ナシ属 「日本のナシとリンゴの起源」
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 DNA DNAが遺伝物質 生物進化と光合成 葉緑素とATP 植物の葉の機能 植物の色素 葉緑体と光合成 花粉の形成と受精
 ブドウ糖とデンプン 植物の運動力 光合成と光阻害 チラコイド反応  植物のエネルギー生産 ストロマ反応
 植物の窒素化合物  屈性と傾性(偏差成長) タンパク質 遺伝子が作るタンパク質 遺伝子の発現(1) 遺伝子の発現(2)
 遺伝子発現の仕組み リボソーム コルチゾール 生物個体の発生 染色体と遺伝 対立遺伝子と点変異 疾患とSNP 癌変異の集積

 癌細胞の転移 大腸癌 細胞の生命化学 酸と塩基 細胞内の炭素化合物 細胞の中の単量体 糖(sugar) 糖の機能 脂肪酸
 生物エネルギー 細胞内の巨大分子 化学結合エネルギー 植物の生活環 細胞のシグナル伝達 キク科植物 陸上植物の誕生
 植物進化史 植物の水収支 拡散と浸透 細胞壁と膜の特性 種子植物 馴化と適応 水の吸収能力 稲・生命体 胞子体の発生
 花粉の形成と構造 雌ずい群 花粉管の先端成長 自殖と他殖 フキノトウ アポミクシス 生物間相互作用 バラ科 ナシ属


 
 目次
 1)日本のナシとリンゴの起源
 2)ヤマナシ
 3)日本の栽培種のナシ
 4)日本のナシ亜科の自生種
 1)日本のナシとリンゴの起源
 ナシは、クリ・ドングリ・ウリ・リンゴ・ブドウなどとともに最も古くから栽培されてきた、バラ科ナシ属の落葉高木の果実である。
 その歴史は、中国や西アシア、ヨーロッパでは、3,000年以上も古代に遡る。それでも、クリ・ドングリ・ウリと比べて栽培種の登場は、かなり遅れている。
 ナシの実は、ヒトには好ましい果実ではなかったようだ。セイヨウナシは、ヨーロッパから西アジアを原産地とするナシの一種で、遺物解析によれば、その栽培は4,000年を更に遡ることはないようだ。
 日本では、ヤマナシは奈良時代にようやく栽培され、それ以降、本州以南の各地で野生状態のヤマナシが自生するようになる。
 中国にはリンゴの近縁種の小果があり、日本には奈良時代の8世紀半ば頃に渡来した。地林檎(じりんご)、和林檎(わりんご)と呼ばれているのがそのリンゴである。

 『本草和名(ほんぞうわみょう)』は、平安前期の延喜18(918)年ごろ、醍醐天皇の勅命をうけて、大医博士深根輔仁(ふかねすけひと)が著した、本草約1,025種の漢名に、別名・出典・音注・産地をつけ、万葉仮名で和名を注記した平安時代の我が国最古の本草書である。当時の官医のテキストであった唐の『新修本草(しんしゅうほんぞう)』を主に、その当時の書籍に収載されている薬物の漢名に和名を当て、和産の有無と産地を注記した。平安前期の日本国内の動・植・鉱物名を知る上で貴重な史料となっている。その『本草和名』に、「林檎」が記されている。
 古代においても、生薬は貴重であったため、『万葉集』に薬猟(くすりがり)の歌が記されている。
 額田王は、
 「あかねさす  紫野行き  標野行き  野守は見ずや 君が袖振」  
 これは、旧暦5月5日に御料地で、薬猟(くすりがり) が行われた際の事を詠んでいる。 この薬猟というのは、標野 (しめの) と呼ばれる大王家の御料地で、男たちは鹿狩りをし、女たちは、紫草(「むらさき」の根は、漢方薬)を摘んだ。宮廷をあげての行事であった。

 源順(みなもとのしたごう)が、承平4(934)年ごろ成立した平安中期の漢和辞書で、漢語を分類して和名を注した『倭名類聚鈔』に、「本草ニ云林檎〈音禽和名利宇古宇〉」とある。「本草に言う。林檎の檎の音は禽(きん;鳥を指す)で、和名はりうこう」と訳せる。
 林檎の『檎』の文字は、会意文字(2文字以上の漢字の形・意味を組み合わせて作られた 漢字)でもあり、形声文字(意味を表す漢字と音を表す文字漢字を組み合わせてできた漢字)でもある。『木+禽』、それが「鳥が 集まる木、りんご」を意味する「檎」という漢字が成り立つ。
 これが転じてリンゴになったと言われている。 中国の明朝の李時珍による薬学著作『本草綱目(1578)』に「林檎一名来禽,言味甘熟則来禽也。」とあり、『林檎(りんきん)には、来禽(らいきん)と言う別名がある。その果実の味が甘く熟し、多くの禽(きん;鳥の意)をその林に来らしむる故なり』と記す。

