植物の進化
 
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      タンポポとラテックス

 タンポポの茎を折ると「ラテックス(latex)」と呼ばれる乳液が出てくる。それは、乳液を貯蔵する細胞が集まってできる管状の「乳管」を形成する、乳管細胞自体が破壊されたため、その中身の原形質が流出するからである。

 タンポポのラテックスが白いのは、そのラテックスの中に天然ゴム成分が含まれているからで、その天然ゴムには、分子量が100万以上にもなる「ゴム粒子」が細胞質ゾル内においてほぼ均一に分散している。

 タンポポの花茎の構造は、中空である。ラテックスは、中空の花茎を組織する細胞の切断面から滲み出てくる。 通常、ラテックス内にはアルカロイド類などの生体防御にかかわる多様な二次代謝産物が蓄積されており、タンポポの天然ゴムも化学的防衛に関わる物質が潜んでいると見られる。

 タンポポの場合、茎よりも根のラテックスの方に天然ゴムが多く含まれている。陸上植物とって、土中の方が、寧ろウイルス・細菌・昆虫・地中動物などのリスクが増す。
 ロシアタンポポのラテックスは、天然ゴム成分が、特に多いことが知られている。1 ml中には、乾燥重量で150 mg程度の天然ゴムが含まれている。
  
 DNA DNAが遺伝物質 生物進化と光合成 葉緑素とATP 植物の葉の機能 植物の色素 葉緑体と光合成 花粉の形成と受精
 ブドウ糖とデンプン 植物の運動力 光合成と光阻害 チラコイド反応  植物のエネルギー生産 ストロマ反応
 植物の窒素化合物  屈性と傾性(偏差成長) タンパク質 遺伝子が作るタンパク質 遺伝子の発現(1) 遺伝子の発現(2)
 遺伝子発現の仕組み リボソーム コルチゾール 生物個体の発生 染色体と遺伝 対立遺伝子と点変異 疾患とSNP 癌変異の集積

 癌細胞の転移 大腸癌 細胞の生命化学 酸と塩基 細胞内の炭素化合物 細胞の中の単量体 糖(sugar) 糖の機能 脂肪酸
 生物エネルギー 細胞内の巨大分子 化学結合エネルギー 植物の生活環 細胞のシグナル伝達 キク科植物 陸上植物の誕生
 植物進化史

   
 
 目次
 1)植物が来た道のり
 2)生き物たちの上陸作戦
 3)種子の発明が繁栄の鍵に
 4)動物を雇った植物たち
 5)生物大絶滅の危機
 6)生物史に漸く登場するヒト
 1)植物が来た道のり
 スウェーデンの博物学者リンネは、植物分類学の父と言われ、その本格的な植物分類学が始められたのは、18世紀も半ばにさしかかった頃であった。植物を雄しべと雌しべの数や形に基づいて区分し、当時知られていた植物を7,700種に分類し、やがて動植物を属名と種名で表す二名法を確立した。
 その後、数多くの研究者が、試行錯誤を積み重ねて植物学の研究に携わってきた。とはいえ、この数十年、地球上の隅々まで研究者が入り、いまだに世界各地で、新種はもとより新しい科さえも発見されている。更に、葉緑体DNAのゲノム解析によって、その研究成果は目覚ましい発展を遂げている。

 地球が豊かで美しいのは、地球を覆う緑の植物や、淡水・海水に棲む藻類や植物プランクトン、そして光合成バクテリアの存在がある。
 彼らには、太陽から地球に注がれる膨大なエネルギーの一部を取り入れて化学物質に変えるという特異な能力がある。そして地球上の全生物は、彼らが蓄えたエネルギーを順番に利用して生を営んでいる。
 地球は、今から45億年前に誕生した。生物も35億年前には、既に登場していた。地球の温度は、39億年前には、生物が生存できるまで下がっていたため、その4億年後には、もう生物は誕生していたようだ。
 今からおよそ15億年前までは、どの生物も単純な構造の細胞からできたバクテリアのようなものであった。それから間もなくして、現在の植物・菌類や動物などの細胞に似た、複雑な細胞も現れた。
 この複雑な細胞をもつ真核生物は、はじめは単細胞であったが、約7億年前には、そこから様々な種類の多細胞生物へ進化した。この中には、初代の動物、初代の菌類、初代の紅藻や褐藻、多細胞緑藻などがあったが、この緑藻が陸上植物の先祖となる。
  一方、海の中でも、植物は独自の進化を遂げている。褐藻コンブの仲間のオオウキモ(大浮藻)、英名ジャイアント・ケルプgiant kelpは、根・茎・葉の区別が明瞭で、多数の分枝をもつ根が塊状となって海底の岩に付着し、葉は葉柄の部分にガスを含む気胞を持ち、上方に向かって茎状部や葉状部を成長させていく。やがて、上部は海水面に漂い、そこに林冠crownを形成する。その林冠が海面上に広がるような形で成長する。
 体内には高等植物の師管に似た構造があり、ブレードと呼ばれる葉に似た部分による光合成産物がここを通って基部にまで移動する。 オオウキモは、世界最大の褐藻で長さ60mにも達する。アメリカ・カリフォルニア州中部からメキシコ北部の太平洋沿岸、オーストラリア南岸および南アフリカ南岸などに海中林を形成している。
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 2)生き物たちの上陸作戦
 太陽系では、水の星・第三惑星だけに生命が生まれた。地球誕生から10億年経った、今から35億年前、藍藻類blue‐green algae;ældʒiːが、地球上に生命体として誕生し、それ以来ずっと存在している。
 緑藻類・紅藻類に含まれる青色の色素たんぱく質であるフィコシアニンは、光合成に必要な光を吸収し、クロロフィル(葉緑素)に伝える。この光合成によりラン藻デンプンを生成し貯蔵する。その太陽の光エネルギーを取り入れて、水分子を分解する過程で、酸素を生み出した。
 藍藻類が、太古の地球に優占し、その以来、緑藻植物・コケ植物・シダ植物・裸子植物・被子植物など生物分類上の最大単位となる植物界を作り上げ、その35億年にもわたる活動により生成された酸素が、地球の大気圏を満たしてきた。大気中の酸素の増加に伴い、オゾンの層が成層圏にでき始める。紫外線が大気中の酸素分子にあたると、一定の割合でオゾンが生じるためである。
 オゾンは酸素原子3個からなる気体で、オゾンの発生は主に以下の化学式で表せる。
   3O 2 → 2O3

