DNAが遺伝物質である
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 DNA DNAが遺伝物質 生物進化と光合成 葉緑素とATP 植物の葉の機能 植物の色素 葉緑体と光合成 花粉の形成と受精
 ブドウ糖とデンプン 植物の運動力 光合成と光阻害 チラコイド反応  植物のエネルギー生産 ストロマ反応
 植物の窒素化合物  屈性と傾性(偏差成長) タンパク質 遺伝子が作るタンパク質 遺伝子の発現(1) 遺伝子の発現(2)
 リボソーム 


 
「遺伝物質」DNA

 染色体で大事なのはデオキシリボ核酸、略してDNA(deoxyribonucleic acid)、そのDNAが生物の個体それぞれの遺伝形質のもとになっている。ヒトの外形・性格、その他の違いも、DNAにある遺伝子の発現による。ただし、遺伝子の発現は、タンパク質に依存するため、人間であれば、栄養・教育その他の周辺環境や家族が育む温もりなど、家庭や社会的環境などの影響はを受け、遺伝子の発現をオン・オフにする。「生まれよりも育ち」、つまり「我が子の養育」が、息子や娘の成長に多大な影響を与える。

 1920年代までに、遺伝子が染色体にあることは、大筋で分かっていた。それも染色体が、DNAとタンパク質から構成されていることまでも解明されていた。ただ、DNAは化学物質としては単純すぎるため、遺伝子はDNAよりも、はるかに多様な高分子構造のタンパク質にあると見られていた。
 その先入観にとらわれ、しばしば実験により、遺伝子はDNAにあるとの証拠が得られも、その成果を発表しづらい学会の雰囲気が続いた。
 1928年、英国の軍医フレデリック・グリフィス(Frederick Griffith)によるマウスを使った実験で、驚くべき発見があった。グリフィスは、肺炎を引き起こす肺炎球菌を研究していた。当時、抗生物質は発見されておらず、肺炎は死に至る病であった。グリフィスは、その実験過程を経て、DNAから遺伝情報が転写されることを示唆する最初の実験結果を得た。
 肺炎球菌を、実験室で培養すると2つの型が生じる。1つは、病原性を持つIII-S (smooth) で、マウスに注射すると肺炎となり死ぬ。もう1つが病原性を持たないII-R (rough)で、マウスの免疫系により、簡単に排除され感染すらしない。
 この肺炎球菌を、いろいろと処理をしてマウスに注射する研究の過程で、グリフィスは、熱処理で殺した病原性の菌III-S (smooth)は感染しなくなるが、同じマウスに加熱殺菌したIII-S (smooth)と病原性を持たないII-R (rough)を共に注射すると、マウスは肺炎に罹患し死ぬ、更に、その血液中には生きた病原性の菌III-S (smooth)が多数存在することを発見した。その致死性に変身した菌は、培養しても病原性を保有したままであった。熱処理された病原性の菌III-S (smooth)が、何らかの方法で病原性を持たないII-R (rough)を、致死性に変えたことになる。その変えた物質とは何か、またその変化が、どうして子孫の菌に受け継がれるのか、このグリフィスの注目すべき発見が、遺伝子がDNAにあることを研究する画期となった。

 米国の細菌学者オズワルド・アヴェリー(Oswald Avery)は、1877年、カナダで生まれで、1943年、66歳でロックフェラー研究所を名誉退職した。その後も5年間研究を続け、生物学にとって革新的な発見をした。
 アヴェリーは、グリフィスの研究を更に進めた。病原性のIII-S (smooth)から抽出した物質の中に、非病原性のII-R (rough)を、培養器内で病原性菌に変えるものが存在することを発見した。
 その後15年研究され、アヴェリーとその同僚のコリン・マーロウ・マクラウド (Colin Munro MacLeod)とマッカーティ(Maclyn McCarty)が、この形質転換因子を水溶性抽出物から精製し、その活性因子がDNAであると立証した。この形質転換因子を受け取って変化した細菌の性質が、恒久的に遺伝したため、DNAが遺伝子であることが明白となったのである。
 病原性のS (smooth)の菌株から抽出したDNAは、非病原性のR (rough)の菌株に取り込まれ、その変化は忠実に、次世代以降へ受け継がれていった。アヴェリーらは、様々な化学的検査を行い、これがDNAの化学的特徴をすべて備えていることを証明してみせた。S (smooth)からDNAとタンパク質を取り出して、それぞれをR (rough)の菌株に注入したところ、DNAを入れた菌がS (smooth)の菌株に転換した。タンパク質を入れた方はR (rough)株のままだった。この実験から遺伝子がDNAであることが分かった。また、タンパク質やRNAを分解する酵素は、この抽出物の形質転換能力に影響しないが、DNAを分解する酵素は、その能力を不活性化させることも明らかにした。
 この15年の遅れは、当時は未だ、遺伝物質はタンパク質らしいという見解が生物学会の通説で、アヴェリーらは、形質転換因子がDNAだと確実に立証できるまで公表を控えたためであった。
 アヴェリーは、同じく細菌学者である兄弟に宛てた手紙に、「シャボン玉を飛ばすのは楽しいが、誰かに壊される前に自分で壊す方がいい」と書いている。
 このアヴェリーらの画期的研究は、1944年に発表されたが、詳細にして十分に検証された論文でありながら、遺伝学者たちは、DNAが遺伝物質であることを、直ぐには認めなかった。多くは、その形質変化を僅かに残っていたタンパク質が作用したとか、その抽出物には、遺伝物質ではなく、他の変異原となる物質が含まれており、それが無害な菌の遺伝物質を変化させ、病原性の菌に変えた、とまで主張した。

