飛騨外縁帯      閃緑岩質片麻岩
 飛騨帯は、日本列島の地質構造の一部であり、古生代後期から中生代前期に形成された地質体、低圧から中圧型の変成岩と同時期に形成された花崗岩から構成されている。
 飛騨帯は、他の地質体と起源を異にし、大陸性の地塊由来と考えられている。
 
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 目次
 1)プレート運動と火山の分布
 2)地溝
 3)飛騨帯と飛騨外縁帯
 4)大陸プレート


 1)プレート運動と火山の分布
 地球は均質な球体ではなく、成層構造をなしている。地球の内部構造を知るには、どんな物質でできているかという岩質 (組成) の理解と、剛体であるかないかによる流動力学や物理的な遷移の解明に掛かっている。
 組成を基準にした分け方では、地球の上部マントルは主にかんらん岩(橄欖岩)からできていると考えられている。
 下部マントルは高い圧力のためかんらん岩がより緻密な構造に変わっていると考えられている。
 上部マントルと下部マントルの間は遷移層になっている。
 下部マントルと外核の境界部はD"層と呼ばれ、かんらん岩が更に緻密な構造に変わっていると考えられている。
 外核は主に液体の鉄とニッケルから、内核は主に固体の鉄とニッケルからできていると想定されている。

 流動性を基準にした分け方では、地球の表層を地殻とマントル最上部の固い岩盤を併せたリソスフェアlithosphere(岩石圏)と、物質が部分溶融し流動性を有しているアセノスフェア asthenosphere(岩流圏)に区分している。
 リソスフェアはプレートとほぼ同じで、その地球表面の温度が低くて硬く、流動しづらい。その下層のアセノスフェアが上部マントルで、その一部が溶けていて温度が高くて柔らかく、部分流動性があると考えられている。
 地球は、中心から、核(内核、外核)、マントル(下部マントル、上部マントル)、地殻という層構造に なっていると考えられている。このうち「地殻」と上部マントルの地殻に近いところは硬い板状の 「岩盤」と合わせて「プレート」と呼ぶ。地球の表層には大気があり、大気も層構造をなしており、対流圏・成層圏・中間圏・熱圏と区分されている。それぞれの層は世界中のどの場所でも、ほぼ同じように分布している。各地層には、過去に地球上で起こった変化の記録が複雑に混成している。
  かんらん岩(橄欖岩)
 地球全体の体積のうち、
 橄欖岩が占める割合は、82.3%
 玄武岩と花崗岩は、合わせて2.3%
 残りはおもに金属の隕鉄で、15.4%  地球には圧倒的に橄欖岩が多い。
 日常で、橄欖岩を目にすることはほとんどない。見ることが最も多いのは花崗岩で、次が玄武岩。この二つは地殻をつくっているので、地球の表面に露出している。
 橄欖岩が存在しているのは、地下70kmから2900kmまでの深さにあるマントルの中である。

 「プレート」は年間数センチ移動する。「プレート」とは、リソスフェア(岩石圏)とほぼ同じで、つまり「リソスフェアlithosphere」の下に「アセノスフェアasthenosphere」があり、火山の噴火で噴出するマグマは「アセノスフェア」で形成されている。アセノスフェアは、地球の上部マントルの物理的耐性が弱い領域で、リソスフェアの下、通常、地表から80〜200 kmの深さにあり、700 kmの深さまで広がっている領域もある。しかし、アセノスフェアの下限は未だ示せないでいる。

 日本列島では、太平洋やフィリピン海の海洋プレートが、ユーラシアプレートと北アメリカプレートの大陸プレートの下にもぐり込む位置にあたり、「沈み込み帯」と呼ばれている。
 一方、岩石や地層の分布は、大気に比べると非常に不均質で、特に、陸と海では水の有無に加えてその下の岩石の種類や構造も大きく違う。大陸地殻の上部は主に花こう岩質の岩石から、大陸地殻下部と海洋地殻は主に玄武岩質の岩石からできており、その厚さも陸では厚く、海では薄いと考えられている。
 このような地球内部の組成及び物性の大きな変化は、地球内部の高い圧力のため、結晶の構造が高密度に変化 (相転移) し、地球内部の高い温度のため、物質が部分的に (外核では大部分) 溶融する。地球内部での温度と圧力の変化は、火成岩や変成岩の成因に大きな影響を与える。
 地球の表面は、プレートと呼ばれる水平運動をする十数枚の岩盤で覆われている。日本列島のようにプレート同士が重なりあう地域では、一方が地球深部へと沈み込み、もう片方はそれに乗り上げる。そのプレートの誕生、移動、沈み込みは、マグマの発生と密接な関係がある。

 地球内部の水も、プレートの移動とともに循環している。プレートの沈み込みは、火山や地震の活動や地殻変動などの様々な地質にたいして大規模な変動を誘発する。特に、水を含んだプレートが沈み込むことで地球深部に水が運ばれ、岩石の強度・密度を下げ、その結果、プレートの動きや周囲のマントルの流れの抵抗を弱める。
 地球の中心部には重い金属でできた「核」があり、その中心部の「内核」は高温であるが高い圧力により固体化している。その外側の「外核」は液体化し、「内核」を取り囲むそ2,266kmの層である。外核の温度は、最も外側の部分で4,400 ℃、最も内核に近い部分で6,100 ℃と高温であるが固体になるほどの圧力を受けていない。外核は、地表面における液体金属のおよそ10倍の粘度を有しながら、乱流により熱気を粘度の低い流体のように循環させている。
 地球や太陽などの天体が内部の流体運動によって、大規模な磁場を生成・維持する働きを記述するダイナモ理論dynamo theoryによれば、自転する天体の中で、導電性のある流体が対流によって磁場を維持するプロセスが記述される。この理論は、天体においてなぜ磁場が長い間持続できるのかを説明する。外核は液体であり、鉄-ニッケル合金に、硫黄・酸素・水素などの軽元素が合計で10%程度加わっている。導電性流体の鉄-ニッケル合金が、液体金属として対流することにより地球の磁場、地磁気として作用する。この磁場は上空数千kmにわたって地球を守る天蓋となって太陽風をそらす。
 この磁場がなければ、太陽風が地球の大気に直に作用する。すると、地球の大気がだんだん剥ぎ取られ、生物のほとんどが生存できなくなり、火星のように生命無き惑星になる。外核にある液体の鉄とニッケル、鉄よりも重い元素ニッケルの方が高い電気伝導性を有している。

 かんらん岩質の岩石でできている部分を「マントル(mantle,「覆い」の意)」と言う。マントルは固体で、その厚さは約2,900kmで、地球の体積の82%を占めている。
 マントルが地球の中の高温に融けないのは、高い圧力が掛かるからである。ただ、固体であっても高温のマントルは少し軟らかく、ゆっくりとなら壊れずに変形し、ゆっくりと流動的に位置を変える。

