質量とエネルギー 相対性理論(宇宙論) |
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1)絶対座標 アイザック・ニュートン(Isac Newton(1642年~1727年)は、太陽系の星々は、皆、整然とした物理法則で運行していることから、誰か、人間の視点を超えた第三者が、すべての物理現象を総合的に管理していると考えた。なぜなら物理現象が、万物に及んでいるからであるとした。 これは人間の視点を超えた第三者が、あらゆる相対座標系、慣性系を独自の観点から視ているからだと考えた。 それが、『絶対座標(神の座標)』『絶対空間』『絶対時間』という概念であった。ニュートンは、宇宙に完全に静止している絶対座標、つまりX,Y,Zの三次元の軸が存在すると考えた。 絶対座標は、あらゆる物体の運動を考える時の基準となり、絶対座標から見た物体の速さこそ、物体の「真の速度」と考えた。つまり、当時は、絶対座標に対してとどまっている人だけが、光の速度が秒速30万kmに見え、それ以外の絶対座標から動いている人には、秒速30万kmより速くなったり、遅くなったりして見えると考えた。 絶対座標と対になる『絶対時間』とは、他の何ものにも影響されずに、独立して継続的に、一様に流れて行く時間であり、宇宙にいたるところで同じテンポで流れる時間を言う。 『絶対空間』とは、他の何ものにも影響されずに、「不動なるもの」を中心にして独立して存在している空間である。『絶対空間』『絶対時間』の座標は、互いに直交する x 軸・y 軸・z 軸の3軸から構成される直交座標がもとになっており、3次元で格子状になっており、すべての点(全宇宙)で同じ時を刻む 。 しかも、この概念がなければ、「不動点(原点O)を中心とした真の運動形式」が扱えなくなる。また、全宇宙で一様に、均等に流れる絶対時間がなければ、時間が早く流れる場所と、遅く流れる場所とで、同じ運動の時間でも前後してしまうことになる。それでは、重要な宇宙の法則、因果関係が壊れてしまう、と言う。 少なくとも、地球は自転したり公転したりしている。アインシュタインは、地球には固定した絶対座標は存在しない、つまり、宇宙には「絶対に静止している場所はない」、ならば絶対時間も存在しない、無数の人間の視点によるそれぞれの座標系がある、と説く。 アインシュタインの光速度不変の原理「真空中の光速は、光を発する光源の運動の速さや、観測者の運動状態と無関係に常に一定である。光速に近い速さで飛ぶ宇宙船から見ても、宇宙を漂う人から見ても、公転する地球から見ても光速は秒速約29万9792kmであり続ける」と、それまで常識と考えられていた「ニュートン力学」とは、かけ離れた物理学を構築して見せた。 光速度不変の原理は、光だけに当てはまるのではない。光は質量をもたない。質量がゼロであれば、自然界の最高速度の光速で進むことができる。理論的に存在が予測される重力を伝える重力子も、質量を持たないため宇宙を自然界の最高速度で進むとみる。 アイザック・ニュートンは、『自然哲学の数学的諸原理Philosophiae naturalis principia mathematica』で、1687年、この自然哲学の数学的原則で、ガリレオの力学とケプラーの惑星天文学を組み合わせた慣性物理学を提示した。ここでニュートンは、運動の第1法則(慣性の法則)・第2法則(ニュートンの運動方程式)・第3法則(作用・反作用の法則)の3つの運動の法則だけでなく、普遍的な重力の法則を発表した。宇宙の任意の2つの物質は、その質量に比例し、距離の2乗に反比例する力でお互いに引き付け合うと説く。 また、重力がどのように働くかを明らかにした。それを数式で表した。F=G×M1M2/r2、この数式にあるG(重力gravityの頭文字)が、「万有引力定数」と呼ばれ、天文定数系ではG=6.67428×10-11 m3kg-1s-2という値を採用している。その値は、比例定数として定義され、普遍定数の1つに数えられている。それはまた、ケプラーの法則を、惑星の運動にあてはめることで導かれた。ドイツの天文学者ヨハネス・ケプラーJohannes Kepler(1571年-1630年)の大きな功績は、その数学的なモデルを構築し提示するという方法が、ガリレオ・ガリレイやアイザック・ニュートンを経て古典物理学の体系化に繋がったことにある。 「重さ」は、あくまで重力を受けて物体が下向き(地球の中心の方向)に受ける力を計測した値で、SI単位系(国際単位系;SI はフランス語の「Système International d'unités」に由来)では、力は「N(ニュートン)」という単位で表さなければならない。 この万有引力は、惑星と太陽との間で働くだけでなく、宇宙空間にある万物の間で働くため「万有引力の法則」と呼ばれた。因みに大文字の G は「万有引力定数」で、小文字の g は「重力加速度」を意味する。地表近傍では、地球からの引力は F = mg (Fは質点にかかる力,m は質点の質量,g は質点の加速度)と書ける。この場合g が、その地点における重力加速度である。g = 9.80665ms−2(メートル毎秒毎秒;国際単位系 SIにおける加速度の単位)と決定されている。 (力は 単位質量【1 kg】の質量を持つ物体に、決まった加速度【1 m s−2】を生じさせる力を単位とするので kg m s−2 【キログラム メートル 毎秒 毎秒】 が単位となる。国際単位系 SIにおける加速度の単位ではN【ニュートン】が使われる) 1798 年、イギリスの物理学者ヘンリー・キャヴェンディッシュHenry Cavendish(1731年–1810年)が、ねじり天秤を用いた「地球の密度」を測定する実験により、本人の死後、結果的にその値から「万有引力定数」が導き出された。その実験では、ワイヤーで吊り下げられた 約1.8mの天秤棒に、質量 0.730 kg の鉛の小鉛球が天秤棒の両端に取り付けられた。 その小鉛球の近くに、2つの直径304.80 mm、質量 3157.850 kgの大鉛球が独立した吊り下げられる構造であった。この実験で「地球の密度」が水の密度の 5.448 ± 0.033 倍であることが測定された。 このねじり天秤の原理は、小鉛球と大鉛球の間に働く相互作用としての微小な引力を測定するものでもあった。当時としてはかなり精度の高かった。この実験により、地球密度ばかりか、「万有引力定数」の測定における主要な技術となり、今日でも殆どの「万有引力定数」の精度を高める実験においても、基本的に同じ原理が働く装置が使用されている。 北極点と南極点の角運動は0になることはないが、遠心力は 0 に限りなく近付く。赤道では自転の回転速度により遠心力は最大になる。厳密には万有引力と遠心力のベクトル和が重力となるため、万有引力と重力は違うものと言える。ただ、遠心力は万有引力に比べて極めて小さい。また厳密に言うと、地球は南北に扁平な楕円であるため、重力は赤道付近では、極点よりわずかに小さくなっている。 ニュートンは、地球のみならず宇宙でも、重力は変わりなく作用することを知悉していた。重力と呼ばれる同じ力で、地球では物体を落下させ、宇宙では惑星や衛星をそれぞれの軌道に繋ぎとめるている。 宇宙は、無数の星々が散らばる限りなく広大で、しかも、その真空の空間には、中心も外縁も存在しない。宇宙空間の物体は、他の物体が生み出す力に妨げられて進路を変えることがあっても、本質的に常に真っ直ぐ進んで行く。ニュートンは、アリストテレスの哲学に基づく世界観が根底から覆させた。実はキリスト教徒であっても、地球は丸く、しかも宇宙の中心にあるとする世界観は、古代ギリシア時代から中世の知識階級にいたるまでほぼ共有されていた。 紀元前の古代ギリシアの哲学者アリストテレスたちは、地球が宇宙の中心ではなく、太陽のまわりを回っている1つの天体に過ぎないと鋭く洞察していた。 西洋の中世では、大聖堂や修道院の付属学校(スコラ)で研究教授されたスコラ哲学が隆盛し、聖書に示されている神によって作られた宇宙を前提にした教義が体系化されていた。 それは、ローマ帝国時代の2世紀頃、エジプトのアレキサンドリアを拠点にした天文・地理学者プトレマイオスが、当時の天文学を集大成し、地球を中心とした太陽・月・惑星の運行を体系づけた宇宙観で、それが「天動説」としてローマ教会公認の宇宙観として継承された。プトレマイオスの天動説は、1500年にわたって人類の宇宙観を支配する不動の定説となった。 「アルマゲストAlmagest」は、プトレマイオスの天文学の体系をイスラム世界が継承し、『天文学大全(アルマゲスト)』と呼んだ。アルマゲストとは「大著述」と言う意味もあり、アラビア人がプトレマイオスを尊敬していたところから表れた書名である。9世紀頃アラビア語に翻訳され、830年、アッバース朝の第7代カリフ・マアムーンがバグダードに設立した図書館「知恵の館」に併設されたバグダード天文台で権威書となり、12世紀ラテン語に転訳され西欧に伝播された。それが16世紀まで天動説的宇宙論の典拠となった。地動説が唱えられた後も17世紀頃まで、依然として命脈を保った。 アレクサンドロス3世(大王、在位:BC336年-BC323年)によって、BC332年に建設された古代の大都市アレクサンドリアは、プトレマイオス朝の2世フィラデルフォスPhiladelphos(在位BC285~BC246年)から3世エウエルゲテスEuergetes(在位BC246~BC221年)の時代に絶頂期を迎える。その国力を背景として、「ムセイオン(博物館)」に付属するアレクサンドリア図書館の蔵書数も増大し、最終的には数十万巻にも及ぶパピルスが収集されていた。その結果、多くの重要な古代ギリシアの文学作品がここに集められて校訂され、辛うじてそのギリシア哲学の命脈を保った。ギリシア化の過程で、ヘブライ語の聖書がギリシア語に翻訳された。 古代アレクサンドリア図書館は、古代ギリシア最大の伝記作家プルタルコスPlutarchos(AD46年頃~AD120年頃)が、BC48年、カエサルのアレクサンドリア戦役に際して起こったアレクサンドリア大火で「ムセイオン」と同時に焼失したと伝えている。 初代プトレマイオス1世(在位:BC305-BC282年)は、若い頃はアレクサンドロスとともにアリストテレスに師事した。BC305年からエジプト王と称し、プトレマイオス朝を創始した。彼は文人でもあり、アテネなどから学者を招いて「ムセイオン」を建設し、さらに大図書館を設けて、エジプト特産のパピルス紙に多くの文献を書写させていた。一部の蔵書は後世に伝えられたものの、アレクサンドリア図書館の歴史的使命の多くが阻害された。 (プトレマイオス朝エジプトは、BC48年に、先代のプトレマイオス12世の子であるクレオパトラ7世とプトレマイオス13世の姉弟間で内紛があり、プトレマイオス13世派の攻撃によるナイルの戦いで、執政官カエサル麾下のローマ軍はプトレマイオス13世派を打ち破った。クレオパトラはローマのカエサルと結んで女王の地位に返り咲いた。その時の戦火のためムセイオンとアレクサンドリア図書館が焼亡したと言われている) 3~5世紀になると、キリスト教神学の一派アレクサンドリア学派の神学者たちが活動していた。 641年、ウマイヤ朝初代カリフ、ムアーウィヤの盟友アムル・イブン・アル=アースがアレクサンドリアを攻略し、やがて東ローマ帝国軍はエジプトから撤退した。そのアラブ時代当初は東ローマ帝国から切り離されたため、経済的に沈滞したが、有能な学者の多くは、イスラム世界に逃げ込み、古代ギリシアからヘレニズムの科学や哲学などの伝統が、イスラム世界に本格的に移植・紹介され、独自の発展をたどることになる。アレクサンドリアは、学芸の都として復活し始めた。古代ギリシア・ローマ文明にイスラム文明が加わりアラビア科学揺籃の地の1つに成長した。 アッバース朝第5代カリフ、ハールーン=アッラシード(在位786~809年)は、エジプトのアレクサンドリアのムセイオンMuseionの大図書館に蔵書されていたアレクサンドリア図書館に伝えられていたギリシア語文献を中心とする資料をバグダードに移し、「知恵の宝庫」と名づけた図書館を建設した。ササン朝の宮廷図書館のシステムを引き継いだもので、諸文明の翻訳の場となった。中心的な活動は、ギリシア語の学術文献をアラビア語に翻訳することであった。 