 青森などで昔から栽培されていた在来種がこの小粒の地林檎で、甘味があり微酸であったという。しかし、地林檎の果実は、形が小さく風味も好ましくない。また水分が多く、貯蔵には不向きであったため、ほとんど栽培されなくなった。 その時代は「和リンゴ」という粒の小さな野生種、つまり「観賞用」のリンゴであったようだ。
 今日、栽培されている「西洋リンゴ」とは、全くの別物の果実である。 現在食べられている「西洋リンゴ」が普及したのは、明治4(1,871)年に、開拓次官の黒田清隆が、アメリカから苗木を購入し、東京の青山官園に75種のりんごを植えたのが、りんご栽培の始まりとされている。
 明治7(1,874)年、内務省勧業寮が、りんごの苗木の全国配布を行い、各地で試作される。その後、日本独自の栽培技術が進化し、現在の市場では30品種に及ぶ果実が出回るようになる。

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 2)ヤマナシ
 ヤマナシの植物遺体は、弥生時代以降に出土する。しかも山地ではなく人里付近に限られるため、自生種ではなく人為的に移入されたものと考えられている。
 『日本書紀』持統天皇(即位7年、693年)  「丙午、詔令天下、勸殖桑紵梨栗蕪菁等草木、以助五穀(3月17日、詔(みことのり)があり、天下に、桑・紵(からむし;繊維素材となる植物)・梨・栗・蕪菁(=ブセイ/かぶら;蕪;菁=すずな;かぶの別称)などの草木を植えるよう奨励し、五穀(米・稗・粟・麦・豆)を補うよう布告した)。」
  そのヤマナシは、果実を食用とするための栽培で、やがて本州中部地方以南、四国、九州で自生するようになった。
 ヤマナシは、中国南部や朝鮮半島南部にも分布している。
 日本のヤマナシは、弥生時代に、水田稲作と共に、大陸から渡来して、植えられたものが野生化したようだ。
 「二十世紀」・「幸水」・「長十郎」といったナシの原種がヤマナシであり、またその台木にもなっている。
  円錐状の実がなる洋ナシは、小アジア及び南東ヨーロッパを原産とするナシが原種であるため系統が異なる。  「ナシ」の語源ははっきりしないが、新井白石は「中酸(なす)」から転じたと言う。「中()」の語源は、「物の真ん中の部分」、「瓜や瓢箪などの種子を含んだ柔らかい部分」であれば、果実の中心部が酸っぱい()ことによる。
 ナシ属は、世界に約20種が分布している。それらのうち果樹として栽培されるものは、ヤマナシ(ニホンナシ)・チュウゴクナシ・セイヨウナシの3種で、園芸上は仁果類に属する。日本の栽培ナシはニホンナシが大部分で、セイヨウナシの栽培面積は、数%に過ぎない。
 車山高原のヤマナシは、南アルプスを背景に大懸崖となり、豪壮な枝ぶりに真っ白な美しい花を咲かせる。
 ヤマナシは、高さ15mに達することもある落葉高木であり、葉は、長さ7〜12cm、芒状(のぎじょう:先端にある針状の突起)に突出し鋭い鋸歯がある、楕円状の卵形である。4〜5月、葉の展開と同時に散房花序に5〜10輪ほど集まって咲く。花弁は白色で、通常は5枚であるが、栽培品種となるとより多いものがある。花の直径5cm。小枝は棘状になることがある。
 雄しべは約20本と多く、花柱はリンゴ属と違い5本のまま基部まで離性する。
 果実は秋に熟し、球形で直径3〜9cm以上と自然種としては大きく、表面は黄褐色で小さな円形の皮目が密に分布し油分がある。果実の頂部には萼筒の頂部が脱落した萼痕が円形に残る。果肉は硬く渋い、酸味も強く、食用にならない。果実酒としては、通常、味わうことができない自然種ならではの趣がある。ヤマナシの果実本来の酸っぱさやえぐみが、野趣香る独特の「こく」となる。    車山高原などの野山にあるヤマナシは、栽培品種の木と比べれば、はるかに果実は小さく、バラ科ナシ属に多い果肉に含まれる石細胞も豊富に含まれているため、硬く・酸っぱく・えぐみがある。
 こうしたヤマナシを弥生時代から栽培し続け、それらの木の中から、より味覚に優れた果樹を選抜して、集落の周辺で育てることを何代も継続することでナシの栽培品種が誕生した。縄文時代の荏胡麻・瓜・栗・団栗なども同様の過程を経ている。
 日本での栽培品種は、通常、熟期が早い。その多くの品種は8〜9月に収穫される。その果実は一般的に、直径8〜12cmだが、晩生品種の、梨の王と呼ばれる「新高梨(にいたかなし)」にいたっては、重量は大きいもので1.5kgにも達し、直径も20cm以上もある。その大きな果実は、石細胞に富むため、シャキシャキッ感があり、しかも、果肉は白く多汁で軟らかく、糖度は12度以上になり、酸味が和らいで甘く感じられる。旬の時期は短く、店頭に並んでいるのを見かけたと思うと、瞬く間に売れる人気のある果物である。
 「新高梨」の名称は、当初、新潟県の品種と高知県の品種の掛け合わせであるとして、その両県の頭文字から「新高(にいたか)」と名づけられた。しかし、個体のDNA配列から、花粉親は、高知が原産とされている「今村秋」ではなく、神奈川県の「長十郎」であることが判明した。