 大気中のオゾンは成層圏(約10~50km上空)に約90%存在しており、その地表の250倍ものオゾンを含むオゾン層が、太陽光のうち高エネルギーの部分を吸収し、地表への到達を妨げるため、生物の生存を守る重要な役割を果たしている。このオゾンの多い層を一般的に オゾン層と言う。
 紫外線は、スペクトルの紫より短波長よりにある不可視光線で、400nm(nm: ナノメーター=10-9m= 10億分の1m)以下の光である。その紫外線は、すべての生物の重要な構成要素であるタンパク質や核酸などを壊す、実に有害な電磁波である。
 成層圏オゾンには、生物に有害な紫外線を吸収する働きがあり、地上の生態系を保護している。
 藍藻類の誕生以前から、このような紫外線が地球上に大量に届いていたため、生物は水に守られていない限り生存できなかった。 地球の歴史の9割が過ぎた頃、今からおよそ4億3,000万年前、酸素が大気を満たし、やがて成層圏オゾンがつくられ、陸上でも生物が生きられる環境が整ってきた。
 その間に、水中で生息していた多細胞生物たちも進化し、かれらは直ぐに干上がってしまうような陸上の悪環境にも耐えられるような複雑な体を作り上げ、ある場所からある場所へと分布を広げられるようなコロニーを作りが始めた。またデリケートな細胞や組織、体内の代謝などを保護する仕組みもできていた。
 上陸開始後わずか1,000万年ほどの間に、陸上に様々な生物が現れた。その中には脊椎動物の遠い先祖もあり、それが後の両生類・爬虫類・鳥類・哺乳類と順に進化した。
 また昆虫・クモ類・ダニ類・ムカデ類などを含む巨大グループである陸上の節足動物の祖先や、菌類の祖先、そして植物の祖先もあった。 この4つのグループは、陸上の生物界を最初から独占したが、その4つのグループの絶え間ない進化のストーリーこそが、今日、世界中に見られる、またそれぞれの大陸を特徴づける群落や生態系を作り出している。これらのグループ間の相互作用は、それぞれの進化に重大な影響を及ぼし、その後も数千万年にわたって、多くの分化を引き起こした。
 特に、上陸後の植物にとって、送粉者の昆虫は極めてよき伴侶であり、共進化に深く関わって来た。 ダーウィンは、蜜腺まで 30cmもあるラッパ型の細長い蘭(アングレカム・セスキペダレ)の花を見て、その長大な距の先にある蜜を吸える蛾がいるはずだと予想した。後に長い口吻を持つ蛾(キサントパンスズメガ)が、マダガスカル島で発見され、「共進化」の概念の基となった。
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 3)種子の発明が繁栄の鍵に
 
 写真のヒヨドリバナやフジバカマには、ピロリジジンアルカロイド(PA)と言う化学成分を含み。
アサギマダラの雄は、それを求めて集まってくる。 そのPAの毒性を防御物質にし、雄の性フェロモンの原料とする。
 植物は、一般的に固着性で、胚から発生する多細胞生物であり、空気中の二酸化炭素と水から有機物を光合成により作り出せることができる、陸上環境に適応した生物である。
 葉緑体による光合成を行うための重要な特性は、植物と緑藻(その殆どが水棲)の間で共通している。どちらの系統の葉緑体にも、光合成色素としてクロロフィルaとクロロフィル b、およびβ-カロテンが含まれる。だが、陸上植物の間で共有されている、陸上で生き抜くために獲得された形質は藻類には存在していない。
 陸上植物は、大きく2つに分けられる。1つがコケ類で、これにはツノゴケ類(ニワツノゴケ・ツノゴケモドキ)・苔類(たいるい)・蘚類(せんるい;スギゴケ・ミズゴケなど)がある。もう1つは、維管束植物で、現存している種類としては、ヒカゲノカズラ類・トクサ類・シダ類、そして種子植物である。
 種子植物以外は、すべて胞子で増えるが、種子植物では、胞子は胚珠内で発芽するようになり、その受精した種子が分散単位となる。種子はかなり耐水性に優れた殻と、また栄養組織を備えているため、幼い個体が陸上で分布を広げるのに適している。種子の発達は進化の上でも大きな前進で、これを持つ植物が栄える大きな要因となった。
 種子(裸子)植物は、約3億6,000万年前に現れ、その後の環境への応答や形態形成で複雑精緻に多様化を進めていった。現在に残る植物の祖先も大きく成長し、木々に覆われた大森林を形成し始めた。それにより、植物の生活環の見方に偏りが生じ、植物は種子に始まり種子に終わるとまで言われるようになった。
 今日世界に存在する石炭は、3億6,000万年前~2億9,890万年前の石炭紀のもので、当時、陸は低地で、現在の大陸の大部分は、広く浅い海に覆われていた。現在のアフリカ大陸・南アメリカ大陸・インド亜大陸・南極大陸・オーストラリア大陸・アラビア半島・マダガスカル島を含んだ、巨大なゴンドワナ大陸Gondwana landがあった。1年中湿潤な熱帯気候か亜熱帯気候で、比較的温和な冬でもあり、生物の成長に適した環境下にあった。
 上陸した植物が立ち上がるためには、セルロースやヘミセルロース(植物の細胞壁に含まれる)を固めるためのリグニンlignin(木質素)が必要であった。しかし、その時代には、リグニンを分解できる微生物が十分に進化していなかった。植物は腐りにくいまま地表に蓄えられ石炭となった。
 一方、南極では氷河が形成されるなど、寒冷化が進行しつつあった。森林の繁栄により大量の炭素が石炭として固定化され、古生代最後のペルム紀(約2億9,890万年前~約2億5,217万年前)の初期には、大気中の酸素濃度は、35%に達したようだ(現代は21%)。このことが動植物の大型化を可能にした。
 植物の繁栄により、大量の二酸化炭素が吸収され、その多くが大気中に還元されずに石炭化した。それにより、大気中の二酸化炭素濃度が激減し寒冷化を招き、しかも、ゴンドワナ大陸が南極地域にあったため、大規模な氷床の発達に繋がり氷河期の到来となった。

 多くのキノコに含まれている担子菌門に分類される白色腐朽菌は、地球上で唯一木材を完全分解できる生物である。その白色腐朽菌が、リグニンを分解するために必須の酵素である「ペルオキシダーゼ」を、進化の過程で獲得されたことが、31種類の真菌(カビ・キココに含まれる)のゲノム配列を比較解析した結果から明らかになった。
 また、リグニン分解能を獲得したのは、ペルオキシダーゼのアミノ酸配列を分子時計解析した結果、石炭紀末期頃(約2億9千万年前)であると推定された。

 DNA(デオキシリボ核酸)の塩基配列や蛋白質のアミノ酸配列などは、一定の速度で変化しているので、各種生物における変化量を比較検討すれば、それぞれの祖先からの分岐年代を測定することが可能となる。つまり DNAや蛋白質は進化の時間を計る分子時計といえる。 DNAのおよそ 90%にあたる部分は遺伝暗号に使われていないので、特に、その塩基配列は分子時計の一つとして利用できる。
 生物の進化の現象をDNAやタンパク質といった情報分子のレベルで解明しようとする学問分野は、主に分子生物学の誕生以後に発達した。また、分子進化学では、遺伝子やそれがつくるタンパク質がどのような仕組みで進化するか、といった問題も重要な研究対象となっている。
 突然変異が進化を招くが、DNAでは、その進化の過程で生じた変異を蓄積しているため、進化に関する情報が保たれている。生物集団の中の、ある個体に生じた突然変異の多くは、数世代のうちに集団内からなくなると考えられている。
 しかし、ごくまれに、突然変異が集団中の個体全体に広まる場合があり、これを固定と言う。固定した変異が、環境に適応したのか、単なる偶然により、伝播しただけなのか、その解答は、種間における遺伝子の塩基配列やアミノ酸配列を比較すれば、配列上の違いとなって現れる。
 これらの変異のうち、アミノ酸を変化させる変異は、自然選択の影響を凌いで来た可能性が高いと考えられている。一方、アミノ酸を変化させない変異は、自然選択による耐性が劣る。このように種間で固定した変異のパターンを緻密に解析すれば、その遺伝子に働いた進化的要因を解明することができる。
 DNA の塩基配列の置換や欠失が起きる確率は、ほぼ一定であることから、 DNA の塩基配列や、そのDNAの塩基配列が元になって作られるタンパク質のアミノ酸配列を比較して、生物種が進化上で分岐した年代を推定することができる。核酸やたんぱく質の分子進化molecular evolutionの速度が一定であると仮定すれば、各種生物の分子配列の違いを進化の速度を計る分子時計molecular clockとみなして、その経時的変化の系列を推定する。分子進化は原則として中立的な突然変異の累積によって起こると考えられるが、中立的でない突然変異は自然淘汰の影響を受けるので、分子によって進化速度は異なる。機能的に重要でない分子ほど進化速度が速いので、使われていない遺伝暗号の塩基配列などが最も実用的な分子時計となる。 
 