 宇宙は冷たいので、マントルの表層の深さ50km~200km程度までの表層部分は、冷やされて固い。その表層の厚みのほとんどはマントルで、ごく薄い最上部が「地殻」と呼ばれ、その地殻には2種類あり、マントルと比べて少し軽い海洋地殻と、もっと軽い大陸地殻がある。
 プレートのうち、海洋地殻が載っている部分を「海洋性」、大陸地殻が載っている部分を「大陸性」と呼ばれる。1枚のプレートにも海洋性の部分と大陸性の部分が入り混じる。
 プレートは、冷えて固くなっているだけではなく、冷え続けると縮んでより重くなる。海洋プレートは、海洋地殻と冷たいマントルの部分を合わせた重さが、温かく軟らかい大陸のマントルより重くなるので、その境の海溝から地球の中へ沈んでいく。ただ、プレートは固い板になっているので真下へは沈めず、一端から沈んでいく。その「沈み込み口」に深い「海溝」ができる。海溝からの沈み込みに引っ張られて、海洋プレート全体がゆっくりと海溝に向かってゆるやかに沈み込む。
 プレートとプレートが互いに沈み込むと、それに引きずられて双方に離れていく「広がる割目」が生じる。その割目を埋めるように、深部から温かく軟らかいマントルが上昇してくる。上昇してきたばかりのマントルは、温かい分だけ軽めなので、すこし盛り上がって「海嶺」という高まりを造る。この割れ目に向かって、地下のマントル対流のマグマが吹き出してくる。そうすると、海の底に火山活動が起こり、糸魚川・静岡構造線の東側のフッサマグナの海底に焼山や妙高山・火打山などの「頸城三山(妙高連峰)」ができる。
 大陸プレートでは、沈み込む海洋プレートが運び込む水により、地下深くのマントルに融点降下が生じ減圧融解し、、マグマになって噴出する。糸魚川・静岡構造線の西側に飛騨山脈が出来上がり、穂高を中心に活発な火山帯が発達する。

 「中央海嶺」は、プレートが割れて離間していく場所で、そこには割目を埋めるように、温かいマントル(固体)が上昇する。約100kmより浅い地球表層では圧力が低いので、温かいマントルの一部が融けてマグマが生じる。代表例として太平洋中央海嶺・大西洋中央海嶺・アフリカ大地溝帯が挙げられる。アフリカ大地溝帯は、割れ始めたばかりの境界である。
 表層に上昇したマントルは冷えて新しいプレートになって、離間していくプレートの中央海嶺を形成する。太平洋プレートは日本海溝から日本列島の斜め下へ沈み込み、極東ロシアや中国の下で深さ660kmに達している。そこで高圧のため結晶構造が変化し塊状となり、周囲よりも低温なマントルの塊として、深さ2,900kmのマントルの底まで沈み込んでいく。
 低温のマントル(固体)の大規模な下降流を「コールド‐プルームcold plume」と呼び、現在の地球では、アジア大陸の下のコールド‐プルームcold plumeが知られている。コールドプルームは、周辺のマントルより温度が低く、マントル表層から中心部へ向かって下降する。大陸プレートと衝突した海洋プレートは海溝からマントル中に沈み込み、沈み込んだプレートは徐々に周辺のマントルと一体化していくが、大部分が比較的低温のまま、外部マントルと内部マントルの境目の深さ670kmの部分でいったん滞留した後、さらに内部マントルの底を目指して沈んでいく。
 次々と下降流が複数寄り集まれば、強く大きな下降流が発生する。これが「スーパーコールドプルーム」と呼ばれ、現在はユーラシア大陸のアジア大陸側の下に存在している。このスーパーコールドプルームは、周辺のプレートを吸い寄せるエネルギーにより、陸地を1か所に集めて超大陸をつくる原動力ともなる。コールドプルームは、周辺のマントルよりも温度が低く、マントルの表層から中心へ向かって下降するプルームであれば、これが、海洋プレートが大陸プレートの下にもぐりこみ、それがたまった後に深部に落ち込んでいく。
 
 深さ2,900㎞のマントルの中では、下降するコールド‐プルームcold plumeと上昇するホットプルームhot plumeが出合う。plumeは、「舞い上がる煙の意」、地球の大規模な変動は、マントル内部に発生するホットプルームとコールドプルームの対流によって起こる。プルームテクトニクスにおけるプルームplumeとは、マントル内部の大規模な対流運動のことを指す。マントルの大規模な対流運動、特に上昇あるいは下降するマントルのプルームによって支配されている。高温部は巨大なホットプルーム(湧昇流)として下部マントルから上昇、反対に低温部はコールドプルーム(下降流)として地球深部へ下降する。浮力によるプルームの上昇速度は年間数cm〜10cm程度と言う。このマントルの対流は、結局のところ地球が形成されたときの熱がいまだに蓄積されており、それが現在に至っても冷え切っていないことを証明する。
 
 一方、高温の核とマントルの境界からは、温かいマントル(固体)の上昇流が生じる。大規模な上昇流を「ホットプルーム」と呼ぶ。現在の地球では、南太平洋とアフリカ大陸の下のホットプルームが知られている。上昇流が表層付近まで達している地点を「ホットスポット」と言う。現在、アフリカと南太平洋にスーパーホットプルームが存在し、これが、アフリカの大地溝帯のように、大陸を分裂させる力の原動力となる。しかし、太平洋や大西洋の中央海嶺の下にスーパーホットプルームが見つかっていない。
 
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 2)地溝
 地球の表面をつくっている地殻に割れ目ができて割れ目の両側の土地が、それぞれ違った運動をすることを断層運動と言う。この運動の結果、地層には食い違いができる。これが断層である。
 地殻において水平方向に伸張力が働くと、その地域には正断層が発達する。この断層線が、水平面においてほぼ平行に複数発達すると、一部地塊は沈降し、峡谷の形状を成す地溝となる。峡谷の側面は断層崖となる。沈降せずに、山地・台地となった部分は地塁horstと呼ばれる。

 平行する断層は2本よりも多くなり、側面の崖には数段の段差ができることがある。日本のフォッサマグナの例では、ユーラシアプレートの下へフィリピン海プレートが沈み込むことにより伊豆半島が日本列島に衝突した際、日本列島が中央部で真っ二つに折れてくの字型に曲げられ、その応力部が地溝となり、その後、大量の堆積物により峡谷部が埋積され、現在のような地形となった。
 フォッサマグナの地溝は、地中に埋没してしまって地表から確認することができない場合もあり、地質調査などからその位置が推定される。地溝にできる盆地は地溝盆地と呼ばれ、伊那盆地、諏訪盆地、松本盆地などがその例である。
 断層運動によって窪地にできる諏方湖は断層湖と呼ばれるが、地溝にできたことを明確にしたいときは地溝湖rift lakeと呼ぶこともある。また、特に落差が激しい地溝は窪地となり、海面下にまで陥没することもある。死海やヨルダン渓谷などがその例である。