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 3)日本の栽培種のナシ
 日本産の栽培品種には、表面が、黄褐色で皮目が多い「豊水(ほうすい)」「幸水」「新水(しんすい)」の3つ合わせた三水や「新高」などと、黄緑色で皮目が少ない「二十世紀」や「菊水」などがあり、それぞれ赤ナシ、青ナシと呼ばれる。赤ナシにあって青ナシにないのは、「成熟したときに出る果皮のザラザラの斑点」で、この斑点が水分を果実に閉じこめておくためのコルクの役割を果たしている。そのため、赤ナシは柔らかい果肉に果汁がたっぷり含まれ、口の中に強い甘みが広がる。青ナシは爽やかな酸味とすっきりした甘さと、その甘さの透明感が特徴である。
 日本のナシの原産地は、中国中南部とされるが、東アジアから東南アジアや南アジアの温帯から暖帯で広く栽培されている。
 現在の栽培ナシは、大陸から渡来したとする説と日本固有であるとする説があり、未だ明らかになっていない。栽培種の果肉は石細胞が多く含まれるためじゃりじゃり感があり、欧米では「サンド・ペアsand pear」と呼ぶほど好まれていなかったが、品種改良され柔らかくなったものは、「ウォーター・ペア」「アップル・ペア」と呼び、米国やニュージーランドなどで栽培されている。
 日本では、1,000種以上の在来品種が記録されているが、特に明治時代中頃の新種である「長十郎」と「二十世紀」が有名であったが、近年では、より甘く、より柔らくと品種改良された「新水」「幸水」「豊水」などと、「二十世紀」が栽培の中心になっている。
 日本で食べられているナシは、「日本ナシ」「西洋ナシ」「中国ナシ」の3種類あるが、国内生産量は日本ナシが圧倒的に多い。
 神戸港の夕暮れ
 日本梨の第一の生産量は千葉県で、次に茨城・栃木・福島各県と続き、東日本に集中し、赤ナシが多く栽培されている。赤ナシは、海外でも盛んに栽培されているため価格競争力のある中国産などが、世界市場を占め、日本産の赤ナシの輸出量は多くない。
 国内の第5位の生産量がある鳥取県では、赤ナシも栽培するが、二十世紀を代表品種とする青ナシで、全国一の収穫量を誇っている。明治37(1,904)年に、千葉県に導入されて以来、100年を超える栽培の歴史がある。主に 台湾、香港へ、中秋節(お月見)の贈答用として需要があり、鳥取県に近い神戸港から輸出されている。

 アメリカなどを含める海外への輸出は、その出荷量の約4%に過ぎない。それでも、日本から輸出されるナシの大半は二十世紀であり、二十世紀の最大産地の鳥取県に近い神戸港が、長年日本一のナシの輸出港となっている。
 平成25年度実績で、鳥取県の二十世紀梨の生産量は、9,189t、第2位の長野県は、2,813t、3位の山口県は、1,208tで、島根県の占有率は、53.4%に及ぶ。


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 4)日本のナシ亜科の自生種
 日本の自生種としては、ヤマナシ(ニホンナシ)・イワテヤマナシ・アオナシ・マメナシがある。いずれも自生地が限られているため、開発により個体数は激減している。

 『かわせみだ』子供らの蟹は頸をすくめて云いました。
 お父さんの蟹は、遠めがねのような両方の眼をあらん限り延ばして、よくよく見てから云いました。
 『そうじゃない、あれはやまなしだ、流れて行くぞ、ついて行って見よう、ああいい匂においだな』
 なるほど、そこらの月あかりの水の中は、やまなしのいい匂いでいっぱいでした。
 三疋はぼかぼか流れて行くやまなしのあとを追いました。