 石炭紀からペルム紀にかけて起こった有機炭素貯蔵量の急激な減少は、白色腐朽菌のリグニン分解能力の獲得によるものと考えられている。白色腐朽菌は、セルロースやヘミセルロースを分解する能力も有する。
 約2億5,100万年前の古生代と中生代の境目に相当するペルム紀の終わりに、地球史上最大規模とも言われる大量絶滅が起こった。
 パンゲアは、地球上の陸塊ほぼすべてを含んでいたと考えられる超大陸であるが、南極大陸をとりまく塊をゴンドワナ大陸と、北半球の巨大大陸をローラシア大陸と区別することもある。両大陸の西半分はテチス海によって隔てられていた。また、パンゲア大陸全体を囲む超海洋をパンタラッサと呼ぶ。パンゲアは、ペルム紀初期には完成されていた。ジュラ紀に入った約 2億年前に分裂を開始し、やがて、今日の諸大陸および大西洋とインド洋を形成するにいたった。
 当時あったパンゲア超大陸の大陸棚にある石灰岩の地層の研究から、三畳紀(約 2億5217万年前~約 2億130万年前)初期の「リーフ・ギャップ」と呼ばれるものがみつかった。「リーフ・ギャップ」とは、ペルム紀の終わりころまで、栄えていたサンゴ礁が、ペルム紀最後から三畳紀中期まで、まったくなくなってしまったことを言う。
 ペルム紀の末期には、パンゲア超大陸の熱帯だけでなく温帯の大陸棚にまでサンゴ礁が進出し、いたるところにサンゴ礁があった。そのサンゴ礁がなくなる「リーフ・ギャップ」は、約1,000万年の間にまで及んだ。
 史上最大の大量絶滅により、両生類・爬虫類・鳥類・哺乳類など四肢動物の50~60%(種単位では90%)、海生動物の半数(種単位では95%)が死滅した。原因はまだよくわかっていない。
 ただ、ペルム紀の初期には、ゴンドワナ大陸が南極地域にあり、大規模な氷床が発達していたため、気候は寒冷であった。そのゴンドワナ大陸が、北上して南極地域を脱したことから、氷床は融解しはじめ、気温は上昇に転じた。ペルム紀の末期には激しい気温上昇が起こり、地球の平均気温は23℃にも達した。これは、6億年前から現在まででもっとも高い気温であった。

 「プルームテクトニクス」理論とは、マントル内の大規模な対流運動をプルーム (plume) と呼び、この変動を検討するため、プルームテクトニクスと命名された学説である。地球内部の動きに起因する大陸の離合集散や、大規模な火山活動による二酸化炭素濃度の上昇に端を発する気候変動との関連付けが行われている。その気温上昇が、メタンハイドレートmethane hydrate(固体のメタンと水の水和物、水分子は立体の網状構造を作り、内部の隙間にメタン分子が入り込む氷状の結晶)を融解させ、更に気温を上昇させる要因となり、大規模な環境変化を発生させ、やがて生物の大量絶滅に繋がったとする学際的研究が広がりを見せている。
 中国科学院南京地質古生物研究所の研究員である沈樹忠(Shen Shu-zhong)氏は、ペルム紀の末期に堆積した岩盤から、豊富なススをかぶった炭の層が大量に見つかっていることを指摘し、「地上に広がった自然火災がペルム紀末の森林の急激な減少に大きく関与した」と話す。当時の海水温を知る手がかりとなる化石の酸素同位体を調査すると、2億5,200万~2億4,700万年前には、海面温度が摂氏40度に達していたことが明らかになった、と言う。植物は地球の温度を上げる二酸化炭素を吸収する。その植物が死滅すれば、地球は「暴走する温室」と化してコントロールが効かなくなる。

 被子植物が現れたのは、約1億5,000万年前、ちょうど恐竜が王者として君臨していた中生代(約2億5,217万年前~約6,600万年前)中間のジュラ紀(約 2億130万年前~約 1億4,500万年前)末期と重なる。爬虫類が著しく進化し、爬虫類と鳥類を繋ぐ始祖鳥が登場した。
 当時の被子植物は、裸子植物やシダ類などの胞子植物が優占する森の少数派に過ぎなかった。
 被子植物は、今日の世界の植物界で断然トップを占めるグループである。いまや25万種にもなり、陸上植物の大部分を占めている。このグループがいつ出現したかのか、その詳細は分からないが、1億年前にはかなりの数が存在し、7,500万年前以降は、陸上の優占種となっている。現在、なじみの深い樹木の多くは、この時期に初めて現れている。
 被子植物の中でも、初期に進化したと思われる痕跡を留める種が2つある。1つが現在のセンリョウに似た小さな緑色の花を持つ種類と、もう1つがモクレンの花に似て、花を構成する各要素が多数、螺旋状に並び、花も比較的目立つ形となている。
 センリョウ科の花は、数ミリの花を穂状につける穂状花序(すいじょうかじょ)で、小さく極めて単純なつくりをしている。ヘディオスムム属を除いて、花被はなく1または3枚の苞片を持つ、雌しべ1つと1~5個の雄しべだけで花弁や萼片のない花をつける。ヘディオスムム属は雌雄異花の単性花で、葉は単葉で対生するが、節間が縮小して偽輪生になるものもある。
 モクレン類は 1本の軸の周りに萼片・花弁・雄しべ・雌しべが多数、螺旋状に付く。その花の構造は原始的で、被子植物の中では 早くに分化した植物とされている。雄しべや雌しべは不特定多数あり、特に多数の雌しべの柱頭は、中心部の1本の花柱を取り巻くように満遍なく付いている。原始的な花被が、螺旋状に配列 (螺生) する花葉の特徴を残している。

 植物は動物とは異なり、生活環の中で異なる2つの多細胞世代が交互に繰り返す「世代交代alternation of generations」が行われている。その1つの世代が、複相の細胞からなり、それぞれの細胞の核に、染色体を2コピーずつ持つ(2N)、受精から減数分裂までの核相を言う。
 もう1つの世代は、それぞれの染色体を1コピーずつ持つ単相細胞からなる(1N)。配偶子や胞子など、減数分裂によって半減した一組だけの染色体数を持つ核相を言う。
 ヒトなど複相(2N)の動物では、単相(1N)の配偶子(卵または精子)が、複相の生殖細胞の減数分裂により作られる。一方、複相の植物は、減数分裂により胞子を形成する。そのため、複相世代の植物は胞子体と呼ばれる。それぞれの胞子は、胞子体(2N)の有糸分裂を経て、配偶体と呼ばれる新たな単相(1N)の多細胞個体となる。
 有糸分裂は、2Nの相同染色体が、細胞質分裂により形成された娘細胞に、1Nずつ分配される過程で、細胞中央の赤道面に整列し、その染色体の移動に関与する有糸分裂紡錘体が重合され、その紡錘体により相同染色体の分体がそれぞれの極に引き寄せられることで、母細胞(2Nの胞子体)が娘細胞(1Nの胞子)に減数分裂する様式を言う。
動物の配偶子が、減数分裂の過程を経て直接作り出されるのに対して、コケ植物やシダ植物などの植物の配偶子は、単相の胞子が体細胞分裂することにより形成される。