 2018/09/19、国立研究開発法人 産業技術総合研究所は
 地表踏査に基づき、詳細が不明であった「糸魚川」地域の地層の分布や時代を特定し、地層の区分を行い、地質図幅を完成させた。これにより糸魚川-静岡構造線の最北部が含まれる地質図幅が全て完成し、100万年前以降に急激な隆起活動があったことが判明した。また、これまでユーラシアプレートと北アメリカプレートとの境界が糸魚川-静岡構造線を通るとの説があったが、今回、「糸魚川」地域を含む最北部地域はプレート境界ではないことが明らかとなった。」と発表した。
 また「糸魚川-静岡構造線最北部の東側の北部フォッサ・マグナ地域は、著しく隆起している痕跡が明らかになった。いつ、どのように隆起したのかは解明されていないが、「糸魚川」地域を含む糸魚川-静岡構造線の最北部地域は、4億年前から現在までの多彩な岩石がみられる貴重な地域としてユネスコ世界ジオパークに認定された。このように、同地域は地質学的に重要な意義を持つ地域であるにもかかわらず、非常に急峻な山岳地帯のために詳細な地質調査が行われないまま、詳細な地質図が作製されていなかった。
 今回、「糸魚川」地域で115日に及ぶ地質調査を行い、地層の種類や分布、地質構造の詳細を明らかにした。また、岩石の化学分析、火山灰の分析、微化石分析、フィッション・トラック年代計測を実施し、各地層の正確な区分や形成された年代を整理し、「糸魚川」地域の地質の成り立ちを解明した。
 諏訪湖には、東の南アルプス釜無山と駒ケ岳の間の横岳峠に源を発する釜無川が流下していた。今では富士川の支流となっている。かつては、八ヶ岳からの火山噴出物によって堰き止められ、諏訪湖から天竜川により太平洋へ流出していていた。以後、八ヶ岳連峰南西部から流出する矢ノ口川・阿久川・大早川・前沢川・弓張川や、入笠山から流出する大沢川などが合流して宮川となる。
 宮川は、フォッサマグナ断層崖沿いに八ヶ岳火山噴出物からなる裾野を北西に流れ、諏訪盆地の平坦地に沖積平野を発達させながら諏訪湖の南岸に流入している。
 八ヶ岳連峰西部から流出する上川の本流は、八ヶ岳連峰の冷山に源を発し、支流には車山・白樺湖から流出する音無川、蓼科山の沢を下る滝之湯川、横岳の岩峰の連なりから発する柳川、天狗岳を源とする角名川などがあり、山浦地方北部の火山性高原地帯に深い渓谷を侵食形成しながら合流した後、宮川の一部と合流し、諏訪盆地の平坦地に沖積平野を発達させ諏訪湖の南岸に流入する。諏訪湖の流入河川数は、計31河川に及ぶが、受入地域面積の約46.7%を上川と宮川が占める。
 上川の本支流の上流部は高原一帯に多くの新田開発を可能とした。車山の南麓に広がる茅野市中流部の米沢の大地には、藤原川・前島川・桧沢川・横河川の4つの一級河川が、稲作に大きな恵みを与えている。その扇状地の随所には、湧水があり、特に「大清水 湧水」は、水量豊富で茅野市の主要な水源地にもなっている。
 米沢付近からは勾配が緩く、堆積作用により低平な扇状地を形成した。水はけの良い肥沃な土壌と長い日照時間を活かした当地の米沢米は、歴代高島藩主の御前米となった。
 茅野市街地(標高約800m)から、上川の流路は北西に変わるが、河口(標高約760 m)までの区間は約8 kmに対して、比高差は約40 mしかない。
 その下流部では堆積作用により小規模な自然堤防を形成し、八ヶ岳連峰南西部から流出する矢ノ口川・阿久川などや、入笠山を源流にする大沢川や高遠からの藤沢川などが合流する宮川と並行して低湿で肥沃な三角州を形成した。

 時代が下るにつれて、諏訪湖は流入河川からの土砂の堆積や護岸工事などにより、面積は徐々に縮小している。湖岸線における川の出入も極めて少ないが、上川・宮川・砥川・横河川などによる三角州がある。流入する河川の流域は、東北部が八ヶ岳―車山―鉢伏山の連峰、西南部が富士見釜無分水界―入笠山―守屋山が連なる稜線に囲まれ、広範囲に及ぶ。諏訪湖は地溝帯にできた断層湖であれば、地質時代にはほぼ南北に長く紡錘状であったが、南北両岸から流入する河川の堆積により縮小され、現在は東西にやや長いほぼ四角形となっている。

  諏訪湖は、長野県のほぼ中央、赤石山脈の北端釜無山脈と車山火山帯との間の諏訪盆地の北西に偏る湖で、天竜川の源流である。湖面の標高759m、面積13.3km2、周囲16.2km、最大水深6.8m、平均水位4mである。湖底堆積物は厚さ400m以上に及ぶ。ただ6,000mのボーリングでも岩盤に至らないようである。
 新生代第三紀の終わり頃の260万年前からの中央高地の車山や八ヶ岳などの隆起活動と、フォッサマグナ西端に走る糸魚川静岡構造線の断層運動によって、地殻が引き裂かれて生じたの断層湖が諏訪湖である。
 糸魚川市から駿河湾に至るフォッサマグナの陥没地にできた構造湖である。
 諏訪湖は、八ヶ岳の各火山から流下する宮川や上川の土砂の堆積により、地質時代からみるとかなり江戸時代初期からの水田開発もあって縮小している。内陸高地にあり、かつては冬季には当たり前に結氷した。昼夜の温度差が大きく、厳冬季には厚い氷が収縮してひび割れが生じ、この部分が再結氷したのち、氷が膨張し大音響をたてて割れ、盛り上がる現象がみられる。これは諏訪大社上社の男神が下社の女神のもとへ行く神幸の跡と言い伝えられ、御神渡(おみわたり)と呼ばれる。その年の農作物の豊凶が占われる。御神渡の記録は室町時代に遡り、日本の気候変動を知る貴重な資料になっている。  
 湖の東岸近くの湖底には温泉湧出地があり、冬季にもここだけは結氷しないことから釜穴(かまあな)と呼ばれる「七ッ釜」がある。その源泉の温度は、84℃と熱い。上諏訪温泉湖畔公園の足湯は、隣接する七ツ釜配湯センターからお湯を引き入れている。七ツ釜配湯センターの温泉の成分表を見る限り、4つの源泉から成るようだ。三ッ釜第一源湯・三ッ釜第二源湯・あやめ公園源湯柳・並源湯混合泉とある。

 糸魚川-静岡構造線は、諏訪湖を挟んで「諏訪湖北岸断層群(諏訪断層群)」と「諏訪湖南岸断層群」に分かれている。この横ずれ断層が全体としては連続しながら、一部で分離して雁が飛ぶように並ぶ断層となって「雁行(がんこう)断層」と呼ばれる。雁行断層は、ひとつのエリアで一方向には圧縮する力と、一方向には引っ張る力が働いて雁行状の割れ目ができ、その割れ目で食い違いが生じ形成される。
 世界第一級の断層である中央構造線は、諏訪盆地を通る。東高遠と西高遠は南北に流れる藤沢川を境にしており、高遠城址のある東側を東高遠という。東高遠の西端から南下する藤沢川から前宮の東側を通り、諏訪湖の南東方面の茅野の市内で突然切れて12㎞ほど西へずれる。そこから諏訪湖の北岸中央部の岡谷市の横河川上流付近に一気に移動する。これは、諏訪湖北岸断層群と諏訪湖南岸断層群の活動によって横ずれが起こり、中央構造線が途中で断ち切られたためである。
 この中央構造線の切断は、現在の諏訪盆地を造っている山梨県韮崎市武川~諏訪~北東方向の松本市南部の区間を走る糸魚川-静岡構造線の北方の流れにより押されて、横ずれしている。そのため諏訪湖はより活動が活発な活断層になった。
 中央構造線は、群馬県下仁田から秩父山地東麓の比企丘陵北縁にかけて露出し、関東平野中央部の埼玉県岩槻のやや南方、新第三紀と第四紀の堆積層の下に埋り、その後の関東平野での通過位置は正確には分かっていないが鹿島灘へ抜ける。中央構造線は関東山地でよく露出しており、埼玉県長瀞渓谷はその代表的な露出地である。その後、関東平野の下に埋まるが、その北東の筑波山で露出する。
 これら糸魚川静岡構造線と中央構造線が交差する地で、諏訪湖を取り囲むように諏訪湖南側には諏訪湖南岸断層群に、諏訪湖北東側には諏訪断層群に分離する。