ハールーン=アッラシードは文芸や芸術を好み、多くの芸術家を保護し、バグダードに繁栄をもたらした。「知恵の宝庫」では、アレクサンドリアのムセイオンに伝えられていたギリシア語文献を、アラビア語に翻訳する学術センターとして機能したが、この施設は、その子マームーンに継承され、830年ごろに建設された「知恵の館」に継承された。この時代が、イスラム文明が最も栄えていた時代と言える。 「知恵の館」での主な活動は、諸文明の文献の翻訳であった。ギリシア語の学術文献の、アラビア語への翻訳では、古代ギリシアの自然科学や哲学が、しばしばシリア語を経てアラビア語に翻訳され、さらにアラビア語からヘブライ語やラテン語に翻訳され地中海を巡った。医学書・天文学・数学に関するヒポクラテスやガレノスなどの文献から、哲学関係の文献はプラトンやアリストテレスとその注釈書など、膨大な書物が大々的に翻訳された。また、使節団を東ローマ帝国に派遣して文献を集めたこともあった。ヨーロッパでも12世紀のルネサンスに至る大翻訳時代が到来した。 プトレマイオスは、127年から141年にアレクサンドリアで天体観測をしていたという事以外、個人の事績殆どが知られない。ただ主著「アルマゲスト」は地球を中心に体系化されているが、精緻な天文理論として、コペルニクス時代まで、古代・ビザンティン・イスラム・中世ヨーロッパの天文学の教科書的な地位を占めていた。 しかし、12世紀の西ヨーロッパ世界において、それまでのキリスト教とゲルマン文化の結びついた中世文化が大きく変化し発展し、14世紀のルネサンスの先駆となった。その契機となったのが、十字軍運動によってビザンツやイスラムの文化に接したことにあった。イスラムを経由してギリシアの文化や哲学の古典が、イスラム教徒が多く暮らしていたイベリア半島のトレドとシチリア島のパレルモを介して、ヨーロッパにもっとも多く流入した。このイスラム文化を介在してギリシア語文献が知られるようになったことを契機に、新たな動きが生じた。 目次へ |
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2)物理学のルネッサンス 封建制が確立したこともあって、10~11世紀にかけて、三圃式農業(中世にヨーロッパで普及し、農地を春耕地・秋耕地・休耕地に区分しローテーションを組んで耕作する輪作農法。資本主義的農業経営の発展とともに崩壊した)が中世ヨーロッパで普及し、農地の地力低下を防ぐため、耕地を三分割し、一つは春耕地(春蒔き・夏畑・秋収穫)として豆・燕麦(エンバク;オート麦)・大麦などを、一つは秋耕地(秋蒔き・冬畑・春収穫)として小麦・ライ麦などを栽培し、一つを休耕地とした。それを年ごとに替えた。休耕地は農民の家畜の共同放牧に活用し、その排泄物を肥料として土地の生産性を向上させた。 また、大麦・燕麦などは家畜の飼料としても栽培され、家畜の飼育頭数を飛躍的に増大させた。かつては冬に飼料がないため、冬を越すために家畜を屠殺して冬を乗り切っていた。この三圃式農業の導入によって冬でも飼料を家畜に回すことはできるようになった。 燕麦は、ローマ人は馬の飼料用にしか使用していなかった。一方ローマの北方に居住していたゲルマン人はエンバクを栽培し、人間の食用としていた。中央ヨーロッパでは、約 5,000 年前に広く作物として利用した。 それにより人口が増加し、耕地や共同牧場の管理が重視され、農村の村落共同体の形成を促した。三圃制農業はアルプス以北で普及したが、特にイギリスで発展した。 人工的な肥料を用いることなく地味を肥やし、有輪重量犂の普及や水車の改良などの農業技術の進歩も重なり生産性は著しく向上した。それは西ヨーロッパの人口を更に増加させ、余剰生産物の商品化による貨幣経済が復活し、農民の自立と荘園への貨幣地代の導入を促し、荘園制とそれを支えていた農奴制が崩壊していった。 商業の復活と都市の勃興は、知識人の層を厚くし、やがて西ヨーロッパの中世の様相を変容させ、農村部における手工業生産の拡大という社会現象が起こり、近世に移行していくこととなった。その後のイギリスの産業革命は、1760年代から1830年代までという比較的長い期間にわたって漸進的に進行していった。 14~16世紀のルネサンスは、大航海とともに新しい理念や知見を人々にもたらしたが、そのような時代に登場したのがポーランド人のコペルニクス(1473-1543年)であった。彼は聖職者でありながら天体観測を続け、1543年に『天体の運行について』という主著を刊行した。彼はその書で、太陽は宇宙の中心にあって動かず、地球が太陽の廻りを年に1度の周期で回転し、さらに1日に1回、自転を行っていると、地動説を唱えた。 ドイツの天文学者ヨハネス・ケプラーJohannes Kepler(1571年-1630年)やガリレオ・ガリレイGalileo Galilei(1564年-1642年)は、地球を含む惑星が太陽の周りを回っていることを余すところ無く明らかにし、教会の傲慢な否定にもかかわらず、合理的な世界観として一般に受け入れられるようになった。彼らの数学的なモデルを提示するという方法は、アイザック・ニュートンを経て古典物理学を、観察や実験に基づく実証科学を積み重ねて体系化された。 ニュートン(1642-1727年)は、実験と微積分法による軌道計算など数学的理論化をすすめ、1687年にその学説を公表した。このニュートン力学は「万有引力の法則」として知られ、惑星運動も太陽の引力によるものとして説明され、これが最終的に地動説は疑いのない真理とされるに至った。 1717年、ケンブリッジ大学の神学欽定教授に任命されたリチャード・ベントレーRichard Bentley (1662年-1742年)は、自然神学と新しい物理学に興味があり、ニュートンと書簡を交わしていた。その質問に詳しく答へたニュートンは、 「生命を持たない物体が、物質以外の何らかの媒介を抜きにして、別の物体に作用したり、相互接触もなく相手に影響を及ぼしたりする事など、とても信じられない」 、「重力とは、物質に本来備わっている、物質を物質たらしめている本質である。重力があるからこそ、物体は他のいかなる媒介物に頼ることなく、虚空を越えて物体に作用することができる… 私が思うには、物理について考える能力がいささかでもあれば、このような妄言は決して受け入れないであろう。重力がある法則に準じた動力因によって作動していることは確かです。しかし、私はその動力因が物質なのか非物質なのかは読者の考察に委ねることにしました」 ニュートンの力学と万有引力の法則は、その後も極めて有効に機能し、しかも科学史に類い稀な有益な成果を上げ続けてきた。それでも自分が構築した理論の根拠となる重力の背後に潜む“決定的な因子”を発見できないでいた。 科学史上最高の実験家、イギリスのマイケル・ファラデーMichael Faraday(1791年-1867年)は、離れている物体の相互間で直接的な力が作用しているとニュートンが説くが、空間のいたる所に何らかの「実体」が存在し、その「実体」が電気や磁気を帯びた物体から影響され、その「実体」が同時に電気や磁気を帯びた物体に影響を及ぼしていると、その「相関関係」を示した。この「実体」こそが、今日で言う「場」である。 ファラデーの「場の理論」の登場によって、離れた物体間で相互作用として働く力の実態が明らかになってきた。そのファラデーの解答は、時間の流れとともに空間を移動する粒子だけが、空間を構成しているのではなく、そこに「力線」が存在する「場」が重要な役割を果たしていると説く。 やがてアインシュタインは、ファラデーの「場」の理論をニュートンの重力に応用することになる。 ファラデーは、「場」には、限りなく細い線の束のようなものが、空間を巨大な蜘蛛の巣のように張り巡らされていると想定していた。ファラデーは、それを「力線」と呼んだ。この線こそが電気の力や磁気の力を生み出していると考えた。 電気を帯びた物体は、自身の周りに広がる電場や磁場をゆがめると同時に「場」は力を生み出し、電気や磁気を帯びっている近くの物体に力を加える。「場」は、その中にある「物体」と相互作用を与え合っている。2つの物体が離れた場所にあって、そのいずれもが電気や磁気を帯びていれば、それぞれの間にある力線が媒介して「力」を伝え合っていく。2つの物体自体が、直接、引力や斥力を働かせるのではない。 ファラデーは、懐疑と熟慮の末、時間の流れとともに空間を移動する粒子だけが世界を構成しているわけではないとして、新たな実体の発見となる「場」の存在をためらいとともに提示した。 電気と磁気によって動力が得られるのではないかと考えたファラデーは、1821年に「電磁回転装置」を作り上げた。電流によって生じた磁場と磁石の磁場が反発することで針金と磁石がくるくる回る。これにより、電気エネルギーを動力に変換し「世界ではじめての電動機」を完成させた。 その後ファラデーは、電気を流すことで磁気を発生させられるのなら、逆に磁気を発生させることで電気を生むことができるのではないかと考えた。ファラデーは、試行錯誤の末、U字型磁石のN極とS極の間で、鉄の輪にコイルを巻きつけたものを用意し、その円盤を回転させる装置を作った。鉄の輪に磁気を発生させることで、コイルに電気が流れることを確認、その円盤に磁気の影響を継続的に与えることで、電流が流れることが分かった。この装置により動力から電力を生み出し、継続的に電気を供給できる「発電機」の原形が誕生した。これが、1831年に導き出された「ファラデーの電磁誘導の法則」であった。その1831年の翌年に、早くもフランスのピクシの手回し式発電機が発明された。 電気は、現在でもファラデーの発見した電磁誘導の法則によって作られている。火力や水力、風力などを使って磁石を回転させることで、電流を発生させている。 科学史上、最も影響を及ぼした科学者の1人とされるファラデーが、「科学の根幹にかかわる問題と相対した時」、2世紀にわたり必須条件であったニュートン力学の世界が修正されることに気が付いていた。 目次へ |
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3)現代物理学への道筋 イギリス・スコットランドの理論物理学者マックスウェルJames Clerk Maxwell(1831年-1879年) は、マイケル・ファラデーの電気と磁気の活用と、その基礎になる理論には、黄金が潜んでいることを直ち悟った。ファラデーの着想による電磁場理論をもとに、1864年、電場と磁場による考え方を推し進めて、電荷や電荷の動きを与えると生じる、周りの電場と磁場の状態を予言できるマクスウェルの方程式を導いて古典電磁気学を確立させた。 マックスウェルは、風のそよぎを受けてさざなむ湖面のような「ファラデー力線」は、蜘蛛の巣のように張り巡らされた光の素早い振動である、と説く。「見る」とは光の知覚であれば、振動する「ファラデー力線」の正体の動きを見ていることになる。さらに電磁波の存在を理論的に予想した。その伝播速度が光の速度と同じであること、それが進行方向に、湖面のさざ波のように垂直な波の変化として伝わってゆく現象、横波であることを示した。 ガウスの法則により電磁波が横波でなければならないことが導かれていた。ドイツの数学者・天文物理学者カール・フリードリヒ・ガウスが1835年に発見し、1867年に発表した電荷と電場の関係をあらわす方程式で明らかにしていた。 電荷とは、「物体が帯電していること」または「物体に帯電した電気の量」を表す。電荷がもつ電気の量を、「電気量」と言う。そのため電荷と電気量を、同じ意味で使われることがある。単位はクーロン【C】を用いる。しかし、「帯電した物体」そのものを示すことではない。 原子は、正の電気を持つ原子核と、負の電気を持つ電子からなる。そのため、原子は通常、電気を帯びる。しかし、原子が電子を放出したり取り込んだりすると、電子に過不足が生じる。その際、電子の過不足を補おうとする力が働き、正や負の電気に帯電しようとする。電子が足りなければ正(+)に、余れば負(-)に帯電する。この2つの電荷の間には静電気力が働く。これは、電子の過不足を補おうとする電荷同士が、お互いに引き合ったり、反発したりするためである。 磁石のN極とS極のように、違う極同士では引き合い、同じ極同士では反発し合うとように、この電気のプラスとマイナスが、静電気力で、静電気力は、クーロン力とも呼ばれる。