 よく言われる、「蜂が雌花に精子を運んでくる」のではなく、多細胞の配偶体である花粉を運んでから精細胞が作られるのである。
 花粉は、胞子体の受容組織に運ばれて、そこで発芽して花粉管を伸長させる。花粉管は胞子体の組織内の雌性配偶体へ向けて伸びて、侵入に成功すれば精細胞(配偶体)を放出し、卵(1N)に受精させる。
 一度、単相の配偶子同士が融合し、受精が成立して2Nの受精卵となれば、その後の発生過程は動物と植物で類似している。2Nの受精卵は、有糸分裂を繰り返して、最終的には複相の植物体へと成長する。受精と減数分裂が、植物の胞子体世代と配偶体世代の2つの世代の境界を分けている。ところが、被子植物では、重複受精により3N(三倍体)どころか、それ以上の核相を持つ胚乳も形成されている。
 胚乳は、種子(子房)の中に胚とともにある一つの組織で、この中に養分が蓄えられており、種子の発芽時に胚はこれを吸収して生長する。白米はイネの胚乳で、小麦粉はコムギの胚乳を粉にしたものである。
 コケ植物では胞子体より配偶体の方が大きく形態も複雑であるが、被子植物に近づくに従って大きさが逆転して胞子体の方が大きくなり形態も複雑になる。
 植物進化の過程で、受精から減数分裂までの間に起こる体細胞分裂の回数が増えれば増えるほど、胞子体世代のサイズが大きくなり、それに伴い作られる胞子の数も増加する。
 一度の受精で形成できる胞子の数が増せれば、地上の水分が少ないなどの環境でも、受精の回数が制約されるリスクを、十分補填できるからだ。
 被子植物と裸子植物からなる種子植物では、著しく胞子体世代が優先的に進化したため、雌性配偶体となる大胞子megaspore(spore; spˈɔɚ胞子)と雄性配偶体となる小胞子microsporeという2種類の胞子を作れるようになる。
 雌性配偶体と雄性配偶体をそれぞれ形成する仕組みは多岐にわたるが、いずれの場合も大胞子と小胞子から生じる配偶体は、その胞子体よりも少ない数の細胞から形成されている。
 種子植物の配偶体である精子と卵の形成や受精の際の動態は、その種により様々である。
 被子植物での重複受精では、2つの精子が作られ、その1つのみが卵と受精する。もう1つの精子は、雌性配偶体中の2つの核と融合し、被子植物の種子の細胞の核相が3N(染色体のセットが3つ持つ)の胚乳を生ずる。被子植物では、更に高い胚乳を生じるものもある。
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 4)動物を雇った植物たち
 (約6,600万年前の白亜紀と新生代との境に、大絶滅が起こり、恐竜の姿が消え、陸上のどこでも哺乳類や鳥類が優位を占めるようになった。このごく短期間に、恐竜ばかりか陸上生物全種の3分の2が絶滅している。)
 被子植物の適応進化は、そのごく初期の段階から、様々な動物、特に昆虫と密接な共進関係にあった。被子植物の発生当初の約1億5,000万年前から、頻発する過酷な環境変化に翻弄され続け、それに辛うじて対応できる手段が、他家受粉による多種多様な遺伝子組み換えと、種子を出来るだけ広範囲に散布することであった。
 初期の被子植物は、ゲンゴロウ・コガネムシ・ホタル・カミキリムシ・ハムシ・テントウムシなどの甲虫(こうちゅう)が送粉していたようだ。中にはハエやガによる送粉もあったらしい。初期段階では、被子植物の花は、特段、特徴的な形態にこだわらなかったようだ。
 それでもごく初期の頃から存在する被子植物の訪花昆虫は、蜜や糖・タンパク質などの栄養価に誘われて来る様々な動物の進化、特に昆虫の進化と密接に関わってきた。とりわけ、被子植物の種子は、果実に包まれ、その散布形式は様々な共進化と適応化による結晶と言える。
 送粉の手段も様々に進化し、タンポポのように風媒もあれば、ココヤシのように多数の花を雌雄同株で咲かせるが、雄花が殆どで雌花は少なく、更に自家受粉を回避するために、雄花と雌花の開花期が異なる仕組みとなれば、複数の木が同時に花を咲かせなければ受粉の確率が非常に低くなる。東南アジアなどでは、コウモリ媒で、ハワイでは、外来種のハチたちが送粉している。
 シソ科の唇形花 ラショウモンカズラ送粉者は主にハナバチ、下唇に着地してから、花筒に潜り込んで奥の蜜を吸う。
 今から約7,000万年前になると、長い口吻(こうふん)を持つチョウやガと共進し、スミレ・キンレンカ・ランなどのように、花の中に長い距spurを持ち、その距の奥に密を蓄えるものや、ラショウモンカズラのように着地台を備える唇形花(シソ科・ゴマノハグサ科の下唇)が現れ、いずれも強い香りを伴うものが多い。現在では、殆どの植物が、昆虫や鳥に媚びるように、それらの特性に応えている。
 ハナバチは、現在の種子植物にとって、最も不可欠な存在であり、常連の訪花昆虫と言える。約2万種と多く、種の殆どが特殊化している。
 ハナバチは、枯木に穴を掘り、または人家の壁のすき間や、枯草の芯・カタツムリの殻などに営巣し、花粉や蜜を蓄えて幼虫の餌とする。一般に体は毛で覆われ、その体毛の1本1本が、密に枝分れしているので、花粉が毛に付きやすい構造になっている。成虫の雌バチは、花から花へと飛び回り、花粉と蜜を採取して巣に運び、これを混ぜ合わせて団子をつくり、幼虫の食糧として貯蔵する。
ハナバチと種子植物両者の生活環において、お互いに必須の存在となり、ハナバチは特定の種に合わせて特殊化し、ついにはその種の花だけを食料源として訪花するようになる。しかし、訪花昆虫と植物が1対1の関係を結んでいるものは、それほど多くない。殆どの植物には、何種類かの昆虫や動物が、それぞれの頻度で訪花する。植物はその中でも特に貢献度の高い送粉者たち数種を特定して、完全には妥協しないながらも、折り合えるような形態に進化させる。
 被子植物の中には、昆虫以外の動物による花粉媒介が主になっているものもある。赤い花と鳥は関係しており、西半球に見られるハチドリや東半球のヒヨドリやスズメ・メジロの仲間も同例である。ヒトと同様、鳥にとって赤は、目立つ色である。一方、チョウは例外であるが、昆虫は赤を見分けることができない。
 昆虫の目には、単眼(昆虫類にある小型の眼で、複眼とともにあるか、これに代るものとして存在する。)と呼ばれる器官があり、明暗と色彩で光を受容する。チョウ以外の昆虫が受容出来る光の波長は人に比べて短波長よりで、300nm〜650nm (nm: ナノメーター=10-9m= 10億分の1m)の範囲だと言われている。そのため、チョウや昆虫の目は、紫外線を見ることができるので、紫外線を含む青や紫の短波長の光に、昆虫は反応しやすく、赤色のような長波長の光には反応が鈍い。ただ、人には黄色い花や白い花に見えても、昆虫には黄色い花は青紫色に、白い花は薄い青色に見られているようだ。
 観察により、チョウそれぞれに、好きな色があることが知られている。アゲハチョウは赤い花、モンシロチョウは白と黄色、ギフチョウは紫が好きな色だといわれている。チョウや昆虫を観察すると、どんな色の花が好きだか分かるようだ。
 鳥媒花には、赤い花が多い、ツバキ・サザンカ・ハイビスカス・ビア・ポインセチア・サルビア・アロエなど、鳥は、メジロ・ヒヨドリ・ハチドリ・シジュウガラ・ウグイス・モズなど、ただ鳥は嗅覚が発達していないので、鳥媒花に特化していれば、花の香りは余りない。鳥の視覚は、人間と同様と言われている。
 鳥がいつも訪れる花は、鳥に必要な高いエネルギーを含む蜜を大量に蓄えており、これを昆虫の目から隠しておけるなら、極めて都合がよい。殆どの昆虫は、鳥よりは低いエネルギーで十分足りる、鳥媒花なら1個か2個の花蜜を吸うだけで済んでしまう。それでは、送粉者の役割が果たせないから、鳥媒花は、昆虫を避けるかのように、赤い色にしていたり、無臭だったりする。蜜は、深い筒の奥に隠している。
 自家受粉という選択肢も被子植物にはある。25万種のうちの半数近くがこれに当てはまる。この場合、花粉を、その花粉を生産した同じ花の柱頭に乗せてしまう。蕾の内にこれをしてしまうものもある。自家受粉は多様の子孫を残すのに限界があるが、ある特定の環境に適する植物を増やすのには無駄がない。例えば、多くの雑草は自家受粉する。通常、自家受粉するものは小さく目立たない花を付ける。
 スミレの花は3月の中旬~5月中旬に咲く、早春の花を代表する一つです。ところがスミレは、11月頃まで次々と蕾ができて種を実らせる。その間、花を咲かせることはない。閉鎖花の中で、自家受粉により、自分の雄しべの花粉を雌しべに付けて種を作らせる。
 アリ散布植物がアリを誘引するエライオソームは、乳白色のゼリー状で、脂肪酸・アミノ酸・糖などを含む。種皮のもとになる珠皮に由来する。
 ムラサキケマンも、普段は 雄しべも雌しべも外からは見えず、花粉は雨風などから守られている。虫が蜜を求めて上側の花弁と左右の花弁との間から花の内部に入ろうとすると、雌しべと雄しべが飛び出して、虫の身体に花粉をつけ、虫の身体に付いていた花粉は雌しべの柱頭に付く仕組みになっている。それ以前、開花の初期では、雄しべの花粉は同じ花の雌しべに付く、閉鎖花の段階で自家受粉している。
 その結果、殆どの花で子房が膨らんで、種子が生産される。1年生草本のムラサキケマンは、効率よく迅速に種子を生産し、生育地の維持と拡大に努めている。
 ムラサキケマンの果実は熟しても緑のままで、熟したその果実に触れると、果皮が勢いよく外側に巻き上がり、その勢いで、その内側にあった黒い種子が飛ばされる。
 ムラサキケマンの種子にはエライオソーム(白いゼリー状の物質)が付いている。スミレやカタクリ・アケビ・ヤマブキソウなどの約200種の種子に付着している。やわらかい付着物で、種子をアリに運んでもらうために進化したもので、脂肪酸・アミノ酸・糖からなる栄養価の高い物質である。この物質に誘引されたアリはエサとして種子を巣に持ち帰り、エライオソームのみを食べ、種子は巣の近くに捨てる。
 発芽能力のある種子を、自分ではじき飛ばして散布し、それをさらにアリに運んでもらって移動距離を広げる。
 サクラ属の果実のように、ヒヨドリ・ムクドリ・メジロ・スズメ・カラスが好む赤い色の実であれば、果肉だけ食べられて、種子は捨てられることで散布される。
 ヤエムグラ(八重葎)は日本各地に分布し、人里近くのやぶや荒れ地にごくふつうに生える。果実には鉤(かぎ)状の刺があり、哺乳類の毛や鳥の羽などにくっついて散布される。これら果実や種子の形態や形質が多様であることが、被子植物の重要な特徴になっている。被子植物は、一か所に留まざるを得ず、その限界と危険を克服するために、昆虫などの動物と共進関係を作り上げ、種子を果肉に包み、それを効果的に散布することで補おうとした。
 一方、針葉樹のマツ・ヒノキ・スギ・イチイなどの裸子植物は、花を咲かせても、形や色など、その花の美しさが問われることはない。目立たない緑色の花をつけ、明るい色や香りを伴わない。
 花粉は風により運ばれる風媒花であれば、風まかせであるため、桁外れとでも言える花粉を放出する。スギは雌雄同株であるが、単性花といわれ、雄花と雌花を別々に咲かせる。これを雌雄異花(しゆういか)と言う。一年草であるが、キュウリ・カボチャ・スイカ・カラスウリなどもそうだ。
 スギ花粉は、2月から4月まで飛散するため、スギ花粉症の患者はこの時期に急増する。雄花の長さは5mmほどの楕円体で、枝先に下向きにぎっしりと群がっている。枝と共に風にあおられて花粉を飛ばす。1個の雄花の中には、24~40万個の花粉が入っている。その雄花の上の方で下向きに咲いているのが雌花だ。他家受粉を期待しているようだ。そのため同株間では、花粉は受けにくい。200万個当り1個の確率で受粉できるという。
 被子植物でも、イネ科やニレ科のケヤキやニレ、及びヤナギ科のポプラなどは風媒花である。これらも、元々は虫媒花であったようで、二次的に風媒となり、やがて虫媒花としての機能を失ったようだ。
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 5)生物大絶滅の危機
 種子植物は、約3億6,000万年前に現れ、約1億5,000万年前に被子植物も現れた。当時の被子植物は、裸子植物や、シダ類などの胞子植物が隆盛で、森の少数派でしかなかった。
 その種子植物が、恐竜やワニなどの爬虫類が全盛期にあった白亜紀(約 1億4,500万年前~約 6,600万年前)の中期の1億年前、現れてから数千万年の間に、様々な花や果実を持つなどしながら、かなりの数に膨らみ、ほぼ現代の姿になった。その後、約6,600万年前の白亜紀と新生代との境に、大絶滅が起こり、恐竜の姿が消え、陸上あまねく哺乳類や鳥類が優位を占めるようになった。
 このごく短期間に、恐竜ばかりか陸上生物全種の3分の2が絶滅している。この間、被子植物がどれくらい死に絶えたかは、現在、盛んに研究されている。恐竜の絶滅後、およそ6,000万年を経た700万年から500万年前に、人類の祖先が猿から分かれた。
 新生代(約 6,600万年前から現在にいたる期間)になると、被子植物やその他の陸上生物の優占種は、驚異的な種分化を遂げてくる。ただ現在にまで存続する種は、その内の2%以下と言う。それでもこの時代には多彩な生物が登場している。被子植物は25万種となり、これまで分化してきた他の植物と比して数の上でも大きく上回る。この多様化には、送粉者や果実と種子の散布者たちとの共進化が大きく貢献していることは言うまでもない。