 諏訪盆地を造っている活断層は、活動度が高いA級の活断層(1,000年あたりの平均的なずれの量が1m以上10m未満の活断層)で、約1,000年間隔で地表に食い違いを残す活動を繰り返している。前回の活動は、762年の信濃の大地震で、その規模はM8程度だった可能性があり、その被害が美濃や飛騨にも及ぶことなどが、糸魚川−静岡構造線断層帯の地質学的調査によって認定された。
 この地震については、続日本紀に、「天平寶字六年五月己卯朔(西暦762年6月9日)、丁亥、美濃、飛彈、信濃等國地震、賜被損者穀 家二斛(1斛は現在の1石の約4割、1石は、180kg)」と記されている。もしそうなら既に平均活動間隔を250年も過ぎている。内陸の断層としては高い地震発生確率が予測されている。

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 3)飛騨帯と飛騨外縁帯
 飛騨山脈(北アルプス)は、富山県・新潟県・岐阜県および長野県に跨って連なる山脈であり、日本列島が出現以前、300Ma(3億年前、Maは100万年前の単位)以前の古生代の大陸性の地塊であった飛騨帯であれば、大陸の縁に存在していた時代の大陸起源の花崗岩地帯が残存する。多様な岩相を示す花崗岩が集合した飛騨花崗岩類と呼ばれる深成岩類(通常は花崗岩類)の集合体である日本最古のバソリスbatholithを形成している。バソリスは、古代ギリシャ語のbathosバトス「深さ」、lithosリトス「岩」が語源で、底盤とも呼ばれる。
 地下5〜30km程度の地殻の奥深くで冷却されて固まったマグマの塊で、露出面積が通常 100km2以上に及ぶ巨大な深成岩体である。花崗岩またはそれに近い石英モンゾナイトや閃緑岩質岩の貫入岩体あるいは貫入岩体の集合体である。ひとつの岩体ではない。
 日本最古のバソリスは岐阜県北部から富山県南部にかけて分布する船津花崗岩は、中生代ジュラ紀の1億8000万年前に飛騨外縁帯構成岩類の分布域にまで及ぶ範囲までに一斉に貫入したことで飛騨片麻岩類に熱変成作用をもたらしたと考えられてきた。しかし、それらの中には更に古い年代を示す岩体もあり、一律に扱うことができないことが明らかになった。
 飛騨外縁帯は、古生代の付加体あるいは付加体起源の変成帯であると考えられ、大陸プレートに海洋プレートが潜り込む関係から、太平洋側に向かってより新しい地質体が配列する傾向がある。それは日本列島の誕生過程を示している。
 飛騨外縁帯は、飛騨帯の周囲を帯状に取巻いて分布する。古生代の付加体堆積物と蛇紋岩・高圧変成岩(ヒスイ輝石の産出で有名)、古生代のシルル系・デボン系石灰岩から構成される。「飛騨外縁帯」のもっとも東にあるブロック「福地(ふくじ)地区」にはシルル紀・デボン紀の前紀オルドビス紀のコノドント化石を含む地層(一重ヶ根層)がある。平湯から新穂高温泉へと通じる国道の途中、焼岳の西側4-5km、高原川沿いあたり福地という集落の周辺に存在する。
 福地の化石産地である岐阜県高山市奥飛騨温泉郷一重ヶ根の「一重ヶ根層」は、日本の地質学において興味深い。この地層は、日本列島創成期の地質構造の一部を遺存している。一重ヶ根層は、日本の地質学において、オルドビス紀前期末に形成された堆積岩で、この地層は、福地などの地域に分布し、主に泥岩や砂岩からなる。また、一重ヶ根層には、オルドビス紀のコノドント化石が含まれている。コノドントconodontは、ラテン語で「円錐状の歯」を意味する。多様化する古生代オルドビス紀から中生代三畳紀までの約3億年の期間で、最も信頼性・精度の高い世界中で発見される示準化石である。リン酸塩からなる0.2 – 5.0 mm程度の石灰質のごく小さな歯状の構造であり、その形態には多様性がある。ウナギのような細長い体をもち、「歯」は口から奥まったところに規則正しく並び、その「歯」の機能は、捕食や消化にかかわる器官であるという説が有力になっている。
 飛騨帯と飛騨外縁帯の形成時期を少なくとも2期に分けて区別するようになっている。しかも、変成岩類も花崗岩類も複数回におよぶ複雑な過程を経て形成されているために、すべての飛騨帯構成岩類を全域にわたって一定の基準で説明することはできない。「飛騨変成岩類」、「飛騨花崗岩類」と2類にまとめて呼び、それぞれを6種類と10種類の岩相に区分することで説明する。そのため1つの岩相で示される岩石の中にも別の変成・深成作用で形成された岩石が含まれて場合もある。
 飛騨帯は岐阜県の北部から北陸地方へかけての地域に広がる変成岩類と花崗岩類からなる地質帯である。ただし、これらの構成岩類が飛騨帯のどこにでも分布しているわけではなく、それ以降に形成された岩石類に覆われたり貫かれたりしているため実際にはかなり限られた地域にだけに分布している。
 変成岩類は総称して「飛騨片麻岩類」と呼ばれ、それらを形成した広域変成作用の時期についてはいくつかの見解があるが、おおよそ古生代デボン紀・石炭紀・シルル紀の3億年~4億5000万年前と中生代三畳紀の2億4000万年前ごろの少なくとも2回にわたり重複した作用で形成されたとされている。