この電気を帯びた帯電体は、周りの空間の上下左右、どこであっても、静電気力を及ぼす。 電荷は周りに静電気力を発して、他の電荷が近づくと影響が及ぶ範囲、つまり電場を作る。電場は「ベクトル場」と呼ばれる。ベクトル場では、空間のすべての点がベクトルを持っている。電場の力は、空間内で様々な方向を向いていることが予想される。そこで、電場を表現するために、ベクトルの示す方向をつなぎ合わせ、仮想的な線にする。これが電気力線である。 電気力線は、実体としてこの世に存在するのではなく、他の物理現象を合理的に説明するために、存在を仮想して使われている。ある点での電気力線の密度は、正の電荷から出て負の電荷に向かう 、その領域での電場の強さに比例している。 ガウスの法則は、電気量と電気力線の数の関係を示し、「任意の閉曲面の中の電気力線の本数は、その閉曲面内の電荷量に比例する」という法則である。 ガウスの公式が、マクスウェルの方程式の1つとして整えられた。これが、光の正体が電磁波であることの有力な証拠ともなった。 電場と磁場の相互関係を集大成する「マックスウェル方程式」は、「ファラデー力線」の数学版と言え、無線通信や衛星通信の基本原理となっている。アンテナ・カーナビ・電気モーター・コンピュータなどで日常的に使用されている電磁波に関わるあらゆる事象を説明する方程式である。そもそも電磁波という概念は、マックスウェル方程式から導かれた。電磁波は、テレビや携帯電話、電子レンジなど様々に利用されている。 重力(重力は、重力子の交換によって伝わる。重力子は質量を持たないので無限の遠方まで届く)とその他のわずかな例外を除き、 やがて 「電子と原子核を結びつけて原子を作る電磁気力」 「分子に光を当てると分子の形が変わる。光を利用してナノ構造を形成したり、太陽電池を高性能化したり、新しい情報記録材料として応用される」 「太陽からは、可視光線ばかりか、赤外線や紫外線などの電磁波が放射され地球まで届く」 「光が物質に当たると、その一部分は物質中に入り込んで吸収され、熱エネルギーに変わる」など多くの日常的な事象を説明してくれほどにまで進化する。 何よりも、この方程式が「光が何か」と言う問いに初めて答えてくれた。 (電流が磁場を作り出す。逆に磁場が電流を作り出せる可能であることが分かったのは、1831年の、ファラデーとアメリカの物理学者ジョセフ・ヘンリーJoseph Henry【1797年-1878年】の2人が独自に電磁誘導を発見したことによる) 電磁波とは電界と磁界が互いに影響し合いながら空間を光と同じ速さで伝わっていく波のことを言う。 「マックスウェル方程式」の適切な記述は、原子を一つにまとめている電気の力や、光が分子を形成する(光合成など)など、あらゆる事象を説明してくれる。また光とは「ファラデー力線の揺らぎにほかならない」、しかも、振動する「ファラデー力線」の波が光の速度で移動することを示していた。 ファラデーとマックスウェルは、電気と磁気の仕組みを明らかにしたが、マックスウェルの微積分方程式の帰結として重要なのが、電磁波の予言であった。その理論において光も電磁波の一つであり、それまで別のものだと思われていた光の現象と電気の現象が融合された。「色」とは、光を形作る電磁波の波の振動数であり、瞳の受容体は、電磁波(可視光)の様々な振動数を検出して脳に伝えている。 マックスウェルは、「ファラデー力線」が可視光より低い振動数で振動していると予見した(振動数が高い方が、エネルギーも高い)。「電波」は電界と磁界が振動しながら空間を伝播する。「無線通信」と言う表現は、電波による通信のことを言う。例えば、スマートフォンによる電波より振動数が高い赤外線通信は、無線通信とは呼ばない。 自身の方程式を根拠にしたこの電磁波の実在は、数年後、ドイツの物理学者ハインリヒ・ヘルツの実験により示された。ヘルツは、マクスウェルの方程式を理論的に検証している。マクスウェルの方程式は、非常に難解で、研究者であっても理解しにくい高度な数学を使っていた。それをわかりやすく整理したのがヘルツであり、それもヘルツの功績に数えられている。 電磁波に関しては、まずマクスウェルの理論が先行し、ヘルツが実験装置を作りその存在を証明した。ヘルツが電磁波を発見するには、電磁波を発生させる装置が必要だ。1887年、ヘルツは、誘導コイルとアンテナを組み合わせた発信装置に非常に大きな電力を与え、強力な電磁波を発生させ、受信アンテナで生じた火花を自分の眼で観測した。このヘルツの実験のより、「目に見えない電磁波を初めて可視化した」。 そのアンテナを発明したことが大きな要因となった。当時、「ヘルツダイポール」や「ヘルツアンテナ」と呼ばれたアンテナを、ヘルツが考案した。その名称は現代でも使われている。無線通信システムの礎を築いた人はヘルツであると言っても過言ではない。ただ、あくまで「無線通信の父」とされるのは、無線通信装置を開発したイタリアの発明家グリエルモ・マルコーニであり、その功績もマルコーニのものであるとされている。それも、ヘルツが電磁波の存在を証明し、アンテナを発明したことで、マルコーニの功績に繋がった。ヘルツ以降、「電波」による無線通信が現代社会を革新させた。近年のスマートフォンやパソコンなど、無線通信が花開いたのは、ヘルツの電磁波の発見による功績が大きい。また、電磁波によって地球や宇宙の多くの謎が解明されてきた。工学の分野にとどまらず、天文学・理学・医学など、様々な分野で電磁波が活用されている。 ヘルツ自身には、電磁波が無線通信に役立つという発想はなかったようだ。当時はまだノーベル賞がなかった時代、1890年、イギリス王立協会より熱と光のすぐれた研究と称賛され「ランフォード・メダル」を与えられている。これはノーベル賞にも匹敵する権威ある賞であった。 原子(分子)は外部からエネルギーを吸収すると、下準位(低いエネルギー状態)から、上準位(高いエネルギー状態)に移る。この状態を励起状態と呼ぶ。 この励起状態は不安定な状態であるため、すぐに低いエネルギー状態に戻ろうとする。これを遷移と言う。 このときにエネルギー差に相当する光を放出radiateする。この現象を自然放射と言う。放射された光は、同じ様に励起状態にある他の原子に衝突して、同様の遷移を誘発する。ある振動数の光を大きな出力エネルギー状態にまで増幅ight amplificationし送り出すこと誘導放射と呼ぶ。 「レーザー装置」は、その放射光を増幅lして、その特性を変えることなく大きな出力エネルギーとして送り出す。そのレーザー光は指向性や収束性に優れており、殆ど広がることなくまっすぐに進む。そのため電磁波の波長を一定に保つため、レーザーは1つの色で出来ている。これを単色性と言う。 (レーザーlaserとは、“誘導放射Stimulated Emissionによる光の増幅Light Amplification”「Light Amplification by Stimulated Emission of Radiation」の各単語の頭文字をLASERの語源とした) 光と物質の相互作用は、量子情報処理や高精度測定だけでなく、癌の光線力学的治療(Photodynamic Therapy,PDT)では、レーザー照射による癌の増殖と浸潤を抑制し、さらに.癌細胞を減弱させたり死滅させる抗腫瘍効果が実証されている。YAG-OPO(光パラメトリック発振器)では、腫瘍内温度変化を経時的に計測し、患部のレーザー照射による治療が行なわれている。 目次へ |
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4)進化し続ける物理学 ニュートンが説く「絶対的な運動とは、ある物体が、ある絶対空間からある絶対空間へと移動する」と言う「絶対座標」が成立する静止した宇宙空間の存在を前提にする。 太陽は銀河系(天の川銀河Milky Way Galaxy)の中の2000億個の恒星の1つに過ぎない。太陽は銀河系を約2億年掛けて1周している。しかもその銀河系自体が回転し、更に銀河系の近く、地球から最も近い銀河と言っても250万光年も離れているアンドロメダ銀河があり、互いに重力で引き合う運動をしている。こうしている間にもお互いに接近しつつある。 2012年に、NASAのハッブル宇宙望遠鏡は、アンドロメダ銀河が39億年後に天の川銀河と衝突する軌道を辿っていることを発見した。これらの銀河たちも、ウミヘビ座の方向のグレートアトラクターGreat Attractor(巨大重力源)に向かって引っ張られている。銀河を引き寄せている巨大な高密度領域で、質量は太陽質量の5x1016倍と推定されている。この方角の可視光は、その銀河系の重力による強い吸収力によって曲げられ、銀河系の詳細な分布は調べることができない。 アインシュタインは、「宇宙の中には静止した場所はない。絶対座標を考えても意味がない」と断言している。 1864年、ジェームズ・クラーク・マクスウェルJames Clerk Maxwell(1831年- 1879年)は、これまでに解明された電気と磁場の関係を整理し「マクスウェルの4つの方程式」を著した。この理論と数式により電気と磁場の現象が統一的に解明され「古典電磁学」が完成した。 マクスウェルの理論は、単にこれまでの実験結果を説明するだけでなく、新たに「光の速度で伝わる電磁波」の存在を予言した。その理論の対象は電磁波、つまり光である。その速度は真空中であれば一定している。マクスウェルの方程式は、それを前提にしている。それがニュートン力学とは相容れないことになる。ニュートン方程式にとって重要なのは、速度ではなく加速度である。速度とは、常に何か別の存在の速さと比較した時の数値を前提にしている。 マックスウエル方程式が発表されてから20年も経っていない19世紀後半には、イタリアやロシア、そしてスウェーデンやなどの北欧諸国、さらにアジアでは唯一日本が産業革命を達成した。それまで世界最大の経済大国だった中国やインドは、イギリスとの戦闘で国家観を喪失したまま戦い敗れ、しかもその後も長きにわたり国家観のみならず、国家における工業化の重要性すら理解されていなかった。 イギリス産業革命がほぼ民間資本のみによって「下から」達成されたのに対し、これら後発諸国の多くは、政府が主導して工業の育成に取り組み、いわゆる「上からの」産業革命が推進されていた。そのため特に日本では、政治家や政商が主導するため利権政治が跋扈するようになった。 アルベルト・アインシュタインの父親は、イタリアで発電所の建設に従事していた。アルベルトは反抗的な少年だった。イタリアで暮らす両親は、息子をドイツの、日本でいう中高一貫校ギムナジウムGymnasiumに通わせていた。大学進学を前提とした9年制の中等教育機関であった。 父親は、優しいシンプルな言葉で、息子アルベルトに短い手紙で語りかけている。 「君がピアノを楽しんでいるようで、父さんはとてもうれしいよ。父さんは、君ぐらいの年の子はピアノと大工仕事を追求するのがいいと思っているんだ。それこそ、学校よりもね。それらは、君のような若い人にとても合っているから。 ピアノの先生から指定されなくても、自分が楽しいと思う曲を弾くといい。なぜなら、それがいちばん学べる方法だからね。楽しいことをしていると、時が過ぎるのも忘れてしまうだろう。父さんもときどき、仕事に没頭しすぎて、お昼ご飯を忘れてしまうことがある。」 と、慈愛に満ちた美しい言葉が並んでいる。 そのアルベルトの父が、イタリアで作ったタービンや変圧器は、マックスウエルの方程式に基づく設備であった。 その新生物理学の潮流は、アインシュタインの「相対論」を生み出し、依然として不確定性に悩まされながら、天文や医療などの分野で、幅広くしかも革新的に現在の応用技術として採用され、現代の量子力学の重なる新発見や実験が産業界を躍進させている。 シンクロトロン光Synchrotron radiationとは、電子が円周軌道をほぼ光の速さで走るときに放出される光を指し、赤外から可視光、さらに紫外からX線にわたる波長連続で、加えて強くて安定した電磁波である。シンクロトロン光は指向性や偏光性などの点で従来の光源にない優れた性質を持っている。 最近の技術進歩により、その建設費用がわずか20億円以下でありながら、大型シンクロトロン光発生装置と遜色ないエネルギースペクトルが得られる、シンクロトロン光発生装置が日本で開発された。