 自分では動けない被子植物の多様化は、その送粉者や散布者たる虫類などの動物にも及ぶのは当然である。メキシコ中部から南米の北部にかけて生息している全長約10cmのミドリハチドリは、アカネ科のラウニア・トリフロラの深い蜜腺に達する嘴を持つ。北アメリカでハチドリは23種、コスタリカには52種もあり、いずれも蜜を主食とし、それぞれの花の蜜腺に合わせて嘴の形状が異なる。いずれも高速で羽ばたき、空中に留まるホバリング飛翔しながら、花の奥まで嘴を差し込み蜜を吸う。鳥類の中で最も体が小さい種で、体重は2〜20g程度である。
 被子植物の進化は、その体内に含まれる化学物質にまで及んでいる。被子植物は、実は、アルカロイドや弾性ゴム(生ゴム)の原料となるラテックス(latex)など、何千種類の化学物質を作り出してきた。種によってその主成分は違う。
 この液体は、ラテックス(latex)と呼ばれることが多い。樹脂と比べ、その構成成分は複雑で、毒性または忌避性の二次代謝産物を含むことも少なくない。ラテックス生産植物では、その乳液が天然ゴムの原料となるインドゴムノキが有名である。自然環境下では、インドゴムノキが傷を付けられると、それと同時に、膨大なラテックスが放出される。その分子量は100万以上にもなり、植食性昆虫や動物のみならず、病原菌を寄せつかなくするか、包み込んで防御をする。菌類も陸上に優占する生物であれば、他の生物同様に襲いかかる。
 昆虫や動物は、常に味方ではない。身近な被子植物は、その蜜の採食どころか、全草にまで及ぶ動物や昆虫などの食害に喘いでいる。その防御ために化学庫となり、進化の大きな要因となった。そのラテックスなどの化学物質が、人類が食べる植物の味であり、香りでもあり、また薬品などのおおよその原料となっている。