 飛騨山脈の主要部分は、新生代第四紀更新世に始まった隆起活動と火山のマグマ活動によって形成された。飛騨山脈は、既に新生代新第三紀鮮新世の約270万年前から隆起を開始していた。この隆起は、火山のマグマ活動と断層運動の複合的な要因による。現在の飛騨山脈は、新生代第四期更新世カラブリアン期の約130万年前から急激な隆起が始まり、3000メートル級の山々が形成された。最高峰は、標高3,190メートルの奥穂高岳である。
 飛騨山脈の主稜線をなす槍穂高連峰は、1,000mほどの丘陵地であったが、新生代第四期更新世カラブリアン期の176万年前と175万年前に大規模噴火を起こしカルデラ火山となった。カルデラ内堆積物である溶岩、溶結凝灰岩と、そこに底付けされた滝谷花崗閃緑岩が120万年で6,000m急激に上昇して山稜となった。滝谷花崗閃緑岩は穂高岳一帯では、176万年前、巨大なカルデラ火山が噴火し、その火山の地下数キロに高温のマグマがあって、80万年くらいかけてゆっくり固まり、今から約120万年前に完全に固まった。この地下深いマグマが固まってできた深成岩が、飛騨山脈の長野県上高地から岐阜県上宝村にかけて分布し「滝谷花崗閃緑岩」と呼ばれた。
 穂高連峰の北端、北穂高岳(3,016m)から切れ込む岩の墓場ともよばれる谷がある。谷の奥には北穂ドームをはじめとする岩壁が屏風のようにそびえ立つ。槍穂高カルデラ火山のマグマからできあがった滝谷花崗閃緑岩の名前は、この谷に由来している。
 発見された滝谷花崗閃緑岩は新生代第四紀カラブリアン期の144万年前の年代を示し、地球上で最も若い露出花崗岩である。この噴火に伴う火山灰は房総半島まで飛び、関東平野の重要な地層年代を特定する指針となる。
 飛騨山脈は、南北方向の開析dissectionや崩壊地形が発達している。開析とは、一定の連続性を有していた地形面が、 侵食などの影響により多くの谷が形成され、地形面が細分化される事象である。 連続した地形面が短時間に形成される断層地形や火山地形に多く見られ、隆起速度が速いため浸食されやすいこと、花崗岩が断層運動により破砕して崩れやすくなっていること、氷期に氷食作用を受けたことなどが原因のようだ。

 ~上宝火山~
 飛騨山脈の急激な上昇が終わりかけた新生代第四紀チバニアン期の64万年前に福地温泉付近で噴火したのが上宝火山(かみたからかざん)である。高山市奥飛騨温泉郷福地の南方にある貝塩(かいしお)谷北側山腹の貝塩給源火道(かいしおきゅうげんかどう)から流出し、福地凝灰角礫岩層・上宝火砕流堆積物を形成した火山体である。大規模な火砕流が西に向けて流れ出し、上宝村から丹生川村・高山市東部・朝日村へかけて約500km²と広大に広がり、その厚さは最大250mに達した。その大部分は流紋岩質の溶結凝灰岩からなり、硬いためにしばしば絶壁をつくる。
 丹生川村北東部の八本原は標高約1,300~1,700mの平坦な地形をもつ高原で、この堆積物がつくった火砕流台地である。貝塩給源火道は、流紋岩質の溶結凝灰岩・花崗斑岩・凝灰角礫岩からなるパイプ状岩体であり、東西1.4km・南北0.9kmの楕円形である。
 焼岳の麓にある貝塩給源火道から流出した上宝火砕流堆積物は、既に形成されつつあった位山(くらいやま)分水嶺を超えて朝日村の飛騨川流域まで流れている。その火砕流は100m程度の高さをもつ尾根さえ超えるほどの流出量であった。
 位山には、「位山巨石群」と呼ばれる百の巨石が点在している。飛騨山脈の乗鞍岳から西への延びる支尾根の位山分水嶺の主峰で、飛騨高地の中央部に位置する。その尾根は川上岳を経て、福井県境へと延びる。 その山頂から南東3.2kmに位置する位山峠(標高約1,090m)は、古くから飛騨と京を結ぶ位山街道の峠道であった
 この上宝火山から噴出した降下火砕堆積物は「貝塩上宝テフラ」と呼ばれる広域テフラ(火山砕屑物)を形成して中部・関東一円に分布する。
 2,000m近い火山体は、飛騨山脈の上昇隆起にともなう浸食により消失した。奥飛騨温泉郷福地の南方にある貝塩谷北側山腹に径約1.4×0.9mの規模で形成した上宝火山の貝塩給源火道は、飛騨山脈の上昇隆起にともない火山体が削剥されたことで、火山噴火の出口通路だけが見られる。流紋岩質の溶結凝灰岩・花崗斑岩・凝灰角礫岩からなるパイプ状岩体で、溶結凝灰岩は上宝火砕流堆積物と同一の構成鉱物を含み、岩相もよく類似している。
 その給源西北西2.5kmの 距離に位置す る上宝村福地オソブ谷では、福地凝灰角礫岩層の上に層厚約40mの非溶結の上宝火砕流堆積物が重なり、今日では溶結した柱状節理の層厚約200mの上宝火砕流堆積物として露出する。

 ~乗鞍火山~
 新生代第四紀カラブリアン期の128万年前~9千年前にかけて活動した火山で、富士山のように噴出物を積み上げてできた火山ではなく、マグマの侵入により、基盤の美濃帯が押し上げられた稜線上で噴火した火山である。2,400m以上の場所で美濃帯の地層が確認されており、あげぞこ火山とも呼ばれている。
 美濃帯は飛騨外縁帯の南側にあってかなり幅広く分布する地質帯で、岐阜県の半分以上の範囲にあたる地域を占める。そこは古生代石炭紀から中生代白亜紀最前期にかけての時期に海底に堆積した堆積岩類と海底火山から噴出した緑色岩(玄武岩質火山岩類)でおもに構成されている。
 海洋プレートの上に噴出した玄武岩質火山岩類は海底や火山島(海山)を形成して、その上に石灰岩・チャート・珪質泥岩などを徐々に堆積させながら大陸へ向かって年間数cmほどの速さで移動していく。海洋プレートは海溝部で大陸プレートの下へ沈み込んでいくが、堆積物はいっしょに沈み込むことができず、はぎ取られたり、大陸側から運び込まれた砂岩・泥岩などとともに大陸側へ押し付けられ、地層や岩石が混じり合って複合体complexを作りあげていく。こうした堆積物は付加体堆積物と呼ばれ、それらはそれまで順に重なっていた地層が付加作用にともなって低角の断層を境にして屋根瓦のように繰り返して覆うように重なり、複雑に混じりあうメランジュmélangeと呼ばれる地質体を構成している。それらを総称して「美濃帯堆積岩類」と呼ぶ。
 メランジュmélangeとは、フランス語で「混じり合わせたもの」の意味で、地質図に表せる程の広がりを持つ地質体で、泥岩などの地質中に、数cmから数kmに達する様々な大きさ・種類などの異地性・準原地性の岩塊が含まれているもの。岩塊は堆積岩起源のもの、変成岩起源のもの、火成岩起源のものなどさまざまである。
 岩石結晶には、高温で安定な結晶、高圧で安定な結晶など、結晶の種類によって性質が違う。例えば、高温で安定であった結晶も、マグマの温度が更に下がると不安定になり分解する。一方でより低温でも安定な別の結晶をつくりもする。
 有色鉱物では、マグマの温度が下がるにしたがい、一般に次の順で晶出・分解する。 かんらん石 → 斜方輝石、単斜輝石 → 普通角閃石 → 黒雲母
 無色鉱物では、一般に次の順で 斜長石 → 石英 → カリ長石
 これらは整然と順番に連続した地層をつくることはほとんどなく、全域にわたり個々の地層名を付すことは困難で、通常、構成岩石の種類(岩相)によって名付けられる。これらの構成岩石は単独でも複数の組合せでもある程度の大きさを持つ地質体を形成しており、その大きさはcmオーダーの礫からkmオーダーの岩体までさまざまである。これらは岩相、形成時期、形成過程などの類似性から複数の地質単位に区分される。
 128万年前から86万年前にかけて活動した古期乗鞍火山と、50万前から新規乗鞍火山が活動を始めた。乗鞍岳は2回の大規模な山体崩壊をしており、崩壊跡を埋めるように恵比須火山体、権現池火山体が溶岩を流し込み五色ヶ原の森を形成した。北側の山体崩壊跡には四ッ岳火山体が溶岩を流し込み、その先に平湯大滝がある。
 乗鞍火山は、恵比須火口からは約2000年前に火山灰が噴出したとされ、活火山に認定されている。乗鞍火山の最高地点は剣ヶ峰(3026m)であるが、マグマ上昇の場にある山脈では、マグマは上部マントルで発生するから、低密度のマグマによる浮力を受け、さらに隆起を引き起こす逆断層発生の場になるので高くなると考えられている。