そのためシンクロトロン光による研究が幅広く推進され、より活性化している。しかも立命館大学で、運転が開始されたことはこの計画を推進する上で、大きなインパクトを与えている。 小型電子蓄積リンクを光源とする世界で最小の施設でありながら、強力な放射光で、ナノ、バイオサイエンスなどの微細先端ツールとして、産業利用はもとより基礎研究と教育に積極的に活用している。 名古屋大学シンクロトロン研究センターは、放射光工学を中心とした研究と教育の拠点となり、日本における放射光工学を切り拓く先端大学となることを目標に掲げている。 「放射光照射による新粒子の開発」 「光電子分光や軟X線分光による電子構造や原子分子の結合状態の研究」 「タンパク質や生体などの複雑な有機物質のX線回折やX線顕微鏡による構造解析」 「医療量子工学と言える新しい分野の開拓から、人体の細胞や血液などに起こる異常を診断する技術を開発発展させる計画」 などシンクロトロン光源は、大学のキャンパス内に設置できる規模でありながら、エレクトロニクス、マイクロマシーン、新物質の創製など材料の開発や材料の解析に威力を発揮している。このような幅広いシンクロトロン光工学の発展のためには、工学部だけでなく、理学部・医学部・農学部など多分野の相互協力が不可欠となっている。 ここ10年の間に全国の拠点大学にシンクロトロン光発生装置が設置され、各大学独自のシンクロトロン光科学が推進されている。 佐賀県立九州シンクロトロン光研究センターSaga Light Sourceは、SPring-8 をはじめとする国内の既存施設が、国の研究機関や大学によって設置されているのに対し、地方自治体が独自に初めて施設を完成させた。これにより、シンクロトロン光の産業利用を高度化し、その応用研究の成果を、地域産業の創造と開発に生かすため、幅広い企業間の新たな相互研究を戦略的構想にしている。 新たな製品開発を誘発するため重要な研究であり、それが驚くべき成果に繋がる実績を重ね、更に想像を絶する巨大な設備投資となりながらも、それに見合う成果を発揮し我々の日常生活に貢献している。 目次へ |
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5)SPring-8 電子も光と同じように粒子と波の二重性がある。ほぼ光速まで加速化され直進する荷電粒子(電子や陽電子)が、その進行方向を磁場で曲げられる際に発生する電磁波を放射光synchrotron radiation(荷電粒子の加速装置による放射)と呼び、1947年に、高エネルギーの電子ビームを得る装置である電子加速器electron acceleratorで初めて観測された。放射光は光の偏光特性を自由に変えられるなどの優れた特徴を持っている。 (偏光polarizationとは、通常、360°にランダムに振動する普通光を特定の方向にのみ振動する電磁波にするため、一定の方向だけに振動する電磁波に揃える。 光線に垂直に、あらゆる方向に振動する光の横波を、偏光板を通すことで一方向のみに制限することができる) 電子のエネルギーが高いほど指向性が高い明るい光となり、また、電子のエネルギーが高く、進む方向の変化が大きいほど、放射されるX線などの短い波長の光を含むようになる。また光の偏光特性を自由に変えられるなどの優れた特徴を持っている。大型放射光施設SPring-8は、太陽の100億倍もの明るさに匹敵する「放射光」を使って、物質の原子や分子レベルで、形や機能を解析する研究施設である。従来のX線発生装置から得られる光の明るさに比べ、10億倍となっている。 SPring-8(Super Photon ring-8GeV)は、兵庫県佐用郡佐用町の播磨科学公園都市にある世界最高性能の放射光を生み出すことができる大型放射光施設で、直径約500m、周長1436 mと大きな円形設備である。世界最高性能の放射光を利用するため、毎年のべ1万6千人もの国内外の研究者が、この共同利用施設で、物質科学・地球科学・生命科学・環境科学・史料批判など幅広い分野で先駆的な研究成果を上げている。 (三角縁神獣鏡は、3~4世紀の古墳から多数出土する銅鏡である。かつて中国大陸での出土事例が無かったため、邪馬台国の女王卑弥呼の使者が魏の皇帝から下賜された「銅鏡百枚」に含まれることは明らかであっても、議論がほぼ100年にもわたって堂々めぐりしていた。 中国の神仙が描かれ、中国語の銘文【器物に記した文字】をもつので、三国時代の魏や呉で製作されたと考えられていたが、実証できないまま卑弥呼の時代における最大の謎となっている。 SPring-8の分析の結果、中国と日本の古代青銅鏡では、その製作時期・製作地域により微量成分に、それぞれ特性があることが判明した。三角縁神獣鏡、8面のうち舶載と考えられるものだけが、同時期に中国で流布した「魏晋鏡」とまったく同じ成分特性を示し、その他のものはそれが異なることが確認された。 微量成分の残存量は、青銅鏡原材料産地あるいは製造方法などにそれぞれ固有のものであるため、その三角縁神獣鏡原材料のSPring-8の解析によりの有力な手がかりが得られた。 1990年代以降、三角縁神獣鏡と同じ特徴を持つ鏡が、華北東部の渤海沿岸周辺の河北省や遼寧省、そして北京市周辺など、かつての魏の領域内から出土した。その「魏晋鏡」の銘文中に「銅出徐州」「吾作明鏡甚独奇」といった三角縁神獣鏡に特有の語句を含むものが確認された。静岡県磐田市の松林山古墳出土の三角縁神獣鏡の銘文は「吾作明鏡甚独奇、保子宜孫富無訾」とあった。) 電子は負の電荷をもっている。そのためその周りに電場が作られる。加速され高エネルギー化した電子が磁場で曲げられると、ある角度を持って放出されるその光は、蓄積された膨大なエネルギーが放射光に転換したものと考えられている。これが E= m×c2 膨大なエネルギーEは、質量mに転換できるのである。 電子の進行方向を変えるための磁場には、アンジュレータとウィグラーの2種類があり、それぞれ特徴ある放射光が得られる。 アンジュレータは、極性(S/N)の異なる多数の永久磁石を交互に並べた装置により、電子を何度も周期的に小さく蛇行させことにより、極めて明るいX 線レーザーを放射する装置である。アンジュレータ自体が、 SPring-8などの放射光施設であって、高輝度放射光を生成するために長年にわたって利用されてきた機器である。電子を周期的に偏向させるという機能自体に大きな違いはない。特に、SACLAでは、SPring-8 で培ってきた経験を元に真空封止型アンジュレータを採用することによって施設のダウンサイジング化が図られた。 兵庫県の播磨科学公園都市内にある、世界で最も強いコンパクトなX線自由電子レーザーX-ray free electron laser(XFEL)を作り出す施設、SACLA(さくら;SPring-8 Angstrom Compact Free Electron Laser)から、2020年度よりSPring-8 への電子ビーム入射が開始された。 SACLA施設は長さ400mの加速器棟、240mの光源棟、60mの実験研究棟の計700mからなる。 (Angstromは、電磁波の波長、1 Åは10−10m = 0.1nm ) SACLAの電子銃から打ち出された光源となる電子を、SACLAの400mに及ぶ加速器によって8GeV(80億電子ボルト)まで加速し、周長約1,500mのSPring-8に投入し、8GeVのエネルギーを維持しながら周回させて、偏向電磁石など磁場の働きにより放射光を発生させる。発生した放射光(X線)は、ビームラインを通して、蓄積リング内外に設けられた実験ハッチに導かれ、様々な実験に利用されいる。 新たに自然現象や生命活動の根源を探るとなると、その多くは原子や分子の配列とその動き、そしてその集まりの中での電子の移動などを直接観察するに極めて有効となる。その成果により、難病の原因解明と創薬の開発、地球環境を悪化させる物質の分解抑制など、大きな功績を達成することになる。 一方、ウィグラーの方は、ほぼ光速に加速した自由電子の軌道を、磁場をかけて急に曲げることにより高いエネルギーや高強度の放射光を発生させ、より明るい連続した短い波長領域の光が得られる。 SPring-8では、アンジュレータによる放射光を用いて、ナノテクノロジーやバイオテクノロジーの開発など産業利用に貢献する幅広い研究が行われている。 その一方、奈良県立橿原考古学研究所特別指導研究員の稲村達也(京都大学名誉教授)は、SPring-8の放射光を使って、遺跡から見つかった籾や穂の塊である「出土米ブロック」を測定し、弥生時代の農業の実態解明に迫ろうとしている。 2022年2月10日のプレスリリースでは、「患者の分子モーターKIF1A(神経系に多く発現するキネシンスーパーファミリータンパク質の一種)に遺伝子変異を発見し、この変異が神経軸索(神経細胞の細胞体から伸びる突起)による細胞骨格タンパク質の輸送に障害を与えることが明らかになった。この成果によって神経変性疾患の発症メカニズムの一端が明らかとなり、分子標的治療やそのための創薬の開発に繋がることが期待されている。 KIF1Aは神経細胞の生存に必須であり、KIF1Aを全く持たないマウスは重篤な神経障害により生後間もなく死亡する。」 目次へ |
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6)相対論 ガリレオの『相対性理論』 「相対論」とは何を意味するのか?「相対」の反対はもとより「絶対」である。相対論は「絶対」を否定として生まれた理論である。この場合の絶対とは、ニュートンの言う「絶対空間」「絶対時間」の「絶対」である。 ニュートンの主著『自然哲学の数学的原理Philosophiae Naturalis Principia Mathematica(プリンキピア)』の中で、質量や慣性、運動量や力などに相当する概念を科学的に定義し、絶対的空間の概念を創始した上で、運動の3法則と万有引力の法則についての方程式などで微積分を創始し説明した。 それは、古典力学「ニュートン力学」が、実験的に示された地上の物体の運動と、観測によって得られた天体の運動を統一的な理論によって説明される、いずれも予測可能の範囲にあることを示した。さらに、光学において光のスペクトル分析などの業績も高く評価されている。 ニュートン力学を構成する際に、宇宙には基準となる「絶対座標」が存在していると考えて、それを「絶対空間」と呼んだ。 ニュートンの「絶対座標」では、基準となる図面に表示されているスケールの数値で示す。その「絶対座標」を前提にして、宇宙には絶対的静止点や静止座標があるから、時間は一様にして等方向へ流れ、距離などの空間も不変で一定であると説いた。 「相対座標」では、例えば数値を入力する方法では、直前に指示した点を基準とした数値(直前に指示した点からの増減値)を示す。アインシュタインは、宇宙には完全に静止した場所は存在しない、時間や空間距離は、観測する人それぞれで異なり、その「相対空間」や「相対時間」を前提にして、絶対なのは「光の速度」であるが、すべての物理法則は、観測者それぞれに座標系があっても同じ形をとる。その「相対性理論」を体系化した。 「ガリレオの相対性理論」では、「私たちは、地球が回転していることに気付かない。私たちが速度と呼ぶものは、物体それ自体の速度ではなく【相対的な概念】であり、何か別の物と比較した時の速度に過ぎない。」と既に時空間における「ガリレイの相対性原理」を説いている。 19世紀末には、基層としての地球の自転速度を測定するために、光を利用した実験が数多く行なわれたが、そのことごとくが失敗している。 ガリレオは、「静止した場所であろうが、一定の速度で動いている等速運動している場所であろうが、そこで起きている物体の運動に違いは生じない」と、つまり、地動説であっても、地上で真上に投げた球は手元に戻る、と説く。 ニュートンの第一法則によれば、すべての物体は、外力の作用を受けない限り、静止しているか、直線上を一様に運動し続ける。つまり、『等速運動』とは、等速直線運動ともいい、速度すなわち速さと運動方向が不変な運動をいう。 この原理こそが、アインシュタインの『相対性理論』の原型であり土台となった。