 大別して6つの大陸(ユーラシア、アフリカ、北アメリカ、南アメリカ、オーストラリア、南極)が存在しているが、これらは1つの巨大大陸・パンゲアから地殻変動によって分かれ出たと考えられている。約2億5,000万年前のパンゲアは、アフリカと南アメリカが繋がり、ニュージーランドとオーストラリアと南極も含めて一つの大陸であった。また南北のアメリカ大陸は、遠く離れていた。
 パンゲア大陸の存在は、ドイツの気象学者アルフレート・ヴェーゲナーが、1,912年に提唱した「大陸移動説」にて予測したのが始まりで、1,950年以降には、地殻変動を説明するプレートテクトニクス理論が新たに提唱されたことにより再評価されている。
 これらの巨大大陸は、この1億年の間に、バラバラに離れていった。1億年前と言えば、被子植物がかなりの数となり、7,500年前以降には、陸上植物の優占種となっている。またこの時期になると、現代に在る樹木の多くが登場していた。新生代が始まる6,600万年前は、世界中のほぼ全域に、亜熱帯から熱帯の気候が広がっている時期であった。
 約6,500万年前の白亜紀の終わりには、大絶滅が起こり、恐竜が姿を消し、陸上のどの場所でも、哺乳類や鳥類が優占し始める。 被子植物の初期の進化は、その殆どが、中生代の白亜紀(約 1億4,500万年前~約 6,600万年前)、アフリカと南アメリカが一つになった後、緩やかなに結びついていた巨大大陸で起きていたことが知られている。前期白亜紀において、一時的な寒冷化が見られるものの、同時期の表層海水温に関する研究では、低緯度地域で32 ℃、中緯度地域で26 ℃と現在より高い海水温でるが、安定していたことが分かっている。 この巨大大陸では、過度に乾燥した地域や半乾燥の地域ができ、被子植物の仲間の中には、特に乾燥に強くなるように適応したものも現れた。革質化した硬い葉や、広範囲に分布したコロニー間(同種または複数種の生物が集団をなしてある地域に定住しているとき、その集団を広くコロニーと呼ぶ)でも果実や種子・花粉などを飛ばせる優れた機能、また、より効率的な水輸送システムなどがその例で、その植物の繁栄と多様化に繋がった。
 ウェルウィッチア(和名はサバクオモト;砂漠万年青)は、ナミビアやアンゴラなどの砂漠地帯に生息する多肉植物である。発芽してから種子をつけるまでに、25年ほどもかかる。短い茎から、終生2枚だけの葉を伸ばし続け、この2枚の葉は、最大4mくらいになる。この長くて大きな葉の気孔から大気中の湿気を吸収し、かつ蒸散することにより葉を冷却し、灼熱の暑さをしのいでいる。非常に多肉質な根を持ち、長さ3m~10mにも達し地下水を吸い上げている。

 新生代の最初の紀・古第3期(6,600万年前~2,303万年前)には、南大西洋が広がり続け、インド洋と繋がるテチス海はさらに狭くなる。インドがさらに北に移動し、マダガスカル島がアフリカ大陸から分かれる。この大陸の移動に伴い、新生代初期の世界は、より穏やかな熱帯的な気候が続いた。
 現在の地中海地域から、カフカス山脈、ヒマラヤ山脈などの地域を通り、東南アジアや中国南部、日本列島にかけての細長い地域は、だいたいにおいて浅い海域であった。この海域をテチス海と呼ぶ。
 6,000万年前、インドがアジアと衝突し、ヒマラヤ山脈とチベット高原を押し上げた。 5,500万年前には二酸化炭素の急激な上昇で温暖化が進む。それにより海底のメタンハイドレートが溶解し、さらに温暖化が進行して、暁新世と始新世(約6,600万年前 ~約3,390万年前)両時代を通して温度が最大値に達した。
 約5,000万年前、オーストラリアが南極から離れた。
 約3,000万年前、南アメリカ大陸が南極大陸と分離した。以後、約200万年前にパナマ地峡ができるまで、孤立した大陸であったため、独特の動植物相が進化し、固有種が多い。
 2,700万年前、南アメリカと南極の間が開き、世界一幅の広いドレーク海峡ができるようになる。オーストラリアも孤立した大陸となり、独自の動植物相が形成される。
 やがて、気候の寒冷化が進み氷河が発達するにつれ、全世界に乾燥化が広まった。およそこの1,500万年にわたって、ユーラシア大陸の内陸部、ヨーロッパや北アメリカの大部分など、各地で乾燥化が急激に進んだ。
 新生代初期の動植物の化石相は、東アジア・ヨーロッパ・北アメリカなどでは、殆ど同じであるが、現生植物は、ヨーロッパでは大きく減少し、北アメリカでもヨーロッパほどでないにしても減少した。東南アジアが最も残っており、1,500万年前に北半球に広がっていた植物の形質を最もよくとどめている。
 1,500万年前、オーストラリアが東南アジアに接近する。 新生代に属する新第三紀の後半の鮮新世(約 533万3,000年前~約 258万年前の期間)には、気候は寒冷化し、南極の氷床が大陸を殆ど覆うようになり、北半球の氷床の発達も始まっていた。
 南米大陸は孤立していたが、約200万年前、パナマ地峡ができ、北米と南米を動物が行き来できるようになった。
 中新世(約 2,303万年前から約 533万3,000年前)に引き続き、アルプスからヒマラヤにいたる山系、ロッキー山系、アンデス山系などの隆起が著しく、今日の褶曲山脈の全容 がほぼ明らかになった。

