酸と塩基
 
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 細胞の中のプロトン

 水素原子と他の原子からできた極性の髙い共有結合を持つ分子が水に溶けると、細胞にとって非常に重要な化学反応が起こる。このような結合の水素原子は、殆どの電子を相手の原子に奪われるため、ほぼ水素の原子核(陽子と中性子)に近い状態になる。
 この極性分子が水分子に囲まれると、プロトン(proton:H+)が水分子のO原子の部分負電荷(δ-)に引き付けられて、元の分子を離れて、その酸素原子と結合する。これによりヒドロニウムイオン(hydronium ion;H3O+)ができる。この逆の反応も非常に起こりやすい。水溶液中では、何十億ものプロトンが分子から分子へと移動し続ける可逆反応(reversible reaction)を繰り返し、順方向の反応と逆方向の反応の速度が釣り合って反応物と生成物の組成比が巨視的に変化しない、化学的な平衡状態を保つ。
 溶液の酸性の程度を示す酸性度は、溶液中のヒドロニウムイオン(H3O+)の濃度で決められ、そのH3O+を通常H+と略し、水素イオン指数(pH)で表す。酸性は、水溶液中の水素イオン指数が、純水のpH=7([H+]=10-7mol/l)より小さい状態にあるときにいう。7より大きければ、アルカリ性という。
 部分正電荷(δ+)を帯びるプロトン(H+)は、水溶液中で水分子から水分子へと動き続ける。酢酸分子(化学式CH3COOH;分子式C2H4O2)は、水に溶けると殆どすべての分子が酢酸イオン(CH3COO-)となり、その負電荷(δ-)を帯びた酸素原子(O)にプロトン(H+)が極性共有結合をする。そのプロトンを介して水分子のO原子の部分負電荷(δ-)と結合する。その結果として酢酸イオンとヒドロニウムイオンができるが、水分子の間では、絶えずプロトンが交換され、酢酸と水の分子に戻る。

  2H2O → H2O + H+ + OH- → H3O+ + OH-
  CHCOO + H+  CHCOOH
  CHCOOH + HO  CHCOO- + H3O+

 このプロトンが水分子から水分子へと移れるので、ヒドロニウムイオン(hydronium;化学式H3O+)と水酸化合物イオン(化学式OH-)ができる。

  2H2O H2O + H+ + OH- H3O+ + OH-

 水酸化物とは、イオン結合した水酸化物イオン (OH-) を持つ化合物(塩;えん)のことである。水分子の間では、絶えずプロトンが交換され、ヒドロニウムイオンと水酸化合物イオンができる。逆に、この2種類のイオンは、プロトンが水分子から水分子へ移動して、素早く再結合して水分子を作る。この反応は速い可逆反応なので、水素イオンは絶えず水分子の間を行き来する。

 水に溶けた時に、プロトンを放ちヒドロニウムイオン(H3O+)を作る分子を酸(acid;ˈæsɪd)と呼ぶ。acidとは、すっぱい、酸味のある、酸(性)の意味がある。酸は、解離によってヒドロニウムイオン(H3O+)が生じpHが低くなる。そのH3O+の濃度が高いほど、その溶液の酸性は強い。プロトンは同じ水分子間でも移動するので、ヒドロニウムイオン(H3O+)は純水中にも10-7Mの濃度で存在する。プロトン(H+)は、水溶中ではヒドロニウムイオン(H3O+)として存在するが、H3O+濃度のことをH+濃度と呼ぶ習わしのようだ。H3O+濃度は、面倒な数字の表記を避け、pHという対数尺度(logarithmic scale)で表される。対数スケールは、数値軸の間隔が等間隔ではなく桁数ごとに区切られる、大まかな位置を表す。純水な水では、いつでも等濃度のヒドロニウムイオンと水酸化物イオンが含まれ、いずれも10-Mであるため、pH7.0で中性状態にある。酸性 pH < 7 でも、塩基性 pH > 7 でもない。
 ヒドロニウムイオン(H3O+)は、水がプロトン(H+)と水酸化物イオン(OH-)に解離して、そのプロトンが水分子と結合して生じる。