どの慣性系も、、静止しているか、等速運動をしている場所でしか成り立たない 例えば、一定の速度にある電車内で、リンゴを真上に投じれば、互いに慣性系が作用するため地上に居る時と同様に手元に戻る。電車が加速し続けている最中に、リンゴを投じれば、座席に座っていれば座席に押されて前方に加速する。一方、空中にあるリンゴは、その加速された力を受け取れないため取り残され手元には戻れない。電車が突然停止したり、曲がったり、揺れた時も手元には戻れない。 地球が在る太陽系ですら、天の川銀河の中の約2000億個の恒星の1つに過ぎず、太陽はその銀河系を約2億年かけて1周している。ニュートンの基本原理となる『絶対時間』とは、宇宙のいたる所で、同様に経過する時間の流れであり、何ものにも影響されない、と言うが、アインシュタインは、宇宙には完全に静止した場所自体が存在しないため、『絶対時間』自体成り立たないと否定した。そしてニュートンの『絶対座標』の理論を否定した。 「天文学の父」と呼ばれるガリレオ(1564-1642年)は、金星などの天体観測から、当時信じられていた天動説は間違いで、コペルニクスの地動説が正しいと主張した。「地動説」を唱えたために宗教裁判にかけられたこと、そこで「それでも地球は動いている」とつぶやいたことなど、数々の伝説を残した。 ガリレオは、「空気抵抗のない空間では、全ての物体の落下速度は その物体の重さよらず一定である」と言う。『ピサの斜塔』から大小二つの鉛の玉を同時に落とし「大小両方の玉が同時に地面に落下することを確認」した。「重力による物体の落下速度は、その物体の質量の大きさに因らない」ことが確認された。 1638年7月、ガリレオが、オランダで出版した晩年の著作『新科学対話』は、ニュートンの『プリンキピア』に先だって近代力学を切り開いた名著である。正式の書名は『機械学と位置運動についての二つの新しい科学に関する論議と数学的証明Discorsi e dimostrazioni matematiche, intorno a due nuove scienze attenenti alla mecanica ed i movimenti locali』であった。自身の研究の集大成とも言える「新科学対話」で、自由落下法則・慣性法則・放物線運動の法則を初めて定式化した。「落体の法則」について、「真空中では、すべての物体は同時に落ちるはずだ」と記している。 ガリレオの死後、約330年後の1971年、アポロ15号の乗組員が、空気のない月面で、鳥の羽とハンマーを同時に落下させる実験を行った。羽とハンマーは、月面に同時に降着した。 ガリレオの自然加速運動の定義は、「静止から出発して、等しい時間内に等しい速度の増加をえる運動」であり、「静止から出発して、等しい時間内に等しいモメント(現在の運動量に対応)の増加をえる運動」である。重さが大きく異なる物体を同時に落下させても、その落下時間の差は、瞬時でしかないと考えた。 しかし、ガリレオが落下運動を論じる際に、落下運動を引き起こす力に関してまったく言及していない。その背景には、彼が速度と運動力に関わる力学において、重要な部分に解答が未だ得られていなかったことによる。 ガリレオは、『新科学論議』おいて落下運動を論じた際に、物体に働く力に言及しないまま、加速運動に関する議論を進めている。落下運動では、物体に働く力が、重力という方向も大きさも一定であるのみならず、すべての物体において生じる加速の大きさは同じであるとしたために、運動力と加速の関係が顕在化することができなかった。 しかし異なる傾きの斜面上の下降運動を論じる際には、斜面の傾きによる加速の大きさに変化が生じる。ガリレオが説いた斜面運動の「原理」の証明では、この運動力と加速の関係を、下降する速度は、一定時間における通過距離に比例するという主張によって表されている。この主張は、現代的に見れば、すなわち「モメント」は物体の重さに比例する以上、それから生じる加速、そして速度も重さに比例することになる。この問題を解決するためには、重量と質量を概念的に区別することが必要である。ガリレオにとって、重さは物体にとって本質的な性質であるが、それ以上の区別は想定していなかった。 ガリレオは、力学の核心となる加速力の理論を最初に導入した。「落体の法則」では、重力は絶えず働く力であるが、一定になる条件が整った場合における力学の作用を実証した。 ガリレオの重要性は、その業績ばかりでなく、むしろその方法論が現代的で当時としては斬新であった。ガリレオは、ある現象に対して仮説を立て、それを数学により証明し、その結論を実験による新たなデータの集積で実証してみせた。 この方法は、後に仮説帰納法として知られるようになった。すべての事象を実験の組み合わせで構成する機械論的唯物論の萌芽がここにもあった。ガリレオは、『新科学論議』を通して、デカルトと同様に数学のなかにこそ、自然そのものの仕組みが隠されていると主張したのである。 ガリレオの証明は、クリスティアーン・ホイヘンスChristiaan Huygens(1629年-1695年)やニュートンの加速運動の数学的分析の出発点にはなったが、彼らの数学的技法はガリレオを踏襲していない。自らの技法によって書き換えている。より一般化した遠心力や向心力の理論を展開した。 力は「物体の運動を変化させる」という作用を持つ。その「運動の変化」を物理的にはこれを「加速度=速度の時間変化」として測定し、質量に掛けたものが力の値という法則、それがニュートンの運動方程式である。 力=質量(動かしにくさを表す)×加速度(運動の変化を表す) つまり、 F = m×a Fは力、mは質量、aは加速度。 重いものほど、その質量に比例して強い重力が働くが、質量が大きいと運動を変化させる加速度も大きくなる。ただし、地面から短い高さの距離では、力の大きさは質量に比例しても、加速度は質量に反比例するので、この効果が消し合って「重い物でも軽い物でも落下速度は同じ」という結果になる。 アリストテレス的運動方程式(彼は数式では表していないが)は 力=質量(動かしにくさを表す)×速度(運動自体を表す)と考えられる。 ガリレオ以降、「落体の法則」が加速度運動の出発点となった。クリスティアーン・ホイヘンスは、オランダの数学者・物理学者・天文学者である。かつてオランダの25ギルダー紙幣にその肖像が描かれていた。ホイヘンスは、光について考えてきたことを、61歳になる1690年に『光についての論考』いう本を出版した。彼はこの本の中で、光が進む仕組み「光の波動説」を提唱した。その「ホイヘンスの原理」を使うと、光が直進・反射・屈折することを、うまく説明することができる。このように、「光は波である」と考える説を、「ホイヘンスの原理」と呼ぶ。また、「光は波である」と考える説を、「波動説」と言う。 水面を広がる波は、水が伝えている。では、光の波は、何を媒質にして伝えているのか?ホイヘンスは、「この宇宙空間は、【エーテル】という非常に小さくて固い粒で、殆どすき間なく埋めつくされている。【エーテル】は重さがないために、非常に速く動くことができる。その【エーテル】同士がぶつかり合って、次々と運動が伝わっていく。この運動の伝わりが、光ではないだろうか、と提唱した。 ホイヘンスは『光についての論考』の中で、読者にこう呼びかけている。 「この本を出発点にして、この謎に私よりも深く切りこんでいく人が現れることを、期待しています。この研究テーマは、まだ探求されつくされていないのですから」 。 光についての問いかけは、ホイヘンスから次の時代の科学者たちへと受けつがれて行く。これは、ホイヘンスの推理にしかすぎないが、その後、科学者達は、地球上には「エーテルの嵐」吹いているはずと、そのエーテルの影響をとらえてその存在を証明しようとした。その当時、既にエーテルにより光は秒速30万 kmで進むとみられていた。 その後もエーテルは発見されなかった。「エーテルを伝わる光の運動を、川を走る船の運動に例える 」マイケルソンとモーリーの実験により、真空中での光の速さの測定結果は、観測者の運動や光源の運動状態が変わっても、光の進む方向によらず一定であることになり、エーテルの存在は否定された。電磁波を伝える物質としての媒質はなく、宇宙空間でも電磁波を伝える電磁場は空間の性質か、あるいは真空の性質だということになった。 アインシュタインの『相対性理論』 その後、アインシュタインにより、「宇宙の光の速さは、誰から見ても、秒速30万kmと一定している」と、エーテルの存在を、完全に否定した。実験的にも確認.さえている。 「真空中での光の速さは、観測者の運動や光源の運動状態が変わっても、光の進む方向によらず一定である(アインシュタインの光速度不変の原理)」 アインシュタインは、ガリレオの相対性原理を進化させ 「一定の相対速度で等速直線運動している場所では、光の進め方を決める物理現象を含め、すべての物理法則が静止した場所と同じように成り立つ。つまり、同じ形の運動方程式が成り立つ」と この二つの条件を物理学の基本原理と考えた。しかもそれは速さに関する常識を覆すものであった。この理論を特殊相対性理論の重要な土台の1つとした。 しかし、天文学では既に1930年代から、観測できていない物質が存在することを示唆している。現在の宇宙の平均エネルギー密度のほぼ27%を占める正体不明の物質あり、暗黒物質と呼ぶ。従来の原子からなる物質は、全エネルギー密度のわずか5%以下に過ぎない。ダークマターはその5倍以上ある。加えて、残りの約68%はダークエネルギー(暗黒エネルギー)によって占められている。ダークマターは重力相互作用を及ぼすものの、それ以外の相互作用は殆ど観測されていない。このためそれが放射する電磁波を観測して存在を確認することができていない。 特に「光速度不変の原理」は、速度の「進んだ距離÷かかった時間」からなる常識を覆し、時間と空間の常識までも根底から覆した。 「光速度不変の原理」は、様々な方法を使い確かな精度で観測されている。例えば、2つの恒星が重力的に結合し、互いの周囲を軌道運動する連星から発せられる光は、地球に近づいた時も、遠ざかった時でも同じ秒速30万kmであった。連星は恒星の半数以上を占めるほど頻度が高いとみられている。 オランダ科学の絶頂期に活躍したホイヘンスが遠心力を定式化した。円運動における遠心力理論に関連した13個の定理を述べている。ホイヘンスはその一冊をニュートンへ贈った。 円周上を一定の速さで動く「等速円運動」をするためには必ず中心に向く力が必要である。これを向心力(中心力)と言う。 ニュートン運動の第2法則より、加速度の向きも向心力と同じく回転中心へ向く。つまり、等速円運動における向心力と加速度は必ず円の中心に向く。 半径 r [m] の円周上を速さ v [m/s] で等速円運動している物体が、短い時間 Δt [s] の間にP点からQ点に移動したとする。 P点、Q点での速度をそれぞれ 半径 r [m] の円周上を速さ v [m/s] で等速円運動している物体が、短い時間 Δt [s] の間に P点からQ点に移動したとする。 P点、Q点での速度をそれぞれ →v、→V'としする。 このときの角速度を ω [rad/s] とすると 、∠POQ = ω⊿t となる。 加速度を求めたときは ⊿t が十分小さいときの条件、 →v=→V'が重なるほどせばばる。 これがポイントで、等速円運動での加速度は円の中心を向いていることを示す。 このように円の中心を向いている加速度を「向心加速度」と呼ぶ。 等速円運動における加速度の向きは回転の中心向きである。いろいろな考え方があるが、ここではニュートンの運動の法則から考えてみる。 ニュートン運動の第2法則 F = ma 加速度aも力Fもその大きさとともに方向をあわせもつ「ベクトル」である。 したがって、力Fあるところに加速度aがあり、その向は同じである。 例えば、無重量である宇宙船内部で五円玉に糸を結びつけて等速円運動させる。このとき、五円玉にはたらく力は糸の張力だけである。すなわち張力のみが五円玉に働いているので、張力の向きに加速度aが生じることになる。また、張力の向きは必ず回転運動の中心にある。 これらのことから等速円運動するためには必ず中心に向く力が必要で、これを向心力と言う。 したがって、ニュートン運動の第2法則より、加速度の向きも向心力と同じく回転中心向きである。 つまり、等速円運動における向心力と加速度は必ず円の中心に向いている。