 地層は、一般に水平に堆積するが、完全に固結する前に地殻の変動によって横方向に圧縮されると、波形に曲がってしまう。これを 褶曲 (しゅうきょく) といい、盛り上がった箇所を 背斜 (はいしゃ)、沈んだ箇所を 向斜 (こうしゃ) と呼ぶ。大規模な褶曲が起これば、盛り上がった背斜は山となり、侵食されると周囲よりも古い地層が露出し、沈んだ向斜は盆地となり、堆積物で埋められる。
 地層が堆積してから硬い岩石になるまでには、通常は長い時間がかかる。つまり地層は堆積して間もなければ、未だ軟らかく、横方向に圧縮されると、地表の近くほど褶曲しやすく、地下になるほど断層が起こりやすくなる。
 褶曲とは、地層の層状構造を形成する変成岩などが、圧縮・変形されて、層理面が波曲状化する地質構造を言う。大規模な褶曲は、造山帯の造構運動によって生じたもので、それが褶曲山脈の基本的な地質構造である。
 
 著しい褶曲構造をもつ山脈は、褶曲と同時またはそれに引き続く時期に隆起して生じた山脈である。褶曲山脈をつくるような造構力は、プレートとプレートの衝突によって生じる。アルプス山脈・ヒマラヤ山脈・日本列島・アパラチア山脈・アンデス山脈などは、すべてプレートの衝突域にある。褶曲運動と隆起運動とは必ずしも相伴わないが、ヒマラヤ―アルプス山脈は、激しい隆起によってほぼ現在と同じ地形が形成された。海底でも、プレートの衝突域にある北西太平洋のマリアナ諸島の東では、沈降運動が続き、マリアナ海溝Mariana Trenchが形成された。世界で最も深いマリアナ海溝の北西端は、伊豆・小笠原海溝と、南西端はヤップ海溝に連なる。すべての海溝は、海底でプレート同士が衝突して地球内部へと沈み込むところに作られる。
 当時の気候は寒冷で、中新世中期以降に始まるその傾向は、最終的に第四紀の氷河時代に至る。
 
 ほぼ520万年前から164万年前まで、気候は比較的温暖だが、末期から寒冷となり第四紀の氷河時代を迎える。高緯度地方に寒帯系の植物群が出現し、気候の寒冷化が目立つ。動物界は現代的な要素が強くなり、また地方的分化が著しく、今日みられるような生物地理区ができ始めた。
 鮮新世に形成された地層を鮮新統という。堆積物はサンゴなど生物起源のものは少なく、多くは砕屑(さいせつ)物からなる。
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 6)生物史に漸く登場するヒト
 ツリガネニンジン・ニッコウキスゲ・オオバギボウシなど多くの被子植物は、雌しべが、雄しべより極端に突出している。
  これも自家受粉を回避するためであろう。
 初期人類化石は、すべて東アフリカから出土しており、同地こそ人類発祥の地とする見方に異存はない。以後、その分布域は広がり、人類の進化も進む。その進化過程は、当然、連続しているが複雑だ。おおむね、猿人→原人→旧人→新人という4段階に分けられる。
 猿人は440万年前のアルディピテクス以外は、アウストラロピテクス類である。アルディピテクスの顎や歯の特徴から、果実や木の実・昆虫・小動物などを食べる雑食性だったと見られる。
 当時の動物相から、環境は森林だったと考えられ、アルディの日常は樹上生活であったようだ。骨盤上部は、二足歩行に適応した構造をしているため、時折、地上に降りて二足歩行していたようだが、後続するアウストラロピテクスほどに、二足歩行に適応していなかったと見られる。
 アウストラロピテクスは、400万年前~100万年前にアフリカの草原で暮らしていた。この猿人と原人の橋渡しをするのが、ホモ・ハビリスで、特に大型のものは、最近はホモ・ルドルフェンシスと呼ぶ。240万~170万年前、東アフリカに存在していた。
 原人は、ジャワ原人や北京原人を含めて、ホモ・エレクトゥスで統一される。180万~30万年前、アフロ・ユーラシア(アフリカ大陸とユーラシア大陸を合わせた大陸)の熱帯と温帯に広く分布していた。
 旧人は、ネアンデルタール人、あるいは古代型サピエンスという。出現時期には諸説があり、15万年前とも20万年前とも言われている。現在は、原人の中から、数十万年前のアフリカで枝分かれしたハイデルベルク人が現れ、その一部が中東・ヨーロッパでネアンデルタール人となったと考えられている。
  ドイツとアメリカの科学者グループは、ネアンデルタール人(ホモ・ネアンデルターレンシス)の骨から遺伝子を抽出して、現代人の遺伝子構造と比較することに成功した。1,997年7月11日、『セル』誌に掲載された研究発表によると、ネアンデルタール人は現代人とはかなりへだたった種であり、そのミトコンドリアDNAの系統は、おそらく69万年前から55万年前にかけて、現生人類につながる系統から枝分かれした亜種同士という。現生人類とは、現代人をふくむ新人(ホモ・サピエンス)のことである。
 新人は3万年前から今日に至るまでの人類で、ヨーロッパのクロマニョン人・シベリアのイルクーツク人やペキン原人と同じく北京郊外の南西42kmの周口店で発見された上洞人(じょうどうじん;山頂洞人;さんちょうどうじん)、そして日本の縄文人や弥生人、及び現代人などがこれに属する。今日より極度に過酷な気候であったが、既に不毛な土地を除き、汎(はん)地球的に分布していた。進化するに伴い、咀嚼器である顔面が退縮すると同時に、脳が大きくなる。原人の脳の大きさは猿人の約2倍、旧人と新人であれば約3倍となる。新人は、多地域に広がったが、これらの諸人類との系統関係は、未だ定説は確立されていない。