 1952年、ハーシー(A. D. Hershey)とチェース(Martha Chase)により、実験用ミキサーを使って、遺伝子がDNAであることを実証し、ようやく論争に決着がついた。DNAが遺伝物質であることを証明するため、実験に使われたのが、大腸菌に感染するT2というウイルスで、1940 年代より遺伝学の実験材料とされていた(バクテリオファージとは、細菌を宿主として増殖する細菌ウイルスの総称。単にファージともいう)。細菌を殺すこのウイルスは、分子サイズの注射器のように働いて、遺伝物質を宿主である大腸菌細胞に注入すると、空になったウイルスの外殻だけが、宿主の外側に付着したまま残る。
 ウイルスは、他の生物の細胞を利用して、自己を複製させることのできる微小な構造体で、タンパク質の殻とその内部に入っているDNAの2種類からなる。細胞をもたないので、非生物とされることもある。ウイルスには自分の体内に栄養を取り込んで成長・増殖するという機能がないので、細菌には抗生物質が効くのに対しウイルスには効かない。現在使われている抗生物質の多くは、細菌のRNA合成やタンパク合成を阻害する化合物と見られている。
 細菌内に入ったウイルス遺伝子は、新しいウイルス粒子の形成を指令する。1時間も経たずにT2ファージに感染した大腸菌は、そのバクテリオファージが細菌内で増殖するため細胞壁が崩壊され、死細胞を残さず、溶けたように消滅(溶菌)する。そして数千もの新しいウイルスが放出される。これが近くの大腸菌の細胞に感染し、同様なことが繰り返される。
 T2ファージは、DNAとタンパク質の僅か2種類の分子しか持たない。T2ファージの遺伝物質が、DNAなのかタンパク質なのか調べるために、放射性のリン(32P)を含む培地で生長させた大腸菌に、T2ファージを感染させ溶菌させると、DNAは放射能をもつ32P標識ファージとなる。放射性のイオウ(35S)を含む培地で生長させた大腸菌のタンパク質は、放射能をもつ35S標識ファージとなる。DNAにはイオウを含まず、タンパク質はリンが含まれていないため、放射性のリン(32P)や放射性のイオウ(35S)などの放射性同位体を使えば、DNAとタンパク質を簡単に区別ができるようになる。
 T2ファージが大腸菌細胞に注入すると、そのウイルスの外殻(タンパク質)が細胞の外側に付着したまま残るから、それぞれのDNAとタンパク質を放射性標式したウイルスを作れば、大腸菌細胞に注入されたのがDNAかタンパク質か、その放射活性で見分けられる。
 大腸菌ファージが大腸菌に感染するとき、DNAが大腸菌の細胞中に入り、タンパク質は大腸菌の細胞表面に付着したまま残る。感染が起きるように、放射性標式したウイルスを大腸菌と混合し、数分おいてからミキサーにかけと、回転で遠心分離し撹拌すると、大腸菌の外殻に付着していたタンパク質は離脱する。そして35S標識のタンパク質を含む空の外殻は懸濁液中に残る。32P標識のDNAを含む重い感染細胞は、遠心管の底に沈殿する。 
 T2ファージのDNA が細胞中に入ればタンパク質が離脱しても、この標式DNAが、次世代のウイルス粒子に伝えられ、ファージの増殖と溶菌が起きる。標式タンパク質の方は、新しく増殖したファージに取り込まれずに、空になったウイルス粒子と共に細胞外にとどまる。こうして、このウイルスの遺伝物質は、DNAでできていることが確定した。
 ハーシーとチェースの実証実験により、アヴェリー・マクラウド・マッカーティの研究成果とあわせて、DNAが遺伝物質であることが決定的となった。