力の向きは刻々と変化する。したがって、加速度の向きも刻々と変化する。 慣性の法則により物体に力が働かないとまっすぐに等速運動する。 だから、円運動するためにはまっすぐ突っ走ってゆく力を引き戻す力が必要となる。これが向心力。向心力がなければ、円運動せずにまっすぐ行ってしまう。 地球が太陽の周りを回っているのも、放っておけば慣性の法則に従ってまっすぐに飛び去ろうとしている地球を万有引力で引き戻しているからだ。 回転運動における新しい物理概念に角速度ωがある。 角速度ωとは単位時間当たりに回る回転角を言う。 1秒間に回る角度。このときの角度は、一般的にラジアン角で表す。 円の一周 360°= 2πr ➔ 180°= πr ➔ r = 180°/π = 1 rad 例えば、⊿t 秒間に ⊿θ rad 回れば、角速度ωは ω=⊿θ/⊿t で示される。 ωと速さv 回転運動において、1周回転する時間を、周期 T と呼ぶ。 そうすると、1周で360°= 2π rad (r = 1 rad) 回るから、角速度ωは ω=⊿θ/⊿t より ω=2π/T となりますね。 さらに今、回転半径 r としたときに、1周の長さは 2πr です。ゆえに、物体の速さをvとしたときには、速さv=距離2πr÷1周回転する時間 (周期 T)だから、 v=2πr/T これと上の式の ω=2π/T より v = rω となることが分る。 「等速円運動」 速さ v = rω 加速度 a = rω2 = v2/r 向心力 F = mrω2 =mv2/r ホイヘンスが導出した円運動での「加速度公式」 加速度=v2/r(速度は v で一定、円の半径 r )は、ニュートンがケプラーの法則から重力法則をもとめる際に役立った。ニュートンは彼の万有引力理論が、ホイヘンスの遠心力理論によるところが多いと謝辞を述べている。 その「落体の法則」は、ニュートンの近代力学理論の出発点ともなった。アリストテレス以来、続いてきた落下運動をめぐる議論に終止符が打たれた。彼は万有引力の法則を発見して、落下運動が生じる力は地球と物体とが引き合う力にほかならないことを証明した。ニュートンは、微積分という新しい数学的手法を考案し、距離の2乗に逆比例し、質量の積に比例する万有引力を発見した。またケプラーの3法則が、ニュートンの万有引力発見の重要な数学的基礎となった。 GPS衛星上では相対論的効果 地球は、誕生したときからまわり続けている。 それは、約46億年もの昔、太陽も地球も、また太陽系の惑星の多くも、宇宙で同じ方向に回転する、ガスやチリがうず巻く同じ雲の中から、回転しながら誕生した。太陽や地球などの惑星が、距離が非常にかけ離れているにもかかわらず、それぞれが同じ方向に自転しているのは、同じ自転の中から生まれてきたからによる。 ニュートンの万有引力の法則で知られるように、全ての物体は「引力」で互いに引き合っている。地球上の物体には地球の引力が働く。その一方、回転する物体には回転軸と逆方向に遠心力が働く。地球上の物体には、引力と遠心力の合力が重力となって働く。 重力の大きさは時間や場所によって異なる。例えば、遠心力は自転軸からの距離が遠くなるほど大きくなることから、赤道上の重力は北極や南極よりも約0.5%小さくなる。また、地下の密度や構造の違いでも差が生じる。加えて、同じ地点であっても、月や太陽の引力、潮汐(海面の昇降現象)や地殻変動などにより時間的にも差異が生じる。 実は、地球の赤道上にいる人は、地球の回転と一緒に時速約1700kmもの速さで移動しているが、地球は真空の宇宙空間の中を移動しているため振動が生じない。人間も周りの空気も地球の回転と一緒に同じスピードで動いているので、時速1700kmという風圧も感じない。 地球の角速度は「360゚/日」、「15゚/時」であるから、北極点と南極点でも、10−9/秒(ナノ‐セコンド【nano second】)以下の面積速度を持続し、決して0/時で静止することはあり得ない。 (ラジアンradianは、国際単位系【SI】における角度【面積角】の単位である。日本の計量法体系では、ラジアンは「円の半径に等しい長さの弧の中心に対する角度」と定義されている。1 radは度数法では 180°/π で、およそ 57.29578°に相当する。 円の一周 360°= 2πr ➔ 180°= πr ➔ r = 180°/π = 1 rad ) アインシュタインの時空間の相対論では、「時間の進み方は一定ではなく、それぞれの場所によって速くなったり遅くなったりする」と説く。 赤道上の自転速度は、時速約1700kmと極めて速い。特殊相対論によれば、赤道の観測者の時計は極地と比べてゆっくり進む事になる。 しかし、地球の形は、扁平な回転楕円体、赤道半径a: 6,377.397155km、極半径 b: 6,356.0789km、a-bの差:21.31825kmであるため、赤道と北極点の重力に違いが生じる。重力は質量が大きいほど大きくなるので、地球ほどの大きな質量であれば、大きな物理作用として働く。したがって、一般相対論による補正も必要で、「重力は時間を遅れさせる」。重力源(地球の中心)からの距離が短いほど、時間の遅れが生じる。地上で重力を受けている人より、スカイツリーの展望台に居る人の方が、重力の影響が小さくなるので時間は速く進む。速度と重力、実際に、どっちの寄与が大きいかは赤道半径・極半径・自転速度などで決まる。現時点では、重力の影響の方が勝り、地球の中心から遠い赤道の時計の方が極点より速く進むはずが、遠心力は自転軸からの距離が遠くなるほど大きくなることから、赤道上の重力は北極や南極よりも約0.5%小さくなる。 GPS衛星は、精密な原子時計を搭載して、時速14,000km(秒速約4km)の速度で飛び、時刻情報と衛星軌道情報を24時間、地上に送信している。GPS衛星の速い速度は、特殊相対性理論の効果によって、約1日120×10-6秒ほど、地上の時計より遅れることになる。 また、GPS衛星は、高度約2万kmの宇宙空間を飛んでいる。そのためGPS衛星にかかる重力は地上より小さくなる。そのため一般相対性理論の効果により、地上の時計より約1日150×10-6秒ほど、地上の時計より速く進む。 この2つの相対論の効果を合わせれば、地上の時計より約1日30×10-6秒ほど速く進む。これを距離で換算すると約10kmに相当する。 GPSは主に、GPS衛星とカーナビやスマホに装備されている「GPS受信機」からなる。GPS衛星は「GPS受信機」に「時刻」と「衛星の位置情報」を電波で送信している。「GPS受信機」は同じことを、3つ以上のGPS衛星からの電波を受信し、それぞれの衛星までの距離を計算して自らの現在位置を特定する。 その電波は秒速30万kmで進む。衛星からの距離は「衛星から受信機まで電波が届くまでの時間」×「光速(秒速30万km)」により算出する。例えば、時間が10マイクロ秒(0.00001秒)ずれれば、衛星から受信機までの距離は3km(0.00001秒×30万km)も変わりGPSは機能しなくなる。 GPS衛星は、これらの位置情報の効果をあらかじめ想定して補正するように設計されている。 4機以上のGPS衛星であれば、衛星による測位は正確になるが、安定した位置情報を得るためには、より多くの衛星が稼働していることが望ましい。 GPS衛星側での補正では、GPS衛星上では相対論的効果により、時間の進み方が地表と異なるので、 あらかじめ衛星搭載時計の周波数を-4.45×10-10 に補正して、UTC(協定世界時)と同期させている。 その間の地域は、緯度に応じて大地が東へ動く速度が決まる。当然この運動速度によっても、特殊相対論効果による時間の進行速度の差は発生する。実は、この差の補正は、各自のスマホなどの端末内で行われている。それぞれのスマホの中で、だいたいの位置情報によって緯度はわかるので、すぐさま地球の自転によるその場所の運動速度を算出して、特殊相対論の方程式を利用して補正し、より正しい位置情報を算出し、誤差の蓄積を防いだりしている。 見方を変えてみれば、地球は、1回転に約24時間もの時間をかける。つまり1秒に0.0042度しか回転していない。そのゆっくりとした角速度なので、星が見える位置も非常にゆっくりと動くため、自転を直観することはない。それでも、既に、BC5世紀にはピュタゴラス派によって、地球球体説がとなえていた。 遠くの船はやがて船体の下の部分が水平線の下に隠れ、次第にマストだけが見えるなどの光景から、古代ギリシャ人は地球が丸いことに気づいていた。当時多くのギリシャ人は船でエジプト王国の傭兵として流れ、また東地中海沿岸のギリシャ植民都市との交流が頻繁であった。その間、通常の感性を持つ人々に、遠望する風景の移ろい、その大地と大海原、大空が地球のあり様を教えてくれる。 アリストテレス(BC384-BC322年)は「地球が球体である」ことを、「見る場所によって星の高度が変わる」という実見から説明している。また、月食を、月が地球・太陽と一直線に並ぶときに映る丸い陰が地球であると、その天文現象を明確に理解していた。アリストテレスは、一般的に日常観察される事象を重視し、これを支配する諸原因を現実主義的な観点から検証した。 アインシュタインは1905年に「光速こそが絶対不変な量であり、光速はその要した時間や進んだ距離により計算される二次的な量ではない」など特殊相対性理論を発表した。その後「重力の場」の仕組みを探究して、1915年11月には一般相対性理論を提唱し、時間や空間の概念を大きく変えた。 一般相対性理論では、特殊相対性理論をより普遍的に一般化したもので、特殊相対性理論では、慣性系と呼ばれる「等速度運動している座標系の相対性」、つまり限られた座標系を前提にしていた。アインシュタインは、これを「すべての座標系にあてはまる相対性理論」に拡張しようと考え、10年間、この研究に没頭し苦戦した。1915年の一般相対性理論で、初めて「すべての座標系」に完全に解答できる理論を完成させた。 その際、もっとも難関であったのが「重力」である。重力は万有引力とも呼ばれているように、どんな物質であろうとその質量に働く。電磁気力のように定められた電場や磁場に働くのではなく、すべての物質に働く場の理論を確立しようとしたら、「重力」の理論は欠かせない。 10年の歳月の間、アインシュタインの研究は誤謬と焦燥に苛まれながら、的外れなアイデアと不正確な方程式を記述する論文を次々と発表していた。漸く、アインシュタインは、ファラデーとマックスウエルの「電場と磁場」の理論と方程式が、古びた重力の理論にも当てはまることに気付き、「重力の場」とマックスウエル方程式に類似した「一般相対性理論方程式」を創始した。それは物理学史上、最も偉大な着想であった。 宇宙は「空間+粒子+電磁場+重力場」から出来ているのではない、「場+粒子」だけで作られている。ニュートンが最後まで苦しんで解決できなかった「空間」の実態が「重力場」の存在であった。 「一般相対性理論方程式」には、アインシュタイン自身が信じられないとして否定した「宇宙の膨張」を示す特殊な解が含まれていた。 一般相対性理論を発表すると、その直後の1915年に、ドイツの宇宙物理学者カール・シュヴァルツシルトKarl Schwarzschild(1873-1916年)が、「一般相対性理論方程式」の中の重力方程式から導き出された最初の「特殊な解」の1つとしてブラックホールの存在が予見された。「シュヴァルツシルト半径」と呼ばれる特殊な球形の領域に近い「極めて高い質量が存在する場では、空間自体が重力で歪み」、その重力で光が吸い寄せられると「時間経過が遅くなるように見え、速度はいつまでも光速度を超えられない」と、まさにブラックホールの存在と光速度が最速であることを示唆していた。 さらに1927年には、一般相対性理論から導き出したひとつの解釈として、ベルギーの宇宙論学者ジュルジュ・ルメートル(1894-1966年)が、アインシュタインの一般相対性理論を宇宙に適用して、宇宙が膨張することを導いた。1927年にベルギーの科学雑誌に発表されたが、その論文はフランス語で書かれ、しかも雑誌自体の知名度が低かったため注目されなかった。その後、、アメリカのハッブルによる膨張宇宙の発見後、1931年に、イギリスのディントンArthur Stanley Eddington(1882-1944年)が、ケンブリッジ天文学教授時代に解説付きで、ジュルジュ・ルメートルの論文を英文に翻訳し「英国王立天文学会誌」に掲載したことにより学界で広く認められた。 