 複数のヒトゲノムの塩基配列を比較すると、どの2人の間でも塩基対1,000につきほぼ1個の割合で違いが見られる。こうした違いは、殆どの集団に共通し、いずれも殆ど害が生じていない。ゲノムの同一部位に2通りの塩基配列があり、それがどの集団にも広く存在していれば、これらの遺伝子多型(polymorphism;多形性)を一塩基多型(snp : single nucleotide polymorphism)という。通常、多型は欠失または挿入によるものが殆どで、変化が少規模な場合をインデル(indel;挿入欠失)、大規模な場合をコピー数多型(copy number variation)という。
  これらの遺伝子多型は、ゲノム全域に見られが、ランダムに散らばったり独立して発現したりせず、複数がまとまって遺伝する傾向がある。このまとまりをハプロタイプブロック(haplotype block)と呼び、ハプロタイプブロックは、1つの染色体に存在する特定のDNA塩基配列セットで、そこにある多型のセットは密接に連鎖して継承され、世代を経ても遺伝子の再編成が殆ど生じることなく、そうした領域にある遺伝子マーカー(生物個体の遺伝型、もしくは個人の特定、親子・親族関係、血統あるいは品種などの目印となる個体に特有なDNA配列をいう)のセットとして存在し続ける。遺伝子には、いくつかの対立遺伝子があるように、ヒト集団内に一定頻度で存在するいくつかのハプロタイプブロックがあり、そのそれぞれには、特定の祖先から受け継いだできたDNA多型群が含まれているため、ヒトの進化史を克明にたどれる手掛かりとなっている。
 変異によって新しい対立遺伝子が常に生まれている。その対立遺伝子はおおよそ中立であるため、個体の繁殖に影響しないので、むしろ集団内に残存し続けることで集団内に広がる。
 一塩基多型のように、比較的高頻度に存在する1個の対立遺伝子から生じるので、経過した世代の頻度が重なるにつれ、それを含むハプロタイプブロックの領域が小さくなる。多くの世代に繋がることで、古くからある対立遺伝子が、相同染色体交差により、近隣の他の多型から切り離される機会が増すからである。
 様々なヒト集団のハプロタイプブロックの大きさを比較すれば、ある特定の中立変異が現れてから何世代経過したかが推測できる。このような遺伝的比較解析に、考古学的知見を重ねれば、少数の祖先から始まったヒトの進化史がたどられ、アフリカから出発した祖先たちの移動経路を追うことができる。
 現生人類は、6万~8万年ほど前に、アフリカのおそらく10,000人程度の小規模な集団から出発したと考えられている。人類すべての祖先となるこの小集団の中には、ある遺伝子多型セットを持つ人と、それとは別のセットを持つ人もいたのであろう。現代人の染色体は、この小規模な祖先集団の人々の染色体が、切り混ざり組み合わさったといえる。その祖先集団から現代人までは、2,000世代ほどであるが、祖先集団にあった染色体の領域が、減数分裂の交差により切り刻まれることなく、大きいまま親から子へ受け継がれていた。しかも、それぞれの相同染色体セットの間で起こる交差は、2~3か所しかなかった。
 その先祖集団が、最も初期にたどった道筋は2ルートとみられ、東アフリカの北部の大地溝帯great rift valleyから、エジプトを経由しヨルダン川を北上し、チグリス・ユーフラテス川の中上流域を中心に広がる山岳地域のクルディスタン地域から南下しペルシア湾へ、もう一つがアフリカの角とよばれるアフリカの北東部にあるエリトリアから紅海を渡り、アラビア半島の南部の海岸沿いのイエメンを北上し、オマーン湾からペルシャ湾を渡海し、クルディスタン地域から南下した集団と合流しているようだ。そしてインド半島の西海岸から東海岸を経てマレー半島南端からボルネオ島に渡り、ニューギニア島とオーストラリアへと分流した。
 ハプロタイプブロックの大きなさの研究の成果により、現代ヨーロッパ人は、3~5万年前に小さな祖先集団の移動に由来し、それより古い時代に、より小さな集団がナイジェリア人を形成していたことが分かった。現代に居住するオーストラリア先住民や中東の諸民族も、現代ヨーロッパ人と同様、45,000年前位に根付いたようだ。それは考古学的知見とも矛盾していない。
 さらに最近の研究により、ネアンデルタール人やシベリア南部の別の絶滅人類とのゲノム塩基配列比較により、現代人のなかには、それらの旧人類と共通する塩基配列を数%持っている人々がおり、現代人の祖先の一部が移動の途上で、旧人類と交雑したようだ。
 ネアンデルタール人はヨーロッパに30万年前か、それ以前から住み、狩猟を中心とした生活していた。英オックスフォード大のチームが英科学誌ネイチャー(Nature)に、遺跡の出土品などの分析から、ネアンデルタール人が欧州で絶滅したのは41,000~39,000年前だったとする研究成果を発表した。その絶滅は、ヨーロッパに現代人の祖先である現生人類が登場した時期より後で、2,600~5,400年間ほどは同時期に生存していた、とし、混血や文化、技術の交流があったとみている。ヨーロッパで発見されたネアンデルタール人の遺跡約40か所から出土した馬やトナカイの骨など生活の遺物に含まれる放射性炭素で年代を測定すると、45,000年前には欧州の広い地域に生活の痕跡が認められ、その後5,000年ほどで消滅している。
 中国・チベット・米国の国際研究チームが、2014年7月2日の英科学誌ネイチャーに、チベット人が高地で暮らすことができるのは、現在は絶滅している人類系統から受け継いだ特殊な遺伝子のお陰だ、とする研究論文を発表した。現在のチベット人の祖先は、血液中の酸素量を調整する重要な遺伝子変異を、デニソワ人(Denisovans)と呼ばれる人類種と交配した際に獲得した、という。
 ネアンデルタール人と同時代に生きていたデニソワ人の存在が明らかになったのは、マックス・プランク進化人類学研究所の進化遺伝学者スバンテ・ペーボ氏が率いる研究チームが、2010年に、ロシア・シベリア南部のアルタイ山脈にあるデニソワ洞穴(Denisova Cave)で発掘された、約50,000年以上も前の女性の小指の指節骨(しせつこつ;手や足の指の長骨)の破片1個と臼歯2個によって判明した。デニソワ洞窟の発掘現場で見つかった臼歯の化石は、新しいヒト科ヒト属(ホモ属)であるデニソワ人の存在を示す重要な遺伝的証拠となった。デニソワ人もネアンデルタール人と同様に、現生人類(ホモサピエンス)によって絶滅に追い込まれた可能性が高い。
 そのデニソワ人は、姿を消す前にホモサピエンスと交配して、現在のヒトDNAの塩基配列に、その特徴を残したことが、遺伝子配列の解読によって分かった。
 新人は、長い狩猟採集生活ののち、1万1,000年前~8,000年前にかけて、レバント(ライムギ、レバントは東部地中海沿岸地方の歴史的な名称)、中国(アワ・キビなどの穀物栽培の黄河流域、稲作の発祥の長江流域)、メキシコ、ペルーなどで、農業がそれぞれ独自に開発されることになる。
 トウモロコシは、南米アンデス山麓原産のイネ科の一年草で、考古学的には、メキシコで発掘された約7,000年前と推定されているものが出土した。ただ、ペルー最南部海岸地方にあるトケパラの洞窟壁画(紀元前7,600年)に見られるように、狩猟採集民を起源とする。
 カラルは古代アンデス文明の遺跡で、2,009年に、「聖地カラルスーペ」の名称で、ユネスコの世界遺産リストに登録された。ペルーの首都リマの北方およそ158kmに位置するリマ県バランカ郡のスーペ谷に残る65 ha以上の広さがあった大規模な遺跡である。カラルは紀元前 の2,600年~1,500年に栄えた、「アメリカ大陸最古の街」で、スーペ川中流域に発達し、川沿いの流域を中心にアボカド・インゲン豆・カボチャ・サツマイモ・トウガラシ・トウモロコシなどが発見されている。メソポタミア文明・エジプト文明・インダス文明・黄河文明と重なる時代のようだ。
 人類は、あくまでも推定値であるが、1万1,000年~8,000年前頃、約1,000万人が地球に散在し、農耕や牧畜が世界レベルで伝播する2,000年前には、約2億となり、1,950年では25億人、国連経済社会局による年央推定・予測人口では、2015年には73億人のまで膨らんでいる。ヒトと言う一種の生物が、陸上における光合成生総産物の約40%を消費している。
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