の型を保つ細胞記憶(cell memory)があるということは、その独自性を生み出す遺伝子発現パターンを記憶し、その後の細胞分裂の際に、娘細胞に必ず受け継がれることを意味する。それは一度始まった各々の細胞の転写調節因子の生産は、細胞分裂のたびごとに娘細胞に受け継がれる永続性の仕組みがあると見られる。 自分はどうという細胞なのか娘細胞に確実に記憶させる方法は、いくつかあり、その最も簡単で重要なのが、正のフィードバックループ(positive feedback loop)である。その独自性をもたらす遺伝子発現パターンが、その後の細胞分裂の際には必ず娘細胞に受け継がれ、一度、始まった各々の転写調節因子の生産は、それ以降の娘細胞の分裂の度に、永続して娘細胞に引き継がれる。その鍵となる転写調節因子が、細胞の型に特異な遺伝子と共に自分自身の遺伝子の転写をも活性化させる仕組みである。その鍵となるマスター転写調節因子は、自身の転写とその細胞の種類に応じた特異的遺伝子の転写を活性化する。そのため子孫の細胞はすべて、元の細胞の一過性のシグナルを受け取って、このマスター転写調節因子の生産をする。それ以降、それを記憶する。細胞分裂のたびに調節因子は娘細胞に分け与えられ、そこで正のフィードバックループの刺激を続ける。その刺激が続くために、それ以降の世代細胞は、必ず調節因子を作り続ける。Eyタンパクは、この正のフィードバックループを作っている。正のフィードバックは、自己維持的な遺伝子発現回路を築くのに不可欠な仕組みである。細胞に特定の運命を与え、その情報が永続的に子孫へ継承されるのは、この回路のおかげである。 自分がどういう種類の細胞になる運命なのかを、娘細胞に記憶させる方法は、最も一般的なのが、「正のフィードバックループ」であろうが、細胞の自己認識を強化する方法は他にもあり、その1つが共有結合性修飾のDNAメチル化である。脊椎動物細胞では、メチル化は、特定のシトシンだけに起こり、遺伝子の転写を妨げるタンパク質が、メチル化シントンに引き寄せられるため、普通は遺伝子がオフになる。DNAメチルのパターンは、娘DNA鎖の合成直後に親DNA鎖のメチル化パターンを写し取る酵素が働くため子孫細胞へと受け継がれる。 細胞分裂では、DNAのメチル化パターンが正確に受け継がれていく。DNAのメチル化パターンが一度出来上がると、メチル基転移酵素と呼ばれる酵素の働きで、そのパターンが確実に新生DNAに受け継がれる。複製直後の娘二重らせんには、メチル化されたDNA鎖(親二重らせんから引き継いだ鎖)と新しく合成されたメチル化されていないDNA鎖が1ほんずつ含まれる。メチル基転移酵素は、この混成らせんに結合し、メチル化されているCG配列と対合したCG配列だけをメチル化する。 遺伝子の発現パターンを受け継ぐもう1つの仕組みは、ヒストンの修飾である。細胞がDNAを複製する時には、親染色体が共有結合修飾していたヒストンタンパク質が半分ずつ、2本の娘DNAらせんに事実上ランダムに分配される。そのため、娘染色体は、親が持っている修飾ヒストンの約半数を受け継ぐ。DNAの残りの部分には、新しく合成された、まだ修飾されていないヒストンが結合する。各種修飾酵素がそれぞれ、自身が作るのと同じ修飾に結合すれば、それが触媒となって、新しいヒストンに同じ種類の修飾を施す。このような修飾と認識の連鎖により、親の修飾パターンが維持される。結局、ヒストンを修飾する酵素が、この親由来のヒストンに結合して、周囲の新しいヒストンに同じ修飾を施す。この修飾の繰り返しにより、親染色体に見合ったクロマチン構造が遺伝される。ただ、この仕組みは、一部のヒストン修飾にあてはまっても、すべてに適用しているとは言えない。 これらの細胞記憶の仕組みは、どれもDNAの塩基配列を変えることなく親細胞から娘細胞に遺伝子発現パターンを伝えるので、エピジェネティックな遺伝の例である。このようなエピジェネティックな変化は、遺伝子発現パターンの制御に重要な役割を果たし、細胞はそのおかげで環境からの一過性のシグナルを細胞に永久に記録できる。この現象は、細胞の働く仕組みや病気の際に細胞がどのような機能不全を起こすのかを理解するうえで、大きな意味を持つ。 目次へ |