 ~焼岳火山群~
 焼岳は北アルプス南部の活火山で、長野県松本市と岐阜県高山市にまたがる。南北に双耳峰を持ち、北峰は標高2,444m、南峰は標高2,455m。その最高地点の南峰は落石が頻発、夏期には立ち入ることができない。冬にまとまった積雪があると、これらの岩石も埋まり、登ることができる。
 焼岳の形成は新生代第四紀の氷河時代の末期15,000年前頃から始まり、活動の初期には黒谷付近に溶岩や火砕流を噴出した。完新世の初め1万年間にも溶岩や火砕物の噴出が続き、縄文時代が終わる約2,300年前には最新のマグマ噴火が起こり、この活動で円頂丘溶岩(溶岩ドーム)の流出に伴う中尾火砕流を同時に噴出させた。
 岐阜県吉城郡上宝村の中尾平の火砕流(中尾火砕流)は、火口から噴出した溶岩などが、高温のガスや水蒸気による熱風を吹き出しながら山の斜面を流れ下ってきた。そのスピードは最大時速100kmを越えることもあり、それに伴う数百度に達する熱風により、樹木や建物などをなぎ倒し焼きつくす大きな破壊力を発揮した。
 中尾火砕流以降、焼岳では9回の噴火があった。その噴火では、降灰や火山泥流が発生し、しかも1回の噴火の活動は数年以上続く。この中尾火砕流の後にも、4回/千年の割合で水蒸気噴火が発生している。
 この溶岩と火砕流の本質ブロックは、火山から粘度の高い水飴状の溶岩を押し流してできた、ほぼドーム状の地形である。また、斑晶量が顕著に異なる火山岩から形成された複合溶岩流であり、それは白色のデイサイトや黒色安山岩などが混じった縞状溶岩で、いずれにもカンラン石・輝石・角閃石などの苦鉄質鉱物(マフィック鉱物)に富む、通常は斑状組織を持つ苦鉄質岩が含まれていた。それらの全岩化学組成と斑晶鉱物の組成から、玄武岩質岩石の部分溶融によって生じるデイサイトマグマと苦鉄質包有物を含む玄武岩質マグマが様々な状況で混合し、粘性の高い焼岳円頂丘溶岩および火砕流の本質ブロックをつくったと考えられている。
 低温で粘性が大きいデイサイト質マグマを噴出する火山では、爆発的な噴火が起こることが多い。玄武岩質マグマとデイサイト質マグマが混合すると安山岩質マグマになる。焼岳の溶岩は、粘性が強い安山岩からデイサイト質の溶岩ドームおよび溶岩流とそれに伴う火山灰と火山岩堆積物で構成される。
 有史後の噴火活動は水蒸気爆発が殆どで、水蒸気噴火に伴い泥流として土砂を流すことがある。
 焼岳を中心とする焼岳火山群は新生代第四紀更新世末期の12万年前~7万年前に活動した旧期焼岳火山(岩坪山・大棚・割谷山)と2万5千年前から活動を始めた新規焼岳火山(白谷山・アカンダナ山)がある。焼岳は隣接する白谷山・アカンダナ山・割谷山と共に焼岳火山群を構成する。なお、火山群のうちアカンダナ山は2003年(平成15年)、気象庁の活火山見直し作業において、焼岳と分離し単独で活火山に指定された。新規焼岳火山群では粘りの強いマグマによる溶岩ドームの形成が目立つ安山岩やデイサイトによる成層火山、山頂部は溶岩ドーム、山腹には火砕流堆積物を伴う日本アルプスの名峰と称えられている。白谷では溶岩ドームがひしめき合い、崩壊性が高い領域となっている。
 焼岳は、有史以降の噴火はほとんど水蒸気爆発で、泥流が生じやすい。平常でも噴気活動が盛んである。 
 1915年(大正4年)に噴火。噴出した熔岩や泥流によって梓川が堰き止められて出現したのが大正池。当時は広大な面積だったことから「梓湖」と呼んだ。いつしか「大正池」と呼ばれるようになった。

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 4)大陸プレート
 概括すれば、地球は、地殻・マントル・核の3層構造である。46億年ほど前に太陽系の他の惑星と同時に、隕石が集積してできたと考えられ、中心にある核は、鉄やニッケルに富んだ隕鉄に似た物質でできていると推定されている。
 地球内部の層状構造は、地震波の性質と伝わる速さから解析されている。地震波速度により密度が分かり、その密度に適合した物質は何かが、推定できる。
 地殻とマントルの境界で地震波速度が大きく変わり、これをモホロビチッチ不連続面(モホ面、深度10~40㎞程度)と呼び、マントルと核の境界をグーテンベルグ不連続面(深度2900㎞)と言う。
 核の上部(外核)は液体であるが、深度5100㎞以下の内核は固体と想定されている。マントル中も物質的な不連続があり、マントル上部の深度400㎞くらいまでは主にかんらん岩からなるが、さらに深部ではより高圧に適合した物質に相転移していると考えられている。言わば、鉱物とその集合体である岩石が、地球を構成する最も主要な物質と言える。
 地殻は、構成岩石と構造の違いにより、大陸地殻と海洋地殻に分けられる。大陸地殻は、海洋地殻に比べて2~3倍の厚さ、30~40kmほどで、さらに上部地殻と下部地殻に分けられる。上部地殻は主に花崗岩質の岩石からなるので花崗岩質層、その下部地殻は玄武岩質の岩石(斑れい岩や高度変成岩など)からなるので玄武岩質層と呼ぶ。