 宮沢賢治の童話「やまなし」でも有名なイワテヤマナシは、萼片が残り芳香性がある、3cmほどの小さな黄褐色の果実を持ち、東北地方北部、特に岩手県にある北上山地の最高峰、標高1,917mの早池峰山(はやちねさん)以北に分布し、30種類を超える地方名と在来種がある。それだけ、日本に自生するナシ亜科同士の交雑による変種が当たり前のように生じているようだ。
 イワテヤマナシは、高い遺伝的多様性を持つため、イワテヤマナシとヤマナシの栽培品種との類縁関係をDNA分析すると、ヤマナシとの交雑種が多く含まれている可能性が高いと言う。2007年8月、環境省は、イワテヤマナシ(ミチノクナシ)を、レッドリストの絶滅危惧TA(CR)類に指定した。
 平凡社「日本の野生植物 木本T」によれば、果実に萼裂片が残存するか否かにより、イワテヤマナシとヤマナシが識別されるとする。またイワテヤマナシとヤマナシは、生育地の違いのほか、葉の形状や果実の色目や皮目の数などの違いがあるという。イワテヤマナシとヤマナシの決定的な違いは、イワテヤマナシの果実の方が、かなり豊かに香ると言う。通常、大量に落果する時季、あたり一面に芳香が漂い、持ち帰えれば、部屋は香りにつつまれる一方、ヤマナシの方はほとんど香りがしないようだ。果実は、どちらも酸味、渋みがあり、生食するには通常抵抗があるようだが、果実酒すると、独特の風味と味わいがある。
 その果実は直径3〜9cm以上と、自然種としては大きく毒性はない。宮沢賢治の童話『やまなし』の最後の方にお父さん蟹が言う。
 「待て待て、もう二日ばかり待つとね、こいつは下へ沈んで来る、それからひとりでにおいしいお酒ができるから、さあ、もう帰って寝ねよう、おいで」
 発酵酒と果物を焼酎に漬け込んで作る果実酒とはまったく別のものだ。例えば、ブドウは中央アジア原産の乾燥性の植物で、その果汁を飲用しているうちに、保存過程で自然発酵によりブドウ酒が生まれたと考えられている。1万年位前からメソポタミアあたりでブドウ酒作りが始まったようだ。
 ヤマナシの豊富な果実の収穫物を、常に飢えに直面する古代人が、酸味や渋みだけで、単純に忌避したとは考えにくい。

 車山高原のヤマナシは、5月中旬には、ズミに先立ち、四方に広がる枝に密に開花する。葉も卵形か楕円状の卵形で、1つ2つと分かれる形状の葉などが混ざり不揃いである。第三駐車場の入り口に、堂々と懸崖仕立て聳える。果実酒にする「ズク」もなく、3cmほどの比較的大き黄褐色の果実は、使うすべがないため拾う人もなく汚く散乱する。

 アオナシPyrus ussuriensis var. hondoensisは、富士山麓を中心に八ヶ岳周辺部の長野県や山梨県に分布し、果実は秋に熟しても黄緑色で、考古学的調査により古代の栽培種も検出されている。
 海外では、朝鮮半島や中国の東北部にも分布する。属名の Pyrusはナシ属 、バラ科の植物分類項目の一つ。種小名の ussuriensis は「ウスリー地方産の」という意味で、変種名の hondoensis は「本州産の」という意味である。アオナシの生態が、学名に端的に表現されている。
 エゾノコリンゴの葉よりやや小さく鋸歯は芒状にはならない。樹高は5〜10mで、見事な高木になる。
 アオナシは、同じ場所に生育する他の植物よりも、果実が成熟して落葉する時期が1ヶ月程度早く9月上中旬となる。
 アオナ シの分布は、長野・山梨県のほぼ全域に加えて、群馬県西部・神奈川県西部・静岡県東部・岐阜県北部にも及んでいる。
 ところが、近年、その多くの地域では、植物分類学研究機関の「さく葉標本」や植物誌に、取り上げられず、絶滅したか、個体数の希少化により発見が困難になっている。日本に自生するアオナシは、希にはなっているが、果樹としてのナシには、アオナシとヤマナシが交雑した種が多い。
 現在でも多くのアオナシが残存する八ヶ岳周辺部および関東山地西部や、富士山周辺において、近年、再発見されている。その一方、長野県軽井沢町では、植物誌による近年の報告はなく、絶滅したか、個体数が激減したようだ。
 