  2H2O ⇌ H2O + H+ + OH- H3O+ + OH-

 中性のpHでは、余分なH3O+を供給する酸や余分なOH-を供給する塩基が存在しないため、H3O+とOH-の濃度は等しい。
 中性であれば、pH=7.0でH+濃度は10-7M、この濃度がH3O+濃度になる。H3O+のH2O分子に対する比率は、水分子の濃度が分かればよい。水の分子量は18(18g/mol)であるから、1リットルの水の重量は1kgとなる。すると水の濃度は55.6M=1000(g/l)/18(g/mol)である。中性の状態にある水では、10億個の水分子の中に解離しているヒドロニウムイオン(H3O+)は、2個に満たないのである。

 溶液中にプロトンを放出する物質を酸という。酸は、どれだけプロトンを水に渡しやすいかで強弱が決まる。

    HCl (塩酸:強酸) → H+ (水素イオン) + Cl- (塩化物イオン)

 塩酸(HCl)のような強酸は、水素イオン(H+)と塩化物イオン(Cl-)に分かれプロトンを直ぐに放つが、酢酸は弱酸で、水に溶けてもプロトンを保持したがる。細胞内で重要な働きをする酸は、有機化合物を酸性にするカルボキシ基(-COOH)を含むものをはじめ、その多くは弱酸である。細胞内で重要な働きをする酸の多くは、塩酸とは違い完全には解離しない。だから弱酸と呼ばれる。カルボキシ基(-COOH)は、溶液中で解離してプロトン(H+)を放出し-COO-になる。

  -COOH (カルボキシ基)   H+(水素イオン) + -COO-

 これもまた可逆反応である。これらの酸がプロトンを放出しにくいのは、分子が細胞内のpHの変化に敏感に反応し、分子の機能制御に繋がる特性を持つことになるため、細胞にとって役立つ性質となる。

 プロトンは細胞内の様々な分子に移って、その性質を変化させるので、細胞内のH+濃度(pH)は厳密に制御されなければならない。H+濃度が低い溶液中では、特に弱酸はプロトンを放しやすく、H+濃度(pH)が高い溶液中では受け取りやすくなる。
 酸の対極にあるのが、水溶液中でプロトンを受け取る分子、それが塩基(base;béɪs)である。酸を規定するのが、水分子にプロトンを与えてヒドロニウムイオン(H3O+)濃度を高める性質とすれば、塩基を規定するのは、水分子からプロトンを剥がし、水酸化物イオン(OH-)の濃度を高める性質と言える。溶液中の水素イオンの数を減らす物質を「塩基」と言う。塩基には、アンモニアのように、直接水素イオンと結合するものもある。

  NH3(アンモニア) +  H+(水素イオン) → NH(アンモニウムイオン)

 別の塩基として、水酸化ナトリウム(NaOH)は、水に溶けるとNa+(ナトリウムイオン)とOH-(水酸化物イオン)を放出して、そのOH-がH+と結合して水となるので、結果的にH+を減らすため塩基性(アルカリ性)となる。

  NaOH(水酸化ナトリウム;強塩基) → Na(ナトリウムイオン) + OH-(水酸化物イオン)
  H+ + OH-    H2O

 NaOHは水中で解離しやすい強塩基だが、細胞内で重要なのが、水からプロトンを受け取る傾向が弱い弱塩基である。細胞内で見られる塩基の多くは、H+と部分的にしか結合しないので弱塩基と呼ばれる。生物にとって特に重要な弱塩基には、アミノ基(-NH2)を含む化合物が多い。

  -NH2基は、

  - NH2(アミノ基) + H2O → - NH3+ + OH-  

 この反応で水分子からプロトンを奪い、HO-を作る。ただアミノ基(-NH2)を持つ化合物は、水を分解してH+を受け取る傾向が弱いため、遊離のHO-濃度をあまり増やせない。

  -NH2 +  H+     - NH3+
  
 OH-は、プロトンと可逆反応して水分子になるので、HO-濃度が上がるとH+濃度は下がるし、その逆も起こる。純水には、両方のイオンが等濃度(10-7M)で含まれており、中性(pH7)となる。細胞内は緩衝剤(buffer)の存在により、中性に近いpHに保たれている。つまり弱酸と弱塩基の混合液では、プロトンを放出したり、取り込んだりしたりして、プロトン濃度をpH7付近に調節している。これにより様々な条件変化があっても、細胞内はほぼ一定のpH環境に保たれる。