 海洋地殻は比較的薄く、花崗岩質層を欠く。黒色の岩石でできた玄武岩で構成されている。 この岩には、シリコン・酸素・マグネシウムなどのミネラルで満たされている。大陸地殻に比べて薄い層であるが、より高密度で3.0 g/cm3 になる。 モホ面以下がマントルで、主にかんらん岩からなり、平均密度3.3g/cm3くらいと言う。
 大陸地殻はさらに構造と構造運動の違いにより安定帯と造山帯(変動帯)に分けられる。大陸地殻は地域性が極めて高く不均質であるため、さらに詳細な構造区分研究ががなされている。これに対し海洋地殻は比較的均質であり、海洋底はほとんどの地域で玄武岩類から構成されている。
 玄武岩は、地球の海洋底を形成する火山岩の一種で、海嶺やホットスポットhotspot(プレートより下のアセノスフェアで生成されるマグマによる火山活動が起こる場所)から湧き上がるマグマが冷えて固まってできる。火山岩 のうち、ケイ酸(シリカSiO 2 )の濃度が53重量%に達しないものを玄武岩と言う。
 斑れい岩は、地下深部で ゆっくり冷えて固まってできる深成岩であるが、玄武岩は火山活動により、それが地表付近で急に冷えて固まってできる。玄武岩は、主に海洋部の海嶺での海底火山の活動を起源とし、海洋部の海底を形成している。これは海洋底玄武岩と呼ぶ。海洋プレートの上層部を構成しており、溶岩の他に火砕岩にも多い。それがプレートの動きで地下深部に沈み込んで結晶片岩などの広域変成岩となる。
 広域変成岩は、地球の表面を覆うプレート同 士がゆっくりと衝突し、その境界で大規模な変成作用(広域変成作用)が起こって生じ る。そのため広域変成岩は接触変成岩に比べて分布が広く、幅数~数10km、長さ数10~数100kmにわたる長大な分布を示す。
 広域変成作用は、接触変成作用よりも地下深部で起こるために高温(300~1000℃)のほかに強い圧力(4000~1万気圧以上)も激烈に作用する。
 最も普通に見られるエクロジャイトでは、海洋プレート上部の玄武岩または中部の斑れい岩が、そのプレートの沈み込みで地下50~60kmに引き込まれて、約1万7000~約2万気圧の圧力を受けて変成する。 その後に起こった弱い変成作用(後退変成作用)で、透輝石は部分的に黒っぽい角閃石類に変質していることが少なくない。特に約3万気圧以上で生成される コーサイトや、約6万気圧以上で生成されるダイヤモンドなどの超高圧条件でできる鉱物を含んでいるエクロジャイトを超高圧変成岩と言う。超高圧変成岩は大陸プレート同士の衝突帯に見られ、海洋プレートが大陸プレートの下に沈み込んでいる環太平洋造山帯では見られない。

 大西洋中央海嶺では年間に3cmほど海底が移動していることが知られた。また、東太平洋海膨という中央海嶺では、年間15cmも海底が動いていた。海洋底を構成する岩盤であるプレートは、海洋プレートの上層部を構成している玄武岩とマントルの最上部から成り立っている。
 マグマは海嶺の左右に平面的に広がる。そのため海底は海嶺の両側に拡大する、という説が米国のハリー・ハモンド・ヘスらによって提唱された。これを「海洋底拡大説」と呼び、この理論により、大陸移動説が立証さた。
 中央海嶺から湧き上がってくる大量のマグマこそが、玄武岩のもとであり、地表に流れ出てきたマグマが広がり、冷えて固まると、玄武岩でできた海底、すなわち海洋地殻が生まれる。玄武岩が海底をつくっている。
 これが大陸移動説に端を発し、地球科学最大の革命ともいわれる理論にまで完成されたのが「プレートテクトニクス」である。

 海洋プレートが他のプレートの下に潜り込むように動くパターンと大陸プレート同士がぶつかり合うパターンがある。海洋プレートが他のプレートの下に潜り込む境界では、海底が急に深くなって海溝が出来上がる。日本海溝や世界一深いマリアナ海溝が代表例となる。
 (マリアナ海溝Mariana Trenchは、北西太平洋のマリアナ諸島の東、北緯11度21分、東経142度12分に位置する、世界で最も深い海溝である。太平洋プレートはこのマリアナ海溝においてフィリピン海プレートの下にもぐりこんでいる。北西端は伊豆・小笠原海溝、南西端はヤップ海溝に連なる。マリアナ海溝の最深部はチャレンジャー海淵と呼ばれている。その深さについてはいくつかの計測結果があるが、2014年12月の計測では水面下10,983 mとされ、地球上で最も深い海底凹地【海淵】である)
 日本列島のように大陸プレートのへりに弧状列島(島孤;とうこ)ができたり、内陸部に火山列ができたりする。島弧とは、日本列島のように火山のつらなった連なった島々を言う。火山列島は弧状(弓状)に配列されている。
 ユーラシア大陸側には縁海があり、海側には列島と海溝がある。通常、島弧の岩石は、安山岩(火山岩)であり、灰色で粒が細かく、小さな穴が豊富な発泡岩石である。列島の海側には、大陸プレートの縁が削られた土砂が堆積し、その土砂は海溝に沿って潜って行く 。ここで、重要なポイントは海洋プレートと大陸プレートが接すれば、必ず海洋プレートが下に沈み込むことにある。

 大陸プレート同士がぶつかり合うパターンでは、狭まる境界が陸地上にある場合もある。例えば、アルプス山脈やヒマラヤ山脈。
 これらの山脈は、地層が徐々に押し上げられて褶曲が起こり出来上がった褶曲山脈である。ヒマラヤ山脈とチベット高原は、インド亜大陸を載せたインド・プレートが北上を続けてユーラシア・プレートに衝突し、テチス海の海底であった地殻が両プレートに挟まれて隆起し、インド・プレートがユーラシア・プレートの下に潜り込むことによって、新生代古第三紀始新世の約4,000万年前以降に形成された。
 このため、ヒマラヤ山中では、大規模な褶曲構造があり、三葉虫・ウミユリ・アンモナイトなど海の生物の化石が揃い、岩塩までが採れる。また、それより約2,500万年前に、既にテチス海が閉じられ、現在の黒海・カスピ海及びアラル海に痕跡をとどめている。
 インド・プレートは現在でも年に約1 cmの速度で北上し続け、ヒマラヤ山脈は年に2 mmの速度で隆起を続けている。このため、ヒマラヤ山脈とチベット高原では地震が多い。

 海洋プレートとは?
 地球の表面は約15枚のプレートによって構成されている。プレートには大きく分けて海洋プレートと大陸プレートの2つがあり、このうち海洋地殻とマントルによって作られているのが海洋プレートである。
 海洋プレートの厚さはおよそ6kmとされていて、その地殻は玄武岩によって出来上がっている。大陸プレートを構成するのは花崗岩である。
 海洋プレートと大陸プレートを比較すると密度や強度が高いのは海洋プレートの方である。これは表面にある海水が地面である「海底」を押し付けているからであり、そのため2つのプレートがぶつかり合うと海洋プレートは大陸プレートの下に潜り込む形となる。ちなみにこの海洋プレートが潜り込んでいる場所が「海溝」である。世界でもっとも深い海溝と言われているのは「マリアナ海溝」で、その水深は約10,000mとされている。そんな海洋プレートは地殻変動によって日々少しずつ動いている。日本から見て東側にある太平洋プレートは日本側に向かって動いている。さらにはハワイを乗せた太平洋プレートは日本に辿り着く前に北アメリカプレート(北米プレート)に沈み込んでしまう。
 日本は太平洋プレート・フィリピン海プレート・ユーラシアプレート・北米プレートという4つのプレート上に存在する国である。ざっくり分けると東日本は北米プレート、西日本はユーラシアプレートの上に位置している。
 そして東北地方の太平洋沖には太平洋プレートが広がり、関東より南の海にはフィリピン海プレートが広がっている。これだけプレートが密集している国は世界的に見ても珍しい。