 バラ科ナナカマド属のアズキナシ(別名ハカリノメ )と、バラ科リンゴ属のコナシ(別名ズミ)は、私のような素人でも識別はできる。難しいのは、バラ科ナシ属のアオナシ・ヤマナシ・マメナシ(別名イヌナシ)三種類の見分け方である。
 イワテヤマナシは東北地方だけに自生する種、マメナシは、伊勢湾周辺だけに生育する種と地域で限定できるが、ヤマナシとアオナシは交雑するため極めて識別は困難である。ただ、県営八ヶ岳牧場天女山分場や野辺山高原のナシの大木は「アオナシ」と言う。
 長野県上田市菅平高原に自生するアオナシは、大きな岩の間に生え、成長とともに岩を割り広げ、かなりの大木となっている。上田市指定の天然記念物である。目通り周囲1.6m、樹高は約10mで、地上2mのところで数本の枝が四方に伸び、枝張りは約8mに及ぶ、周囲を遮るものがなく、自然の樹形を保って繁茂している。花期は6月で、7月〜8月には直径2cmくらいの果実を多数つける。
 富士山周辺におけるアオナシが、三ツ峠山山頂(山梨県都留市西桂町、富士河口湖町の境界にある標高1,785mの山)付近と山中湖別荘地において、計3個体と僅かであるが自生個体が発見されている。これらの個体は、葉身の裏面に赤褐色の毛を密生させる点で、八ヶ岳周辺の主に沢沿い自生するアオナシとはかなり異なっていた。それぞれが隔離分布し、その環境に適応して分化し自生地で交雑した結果、独自の形質を持った、と見られている。
 八ヶ岳周辺のアオナシは、ミズナラ林が開発され二次林化した疎林内や、別荘地やリゾート地として部分的に開発された場所などで確認される。川筋や平坦地の池周辺など、やや湿性の立地に見かけられることが多い。
 野辺山高原に唯一遺された自然林である筑波大学八ヶ岳演習林内においてズミ林が発達し、降雨時には流水路となるような周囲より僅かに低い地帯などに、多くのアオナシの自生個体を見ることができる。また東信地域では、社寺境内ないし周辺にある植栽と思われる個体が目立つ。これらの個体は、野生個体よりも遙かに大きく樹齢も長いと推測される。
 アオナシの自生地は、一般 に高標高地にあり、イワテヤマナシとは異なり、かつて果樹として栽培が行われていたとは思えない地域である。それなのに古くから植栽されていったようだ。ヤマナシの変種の系譜にあるのではないか。
 葉は長さ5〜8cmの幅の広い卵形で、互生する。果実は直径2〜4cmで、ヤマナシほどには固くないが、酸味や渋みが強いので果実酒にはなる。萼片が実に残る。
 開花時期は、4〜5月であるが、ズミより一週間ほど早い。葉の展開と同時に花を咲かせる。枝先に散形花序を出し、花径3cmほどのバラ科に共通する5弁の白い花を4、5輪、疎らに付ける。花びらの形は丸い。萼や花柄には軟らかい毛が密生する。花は開平するから、20本くらいある雄しべが飛び出し、葯は赤紫色のため極めて印象的である。

 マメナシ(イヌナシ)の果実は1cm 程と小さく、苦くて食べられない。秋〜冬に黄褐色に熟し、翌年の花期まで残っていることもある。
 果実は、たくさん落ちるが、発芽して成長するのは僅かである。葉も小さく長さ4〜9cm、縁は鈍鋸歯であり、縁と葉柄が赤いことが多い。花は、直径約2.5pの白色の五弁花で、通常、円形で、雄しべは約20個で広がる。花柱は2〜3本で、ある。花柱が5本のヤマナシと大分異なる。バラ科であるためか、幼木には棘がある。灰紫黒色の幹には皮目があり、太くなると縦に割れ目が入る。
 愛知県・岐阜県・三重県の東海3県に僅か350 株が自生地がしているほか、朝鮮半島・中国中南部・ベトナム北部に分布する。愛知県小牧市の天然記念物マメナシは、4月上旬頃、純白の花を咲かせる。
 愛知県で自生種と確認されているものは、尾張地域にわずかに残っているだけであり、愛知県の絶滅危惧TA類に指定されている。
 マメナシは実生で発芽するので栽培することができる。しかし、3県80ヵ所350株、しかも他家受粉でありながら、単独で生育し、実も渋いため野鳥にも好まれず、自然の環境では実生による発芽が期待されにくい。マメナシは、沼や池などの水辺に自生しているため、発芽には水分が必要なようだ。それ以上の詳しいことはよく分かっていない。
 
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