2019年4月10日、イベントホライズンテレスコープEvent Horizon Telescope(ブラックホールの物理の解明を目指す国際研究プロジェクト)が、おとめ座銀河団にある巨大楕円銀河M87の中心にある影(ブラックホールシャドウ)を観測したと発表した。 ブラックホールの内側の光や物質は、外に出ることがないため、現代の観測能力では、光・質量・回転、そして電荷などの物理量に限られているため観測が困難であった。イベントホライズンテレスコープの画像によれば、ブラックホールシャドウの規模は、一般相対性理論と非常によく一致していた。一般相対性理論以外の重力理論では、「超ひも理論」からも提案されているが、観測されたブラックホールシャドウの実態とある程度一致するようだ。他の重力理論については、電荷の大きさなどで、ブラックホール解として、アインシュタインの一般相対性理論比べて、その範囲は限定的とされている。 現代の理論物理学者にとって、ブラックホールの解析は極めて難しいが、その観測データの蓄積と解析能力の進化により、アインシュタインの一般相対性理論を超える新しい物理論の宝庫となる可能性が極めて高い。 アインシュタイン自身は、ブラックホールとビッグバンのどちらに対しても否定的で、その存在を認めようとはしなかった。しかし1964年、米国のベル研究所における偶然ともいえる観測によってビッグバンの存在がはじめて具体的に示唆され、現代ではビッグバンによる様々な現象が研究されている。また、1965年に打ち上げられた軍事衛星による偶発的なガンマ線の補足が、その後、ブラックホールの解明につながった。 アインシュタインは、エレベーターの綱が切れて「重力で自由落下しているエレベータの中では重力は消える」とした。そのエレベーターの中では、重力は現れたり消えたりしている。そのことを手がかりにアインシュタインは、重力理論を構築した。 (自由落下運動とは重力だけが作用している運動、つまり、重力に逆らって圧力や力を加えない運動のこと。木にぶら下がる猿をピストルで狙い、弾を発射したと同時にサルが手を放して木から落ちたとする。地上ではピストルの弾に重力が働いているため、弾は放物線運動を描くことになり、木から落下するサルに弾があたるという。ピストルの弾は、初速にしたがってそのまま等速直線運動をし、まっすぐサルに命中する) 重力は物質の質量エネルギーによって時空がゆがむことによって引き起こされる現象と見抜き、これによって一般相対性理論が完成した。 アインシュタインは、一般相対論を作り上げた時、自分の作り上げたこの理論が、物質世界全体を含む時空を科学的に説明できる初めての理論であると自負した。 「特殊相対性理論」では、光速に近いロケットでの宇宙旅行から帰ると自分の息子より若くなる例えのように、光速ほどの速度は、必然的に「時間旅行」になる。このような「時間旅行」は今のところ不可能であるが、ごく僅かな未来への時間旅行であれば誰も行っている。高速の新幹線や飛行機などに乗車したとき、自分の時間の進み具合は遅れる。その間、身につけていた腕時計は地上の時間よりごく僅か遅れている。自分の老化を防ぐためには、旅行は高速な乗物を利用することを心掛けるべきだろうか? 月の上空を光速に近い速度でロケットが飛ぶ。その床上のライトから天井に光を放てば、光は真っすぐ天井に達する。それを月面で観測したとする。ロケットの速度の分、その光は進行方向へ斜めの軌跡を描く。いずれも、それぞれの光が天井に達する時間は、通常のように「軌道の長さ÷光速」で算出されない。「光速不変の原理」であれば、月面からみれば、斜めに伸びた距離の分、ロケットの時間は、時間の遅れとなる。相対的にロケット内での時間は、ゆっくり経過することになる。 ロケットの時間は、「特殊相対性理論」では、「時間の遅れは、光速に近づくほど極端に大きくなっていく」。ただ光速の秒速は、約30万kmで、旅客機の経済的な巡航速度は、秒速は0.25km、その旅客機の時間の遅れは、1秒当たり10兆分の3秒に過ぎない。水の分子同士は、1兆分の1秒ごとに10回位ぶつかっている。 「一般相対性理論」は、運動していなくとも、重力により時間の流れは遅くなる。それは「絶対的な時間の遅れ」である。つまり「重力が強い場所の方が、必ず時間の進みが遅くなる」。そこでは、全ての原子から物体の運動までゆっくりと流れる。もっとも重力が強いブラックホールでは、時間は止まる。 地球上では、どちらと言えば、重力の強い場所の方が、必ず時間の進み方が遅くなる。通常、そこに居る人には感じられない。そこでは、粒子レベルから物質すべての運動がゆっくり流れるからである。 地球の赤道の長さは約4万km、赤道上のある地点は、24時間で約4万km動くことになる。これを時速で表すと、約4万÷24=約1700km。つまり、赤道上の自転速度は時速約1700km。その自転速度を分速や秒速に直すと、1時間は60分なので、4万÷24÷60=約28で分速約28km。1分間は60秒なので、4万÷24÷60÷60=約0.46(約466)でとなる。音が空気中を進む速度は秒速約340mですから、地球の自転速度は音よりも速い。 地球の赤道半径が6,377.397155kmなので赤道では秒速約460mの速度 (地球の公転速度を除く)で回っていることになる。ゆっくりとした角速度であれば、ほぼ等速直線運動と見なせる。自転に起因する遠心力は赤道上では重力の0.3%にすぎない。 地球は、時速1700kmで自転しながら、太陽の周りを時速10万kmで公転している。更に太陽系は、銀河系の軌道を時速85万kmで公転し、天の川銀河はビッグバン後の膨張する宇宙に乗るかたちで、秒速630km(時速約226万8,000km)の速度で疾走している。 等速直線運動ではアインシュタインの特殊相対性原理が働く。「静止しているか等速運動をしている場所の事を慣性系と呼ぶ。慣性系では慣性の法則が成り立つ」「どの慣性系でも、すべての物理現象は、静止した場所と同じように成り立つ」によって、自分が動いていることさえも気づかない。そのため、地球の自転を直接的に知覚することはない。 また「加速している場所は慣性系とは呼べない」と言う。 1922年に、アインシュタインの一般相対性理論の宇宙膨張のモデル方程式から、アレクサンドル・フリードマン (ロシア及びソ連の宇宙物理学者・数学者・気象学者)が導き出したフリードマン方程式の解として定式化した宇宙モデルには、膨張する宇宙が含まれていた。 実は、地球から遠く離れた位置にある銀河は、遠く離れるほどに、やがて光より速く地球から遠ざかることが観測されている。 1929年、アメリカの天文学者エドウィン・ハップルEdwin Hubble(1889年-1953年)は、遠方にある銀河ほど地球から速く遠ざかり、その速度は地球からの距離に比例すること、また、2つの銀河の間の距離が大きくなるほど、互いに離れる相対速度も距離に比例して大きくなることを発見した(ハッブルの法則)。 このハッブルの発見は、フリードマン方程式のモデルを実証したものでもある。この発見は後にビッグバン理論につながる。 ベルギーの宇宙物理学者でカトリックの神父でもあったルメートルが、1927年に、多くの銀河が発する光の赤方偏移と距離を測定して、遠い銀河までの距離と後退速度(遠ざかる速度)が比例関係にあるという観測結果を、ベルギーの学術雑誌にフランス語で書いた論文で発表していた。国際天文学連合International Astronomical Union(IAU)は、2018年、宇宙膨張を表す法則は今後『ハッブル・ルメートルの法則』と呼ぶことを推奨する」という決議を採択した。 宇宙の膨張により、殆どすべての銀河が、地球や太陽が属する天の川銀河から遠ざかって見える。しかし、天の川銀河が宇宙の中心にあるわけではないので、「遠い銀河ほど速く遠ざかって見える」と言う『ハッブル・ルメートルの法則』は、どの銀河から見ても成り立つ。ただ天の川銀河とアンドロメダ銀河などように近傍にある一部の銀河同士は、互いの重力で引き合って接近している。 また、実際に超光速で遠ざかる銀河の光を観測することはできない。その領域にある銀河の光は、光の速度を超えて遠ざかっていくため地球には永久に届くことはない。このままでは永久に「宇宙の果て」を見ることはできないことになる。 宇宙から地球に飛来するニュートリノ(宇宙で最も豊富で、質量が非常に小さい素粒子の1つ、電荷を持たないため、他の物質と殆ど反応しない)は、ごくまれに水中にある原子にぶつかり、その衝撃で放射される電子は、光子より小さいため水の抵抗が弱く、水中では光子より速く移動する。 目次へ |
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7)光速 ニュートンの力学では、v1 の速度で動く電車の中で、v2 の速度でボー ルを投じた場合、ボールの速度は地上から見ると v1 + v2 になる。これは我々の日常に成立する速度の合算である。ならば、光の速度cで飛ぶロケットが進行方向に光を放てば、2c の速度の光になるはずだ。 (台風の右側は、進行方向と中心に向かって吹き込む風の向きが一緒になり、風の勢力が増す。一方、左側は台風の進行方向と中心に向かって吹き込む風の向きが異なるため、互いに打ち消し合い、勢力は右側ほど強くはならない) 19世紀初頭の物理学の光学理論においては、光が波動であれば、ニュートンも解決出来なかった真空中であっても伝播するならば、何か光を媒質する、即ち「エーテル」が存在すると考えられていた。だが、その肝心のエーテルの存在については、「マイケルソンとモーリーの実験」など、多くの理論的・実験的な試みが行われたにも関わらず、どのような証拠も見つけることができなかった。 ジェームズ・クラーク・マクスウェルは、1864年、マイケル・ファラデーによる電磁場理論をもとに、「マクスウェルの方程式」を導いて古典電磁気学を確立した。そして電磁波の存在を理論的に予想し、その伝播速度が光の速度と同じであること、および横波であることを示した。 「マイケルソンとモーリーの実験」は失敗したが、「光の速さは地球上のいかなる運動に左右されない」ことが明らかになった。アインシュタインは、エーテルの存在を否定し「観測する場所がどんな速さで動いても、光は常に一定の速さで進む」と結論付けた。これが特殊相対性理論の土台となった「光速不変の原理」である。この「常識的な速さの足し算は、光速には当てはまらい」ことにより、時間と空間の常識を根底から覆す「特殊相対性理論」が体系化された。 例えば、光速の約67%の秒速20万kmで月の上空を飛ぶ母船の先端で光を発するとする。母船内の観測者からは、その光の速度は秒速30kmのままで宇宙船と同じ方向へ進んで見える。 我々が日常に感じる v1 + v2 という足し算は、光速よりずっと遅い速度を前提にしているので、近似的には正しい式であると言うのが特殊相対性理論である。 光速度不変の原理は、加速器実験で証明された。加速器particle accelerator(電子や陽子などの電荷を帯びた粒子に、波長が非常に短く、高エネルギーな高周波電流を与え、光速に限りなく近いスピードにまで加速する)によって加速された陽子をベリリウム(原子番号4番目の元素で、非常に軽い金属)にぶつけるとパイ中間子(陽子と中性子、その核子を結合する核力を媒介するメソンの一種)が放射される。このパイ中間子は、光速の99.975%の速度で飛ぶ。しかし短命で直ぐ崩壊し2個の光子が飛び出す。この光子をその進行方向に離れて設置した2か所の検出装置で検出した時間とその時の光速を測定した。その結果、その測定速度は、いずれも秒速30万kmであった。 (「周波数」とは、1秒間に繰り返す波の数、光速【30万km/秒】=「周波数【Hz】」×「波長【km】」、つまり「周波数」と「波長」は反比例する) 衛星は、地球の周りを周回運動している。その地球も時速1700kmで自転しながら、太陽の周りを時速10万kmで公転している。地上の自動車もそれなりの速度で走行している。 つまり、v1 + (-)v2 で、電波の速度が発信者と受信者の速度に合わせて計算されれば、衛星と自動車と地球の運動方向と速度次第で、自動車が受信する電波の速度が、時々刻々変動することになる。 