 太平洋プレート
 太平洋プレートはおよそ2億年前、中生代前期のジュラ紀の時代に誕生した海洋プレートと考えられている。北はアラスカ、東はカリフォルニア近海、西は日本列島のそばにまで広がる非常に大きな海洋プレートである。そんな太平洋プレートは前述の通り年間数センチといった単位で西側へと移動し、北米プレートやフィリピン海プレートの下に潜り込んでいっている。なお、太平洋プレートは元々は北側へ移動していたとされていて、海底火山の活動や他のプレート同士が衝突した影響によってその向きが西側へと変わったようだ。
 ちなみに先ほど触れた世界でもっとも深い海溝である「マリアナ海溝」は、太平洋プレートがフィリピン海プレートに潜り込んだところにある。太平洋プレートを構成する海底の地形などは「プレートテクトニクス(大陸が移動する仕組み)」を考える上で重要なプレートであり、日本にとっては地震との関係性が高いため日々研究が進められている。
 
 フィリピン海プレート
 フィリピン海プレートは小笠原海溝・マリアナ海溝・フィリピン海溝などに囲まれた海洋プレートである。太平洋の北西部に位置するフィリピン海プレートは、海洋プレートの中で比較的面積が小さいプレートになる。ちなみに日本の国土のうち、フィリピン海プレート上にあるのは唯一伊豆半島だけである。そんなフィリピン海プレートは年間5cm前後の速度で日本列島へ向かって移動している。関東や東海以南で定期的に大型の地震がやってくるのは、このフィリピン海プレートがユーラシアプレートに潜り込むことが原因である。
 特に神奈川県や静岡県、そこから四国にかけての沖合には相模トラフ南海トラフといった海底の溝があり、地震発生リスクが高い場所として知られている。なお、フィリピン海プレートがユーラシアプレートに潜り込むことで起きる自然災害は地震だけでなく、富士山の噴火にも影響する。富士山が最後に噴火したのは約300年前であるが、いまだ活火山としての活動が記録されていて、大型の地震によって噴火が引き起こされる可能性もゼロではない。

 海洋プレートのでき方
 海洋プレートは地殻変動によって大陸プレートの下側へと潜り込んでいくが、そうなると「いつかは海洋プレートがなくなってしまうのでは?」といった疑問も出てくる。海洋プレートは海嶺と呼ばれる海底山脈が新しく生まれることで出来上がっていく。海嶺は海底での火山活動や地殻変動によって形成されるが、簡単に言えば地球の内部にあるマントルが海底まで上昇し、それが冷やされることで新しい海洋地殻を生み出すといったイメージである。海嶺が出来ることで海洋プレートも新しくなり、そのときの力によって海洋プレートが押し出されて大陸プレートの下側に潜り込む。ちなみに海嶺が出来上がる場所は長い年月をかけてズレていく、それに伴い海洋プレートの移動方向も変わっていく。また、海洋プレートは海底火山の影響によって元々のプレートから引き裂かれることもあるというのが特徴的な部分である。

 海洋プレートと地震の関係
 日本が地震大国と呼ばれるのは国土の周りに4つのプレートが集中しているからである。地震は海洋プレートが大陸プレートの下に潜り込んだときに生じる「プレート同士のひずみ」が原因となる。海洋プレートが大陸プレートの下に潜り込むと、大陸プレートも同じように地球内部へと引っ張られる。しかし、このとき引っ張られた大陸プレートの反動エネルギーが限界を迎えれば、その反動で地上方向へと跳ね上がる。この大陸プレートが地上方向へと跳ね上がる動きが地震を生む大きな要因となる。ちなみに海洋プレートが海溝に沿って大陸プレートの下に潜り込み、そのとき発生する地震のことを「海溝型地震」と呼ぶ。東日本大震災や関東大震災、スマトラ沖の地震といった大型の地震はこの「海溝型地震」である。海溝型地震の場合には強い揺れだけでなく津波も発生するので被害が大きくなる傾向がある。
 このうち太平洋プレートとフィリピン海プレートが海洋プレートに分類されるが、2つのプレートが大陸プレートの下に潜り込むことで大震災が発生する。海洋プレートの動きと海溝の位置、プレートの移動周期といった複合的な要素によって地震は発生する。

 相模トラフ
 相模トラフとは関東地方の南沖に位置する海底地形(トラフ)である。この海域では、南側のフィリピン海プレートが北側の北米プレート(オホーツクプレート)の下に沈み込んでいる。その海底地形が惹き起こす「相模トラフ巨大地震」は、首都直下地震と並んで関東地方で懸念されている地震である。
 相模トラフの海底地形は、相模湾の二宮海底谷の南端から伊豆大島・房総半島の間のトラフ狭窄部までの長さ約50 kmである。また、トラフ狭窄部から房総海底谷の西端、或いは鴨川海底谷の南端( 北緯34度48分 東経140度07分 )までの長さ約40~50kmのトラフ地形を相鴨トラフ(相鴨海底谷)と呼ぶが、このトラフ地形も含まれている。
 プレート境界断層としは、日本列島が位置するユーラシアプレートの下に「フィリピン海プレート」が沈み込む場所であり、そのプレート境界が固着しているため、過去には元禄地震や大正関東地震など、数百年ごとにマグニチュード7から8クラスの大きな地震が相模トラフ周辺で繰り返されてきた。
 相模トラフは「フィリピン海プレート」が「北米プレート」の下に沈み込み、 「フィリピン海プレート」 の下には東側から「太平洋プレート」が沈み込んでいるため、このエリアの地下構造はとても複雑になっている。
 1703年の相模トラフ巨大地震である「元禄関東地震」で被害が大きかったのは、相模灘沿いや房総半島南部と記録されている。特に神奈川県の小田原城下では、地震後に小田原城の天守も焼失するほどの大惨事で、小田原領内では倒壊家屋が約8,000戸、死者は約2,300名にのぼると伝わる。平塚と品川では液状化現象が記録されている。ただ、江戸では、江戸城の諸門や番所をはじめ、長屋や町屋などの建物倒壊による被害にとどまったようだが、関東全体では多くの火災が発生し、関東各箇所の地殻変動により、場所によっては0.7~5mの隆起があったことが記録されている。被災者は推定約37,000名とある。
 「関東大地震」では太平洋沿岸地域から伊豆諸島にかけて、 さらには東北地方から九州地方にかけての太平洋沿岸でも津波が観測されている。1923年の相模トラフ巨大地震である「関東大地震」では東京都と神奈川県を中心に、南関東から東海地域に及ぶほどの広範囲に被害が発生した。
 死者・行方不明者数:105,385名 / 全潰住戸:109,713戸・半潰住戸:102,773戸 /焼失住戸:212,353戸 / 流失埋没住戸:1,301戸
 静岡県熱海市で6m、局地的に12m、千葉県館山市で9.3m、神奈川県の鎌倉由比ヶ浜では局地的に9m、その沿岸では5~7mといった高さの津波が観測されている。注目すべきは津波が到達するまでの時間の速さであった。熱海市では地震発生後およそ5分で引波が起きたのちに第1波が襲来、鎌倉では地震直後に大きく潮が引き、その後10分程度で第1波が襲来したと記録されている。その数分後に第2波が襲来したケースも多く、 第1波よりも高い津波も記録されている。各地で津波による行方不明者も多く出て、特に鎌倉市由比ケ浜では300名前後の行方不明者となっている。

 
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