しかし、光や電波などすべての電磁波の速度は、真空中では常に一定している。GPS衛星は、地球の上空を周回運動している。自動車も自転運動する地上で運動している。それに合わせてGPS衛星電波の速度が変動すれば、カーナビが示す現在位置は目まぐるしく変動することになる。 カーナビは、実際の所、衛星から自動車の距離を「電波の速度(秒速29万9792.458km)×時間」の積で算出している。この値が変動する事を想定していない。事実、カーナビの誤差は、10数メートルと安定している。これも「光速度不変の原理」が当てはまるからである。つまり電波の速度は常に一定し、衛星(発信者)や地球(受信者)上の運動速度により変動しないからである。 光速度不変の原理は、真空中だけでしか成立しない。特に地球表面には電離層や大気によって速度は落とされる。中でも電離層による速度のずれは、カーナビで使われるGPSに4m程度の誤差を生じさせる。そのためGPSでは、通常、4機以上のGPS衛星データから、地上の受信機は位置情報を解析している。 時空が 4 次元であること、つまり、我々の宇宙が 時間と3 次元の空間からなることは、日常的に体験している。素粒子標準模型や一般相対性理論は、4次元時空のうえで定義された場に対する方程式であり、これらの方程式で自然現象は整合性をもって説明されている。 任意の次元の時空を前提に展開すれば、場の方程式や量子論を矛盾なく説明される。 一般相対性理論は時空自体が、力学変数であることを意味している。さらに量子力学では、すべての量がゆらいでいると観測されている。時空や計量も、量子的にゆらぎ不確定性が高いことを前提にしている。 時間の進み方が相対的であれば.、光速度不変の原理を使うと、光を使った時計を作れば正確な時刻が測れるはずだ。例えば、長さ 50cmの筒の両端に鏡をつけ、光を往復させる装置により、1往復が1m だから光が2億9979万2458回往復すすれば1秒となる正確な時計ができる。これを光時計と呼ぶ。 光時計をロケットに載せたとする。ロケットが飛ぶと、光時計の筒を1往復するために光が進まなければならない距離が増える。地球上で止まって見ている人の光時計が1秒刻んだときでも、ロケット内の光時計の光はまだ1往復できていない。しかし、ロケットの中の人にとっては、光時計が1秒を正確に刻んでいる。 地球上の1秒とロケット内の1秒の刻み方がずれていると考えれば良い。つまり、時間の進み方は観測する人によって変わる。ロケットが速ければ速いほど、地球の1秒にくらべてロケットの1秒は遅くなる。速いスピードで移動しているほど、1秒の間隔は静止している人より長くなる。 目次へ |
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8)質量に潜むエネルギー 月は地球の周囲を大きく回っている。実は地球も、月と地球との重心を中心に小さく回っている。 万有引力により、地球が月を力で引っ張るときに、月も地球を力で引っ張る。作用・反作用の法則で、地球が月から受ける万有引力と、月が地球から受ける万有引力の大きさは全く同じである。 しかし地球の方が質量が大きいため「動かしにくい」ため、地球の運動の方が小さくなる。 月の質量;約7.3×1022kg、半径;約738km、公転半径;約38万km 地球の質量;約6.0×1024kg(月の約81倍)、半径;約6380km 並ぶ2つの恒星が連星(互いの周りを回る2つの星)で、通常、恒星同士だと質量差が小さくなる。質量が等しければ、ちょうどその間の真ん中を中心にして対等に回る。しかし、片方の質量が大きければ、回転の中心が質量の大きい側に偏り、そこを中心に回る。 恒星同士ではないが、地球の質量は月の約81倍と大きい。そのため月の公転の中心(重心)は地球の内部に入り込むことになる。地球と月の質量がバランスが取れる重心は、地球の中心から約4600kmが地球の中心の軌跡となる。月は地球の中心を回っているわけではない。地球も月も、地球表面から少しだけ内側に位置する点を中心に回っている。すべての星系に、こうした点が存在する。共通重心と呼ばれる。星系に含まれる天体全体の質量が完全に均衡する重心である。 惑星の冥王星とその衛星カロンは連星系を作っていて、宇宙空間の共通重心の周りを、お互いがお互いの周りを 回るように公転している。共通重心が惑星の外側にある星系もある。 実は地球も、この重心を中心にして小さく回っている。月は、地球の中心から約4800km離れた点、つまり地球表面のすぐ下にある点を中心に回っている。地球もまた、その点を中心に揺れるように回っている。その点は、地球-月系の質量中心であり、共通重心と呼ばれている。物体(または複数の物体から成るシステム)の質量がすべての方向に均等に分布し、完全にバランスがとれる点のことだ。地球と月の共通重心は、地球の中心と一致しているわけではなく、「常に地球の表面から少しだけ内側」にある。 粒子加速器は、電荷を持つ電子や陽子、または原子から電子をはぎ取ったイオンなどの荷電粒子を電磁力によって加速する装置を言う。 粒子を光の速度近くまで加速して、高いエネルギ-状態にするのが高エネルギ-加速器である。荷電粒子は、電場の中を通して、電場から運動エネルギ-をもらい速度を上げる。 例えば、二つの電極板により電場をつくって、負の電荷をもった電子を穴から電場に入れると、正の電極板に向かって引き寄せられる。この時、電子は加速され、速度を上げて正の電極に向かう。この時の電子の運動エネルギ-は、電場の中で、位置エネルギ-が運動エネルギ-に変えられたものである。 加速器の中で速度が遅いうちは、電場の中で投入されたエネルギーの多くは、電子の速度を上げるための運動エネルギーとして使われる。 磁場による電子の周回運動を利用して、多重回加速させ高エネルギーを得る。その速度が増していくと、投入されたエネルギーは電子の質量を増やすために使われ、速度の増加量が次第に小さくなる。その加速された電子が光速に近づくと、殆どのエネルギーが質量に使われ加速がしにくくなる。そのため到達エネルギーが大きいほど装置は大型化する。 どんな物体でも加速していくとその質量が増大してゆき、やがてどんなに加速しても光速を超えられないことが知られている。 1901年、ドイツの物理学者ウォルター・カウフマンWalter Kaufmannは「電子が高速になると、その質量が増大する」ことを実験で最初に発見した。1902年までに、電子の質量がすべて電磁質量であること、すなわち電子の質量は電子の電荷と電磁場との相互作用に基づくこと、しかもその質量は速度に依存することを、この実験により検証した。 しかし現代のように電子の速度v、運動エネルギーKを測定する計測器がなく実験の精度をあげることが困難であったため、相対性理論のほかにも別な解釈もありえた。 現代では電子の速度をオシロスコープoscilloscope(電気的な振動oscillationをスクリーンに表示する)で測定でき、質量をから、運動エネルギーを測定できるようになり、その検証が可能となった。その結果、多くの実験結果により実証された。このような経緯があって特殊相対性理論が支持されたのである。これが特殊相対性理論のおける「質量の増大」の原則である。 今日、運動量とエネルギーの相対論的関係は、粒子加速器で日常的に確認されている。 「エネルギー保存則」では、「エネルギーの総量は増減しない」。これに対して特殊相対性理論では「質量とエネルギーと同一 」と示した。 E = m c2 (エネルギーEは、質量mと光速c2の積) 光速cが、物理学の法則に密接に関わる重要な数字であるとことが痛感させられる。静止している物体には、運動していなくても膨大なエネルギーを秘めていた。 アインシュタインの特殊相対性理論で示した、有名でありながら極めて簡単な式には、多くの驚愕に値する物理上の真実が含まれている。 E = m c2 「質量はエネルギーに変化できる」。 その具体例として、ウランの核分裂反応において、たった10gの質量が膨大なエネルギー発生させる。 そのエネルギーEは、0.01kg×30万(光速km)×1000(光速をmに換算)×30万×1000 = 900兆ジュールjouleの値を示す。 5.5 × 1013(10,000,000,000,000)=55兆ジュール が「広島型原爆1個分のエネルギー」であるから、その16倍以上のエネルギーとなる。 (1ジュールは、1kgの質量の物体を1m動かすのに必要なエネルギーである) 原子力発電の燃料になる天然のウランには、核分裂しやすい約0.72%の「ウラン235」と、核分裂しにくい約99.28%の「ウラン238」が含まれている。原子力発電所で起きている電力源となるウランの核分裂反応には、ウランの中に豊富に存在する「ウラン238」ではなく、希少な「ウラン235」と呼ばれる物質が使用されている。「235」とは、原子核にある陽子と中性子の数の和が「235個」であることを示す。 原子力で、大きなエネルギーを発生させる反応には、核分裂と核融合がある。核分裂は、原子核が分裂する。核融合では、複数の原子核が合わさり、一つになる。いずれも膨大なエネルギーを発生させる。原子力発電は核分裂の際に発生するエネルギーを発電に利用している。 「ウラン235」の原子核に、中性子が当ると、原子核が2つに分裂する。その際に、膨大な熱エネルギーが発生し、同時に中性子も発生する。この中性子が別の「ウラン235」の核分裂を誘発し、さらに、それにともなって発生する中性子が、別の「ウラン235」の核分裂を連鎖させる、というように核分裂が指数関数的に群発する。 一定の規模の核分裂に、その連鎖反応を制御するために、原子力発電では、中性子の速度を水などの減速材で遅くし、制御された連続した核分裂となるように設計されている。 このように連鎖反応が一定の割合で起きている状態を臨界と喚ぶ。原子力発電所では、「ウラン235」の濃度を3~5%に高めた濃縮ウランを粉末状の酸化物にし、直径・高さともに約10mm程度の円柱形に焼き固めたペレットを燃料として利用している。 原子力発電所では、原子炉の中でウラン燃料を核分裂させ、その際に発生する熱エネルギーを使って水を蒸気に変え、この蒸気によってタービンを回して発電機で電気を作る。 目次へ |
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9)「エネルギーは質量に変化できる」 物体は光の速さに近づくほど質量が増大する。質量が大きくなると言うことは、物体を動かしにくくなる、と言うことを示す。光速に近づくほど質量が増大するため、加速器でどんなにエネルギーを投入しようが、物体は光速を越えられない。つまり投入したエネルギーが質量に変化するからである。 エネルギーは質量になり、質量はエネルギーになる。つまりエネルギーと質量はおなじもの E = m c2 光速の99.9999991%で進む陽子の「見かけの質量」は約7450倍となる。この増大した質量を「見かけの質量」と呼ぶが、本来の真空中の質量との差を誘導質量と言う。 加速された陽子同士を衝突させると、その衝突エネルギーによって、元々陽子に含まれていなかった種類の素粒子が新たに生まれ、周囲に飛び散る現象が起きる。つまり「エネルギーが質量に変化する」。 加速された陽子がもっていたエネルギーが質量にかわり、新たな重い素粒子が生まれる。こうした素粒子の1つが「ヒックス粒子」である。これが、物体に質量を与えた起源とされるヒッグス粒子の発見であった。 ヒッグス粒子の存在を予言したイギリスのエディンバラ大学の名誉教授ピーター・ヒッグス博士とベルギーのブリュッセル自由大学の名誉教授フランソワ・アングレール博士は、その発見の翌年の2013年に、ノーベル物理学賞を受賞した。 このため陽子が走る加速器の管「ビームパイプ」が、新たな素粒子を発見するために多くの実験で使われている。 (量子ビームとは、光子や中性子などの量子を細くて強いビームに整え、一定方向に流す光束や電子の束である。専用施設で量子ビームを、粒子に当たることで、原子や分子サイズといった微小な世界への扉を開く契機となった) 目次へ |
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